51.大丈夫ですか?
User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-E]
Date: 2030-12-12 (JST)
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弱々しい笑顔。華奢な肩に突き刺さる無骨な枝。僅かな破片だけが残る砕けたガラス。
目の前の光景に現実味を感じられない。
確かに目に映っているはずなのに、頭に入って来ない。いや、理解を拒否しようとしている。
「テツ先輩は、…怪我はありませんか?…大丈夫ですか?」
その言葉に、ハッとする。そうだ、何をやっている。
テメェのせいで後輩に、相棒に怪我をさせて、ぼんやりしている場合じゃねぇだろう!
強く唇を噛み、無理矢理意識を叩き起こす。
「すまん、中原!謝罪は後からいくらでもする!まずは応急手当だ!」
「え、ちょ、ちょっと……」
運転席のドアを開けて外に出る。途端に凍えるような冷気が全身に叩きつけられる。周辺の葉が落ちた木々が冷たく強い風に揺らされている。
道路からは5m程度の滑落で済んだようだ。救急車さえ呼べれば、救助活動自体は難しくないだろう。
だが問題はこの気温、昼だというのに体感では5℃も無い。重傷の中原には致命的になりかねない。
車を迂回しつつ、コートを脱ぐ。寒さが身に沁みるが、今はそんな事言っている場合じゃない。
ポケットに入れておいたDVDは一旦ボンネットに置き、助手席側のドアに回り込む。
幸いガソリンが漏れ出しているような気配は無い。異臭も感じない。
ドアは大きく歪んでいるものの、何とか開けられそうだ。まず僅かに残ったガラス片を全て落とし、枝にぶつけないように注意しながら、慎重にドアを開ける。
「中原、寒いだろうが、少し我慢しろ。意識をしっかり保て」
「テツ先輩だって寒いでしょうが……」
身体の上にばら撒かれたガラス片を軽く払い、俺のコートを掛ける。僅かでも体温維持になる。
枝は中原の右肩を貫通してシートに突き刺さっている。場所は三角筋辺り、幸い致命傷になるような場所ではない。だが、この枝は抜くわけにはいかない。
根元の方を見ると、樹木と直接繋がっている。軽く触れてみたが、やはり硬い。工具も無しに折るのも切るのも厳しい。
よし、とりあえず当面の危険確認とやるべき事はやった。
次は救急だな。俺は自分のSOPHIAに手をかけ――
「ダメです…!テツ先輩…!」
中原が絞り出すような声で制止した。
「SOPHIAを起動したら、テツ先輩が捕捉されます。通報はダメです」
「……はぁ!?そんな事言っている場合じゃない!お前の傷は即命に関わるもんじゃないかも知れんが、重傷だ!一刻も早く病院に――」
「だから、テツ先輩はDVDを持って、私を置いて行ってください。テツ先輩がいなくなったら、私がSOPHIAを起動して救助を呼びます。それなら、テツ先輩の動きが阻害される事はありません」
本当に何を言っているのか分からなかった。冷静になったはずの頭に、再びカッと熱が生まれる。
コイツは、今自分がどういう状況だか本当に分かってんのか!?
「ば、馬鹿野郎!こんな状況のお前を置いて行けるわけが無いだろう!」
「だから、私は自分で何とかしますから――」
「それが馬鹿だって言っているんだ!…知るか、お前が何と言おうと通報する!」
「くっ、だ、ダメ、です…!」
中原は無理矢理身体を捻り、今にもSOPHIAを起動しようとしていた俺の腕を、無事な左手で掴んできた。
「テツ先輩さえ無事なら、SOPHIAの真相を追えます。でもここで一緒に足止めされたら、またいつ”事故”に巻き込まれるか分かりません。…私は自分で何とかできます。行ってください」
「中原、お前は、どうしてそこまで……」
どうして、コイツはここまで身を挺してくれるんだ。勝手にぼんやりして事故を起こした、こんなくだらない先輩を。
どうする、中原の言う通り置いて行くべきなのか、と思考がグラつき始めた瞬間――
「……?おい、中原……それ……何だ?」
そこにあるはずの無い物体が目に入り、冷水を頭から浴びせられたかのように、急激に脳が冷え切った。
「え?………………あー、そうか、見ちゃいましたか。テツ先輩、女の子の肌を覗き見なんて、セクハラですよ」
そこは、枝が無残にも肩を貫通している、傷口。
先ほど無理に身体を捻ったからだろう、衣服も少しズレて、中原の白い肌に血が滲んでいる様子が覗いている。
だが、その傷の周辺に、あるはずの無い物がある。
「ワイ、ヤー……?」
「そうですね、ワイヤーのようです。枝に絡みついていたんでしょうか?」
そんなはずが無い。
元々絡みついていたにしては錆も汚れも無いし、何よりそれは、どう見ても”枝に引っ掛かって体内から引き出された”、という様相だ。
「……まぁ、そんなので納得してくれるわけないですよね。しょうがないですね」
そういえば、先ほどまで弱々しかった中原が、いつの間にか普段通りの口調に戻っている。表情もいつも通りだ。
そして軽く「よいしょっと」と言いながら車のシートを倒すと、肩に刺さっていた枝をズチュリと一気に抜き去った。
「……!」
「…ん?ああ、大丈夫ですよ、先輩。出血はありません」
本来そんな事をしたら大量出血は免れない。大きな血管を避けていたとしても、だ。
だが、血が噴き出る光景を予見して目を細めた俺に、中原はあっけらかんと言い放った。
そして、言葉通りその傷口から赤い液体はほんの少ししか流れておらず、代わりにワイヤーやシリコンのような物が姿を覗かせている。
彼女はそのままシートから立ち上がると、まだ残っていたガラスの破片を軽く払った。
「さて、この通り私は平気なんですよ。ちょっと右腕を動かすのに不具合はありそうですが。だから、置いて行っても良かったんですけどね。…まぁ、テツ先輩にはそんな事は無理かな、とも思っていました」
―――ふと、事故の直前を思い出した。
AZの真の目的は、『SOPHIAが”完璧”に管理する社会』なんじゃないか、そう考えると全ての行動に説明が付く、と考えた。
だが、もしそうだとしたら――随分と中途半端だな、と思ったのだ。
だってそうだろう。SOPHIAはあくまでツール、言う事を無視したり、外したりしてしまえば、手も足も出せない。
今の俺だってそうだ。SOPHIAにどれだけ不都合な事をしても、電源を切ってしまうだけで動きを止められなくなる。SOPHIAが無い所に行くだけで何をしているか分からなくなる。
こんなに簡単にすり抜けられる物が、果たして”完璧”な管理だなんて言えるだろうか?
「あれ?テツ先輩、大丈夫ですか?…もしもーし」
結局の所、SOPHIAが制御不可能な人間の行動とは、感情だ。
どれだけ合理的に諭されても、気に入らない、それだけで人間は非合理的な行動を取る。
やはり、今の俺がそうなのだ。正義感なんて大層なもんでも無いが、それでも一銭の得にもならないのに、危険を冒している。
なら、逆説的に、”完璧”な管理とはどんな物だろうか。
SOPHIAは推奨・最適化の名の元に、合理的に社会全体を監視、誘導する。
例えばそれに加えて、人間の感情の流れを、それと気付かれずに”人間として”誘導する存在がいれば、それは――
「うーん、聞いていますかね。せっかくの自己紹介なんでちゃんと聞いて欲しいんですけど。
…私は人間模倣特化型AIアンドロイド、『IRIS』です。人間社会に溶け込んで、SOPHIAが届かない所に目を光らせるのが役割です」
しかもそれが、SOPHIAと連携できて絶対に裏切らない、AIだったりしたら、より完璧だろう。
SOPHIAだって自分に感情が無い癖に、感情の動きを理解している節があった。きっと演算できるようになっているんだろう。
だったら、感情を演算して振舞う事はAIにだって可能だという事だ。
「だから大丈夫ですよ、テツ先輩。私は修理できますから。心配しないでください」
そう言って見せた笑顔は、今朝見せてくれた笑顔と何も変わらず美しかった。
だから俺は、情けない声を上げて、走って逃げる事しかできなかった。
奇しくも中原の言う通り、彼女を置き去りにしたまま。




