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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第4章_壊れてしまった均衡と、新しい世界のかたち
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使節団の影

 交渉がいったん中断されてから、三日が過ぎました。


 名目は「本国への報告の準備」と「条文の精査」。

 そのあいだ、公国の使節団は辺境の城に滞在を続けています。


 滞在——という言葉は、本来、それほど不穏な響きを持たないはずなのに。

 この三日間で、私はその言葉に、うっすらと別の重みを感じ始めていました。


◆ ◆ ◆


「アルマディアの騎士さまだって!」


 その日、私は市場の様子を見に出た帰り道、子どもたちのはしゃぐ声を耳にしました。


 人混みの向こうに見えるのは、公国の紋章をあしらったマントを羽織った数人の騎士たち。

 きちんと手入れされた鎧に、陽光を反射する剣の柄。

 村の人々は、物珍しさと緊張の入り混じった目で彼らを眺めていました。


「見るだけなら、構いませんわね」


 私は自分にそう言い聞かせながら、少し距離を置いて彼らの様子を眺めました。


 騎士たちは、屋台の並ぶ通りをゆっくりと歩いています。

 しかしその視線は、焼き立てのパンや並べられた野菜にはほとんど向かず——

 代わりに、私の目にはよく見慣れた建物のほうへと、さりげなく流れていきました。


 たとえば、物資の倉庫。

 たとえば、兵舎へ続く道。

 そして、城壁の見える角度。


 一人の騎士が、わざとらしくない程度の声量で呟くのが聞こえました。


「この領は……飢饉にはそこそこ強そうだな。

 倉庫の数と位置が、よく考えられている」


 別の騎士が、笑い混じりに応じます。


「兵の姿はあまり見えませんね。

 訓練はどれほどの頻度で?」


 質問を向けられたのは、近くにいた若い兵でした。

 突然話しかけられ、緊張したのか、彼は少し慌てたように背筋を伸ばします。


「え、ええと……日によりますが、朝と夕にそれぞれ——」


「そうですか。規則正しいのは良いことです」


 騎士はにこやかに頷きました。

 けれど、その目は決して笑ってはいない。

 彼らの視線は、“景色”ではなく、“数”を数えているように見えました。


 兵の数。

 見張りの交代のタイミング。

 倉庫の出入り。

 城壁までの距離と、道の広さ。


(……観光、というには、少し熱心すぎますわね)


 そう思ったところで、小さな影が視界の端に飛び込んできました。


「これ、あげる」


 公国の騎士の一人が、袋から取り出した飴玉を、近くにいた子どもに差し出しています。

 透き通った琥珀色の飴が、陽の光を受けてきらりと輝きました。


「わあ……!」


 受け取った子どもは、ぱあっと顔を輝かせます。


「アルマディアの飴だよ。公都の市で一番人気なんだ」


 騎士は、どこか誇らしげに微笑みました。


 その様子を見て、私は胸の奥が少しだけざわつくのを感じます。


「……全員が悪人、というわけでもないのですよね」


 思わず、小さく漏れた言葉は、自分自身に向けたものでもありました。


 飴を子どもに分け与える手はたしかに優しい。

 けれど、その同じ手が、別の場では“数”を数え、“弱点”を撫でている。


 友好的な笑顔と、冷静な観察の眼差し。

 どちらも本物なのでしょう。


 ただ——私が守らなければならないのは、飴玉の甘さに目を輝かせる子どもたちのほうなのです。


◆ ◆ ◆


 昼過ぎ、執務室に戻ると同時に、扉が控えめに叩かれました。


「リヴィア様。ご報告が」


 入ってきたのはレオンです。

 背筋はいつもどおり真っ直ぐですが、その目には少しだけ疲れがのぞいていました。


「どうぞ。ちょうどこちらも、市場で気になる光景を目にしましたの」


 私は手振りで椅子を示します。

 レオンは遠慮がちに一礼し、その場に立ったまま報告を始めました。


「使節団の護衛の一部が、ここ数日、城内のあちこちを歩き回っています」


「“散歩”という名目の、ですわね」


「ええ」


 レオンは城の簡易地図を広げました。


「見て回っている場所は、主にここです」


 指先が示したのは、城門、城壁、見張り台、兵舎、武器庫——そして物資倉庫。


「城門の構造、見張りの人数と交代時間。

 兵舎の入り口の位置や、倉庫との距離。

 何気ない会話の中で、さりげなく情報を引き出そうとしているようです」


「兵たちは?」


「今のところ、余計なことは話していないはずです。

 ただ……“雑談”の形で繰り返されると、いつか何かを零しそうで」


 レオンの眉間に、うっすらと皺が寄りました。


「早めに線を引くべきでしょう」


「そうですわね……」


 私が頷いたところで、今度は別のノック音が。


「お邪魔していいかい、お嬢さん」


 顔を覗かせたのはマルコでした。

 いつもの軽い笑みを浮かべながらも、その目はどこか真剣です。


「ちょうどいいところですわ、マルコ。

 公国の“散歩”について、そちらからも話が?」


「まあね。

 レオン殿とは違う方向で、いろいろ見えてきたよ」


 マルコは椅子に腰を下ろし、斜めに寄りかかるような仕草で続けました。


「ここ数日、酒場や市場でな。

 公国の護衛さんたちが、うちの若い兵や商人とよく飲んでる」


「仲良くなるのは、悪いことではありませんけれど」


「問題は、そのあとだ」


 マルコは、くるくると指先でコップの縁をなぞります。


「酔いが回った頃合いを見計らって、こんな話をする」


 彼は少し声を低くしました。


「“アルマディアに来てみないか? 腕の立つ若者は、いくらでも歓迎される”」


 胸の奥が、ぴくりと反応しました。


「具体的な条件までは、まだ出してねぇ。

 でも、“公都の賑わい”“こっちと比べ物にならない給金”“出世の早さ”——

 そういう話で、じわじわと耳元をくすぐってる」


 マルコは、肩をすくめます。


「今のところ、本気で乗りそうなのはごく一部だが……

 華やかな話に目を輝かせる若いのがいるのも、まあ、無理はないさ」


「そうですわね」


 私は、窓の外に視線を向けました。

 この辺境の空は広く、風は澄んでいますが——

 公都のきらびやかな光には、きっと別の魅力があるのでしょう。


「私は、誰かが自分の意思で新しい世界へ行くことまで、止めるつもりはありません」


 ゆっくりと言葉を選びながら、私は続けました。


「ですが、“抜き取られ方”だけは、見過ごせませんわ」


 レオンが、静かに頷きます。


「“友好”の名のもとに、兵力と人材を削られれば——

 いざという時、この辺境は丸裸になります」


「向こうに行ったやつが、あとで“案内役”にされる可能性もあるしな」


 マルコの声音には、軽さと鋭さが同居していました。


「ここを好きな者が、ここを傷つけるために使われるのは……やりきれない話だ」


 友好の名の下で、情報を集め、兵や商人の心を揺らす。

 彼らのしていることは、戦場で剣を振るうのとは違う種類の“侵食”です。


 それでも——。


(感情的に拒絶して、門を閉ざしてしまうのは簡単ですわ)


 ですが、それではきっと、何も守れない。

 世界はもう、辺境だけで完結するほど狭くはないのですから。


「……分かりました」


 私は椅子から立ち上がりました。


「線を引きましょう。

 穏やかに、しかし、はっきりと」


◆ ◆ ◆


 その日の夕方。

 私は公国の正使を、小さな応接室へと招きました。


「お呼び立てしてしまい、申し訳ございませんわ」


「いえ。公爵令嬢が私に用があるとあらば、いつでも駆けつけますとも」


 正使は相変わらず柔らかな笑みを浮かべています。

 しかし、その瞳の奥には、数日で少し色が増えたようにも感じました。


(“交渉で刃向かってくる娘”から、“少しは警戒すべき相手”になれたのでしたら、それはそれで上出来ですわね)


 そんな自嘲を胸の奥に押し込んで、私は用件を切り出しました。


「先日から、あなた方の護衛の方々が、城下や村のあちこちをご覧になっていると伺いました」


「ええ。

 初めて訪れる土地ですから、皆、興味津々でして」


 正使は、冗談めかして肩を竦めます。


「食べ物も文化も、人々の暮らしぶりも。

 辺境とはいえ、とても豊かだと感心しているのですよ」


「それは光栄なことですわ」


 私は微笑みを返しました。


「わたくしどもは、あなた方をお客様としてお迎えしています。

 ですから、市場や集いの家、教会など、皆の暮らしが見える場所を歩いていただくのは、歓迎いたします」


「ふむ」


「ただ——」


 そこで、一度だけ息を整えました。


「城壁や城門、兵舎、武器庫、物資倉庫など、軍事に関わる場所の見学は、

 今後はお控えいただけると助かりますわ」


 正使の笑みが、ほんのわずかに固まりました。


「……我々が、そのような場所を?」


「ええ。

 こちらの目から見て、“少し熱心すぎる観光”に映る場面がございましたので」


 私は、決して声を荒げることなく、淡々と続けます。


「もし誤解であれば良いのですが——

 城門の構造や見張りの交代時間、兵の数などを詳しく尋ねられたと聞いております」


 正使の瞳が、一瞬だけ細まりました。

 すぐに、柔らかな笑みに戻ります。


「……なるほど。

 私の部下が、少々好奇心を抑えられなかったようですね」


「好奇心は大切なことですわ。

 ただ、それが“友好”の枠をはみ出し、

 こちらが警戒せざるを得ない域に達してしまうと——残念でしてよ」


 正使は軽く首を垂れました。


「お詫び申し上げます、公爵令嬢。

 我々の“熱意”が、少々行きすぎたようだ」


 その口調は、あくまで丁寧。

 けれど、その目にははっきりと「試した」という色が浮かんでいました。


(やはり、“どこまで許されるか”を測っておられたのですわね)


 私は、胸の内の苦味を表に出さないよう、唇の端を穏やかに保ちました。


「それから——もう一点だけ」


「どうぞ」


「この数日、公国の護衛の方々が、我が領の若い兵や商人に、

 “公国での仕事”や“より良い待遇”を匂わせるお話をされていると聞きました」


 言葉の選び方には、細心の注意を払います。


「彼らが自分の意思で旅立ち、新しい土地で生きること自体を、

 わたくしが止める権利はないと思っています」


 正使が、意外そうに眉を上げました。


「ただし——」


 私はまっすぐに彼を見つめます。


「この土地から人材を引き抜くことを、

 “友好の証”と呼ばれるのは、少々困りますわ」


 正使は、ふっと笑みを深めました。


「……貴女がそこまで冷静に見ておられるとは、正直、驚きましたよ」


「辺境は、狭い世界です。

 誰が誰と何を話したかは、思った以上に早く広まりますの」


 そして——何より。


(ここで生きる人たちの背中を守るためには、

 こうした話に耳を塞いでいるわけにはいきませんもの)


 私は、静かに言葉を結びました。


「公国の豊かさと可能性を、私も否定するつもりはありません」


「光栄です」


「ですが——この土地の兵や民に対する直接のお誘いは、

 “友好条約の交渉中”という状況を考えますと、

 少々、“影”が濃く見えてしまいます」


 正使は、一瞬だけ目を閉じ、それから肩を竦めました。


「理解いたしました。

 今後、そのような行きすぎた勧誘がないよう、こちらで厳しく申し渡しておきましょう」


「ありがとうございますわ」


「……いやはや」


 正使は、どこか愉快そうに、しかし諦め半分のような口調で続けました。


「噂以上ですね、公爵令嬢。

 奇跡の力だけでなく、人の動きと視線までも、こうして見ておられるとは」


「皆を守りたければ、

 奇跡だけでは足りませんもの」


 私は穏やかに微笑みました。


「友好という言葉は、時に、とても便利な仮面になります。

 その下で、何を見ているのか——目を逸らさないことだけは、忘れてはいけませんわ」


 正使は、その言葉に何かを感じ取ったのか、ふっと笑い、その場を辞しました。


◆ ◆ ◆


 応接室から自室へ戻る廊下を歩きながら、私は深く息を吐きました。


(ちゃんと伝わりましたかしら……)


 表向きは柔らかく、しかし線は引いた。

 それがどこまで効くのかは、まだ分かりません。


 本当は——

 枕を抱えて、ベッドの上でごろごろと転がりたい気分です。


「はしたないですわね」


 自分で自分にそうツッコミを入れながら、私は小さく笑いました。


 窓の外では、公国の騎士たちが、まだ城下を歩いているのが見えます。

 子どもたちに飴を配る姿もあれば、倉庫の方角をちらりと窺う姿もある。


 どちらも、同じ人間の中にある一側面。


 友好の仮面を被る手と、鎖を手繰る指先。

 その両方を見据えながら、それでも笑顔を失わないこと。


 ——決して気分の良い仕事ではありません。


 けれど。


「ここで生きる人たちの背中を守るためには、

 私がやるしかないのですわね」


 そっと胸に手を当てます。

 精霊王の気配は、今夜は静かでした。


 だからこそ、私は自分の目と舌だけを頼りに、

 この“影”と向き合わなければなりません。


 友好という名の光の中で、

 その縁に落ちる影を見失わないように——。


 そう心に刻みながら、私は窓のカーテンをそっと閉じました。


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