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アイリスの瞳  作者: たけひろ
第二章:闇の中の悪意と論理
18/68

17.指定のお時間になりました

User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-A]

Date: 2030-07-19 (JST)


[LOG ENTRY]

・・・

07:29:55 — Vital signs checked: fatigue state confirmed.

07:30:00 — User-specified time reached.

07:30:00 — Initiating verbal prompt to user.

・・・

________________________________________


[田中様、指定のお時間になりました。お疲れの所すみませんが、起床をお願いします]


いつもの声に意識を取り戻す。

重たい瞼を開くと、いつもとは違うが、見慣れた天井が目に映る。

ああそうだ、ここは署内の仮眠室だ。


『田中くん、顔色が悪いぞ。どうせ昼からぶっ続けで勤務しているんだろう。ここは私達が引き継ぐから、一旦戻って仮眠を取りなさい。夜が明けたら再び働いてもらうからね』


高橋さんに言われて仮眠を取ったが、睡眠時間は3時間ちょいというところ。正直まだ疲れは残っているものの、そうも言っていられない。

身体を起こすと、隣のベッドで寝ていた井口も起きてくる所だった。


「おはようございます、田中係長。今日もよろしくお願いいたします」

「おはよう、井口。寝不足だろうが、殺人事件の捜査は一刻を争う事もある。今日も頼んだぞ」

「はい、わかっています」


井口と共にシャワー室に行き、熱いお湯を浴びる。

よし、これで目が覚めた。気合入れていこう。


「田中係長、今日我々は昨夜の事件を引き続き捜査になりますよね?」

「そうだな、特に俺達二人は間違いなくこの事件の管轄になる。あと何人か増員されるだろうが」

「…この事件は、難しい事件になるでしょうか?」


同じくシャワーを終えた井口が心配そうに話しかけてくる。

まぁ無理もない、刑事課に来て半年足らず、初めての殺人事件だ。

しかも――


「井口、いい機会だから覚えておけ。今の社会で殺人事件として最も難事件化しやすいのは、今回のような早業殺人だ」


無数のSOPHIAログが残される社会で最も難しいのは、『SOPHIAが対応する前にさっさと済まされる犯罪』なのだ。

複雑なトリックを駆使したものは、必ずどこかのログにその証拠が残されるため、証拠を掴むのも容易い。一昔前の推理小説のように時刻表トリックなんか仕掛けようもんなら、駅員のSOPHIAを見るだけで解決だろう。


それよりも、SOPHIAを外している就寝中にさっさと殺す、SOPHIAに顔を見られないように隠しながら通り魔のように殺す、そういった事件の方が厄介な事態になる事が多い。

皮肉な事に最先端技術が浸透するにつれ、より原始的な犯罪こそが脅威になっていった。


「では、今回の事件も…」

「いや、大丈夫だ。今回はきっとすぐに解決するさ」

「どうしてですか?」

「高橋さんが来てくれたからだ。あの人は頼りになるぞ。何せ『静岡県警のブレーン』とまで言われている人だ」


高橋さん――高橋修一(たかはししゅういち)は、4年前、突然捜査一課に異動してきた。あの時51歳と聞いたから、今は55歳くらいだろう。

だが不思議な事に、当時の捜査員は誰も高橋さんの事を知らなかった。50歳過ぎという事は、順当に言えば30年くらい警察にいるはずなのに。


それもそのはずで、高橋さんは若い頃に捜査方針の違いで上層部と揉めて、山間部の交番を転々とする嫌がらせ人事を食らっていたらしい。

しかし彼の有能さを知っている、当時の同僚でもあった現在の警視監が、その権限を使って現場復帰させた、という話だ。


嘘みたいな経歴の上、白髪交じりの人の好さそうなおじさんと言った風貌、50歳も過ぎて現場の最前線に来るなんて足手まといだろうと、誰もが訝しげな視線を向けた。

正直俺もその一人だったし、なんならSOPHIAが導入され始めてバディ制が始まってきていた頃で、そのバディに選ばれてしまった事に不満も持っていた。

だが高橋さんは、実力だけでその全てを払いのけた。


「そんなに凄い人なんですか?」

「ああ。あの人が手掛けた事件で、発生から24時間過ぎても解決しなかった事件は無い、と言えば凄さが伝わるだろう」


高橋さんはまだ警察がSOPHIAを導入し始めた直後から誰よりも証拠として使いこなし、あらゆる事件を解決してみせた。


盗難車によるひき逃げ事件を、歩行者のログを数珠繋ぎする事で解決してみせた。

通り魔に見せかけた殺人事件を、周辺施設の防犯カメラやそこで働く人のログを分析して犯人の動きを特定した。

自殺にしか見えなかった死亡事件を、ログの不自然な途切れ方から殺人事件だと見破って解決に導いた。

そんな話は枚挙に暇がない。


SOPHIAログをどのように証拠として機能させるか、そしてそれによりいかに迅速に事件を解決するか、静岡県警でその礎を築いたのは彼だと言っても過言ではない。

さらに、SOPHIAの活用を抜きにしても秀でた事件解決における視点、嗅覚、そして論理的思考。

さすがに体力は若手に劣るものの、いつしか誰もが『静岡県警のブレーン』と呼ぶようになった。


「俺があの人と組んでいたのは1年ほどだったが、色々と勉強させてもらったよ」

「では田中係長の師匠みたいなもの、という事ですね」

「そうだな、もちろん高橋さん以外にも色々と教わっていたが、例えば現場でのSOPHIAによる記録などはあの人が教えてくれた」

「記録?そういえば、係長のログは見やすい、とか言われていましたが…」

「ああ。SOPHIAは記録媒体としてこれ以上ないほど有能だが、視線の方向しか記録できない。だから最初にするべきは、現場の隅々まで視線を向ける事だ」


昨日もせっかく救急隊より前に到着できたのだからと、まずは現場の記録に注力していた。

これにより、後から救急隊のログを見ながら「ここはどうなっていたのだろう」なんて首をかしげる必要も無くなる。


「なるほど、それで係長は救急隊にも『現場記録済み』と宣言していたんですね」

「ああ、そう告げておけば彼らも遺体を動かす前の状況を覚えたり意識したりする必要が無くなる。殺人じゃなかったとしても、やはり最初にすべきはこれだ。覚えておけ」

「はい、肝に銘じておきます」


結果的には助からなかったとは言え、あのような場面でまごついている暇は無い。しかし、それで証拠が失われるのも避けたい。

そのために、SOPHIAをいかに活用するのか。言われれば当然と思える事でも、しっかり身体に染み付かせてくれたのは高橋さんだ。


[田中様、これより静岡県警の業務システムへ接続いたします。早速ですが、8時半までに第4小会議室に来るように、との指示が出ています]

「了解。井口も一緒でいいか?」

[はい、井口様も同じ指示を受けています。一緒に向かってください]


身支度を整えていると、SOPHIAから業務連絡が届いた。

井口に目を向けると彼もこちらを見ており、無言で頷いていた。


「田中係長、私も指示を聞きました。向かいましょう」

「ああ。やはり昨夜の事件だろうな。という事は、増員は小林と中原になる可能性が高いか」


井口と連れ立って第4小会議室に入ると、予想通りの二人が座っていた。まだ高橋さん達は来ていないらしい。

俺達が扉を開けた音に反応して二人はこちらに視線を向けてくる。


「あ、おはようございます、テツ先輩。昨夜は大変だったらしいですね。お疲れのせいか、いつもより冴えない顔していますね!」

「やかましい。おはよう、中原。今日は殺人事件の捜査だ。お前なら大丈夫だろうが、気を引き締めろよ。あと、上司への敬いを井口から少しでいいから学んでくれ」

「私だってテツ先輩の事慕っていますよ。『先輩、凄いです!』って言うだけが敬いじゃないと思いません?」

「口の減らない…」


くそ、やっぱコイツに舌戦で勝てるわけがないのだ。まぁ、これから殺人事件の捜査だってのに無駄に緊張せず、いつも通りであるから良しとしよう。

続いてちょっと苦笑いしている小林の方に顔を向ける。


「おう小林、家族はもう大丈夫か?」

「相変わらず仲良いね、君ら。おう田中、昨日はすまんかったな。まだ治ったとまでは言えないが、熱は落ち着いたから大丈夫だ。井口の面倒もありがとな」

「なに、真面目で良いやつだったよ。今日はおそらく協力捜査だ、よろしく」

「ああ。井口も良い経験になるだろうから、しっかり学べよ」

「はい!田中係長も、小林係長も、よろしくお願いいたします!」


軽い雑談をしつつ情報共有をしていると、再びドアが開き、二人の男が入ってきた。

当然、一人は高橋さんだ。


「おはようございます。県警本部捜査一課の高橋修一と申します。こちらは同じく捜査一課の加納頼久(かのうよりひさ)。今回の刺殺事件の指揮を執る事になりました。よろしくお願いします」


加納はおそらく30代半ば、体格のがっしりした男だ。きっと高橋さんが苦手とする体力面を補う意味もあるのだろう。

高橋さんはコホンと咳払いをすると、表情を引き締めて再び口を開いた。


「早速ですが、鑑識のログ分析を初めとした情報共有と捜査割り振りをしたいので、捜査会議を始めます」


さて、この事件はここからが本番だ。俺が足を引っ張るわけにはいかない、気を引き締めていこう。

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