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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第4章_壊れてしまった均衡と、新しい世界のかたち
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アルマディア公国からの招き

 その朝も、いつもと変わらないはずの朝でした。


 窓を開けると、ひんやりとした空気が肺の奥まで入り込みます。

 中庭を抜けて畑のほうから届くのは、土を踏む音と、誰かの笑い声。

 教会の鐘が一度だけ鳴り、子どもたちのはしゃぐ声が遠くから返事をする。


「今日も、良い日になりそうですわね」


 私は小さく呟いて、机の上に積まれた書類に目を落としました。

 畑の収穫予測、学校の出席者名簿、集いの家で配るパンの数。

 どれも、ついこの間まで考えられなかった種類の「悩み」です。


 そこへ、慌ただしい足音が廊下を駆け抜けてきました。


「リヴィア様!」


 扉の向こうから、若い兵の声。

 私はペンを置き、「どうぞ」と入室を促します。


 勢いよく扉を開けた伝令は、肩で息をしながら敬礼しました。


「し、失礼いたします! ただいま、国境より急報が!」


「落ち着いて、順番にお話しなさいませ」


 深呼吸をひとつ。

 それから彼は、言葉を選ぶようにして告げました。


「アルマディア公国の……正式な使節団が、国境を越えたとのことです。

 辺境の城を訪問したい、と」


「……アルマディア、公国」


 その名を、私は心の中で一度ゆっくりと反芻しました。


 かつて、王都にいたころ、遠くの噂話として耳にした国。

 教会とも王国とも違う、独自の政治力と軍事力を持つ、新興の強国。

 地図の上では、ここから見れば南東の方角。

 けれど、その指先が、とうとうこちらへ向けられたということでしょう。


「詳しい規模は分かりますか?」


「はっ。馬車三台、騎馬の護衛が二十。旗印から見て、相当な高位の使節かと」


「そうですか。報せてくださって、ありがとうございます」


 伝令を下がらせると、私はベルを鳴らしました。

 ほどなくして、レオンとマルコ、それに侍女長が入室してきます。


「早いですね、もう聞いておられましたか」


 マルコが肩をすくめました。

 どうやら廊下で伝令とすれ違ったようです。


「アルマディア公国の使節団が、こちらに向かっているそうですわ」


 私がそう告げると、レオンの表情がほんのわずかに引き締まりました。


「……歓迎を装った圧力、という可能性も考えるべきでしょうね」


「こんな辺境まで、わざわざ“上物の客”が来るなんてさ」

 マルコは椅子の背にもたれながら、片目を細めます。

「ただのご挨拶ってことは、まずない。

 噂の“奇跡の公爵令嬢”を、実物で値踏みしに来るつもりでしょう」


 それは、私自身も薄々感じていたことでした。


「ついに、こちらを“見過ごせない存在”と見なした……というところでしょうか」


 窓の外を見ると、まだ朝の光の中で、畑の線が静かに並んでいます。

 その上に、地図の線を重ねて眺めている人たちの顔が、ぼんやりと脳裏に浮かびました。


「迎え方を、急ぎ整える必要がありますね」

 レオンが現実的な声で言います。

「兵の整列、城門前での儀礼、応接室の準備……」


「そして何より」

 マルコが私をじろりと見ました。

「お嬢様の服だ。舐められても困るし、威圧しすぎても面倒になる」


「……そこまで含めて計算されるのですね、マルコ」


「そりゃそうでしょう。最初の一瞬の印象で、舵が決まることも多いんですよ」


 ため息まじりのその言葉に、私は苦笑しました。


「では、侍女長。あとで少し、お力をお借りしてもよろしいかしら」


「もちろんでございます、リヴィア様」


 侍女長の目が、なぜか少しだけ輝いたのは——きっと気のせいではないのでしょう。


◆ ◆ ◆


「派手すぎず、舐められすぎないものを……」


 その数刻後。

 私の部屋には、雪崩のようにドレスが広げられていました。


「こちらなどはいかがでしょう。王都時代のお仕立てでございますが、

 色味は落ち着いていて、しかし布地は最上級。上品な印象を与えられます」


「いえ、王都仕様は少し“王国寄り”に見えすぎるかもしれませんわ。

 ここは辺境ですもの。あまりにも“宮廷然”とした装いは、逆に不自然ですわね」


「では、こちらの深い紺はいかがでしょう。

 簡素ではありますが、刺繍の細工で品を出しております」


 鏡の前で次々とドレスを試しながら、私は自分でも可笑しくなるくらい真剣でした。


(何を着ても、私が私であることに変わりはないのですけれど……)


 それでも、最初に見せる「顔」は、大切です。

 私がこの土地をどういう場所にしたいと思っているのか。

 その願いが、少しでも装いから伝わるなら——それもまた、ひとつの言葉になります。


「……この紺のドレスにしますわ。

 あまり煌びやかではありませんけれど、布も仕立ても丁寧。

 “余裕はないけれど、乱れてもいない辺境”くらいに見えるのではないかしら」


「かしこまりました」


 侍女長が満足そうに頷く。


 髪をまとめ、控えめな飾りをひとつだけ添えられました。

 鏡の中の自分は、どこから見ても「公爵令嬢」であり——同時に、

 ほんの少しだけ土や風の匂いの残る「辺境の女」でもあるように思えました。


(これで、十分ですわ)


 そう自分に言い聞かせ、私は深く息を吸いました。


◆ ◆ ◆


 城門前に出ると、すでに兵たちが整列していました。

 風にたなびく王国の旗の隣に、辺境の小さな旗が控えめに掲げられています。


「間もなく、丘の向こうに姿を現すはずです」


 レオンが低く告げました。

 私も視線を上げる。


 やがて——

 土煙とともに、整った隊列が丘を下ってくるのが見えました。


 前列には、鎧とマントをきちんと着こなした騎士たち。

 その後ろには、重厚な装飾の施された馬車が三台。

 馬具や車輪の金具に至るまで、統一された意匠が光を弾き返します。


(さすがに……見事ですわね)


 辺境には滅多に訪れない種類の「整い方」でした。

 無駄な贅沢ではないけれど、細部までしっかりとお金と手間がかかっている。

 それは、そのまま公国の余裕と自信の現れなのでしょう。


 馬車の先頭が城門前で止まりました。

 扉が開き、一人の男が姿を現します。


 年の頃は三十代前半でしょうか。

 長距離の旅路にもかかわらず、乱れひとつない装い。

 柔らかな色合いの外套の下には、品の良い仕立ての服。

 そして何より、その瞳。


「お目にかかれて光栄です、公爵令嬢リヴィア様」


 男は、完璧な礼で頭を垂れました。


「アルマディア公国外務府所属、ディートリヒ・フォン・ラーデンと申します。

 我が主の名代として、この辺境までお邪魔いたしました」


 物腰は柔らかく、声には温度があります。

 けれどその瞳だけは、どこか温度が一定のまま、私を測っていました。


(……本音と建前を、きちんと使い分ける人ですわね)


 第一印象として、そう感じました。


「ようこそお越しくださいました、ディートリヒ殿。

 辺境などと申されるほど、華やかなものはございませんが……

 よろしければ、どうぞおくつろぎになっていってくださいませ」


 私もまた、公爵令嬢としての笑みを浮かべ、礼を返します。


 私の背中には、レオン。

 そのさらに後ろには、整列した兵や侍女たち。

 彼らの視線を、私は背骨で受け止めました。


(ここで、私がひとつ頷けば——

 この人はきっと、そのまま私を連れて行ってしまうのでしょうね)


 そんな予感が、心のどこかに小さく灯ります。


◆ ◆ ◆


 客間に通したあと、あらためての会談は、応接室で行われました。


 磨かれたテーブルの上には、公国からの土産として持ち込まれたワインと菓子。

 対面にはディートリヒと、その隣に控える書記官。

 彼の背後には、扉近くで控える精鋭騎士たちの気配。


 私の側には、レオンとルーク。

 マルコは部屋の外で、別の角度から様子を窺っています。


「改めまして、リヴィア様。

 遠き辺境に咲いた奇跡の噂は、我が主の耳にも届いております」


 ディートリヒは、穏やかな笑みを絶やさぬまま言いました。


「教会ですら成しえなかった規模の救済。

 荒地を蘇らせ、戦で失われるはずだった命を多く救った——

 そのお働きに、公国として深い敬意を抱いているのです」


「恐れ入りますわ。私はただ、目の前の方々が生きて日々を送れるよう、

 できることをしているだけです」


「その“できること”の範囲が、常人とは比べものにならないからこそ、でございます」


 彼の目が、一瞬だけ笑みから離れて、冷静な光を帯びました。


「あなた様のような存在を、世界はどう扱うべきか。

 それは、我が公国にとっても、決して他人事ではないのです」


 書記官が、静かに書類を差し出しました。

 公国の印章が押された、正式な文書。


「我が主は、こう申しております」


 ディートリヒは、書簡の一部を読み上げました。


「『奇跡の公爵令嬢リヴィアの善意と力に、アルマディアは敬意を表する。

  ゆえに一度、公都において正式な会見の場を設けたい。

  今後の支援と保護、ならびに協力の可能性について、

  直接語り合う機会を求める』」


「支援と……保護、ですのね」


 私は、紅茶のカップを手に取りました。

 持ち手をつまんだ指先が、わずかに震えているのが、

 自分では分かってしまうのが少し悔しくて——

 どうか相手には気づかれませんように、と内心で祈ります。


「はい。辺境の復興には、まだ多くの物資と人手が必要でしょう。

 我が公国なら、その一部を担うことができます」


 ディートリヒは、さらりと言いました。


「また、あなた様のような方が、

 ただ王国と教会の思惑に振り回されるだけの存在であることは、

 世界にとって大きな損失だと、我が主は考えております」


「……つまり?」


「あなた様の力は、もっと大きな舞台で、より適切に——

 そして安全に“管理”されるべきだ、ということです」


 その瞬間だけ、彼の微笑みの端に、

 「本音」がわずかに覗いたような気がしました。


 管理。

 保護。

 支援。


 どれも耳触りの良い言葉ではありますが——

 その先に、どんな枷が待っているのか、少し想像すれば分かってしまいます。


(これは、“善意の誘い”の顔をした、“やわらかな鎖”)


 胸の奥で、小さな警鐘が鳴りました。


「……光栄なお申し出ですわ、ディートリヒ殿」


 私は、できるだけ穏やかな声で答えました。


「アルマディア公国ほどの大国が、このような辺境のことまで案じてくださるとは。

 私ひとりの力など、取るに足らぬものだと思っておりましたのに」


「とんでもない。取るに足らぬなど——」


「ですが」


 私は、言葉をひとつ区切りました。


「ここには、私が守ると決めた人たちがおります。

 畑を耕す人、子どもたち、祈りの場を必要とする方々……。

 彼らの暮らしから、そう軽々しく目を離すことはできません」


 それが、今の私の「枷」であり、同時に「誇り」でもあります。


「もちろん、今後の協力の可能性について、話し合うこと自体はやぶさかではありません。

 けれど、私がここを離れるかどうかは——その決断だけは、

 短い会談で即答できるようなものではございませんわ」


 ディートリヒは、しばし静かに私を見つめました。

 彼の横顔の陰影は、ここまでの旅路で焼かれたのか、それとも生まれつきなのか。

 どこか、戦場の灰を吸い込んだ空の色をしているように見えます。


「慎重であられるのは、理解できます」

 ようやく、彼はそう言いました。

「我が主も、無理強いなど望んでおりません。

 ただ——」


「ただ?」


「あなた様が、王国と教会の狭間で孤立し、

 やがて誰の庇護も受けられなくなったとき。

 そのとき、どこかに“手を伸ばせる先”があるのとないのとでは、

 きっと世界の見え方が変わるでしょう」


 それは脅しではなく、むしろ静かな忠告のようでした。


「アルマディアは、そのひとつの選択肢になり得る、ということだけ——

 今日のところは、お伝えしに参ったのです」


「……そのお気持ちだけは、確かに受け取っておきますわ」


 私もまた、静かに頷きました。


 差し出された手は、たしかに温かそうに見えます。

 掴めば、今よりも多くのものが守れるのかもしれない。

 でも同時に、その手首の先から伸びる鎖の重さも、

 はっきりと想像できてしまうのです。


(私がそれを掴んだとき、

 はたしてこの畑や、子どもたちの笑い声は、

 今と同じ音色で続いてくれるのでしょうか)


 ふと、胸の奥でそんな問いが立ち上がりました。


 レオンが、ささやかに視線で「大丈夫ですか」と問うてきます。

 私はわずかに微笑み返しました。


「差し出された手は、たしかに“救い”の形にも見えました。

 けれど、掴んだ指先から、いつ鎖が伸びてくるのか——

 それだけが、怖かったのです」


 心の中でだけ呟いたその言葉を、

 私はカップに残った紅茶といっしょに、ゆっくりと飲み込みました。


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