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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第4章_壊れてしまった均衡と、新しい世界のかたち
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噂の値段

 アルマディア公国との「三つ目の答え」が、ひとまず受け入れられた——

 その知らせが届いた日、辺境の空には、いかにも「何事もありません」と言いたげな青が広がっていました。


「まずは、この程度から様子を見るのが賢明でしょう」


 倉庫の中で、木箱に貼られた印を確認していたレオンが、控えめに言います。


 公国から届いたのは、乾燥させた薬草や、保存性の高い干し肉、少量の上質な布。

 こちらから送るのは、北限でしか採れない鉱石と、精霊の加護を受けたと言われる穀物。


「ええ。大きな約束ほど、ゆっくり育てたほうが安全ですわ」


 私は木箱に手を置きながら答えました。


 商談用の墨跡がまだ新しい帳簿。

 積み上がった木箱の隙間から差し込む光。

 穏やかで、少しだけ緊張をはらんだ空気。


 ——少なくとも、この倉庫の中までは、「世界の駆け引き」は届いていないように思えました。


◆ ◆ ◆


 その日の夕刻、私は集いの家に顔を出しました。


 公国との取り決めが動き出すという噂は、村の人々にも少しずつ広がっています。

 実際の中身を知っている者は多くありませんが、「物資が少し楽になるらしい」という期待だけは、そこかしこで話題になっていました。


「……でな、王都じゃあこう言ってるんだとよ」


 焚き火の代わりに灯されたランプの下、旅の商人が身振り手振りを交えて話しています。

 木の長椅子に座る村人たちが、興味津々といった顔で耳を傾けていました。


 私は端の席に座り、お茶を口に運びながら、その様子を眺めます。


「“アルマディア公国が、歌えば国がひとつ消える女を取り込もうとしている”——だとさ」


「またその二つ名ですの……」


 思わず小さく呟いてしまいました。


 隣に座っていた侍女が、肩を震わせます。


「お嬢様、声が漏れております」


「失礼」


 私は咳払いひとつで誤魔化し、耳を澄ませました。


「王都の連中はな、あんたのことを“公国の切り札になるかもしれない女”だってさ」


 商人は、わざと声を潜めたり高めたりしながら続けます。


「教会筋の偉いさんたちは、“あの女を放っておけば秩序が崩れる”って顔をしてるとか」


 ざわ、と小さな笑いとざわめきが混じりました。


 “あの女”——どうやら、私のことらしいのですが。


(せめて名前ぐらいは呼んでいただきたいものですわね)


 心の中でだけ、ささやかな不満を漏らします。


 すると、商人がふっとこちらを見ました。


「……で、だ」


 彼は、どこかいたずらっぽい目をして言いました。


「一番たちが悪いのは、その噂を“利用しよう”って考える連中でさ」


「利用、ですの?」


 思わず問い返すと、商人は肩をすくめました。


「“辺境の奇跡の公爵令嬢と繋がっている”って言えば、

 値切り交渉が楽になると思ってる商人とかね」


 周りの何人かが、苦笑混じりに顔を見合わせます。


「“あの公爵令嬢に頼めば、雨だって好きなときに降らせてもらえる”とか言って、

 自分の都合のいい話を通そうとする貴族もいるらしい」


 彼は指を一本立てて、くるくると回しました。


「つまり——あんたの名前に、勝手に値札をつけて、

 あちこちの交渉のテーブルに並べてるってわけさ」


 お茶の湯気が、ふわりと揺れました。


(私は、ここで畑と学校と、小さな祈りを守っているだけなのに)


 心の中で、そっとつぶやきます。


(“リヴィア”という名前だけが、遠く離れた場所で値段をつけられて、

 見たこともない市場を歩き回っている——)


 少し、気味が悪くなりました。


「リヴィア様のサイン入り証文とか作れば、高く売れますよ」


 冗談めかしてそう言ったのは、マルコでした。

 いつのまにか集いの家に顔を出していたらしく、壁にもたれて腕を組んでいます。


「もちろん、正式な許可があれば、ですがね」


「そんなものはありません!」


 思わずきっぱり否定すると、周囲から笑いが起こりました。


 笑い声の響く空間にいるのに——

 胸の奥には、やはり冷たいものが残ります。


(私がここでどれだけ静かに息をしていても、“物語としての私”は、

 勝手に値札をつけられて、

 見たこともない市場を歩き回っているらしい)


 それを完全に止めることは、おそらく不可能なのでしょう。

 噂は、人の口と耳がある限り、どこまでも勝手に育っていきますから。


◆ ◆ ◆


 数日後。

 執務室で書類に目を通していると、マルコが軽い足取りで入ってきました。


「ちょっと面白い話を仕入れてきましてね」


「面白い、という言葉で始まる報告は、大抵ろくでもありませんわよ?」


「まあまあ、聞いてください」


 マルコは椅子に腰を下ろし、片手で紙片をひらひらと振って見せました。


「《赤い風》のカタリナ嬢、覚えておられますね」


「忘れようとしても忘れられませんわ」


 森で交わした会話。

 正義と正義がぶつかり合ったあの夜の空気が、ふっと蘇ります。


「その彼女が、どうやらこう言っているらしい」


 マルコは紙片を見て、読み上げました。


「“公国に取り込まれるくらいなら、あの女も敵だ”——と」


 私は目を瞬きました。


「……早とちりも、ここまでいくと芸術ですわね」


 思わず本音が漏れてしまいます。


 マルコが口元を歪めました。


「向こうからすれば、“公国と話をしている”って情報だけで、

 そう判断してもおかしくはない。

 それだけ、あの女にとって公国は憎むべき相手ってことですよ」


「……ええ。分かっています」


 頭では、理解できます。


 カタリナは、奪われたものの側から世界を見ている人。

 公国も教会も貴族も、まとめて「壊すべき構造」として憎んでいる。


 そんな彼女から見れば、私の「三つ目の答え」は、

 きっと「日和見」にしか見えないのでしょう。


(それでも——)


 胸の奥に、小さな棘が刺さるような感覚がありました。


(私が何を選ぶかで、誰かが“味方”になったり、“敵”になったりする)


 噂というものは、本当に簡単に、人と人の間に線を引いてしまいます。


 公国にとって私は、

 「取り込むべき価値ある駒」であり、

 教会にとっては、「秩序を乱しかねない危険な変数」。


 王都の貴族から見れば、

「利用価値はあるが、扱いを誤れば自分の立場を危うくする存在」。


 《赤い風》からすれば、

 「今は辛うじて共闘することもあるが、

  どの瞬間にでも“敵”へと転ぶかもしれない不安定な要素」。


(そして、ここで一緒に畑を耕している人たちにとって私は——)


 窓の外から、子どもたちの笑い声が聞こえてきました。

 字の練習をしている声。

 誰かが誰かを追いかける足音。


(……ただの、“少し魔法が使える領主”くらいでいてくれれば、

 いちばん楽なのですけれど)


 苦笑が、自然と漏れました。


◆ ◆ ◆


 その日の夕方、私は集いの家の片隅で、一人お茶を飲んでいました。


 旅人たちの噂話は、相変わらず尽きません。


「聞いたか? “彼女の機嫌を損ねた国は滅ぶ”って話」


「それは言いすぎだろう」


「でもよ、辺境の城は悪人を飲み込むって噂もあるし——」


 子どもたちでさえ、「歌えば国がひとつ消える女ごっこ」なる謎の遊びをしている始末です。


「だから、誰が最初に言い出しましたの、その噂……」


 思わず頭を抱えると、近くにいた行商人が、くつくつと笑いました。


「まあまあ、お嬢さん」


「お嬢……?」


 思いがけない呼び方に顔を上げると、その商人は悪戯っぽい目をしていました。


「噂ってのはな、恐怖と期待の足し算でできてるもんでさ」


「恐怖と……期待」


「“あんたの機嫌を損ねた国は滅ぶ”って噂が広まれば、

 あんたを怒らせないようにする国も出てくる」


 彼は指先で空中に円を描きました。


「そして、“あんたの機嫌を取れる”って考えた奴は、

 その噂を逆手に取って、自分の商売や政治の駆け引きに使おうとする」


「私の名前を、ですの?」


「そう。あんたの名前をね」


 彼は、まるで当たり前のことを告げるように言いました。


「それが“噂の値段”ってやつですよ。

 あんたの名前は、今、世界のあちこちの卓の上に並べられてる」


 お茶の表面に、ランプの灯りが揺れました。


 その揺らぎが、どこか遠い国々の会議室や、

 地下の酒場や、

 暗い森の中で囁かれる言葉と、

 一本の糸で繋がっているような気がして——

 思わず、指先に力が入りました。


(私が何もしていなくても。

 私がただ、ここで今日の天気と畑の様子を気にしているだけでも)


(“物語としての私”は、

 どこかで、誰かの取引材料になっている)


「……少し、うんざりしますわね」


 ぽつりとこぼすと、商人は肩を揺らしました。


「それだけ見れば、そうでしょうね」


「他にも何か、見えるのですの?」


「そりゃあ」


 彼は、いたずらっぽく片目をつぶりました。


「“噂の値段”が高くなればなるほど、

 あんたの名にただ乗りしようとする奴も増えるけど——」


「同時に、“直接確かめようとする奴”も増える」


「直接、ですの?」


「そう。“本物”か、“作られた怪物”か。

 どっちなのか、自分の目で確かめに来たがる連中がね」


 私はしばし黙り、湯気の向こうを見つめました。


(本物か、怪物か)


 その評価は、きっと人の数だけ違うのでしょう。

 私がどれだけ説明しても、「自分の正しさ」から見た私の姿を、誰も手放してはくれない。


(それでも——)


 胸の奥で、小さく息を吸います。


(噂に引きずられて歩くのではなく、

 噂に追いつこうとする側でいたい)


 私が何を選ぶかで、

 誰かが「味方」になったり、「敵」になったりする。


 その事実は、きっとこれからも変わらないのでしょう。


 だけど。


「私が何を選ぶかを決めるのは、噂ではありませんわ」


 小さく、けれどはっきりと呟きました。


「ここで生きている人たちの顔と、

 私が守りたいと思ったものたち。

 それだけです」


 噂は噂。

 物語は物語。


 “物語としての私”が、どこでどんな値札をつけられていようとも——

 この手で触れられる現実だけは、私自身が選びたい。


 外では、夕暮れの空が、ゆっくりと色を変えていました。


 その空の下で、誰かがまた、私について何かを語っているのかもしれません。


 それでも私は、目の前のお茶を飲み干し、

 今日もまた、畑と学校と、小さな祈りの帳簿に目を通すのです。


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