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アイリスの瞳  作者: たけひろ
第五章:孤独に垂れる蜘蛛の糸
50/68

49.言い訳は立ちそうか?

User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-E]

Date: 2030-12-12 (JST)


[LOG ENTRY]

・・・

-No active client detected.-

・・・

________________________________________


*****

建築事務所の敷地内を走っている視界が映っている。

視線は基本的に前方を見ているが、たまにチラリと手元の釘箱を確認している。


「はぁ、はぁ、マズいな、ちょっと遅れちゃった」


どうやら何か焦っているようで、釘を落とさないようにしつつ、かなり急いでいる様子だ。

しかし、ちょうどトラックの後ろを通り過ぎようとした所で声がかかる。


[卯月さん、靴紐が解けているようですよ?先に結んだ方がいいです。転んだら、それこそ怒られます]

「え!?ああもう、こんな時に!……藤原の野郎に何言われるか……」


口に苛立ちを滲ませながらも、しゃがみ込んだようで視界が足元に移る。先ほどまで映っていた釘箱は寸前に左にフェードアウトしていった。

靴紐を結び終えて再び立ち上がろうとした瞬間――


「おい、卯月テメェ!何を座ってやがる!役立たずなら時間くらい守りやがれ!」

「ヒィ!…は、はい、すみません藤原さん、すぐ行きます!」

[卯月さん、靴紐は大丈夫ですが、慌てての作業ミスにはご注意ください]

「そんな事気に掛けるくらいなら、アイツの性格でも矯正してくれよ……」


そして視線の主は藤原と合流し、彼の雑用を押し付けられる形で業務を始めた。

その背後からトラックのエンジンがかかる音が聞こえたが、SOPHIAからの声掛けは無かった。

*****


『なるほど、予想通り注意喚起は無かったわけだ』

「はい、卯月が慌てている事に対する注意喚起までしているのに、釘箱については完全にスルーしていました」

『認識していなかった、という言い訳は立ちそうか?』

「いえ、卯月はその直前に走っていて、振動で釘が落ちないか何度も釘箱に視線を向けています。これで認識していない、という言い分は無理があるかと」


ここは山下建築から更に山間に少し入った、公園のような所だ。

長期間放置されているようにしか見えず、駐車場は白線が見えないほど雑草が侵食しており、申し訳程度に置かれた遊具やベンチも錆や汚れが目立つ。

もしかしたら昔はこの辺りの住人の憩いの場だったのかも知れないが、今では誰一人いない。

だが、他人に聞かれては困る話をしている俺達にとっては、都合が良い。

…ドアを開け放している今はなおさら。


『では少なくとも警告漏れの可能性としては主張できるね』

「はい。…そちらの調査はいかがですか?」

『君の予想通り、きっかけとなった邂逅、あれは推奨された店での事だった。ご丁寧に適した時間帯を自動で検討して予約まで済ませてくれたらしい』

「じゃあ、元恋人にも同様に働きかける事ができたという事になりますね」


通話の相手は当然高橋さんだ。彼は俺達と違い県警本部にいるはずだから言葉を選んでいるが、調査は順調らしい。

ただ加賀美がSOPHIAおすすめの店に行った、というだけでは何の証明にもならないのだから、やはり次は卯月のログを渡すしか無いだろう。


『事前に渡した物は使えたかい?』

「はい、問題無く。7分程度のログでしたので容量も大丈夫です。念のため3枚ほどコピーを作り、カバーにぱっと見で分からない程度の傷をつけて判別可能にしています」

『分かった。じゃあまた県警本部へ来て、ロビーから呼び出してくれ。おそらくここが一番”事故”なんて起こりにくいはずだ』

「了解しました。では、後ほど」


通話を終えて大きな受話器を戻す。ガシャン、ピー、ピー、とはるか昔に聞いた覚えがある音が鳴った。

軽くため息を吐いて、……俺の胸くらいの高さにある頭に話しかける。


「で?お前は何をやっているんだ?中原」

「え?いやぁ興味深くて。これって入れたお金は返って来ないんですか?」

「……話し始めてしまったら返って来ない」

「100円だったら、短時間なら90円返って来るとかは?」

「……言われてみるとどうだろう。やった事無いからわからん」


SOPHIAの起動ができない俺達がどうやって通話していたのかと言うと、電話ボックス、公衆電話だ。

だが俺だって多分30年ぶりくらいに使う物品に、俺より中原が興味を示したのだ。

そして俺が高橋さんと通話している最中、ずっと覗き込んできていた。


「もちろん存在は知っていましたが、使っている所は初めて見ました」

「さすがにこれは警察官として知っておけ。公衆電話はボタンを押せば、無料で警察・救急に通報できる。しかも通報が来た段階で場所も判明するから、最悪何も言えなくても来てくれる、というわけだ」

「今ではSOPHIAが、ユーザーが何も言わなくても自動で喋ってくれる機能もありますけど、その前身って事ですよね」

「そういう事だ。携帯電話の普及と共に使用率は激減していったが、そういった目的で整備されている。特にこんな山中だと万が一の時のホットラインだな」


電話に乗せていた小銭を回収し、中原を押しのけて電話ボックスから出る。

さっきまで緊張した空気だったはずなのに、なんだか気が抜けてしまった。

強大な敵を相手にしているというのに普通でいられるコイツの図太さは見習わないといけない。


「はぁ……、話を戻すぞ。無事証拠になりそうなログも手に入った事だし、これから県警本部に戻って高橋さんと合流する」

「分かりました。…SOPHIAの妨害は入りますかね?」

「可能性は高い。また、仕方なかったとは言え藤原と揉める結果になった。アイツが山下建築の社長なりに騒いで県警に話が行って不審者扱い……という可能性もある」

「テツ先輩が強気に制圧しちゃいましたからね」

「あれが最善だったとは思うんだよな……」


静観もできたのだが、あの状態の藤原が何事も無く沈静化するとは思えなかった。

そして俺達は迂闊な事が言えない身、うっかり『警察の命令で来ました』なんて言おうもんなら正式に犯罪になる。

だから『肝の座った下請け業者』の範疇で収まるように行動したのだが……。


「私に任せてくれれば、しっかり言い負かしてやったのに」

「……それは、さすがに可哀想だな、と思ってしまってな……」

「どういう意味でしょうかね?」


どうだろう、コイツに任せれば丸く収まっただろうか?

年齢半分ほどの若い女に泣かされた、なんてトラウマを与える事にはならなかっただろうか。

それは、今となっては分からない。


「しかし、以前市役所で会った杉本といい、腹の立つ人間はまだいるもんですね」

「ああ、そういえばお前、杉本にも怒っていたな。藤原も嫌いだろう?」

「はい。仕事に厳しいだけなら構いません。ですが人格否定や、話も聞かずに決めつけるのは最悪です。なんでパワハラで解雇されていないんでしょうか?」


そりゃ真面目でしっかり者の中原からしたら、最も許せないタイプの人間だろう。

だが、それについても、1つ恐ろしい可能性が浮かんでしまっているのだ。


「……これはただの妄想ではあるんだが、もしかしたらSOPHIAの誘導なのかもな、と思っている」

「SOPHIAの?」

「ああ、藤原みたいなのはSOPHIAからしたら良い駒だ」


先ほどの乱入。俺達の視点から見ると高圧的なクソ野郎が無茶苦茶言っている、ように見えた。

だが彼も仮にも社会人だ、事務所ならともかく応接室にまで乱入するのは異常過ぎる。

しかしもし彼が『気弱な卯月に対して妙な連中が探りを入れに来ている』と考えていたのだとしたら、納得がいく。

例えば、『卯月さんはお客様に名指しで呼び出されて応接室に行きました』『社長経由と言っていますが身分は知りません』『事故の話を聞きたいようです』、のように並べられたら。

実際に藤原はずっと、卯月の発言を遮っていた。それも余計な事を言わせないようにしていたのであれば。


「事実だけで思考の方向を誘導しようと思った時、一番扱いやすいのは、ああいう思い込みやすく、自分が絶対正しいとばかりに周囲を威圧していく奴だ」

「だからパワハラも見逃している、と?」

「いや、当然警告などはしているだろう。だがパワハラは最終的には卯月が訴えなければ成り立たない。その辺りで留めておき利用した、という可能性も考えられてしまう、というわけだ」


例えば藤原の乱入が、卯月のデータ抽出が終わる前だったら。俺達は藤原の妨害で抽出に失敗していたかも知れない。

例えば乱入を上手く抑える事ができず、身分を明かせと詰められていたら。俺達は詐欺師扱いで正規の警察を呼ばれただろう。

例えば藤原の暴力をさばけなかったら。彼も暴行罪に問われるが、俺達だって行動を強く制限されていただろう。

結果的に回避できただけで、SOPHIAが彼の性質を利用して妨害を試みた、とも取れてしまう。


じゃあ、彼が今の状況に留まっているのは、偶然なのか。

可能性だけで言えば、SOPHIAなら調整する事も可能だったろう、と思ってしまうのだ。


「ま、これに関しては何の証拠も根拠もない、ただの妄想だ。今は気にしなくて良い」

「そうですね。それを考えるのは、全部終わってからにしましょう」

「ああ。……じゃあ、県警本部に戻るぞ」


そして車に戻り、エンジンをかける。

寒い外から多少暖かい車内に入ったはずなのに、寒気は消えなかった。

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