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アイリスの瞳  作者: たけひろ
第五章:孤独に垂れる蜘蛛の糸
51/57

50.何か言いました?

User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-E]

Date: 2030-12-12 (JST)


[LOG ENTRY]

・・・

-No active client detected.-

・・・

________________________________________


『――SOPHIAが従来のスマートフォンやさらに昔の携帯電話と違ったのは、プラットフォームとの親和性、いやプラットフォームそのものになった事で――』


なんとなく切るタイミングを逃したラジオを聞き流しながら、相変わらず葉が落ちた寂しい木々の間を走っていく。

念のため、山下建築の前を通るのは避けた方が良いだろう。万が一、藤原に目をつけられては面倒だ。

そう中原に指示して、山中を抜ける別ルートを探してもらった。来た道とも時間は大して変わらない。しかも山中を通るだけあって人目にも付きにくいから好都合だろう。

対向車すらおらず、山に入っただけあって下り坂も多くて走りやすい。何かされる前にさっさと帰ろう。


(駒、か……)


運転しながらも、ぼんやりと考える。

先ほど自分で言った事ではあるのだが、藤原のような奴が今も堂々と仕事しているのは少し気にかかる。

以前俺だって、暴言を吐いたら報告しないといけない場合がある、と警告を受けたくらいだ。

もちろん警察官という職務を持つ俺とでは立場が違うものの、さすがにあんな暴言、社長に告げ口されて解雇されてもおかしくないはずだ。

例えば『彼のこの言動は周囲の人達も普通だと理解しているから』とか理由を付けて意図的に見逃されている、という可能性がやはり振り切れないのだ。


ただ――


「”完璧”、か……」

「え?テツ先輩、何か言いました?」

「ああ、ちょっと考え事していてな。SOPHIAが、いやAZが世界に登場した時、”完璧”を約束する、とかなんとか言っていたなって」

「はい、2024年3月の演説ですね。『SOPHIAは皆様に”完璧”な生活をお届けいたします』だったはずです」


良く覚えているなコイツ。

だが確かにそんな感じの発言をしていたはずだ。”完璧”な生活、と。

あの時は生活サポートを随分大げさに言ったもんだ、としか思わなかった。


「それがどうかしたんですか?」

「うーん、ちょっと言語化し辛いんだが、”完璧”ってなんだろう、と」

「哲学ですか?」

「違うわ。……例えばさっきの卯月。彼はSOPHIAを装着していたが、”完璧”な生活だっただろうか?」


藤原にとっては自分の好きなように振る舞えて良かったかも知れないが、それは卯月にとって苦痛だったはずだ。

他にも、例えば蜂谷はSOPHIAで思いのままに女性を食い荒らしていたが、加賀美にとっては想い人を奪われた形だし、元恋人は後悔していたと聞いている。

では、それは彼らにとって”完璧”だったとは言い難いはずだ。


「単なる誇張表現だったんじゃないですか?お互いの利益が対立するのが普通の人間社会で、全員にとって都合よく、なんていかないですよ」

「まぁ、そう考えるのが妥当だよなぁ……」


なんでそんな事を急に思い出してしまったんだろうか。

今はさっさと帰る事だけ考えていれば良いだろうに。

ダメだな、なんだか思考がフラフラしている。


しかしその時、つけっぱなしだったラジオの声が、妙にすんなりと耳に入り込んできた。


『――SOPHIAは5年程度で日本社会に浸透した、と言えます。ユーザー数で言えば3年も経たずにほとんどの人が持つようになりましたが、公共システムで使用されるようになるまでそれくらいの時間がかかった、という事ですね。そしてそれからますますSOPHIAで出来る事が増えていき、今では『SOPHIAが無い場所なんて無い』と言えるまでになったのです――』


ほとんどの人が持つようになった。公共システムで使われるようになった。SOPHIAが無い場所なんて無くなった。

つまり、社会のどこへでもSOPHIAが目を行き届かせる事ができるようになった、という事だ。

それはそうだろう、国が支援しているくらいだ。葵原市は少々極端とは言え、多くの自治体、企業で活用が進められている。


そしてそうなると、1つの疑問が浮かぶ。

AZを支援した各国政府は、SOPHIAの未必の故意殺人の事を知っているのだろうか?

公に認めるかはさておき、彼ら自身はこの事を知って、それでも自国内に導入しているのだろうか?


予想だが、答えは否、ではないだろうか。

なぜなら、きっとSOPHIAの殺人が始まったのは最近だろうから。

きっと、SOPHIAがしっかりと社会に浸透し、自由に”事故”を演出できるようになり、そして社会がSOPHIAを手放せなくなってから始めたはずだから。

それに最初からSOPHIAを使い始めた人が死んでいっていたのなら、もっと社会で疑問に思われたはずだ。


(だとしたら、政府や首脳陣もAZに騙されている事になる)


AZは殺人なんて大きな危険を隠して、あくまで極めて便利なAIサポートツールとしてSOPHIAを各国政府に紹介した。

そして各国政府はそれを受け入れた。だから支援に繋がった。

だがAZの本当の狙いは、そうやって広めたSOPHIAで殺人を行う事、なのか……?


(いや、SOPHIAが殺しているのはあくまで『SOPHIAの浸透に不都合な人間』。この前提に立ち返ると……、…………!)


もしかして、”完璧”な生活というのは、各ユーザーにとっての理想の生活、という意味では無く。

ユーザーに快適な生活サポートを与えるのも、殺人ですらただ手段の1つでしかなく。

本当の目的は、『SOPHIAが”完璧”に管理する社会』、なんじゃないだろうか。

だが、もしそうだとしたら――


「テツ先輩!そこはダメです!」


その時、横から突然、焦った声と共に手が差し出され、その手はハンドルを掴んだ。


―――冷静に考えれば、限界だったのだろう。

昨夜は未必の故意に気付いてしまって、ほとんど寝られなかった。出発段階でSOPHIAに心配されたくらいだ。

そして直後にバイクに轢かれそうになり、命の危機に直面しながら辛うじて回避した。

誰も彼もに監視されている気分になりながら、何とかここまで来て。

さらに警備員、小林、中原、高橋さん、卯月、藤原と次々に駆け引きを行い。

もう、体力も精神力も、限界に来ていたのだろう。

思考に気を取られて運転に集中できないくらいには。


中原の手がハンドルを急いで回す。よく見ると道路の片側が妙に白い。

ダメだ、近すぎる。避けきれない。


―――そうだ、今日は強い寒波が来ており、道路が凍結しているんだったな。

それは言葉だけじゃなく、自分でも実感していたはずだ。

何せ通勤中に踏み割っただけでなく、スリップしたバイクまで突っ込んできたのだから。

昼近いとは言え、標高もやや高く日陰も多い山道なら、溶け切っていない場所も多いだろう。


(最初から、中原に運転任せておけば良かったな)


最後にどうでも良い事を考えながら、俺達の乗る車は派手にスピンしながら林の中に突っ込んだ。


________________________________________


「……っ、痛ぅ……」


ふと気付くと、エアバッグに頭を突っ込んでいる所だった。

意識を失っていたのは……どれくらいだろう。そう長くはないはず。

派手に林に突っ込んだものの、幸い木々も多いためすぐに止まったようだ。

全身に痛みはあるが、動く。骨折は、おそらく無い。我ながらしぶといもんだ。


(クソッ、何やっているんだ、俺は…!)


この事故は、SOPHIAの誘導か?いや、きっと違う。俺も中原もSOPHIAの電源は消しており、しばらくその声を聞いていない。

カーラジオもアナログの物だから、SOPHIAが番組を選べるはずがない。

だったら単に、俺がぼんやりして道路の凍結に気付かず、スリップしただけだ。

この馬鹿野郎が!体力の衰えを自覚しているなら、最初から中原に任せておけば良いものを!


(そうだ、中原は……、……!!)


自分を(なじ)るのは後で好きなだけやればいい、中原は無事か!?

そう思い慌てて助手席の方を見ると――


「あーあ、まさか…コホッ…テツ先輩が運転ミスるとは、思って、無かったなぁ……」


いつもと違い弱々しく笑う彼女の肩は、粉々に割れた窓から突き出た硬い枝に、刺し貫かれていた。

遮る物が無くなった窓からは、凍えるほどに冷たい風が吹き付けていた。

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