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アイリスの瞳  作者: たけひろ
第四章:そして何も見えなくなった
41/58

40.無理にとは言いませんが

User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-E]

Date: 2030-12-12 (JST)


[LOG ENTRY]

・・・

06:53:19 — User departure preparation confirmed.

06:53:19 — Vital signs indicate severe fatigue.

06:53:19 — Verbal prompt delivered to user.

・・・

________________________________________


出勤準備を済ませて家を出る。

予報の通り、冷たい風が肌に突き刺さる。吐く息もはっきりと白く、太陽が昇ったばかりの柔らかい日差しの中に浮かび上がる。


[田中様、こんなに朝早くどうされました?日課の運動もお休みになられてまで、何か御用でも?]

「……ああ、ちょっと、今担当している事務書類の事で思い出した事があってな。放置しておくのも気持ち悪いから、早めに出勤しようと思って」

[それでしたら、私がお伺いし、出勤後にリマインドいたしますよ]

「いいんだ、久々に晴れだし、早く行きたい気分なんだ」

[そういう事であれば、無理にとは言いませんが…。…しかし、体調も優れないようですので、ご注意ください]


昨夜は結局、ほとんど眠る事はできなかった。身体が重い。だと言うのに、脳だけは覚醒している。

今SOPHIAに言った理由だって当然のように方便だ。一刻も早く、この仮説を検証、相談しなくてはならない。

警察署に向けて、歩き出した。


(3つの事件が全てSOPHIAによる『未必の故意』の演出であったとしたら、全てに説明が付く)


未必(みひつ)故意(こい)。法律用語で『犯罪事実に対する確定的な認識・認容はないものの、その蓋然性を認識・認容している状態』と定義される。


簡単に言えば、『確実に起こると決まってはいないものの、ある程度の確率で起きると認識して起こす犯罪』、という感じか。

メモも読み返しながら過去の事件も振り返ってみたが、この前提に立てば疑問は全て消える。


[ではいつものように、ニュース音声を流しますか?]

「……ああ、そうだな、頼む」


桂弓彦の事件。問題になったのは、『桂や木本の行動を制御できない』と『木本から見て桂の位置を把握できない』という2点。


――今日は桜が満開予定日だから、散歩しながら出勤したら?

――じゃあ、ベストスポットを探してみましょうか。

SOPHIAなら、桂をあの日あの時間に桜並木に連れて行き、狙いの場所に誘導する事ができる。

桂自身にそこがマンションで喫煙している男の真下だなんて悟らせず、ごく自然に壁際にも誘導できた。


――直接PCを操作して修正してもよろしいですか。

――先にストレッチを推奨します。

SOPHIAなら、木本の作業を時に直接的に操作し、作業進捗ペースを調整する事ができる。

そして煙草を吸う前にストレッチを勧めるなどしてタイミングを調整し、後は桜が見頃だとでも言えば木本もベランダから身を乗り出すだろう。


そしてSOPHIAなら、お互いの位置情報を常に共有している。

ちょうど木本の真下に桂を誘導する事なんて、基本機能だけで事足りる。


[――〇〇国での民族紛争について、アメリカ合衆国はSOPHIAによる技術介入を宣言し――]


次に三宅菫の事件。これについてはログを直接見られていないが、やはり問題となるのは『倉橋や卯月は三宅の位置が把握できない』という点。


出発時間の調整は、SOPHIAが協力すればいくらでも動かせる。

参加者に『このような部分を確認されては?』と言えば遅らせられ、三宅に『そろそろお時間が…』とでも言えば出発させられる。

釘箱を載せるのも、倉橋が準備を整えた後に『先にお手洗いを済ませましょう』、卯月をトラックの後ろにちょうど差し掛かった所で『靴紐が解けています』、藤原に『卯月さんがあそこにいます』、とでも言えば、誘導できる可能性は高い。


倉橋や三宅がどのようなルートを通るのかも、SOPHIAがナビをすればその通りに走るだろう。

後は後続に着いたタイミングで倉橋を適当な理由で加速でもさせれば、釘箱が落ちる。


[――これまでSOPHIA導入を避けていた××国の外務担当大臣が、来年にも導入を検討すると表明し――]


蜂谷浩介の事件は少し系統が異なる。

蜂谷自身にはSOPHIAによる誘導は無かった。誘導されていたのは加賀美だ。


加賀美はたまたま行った飲食店で蜂谷の過去の恋人に出会い、その後悔を聞いた事も殺意が生まれる切っ掛けだったと証言している。

だが、それは本当に”たまたま”だったのか。飲食店をSOPHIAに勧められて、そこに行ったのではないか。

そして蜂谷の元恋人も同様に、その時間にその店に行くように誘導されていたのではないか。

俺が相原緑に接触しないように、いつの間にかルートを調整されていたように。その逆を行われていた可能性がある。


こう考えれば、違和感を覚えたのが最後の最後だった事にも納得がいく。

事件そのものは加賀美の犯行で間違いない。しかし、加賀美の動機の発生に違和感を覚えた、という事だったならば。


[――近々開催される世界選手権に向けて日本選手団が現地入り、現地選手団と友好的な挨拶を交わしました――]


これらの特筆すべき点は、必殺ではない、という点だ。

桂の事件の時に小林も言っていた。『ぶっつけ本番で失敗したら、二度と狙えない』、と。それは木本という一人の人物が犯人であれば、そうだろう。

だがSOPHIAはそれこそ無数に存在する。あの日絶対に殺す必要は無い。だから疑われない。

失敗したら別の人間を誘導し、成功するまで何度でも手を変え品を変え、どれだけの時間をかけても繰り返せば良い。


これほどまでに、焦りも時間的制約も無いAIという存在に適した殺人手法も無いだろう。

外気の冷たさとは関係無く、腹の奥が冷え切っていくのを感じる。


パキリ、と足元で音が鳴る。足元で氷がひび割れている。

どうやら昨日までの雨でできた水たまりが、この急激な冷え込みで凍り付いたらしい。

この砕けた氷が、今の俺の心境を現わしているようだ。自嘲気味にくだらない事を考えてしまう。


(証拠とは言えないが、それを補強する材料もある)


SOPHIAがそんな殺人を仕組んでいる証拠は、無い。

当然だ、SOPHIAは表面上何も悪事を行っていない。ただ人々の行動を『最適化している』だけだ。


だが、昨夜自分で作ったメモをじっくり読み返した所、1つ気になる点が見つかった。

それは、『新しい灰皿を手すりに乗せた時にSOPHIAが警告をしていない』、という事だ。


木本は元々小さな灰皿を使っており、きっとそれを手すりに乗せる事に慣れてしまっていて、警告が出なくなっていた。俺が炭酸水を一気飲みするのを見咎められなくなったように。

しかし新しい灰皿は大きい。順当に考えれば『木本様、その灰皿は以前の物より大きいので、手すりに乗せるのは危険です』とでも言わないとおかしい。

だが、そのような警告は一切出ていない。矛盾とまでは言えない。だが不自然だ。

”完璧”を謳うSOPHIAが、いつもの事だから大丈夫だと思っていた、というのは違和感がある。


また、三宅が交通事故の前に遭遇したという大学で階段から転落した事故。

これも未必の故意を仕掛けられた結果、たまたま失敗しただけだと考えれば、立て続けに事故に遭遇した事も辻褄が合う。


(だが、こんな事、誰に相談できる?)


横断歩道の赤信号で立ち止まりながら、考える。

早朝という事もあり、周囲に人影は少ない。だがその僅かな人達の目元には、漏れなくSOPHIAが鎮座している。

ここまで広まってしまったAIツールが、人々を事故に見せかけて殺そうとしているなんて与太話、誰が信じるだろう。


だが、放置もできない。できるはずがない。

まずは信頼できる小林や課長などに声をかけて、今後の対策を考えるべきだ。中原はどうだろう、完全にSOPHIAに馴染んだ世代だろうが、逆に良い視点をくれるだろうか。

こんな話、SOPHIAに聞かれるわけにはいかない。引き続き上手くSOPHIAの監視を誤魔化しつつ、水面下で話を進めないといけない。

信号が青になった事を確認し、歩き出す。


[田中様――]


SOPHIAへの警戒を強めながら歩き始めた所で急に声をかけられ、思わず足が止まる。


[公共料金、水道代の請求が届いております。支払処理を行ってよろしいですか?]

「……ああ、問題無い。手続きを進めてくれ」

[承知しました]


なんだ、驚かせやがって。

緊張でいつの間にか止めていた息を軽く吐き出し、視線を前に戻し――


ギャギャギャ!


不協和音を奏でながら猛スピードで突っ込んで来るバイクの前輪が、すぐ目の前に映った。


―――ガシャン!

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