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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第3章_愛と怒りと、歌えば国が揺らぐ夜
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告白未遂

 《灰牙》との戦いから、いくばくかの時が過ぎました。


 焦げた家々の壁には、新しい板が打ちつけられ、

 折れた柵の代わりに、まだ木の匂いの残る杭が並んでいます。

 集いの家にはまた人が集まり、

 学校の小さな黒板には、拙い文字がぎゅうぎゅうと並び始めていました。


 兵たちの訓練も、

 「いつ襲撃が来てもおかしくない」張り詰めたものから、

 少しずつ「日常の鍛錬」へと色を変えつつあります。


 大嵐のあとの、かすかな凪。

 そう呼ぶのが相応しい空気でした。


◆ ◆ ◆


「それでね、わたし、おおきくなったらパン屋さんとけっこんするの!」


「ぼくは騎士! かっこいいから!」


 学校の片隅で、子どもたちの声が弾んでいました。


 授業の合間。

 「自分の将来を言葉にしてみましょう」という、

 若い騎士先生の無邪気な提案が、そのまま小さな夢の品評会になっているようです。


「パンが食べたいだけじゃないの?」


「いいの! 毎日あったかいパンがあるの、しあわせでしょ!」


 黒板の前には、「将来の夢」と書かれた拙い文字。

 その下に、「パン」「騎士」「商人」「お花屋さん」などと、

 ぎこちない字で書き連ねられた板書が並んでいます。


 私は教室の後ろのほうで、

 ノートやチョークの残りを確認しながら、そのやり取りを何とはなしに聞いていました。


(いいものですわね)


 小さく笑いながら、

 「パン屋さんと結婚」が本当に叶うかどうかはともかく、

 こうして自分の未来を口にできる余裕があることが、

 何よりの贅沢に思えました。


「じゃあ、つぎ——」


 若い騎士先生の視線が、ついとこちらへ向きました。


「リヴィア様は?」


「……はい?」


 思わず顔を上げてしまいます。


「リヴィアさまの、しょうらいの夢!」


 先ほどパン屋と結婚宣言をしていた女の子が、

 目をきらきらさせてこちらを見ています。


「リヴィアさまは、だれとけっこんするの?」


「……っ」


 持っていたノート束を、危うく落としかけました。


 あわてて抱え直したものの、

 腕の中で紙束が不自然に跳ねてしまい、

 周囲の子どもたちが一斉に笑い出します。


「こら、急にそんなことを——」


 騎士先生が慌てて制そうとしましたが、

 子どもたちは容赦がありません。


「だって、リヴィアさまきれいだもん!」


「ぜったい、だれかとけっこんするでしょ!」


「レオンさんとだったらいいなー!」


「「あーーーー!」」


 教室中から、妙な歓声が上がりました。


 レオンの名前が出た瞬間、

 空気が一段高く弾むのが分かります。


「だっていつもいっしょにいるし!」


「リヴィアさまをまもってるし!」


「ゆうべも、レオンさん、リヴィアさまのところに——」


「そ、それ以上は、お話しにならなくて結構ですわ!」


 思わず声が裏返りました。


 ……どうやら、廊下で座り込んでいた私のところへ、

 レオンが駆けつけてきたことは、

 ほんのりとどこかから漏れ出していたようです。


(子どもは、本当に容赦がありませんわ)


 頬が熱いのを誤魔化すように、

 私は咳払いをひとつして、

 できるだけ穏やかな口調を取り繕いました。


「わ、私の将来については……そうですわね。

  まずは、この辺境がちゃんと平和になってから、ゆっくり考えることにいたしますわ」


「えー!」


「でも、レオンさんかなー!」


「しーっ、こら、静かに!」


 騎士先生の慌てる声と子どもたちの笑い声が入り混じる中、

 私はノートの山を抱えたまま、

 そっと教室の外へ退散しました。


◆ ◆ ◆


 廊下に出て、

 窓から差し込む光を浴びた途端、

 先ほどの言葉が改めて胸の中で響き始めます。


——リヴィアさまは、だれと結婚するの?


——レオンさんとだったらいいなー。


「……」


 おかげで、心臓の鼓動まで早くなってしまったではありませんか。


(結婚、ですか)


 今まで、考えていなかったわけではありません。


 公爵家の娘として、領主として。

 いずれ、政略も含めた婚姻の話が浮上するであろうことは、

 とうに理解していました。


 けれどこの数年、

 私の頭の中のほとんどは、

 領地のこと、奇跡の使い方、教会との関係、

 ゲリラと盗賊と、そして——世界の外側のことに、占められていたのです。


 自分自身の幸せ。

 自分の人生。

 そんな言葉は、どこか遠い場所に置きっぱなしにしていたような気がします。


(……いつか必ず、この人に)


 廊下の突き当たりの窓から見える中庭に、

 レオンの姿が見えました。


 兵たちと、復興に駆り出されている村人たちの間を歩きながら、

 誰かと二言三言、言葉を交わしている。


 背筋を伸ばし、

 真面目すぎるほど真面目な表情をしながら、

 けれど相手が困っているときには、

 さりげなく言葉を選んで笑いを混ぜるその姿が、

 この辺境での私の「当たり前」になっていました。


 何度も助けられたこと。

 誰も死ななかった夜に、震える手を握ってくれたこと。

 私が「怖かった」と言ったとき、

 それを笑わず、「当然です」と受け止めてくれたこと。


 それらが、胸の中で一列に並びます。


(いつか必ず、この人に、気持ちを伝えなければ)


 このまま曖昧なままでは——

 彼を、ずっと「役目」の中に閉じ込めてしまうかもしれない。


 私の傍で戦うということは、

 これからも危険に晒すことでもあります。


 それでも共に歩んでほしいと願うなら、

 せめて、その願いを言葉にする責任がある。


 そう思った瞬間、

 胸の奥で、何かが静かに形を取った気がしました。


◆ ◆ ◆


「リヴィア様、窓の外をご覧になって、何か——」


「ええ、少し。……それよりルーク、今夜の予定はどうなっておりますか?」


 執務室に戻ると、書類の山を整理していたルークが、

 不思議そうに首をかしげました。


「今夜ですか? 特筆すべき予定は——

 復興関連の書簡が数通、明日の朝までの確認で問題ないものばかりです」


「でしたら、ひとつだけ……個人的な用件を入れても、よろしいかしら」


 自分で言っておきながら、

 「個人的」と口にした瞬間に頬が熱くなります。


 ルークは一瞬だけ瞬きをしてから、

 すぐにいつもの事務的な表情に戻りました。


「差し支えなければ、お聞きしても?」


「レオンを……いえ、レオン殿を、

 今夜、塔の上にお呼びしたいのです。

 少し、話したいことがありまして」


「塔の上、でございますか」


 ルークの視線が、ほんのわずかに柔らかくなったような気がしました。


「かしこまりました。

 それとなく伝えておきましょう。

 ——“個人的に少しお話があるそうです”と」


「…………っ」


 言葉通りではありますが、

 あまりにも核心を突いた言い方をされて、

 思わず書類で顔を隠したくなりました。


「ル、ルーク。あまり変な含みを持たせないでくださいませね?」


「もちろんです。私は常に、最も正確で簡潔な伝達を心がけておりますので」


 それが一番厄介だということを、

 このときの私はまだ学びきっておりませんでした。


◆ ◆ ◆


 日が傾き、

 空が金色から橙、そして紫へと色を変えていく頃。


 邸の片隅にある古い塔の階段を、

 私は一段ずつ、慎重に上っていました。


(呼び出しておいて何をしているのです、私)


 階段の途中で立ち止まり、

 心の中で自分を叱ります。


 塔の上は、辺境の町と、遠くの森と畑を一望できる場所です。

 戦の前には見張り台として使われ、

 平時には風を感じるための、ささやかな憩いの場にもなっていました。


 夕焼けに染まる風景を眺めるには、

 これ以上ない場所です。


 ……告白の舞台としても、きっと。


(何を言うのかは、決めているはずですわ)


 いつものように、

 彼への感謝を伝えればいい。


 それに、少しだけ。

 「公爵令嬢」ではなく、「ひとりの女」としての私の気持ちを、

 付け足せばいいだけの話。


 頭では分かっているのに、

 足取りは妙におぼつかないまま、

 ようやく塔の最上階へとたどり着きました。


 扉を押し開けると、

 夕風が頬を撫でます。


 空は、燃えるような橙と、

 夜の始まりを告げる藍色のあいだで揺れていました。


 まだ誰もいません。


 胸を押さえながら、

 私は塔の縁の低い壁に近づきました。


 遠くを見るふりをしながら、

 実際には心の中の混乱を整えるのに必死です。


(今ならまだ、「やっぱり用件はありませんでした」と言えますわよ)


 そんな卑怯な声が、

 頭の隅で囁きました。


 けれど、階段を上ってくる足音が聞こえた瞬間、

 その逃げ道は、あっさりと塞がれます。


 規則正しく、落ち着いた足音。

 耳に馴染んだリズム。


 扉が軋み、小さく開きました。


「リヴィア様」


「……レオン」


 夕陽を背負って立つ彼の姿は、

 いつもより少しだけ柔らかく見えました。


「お呼びと聞きまして。

 お体の具合に、何か——」


「いいえ。体調は問題ありません。

 ただ、少し……お話ししたいことがあって」


 自分で呼び出しておいて、

 ここまでぎこちない出だしになるとは思いませんでした。


 レオンは首を傾げながらも、

 私の近くまで歩み寄り、壁に手を置きます。

 視線の先には、沈みかける太陽と、

 その光を受ける村の屋根々々。


「復興は、順調です」


 レオンが先に口を開きました。


「修繕の終わった家も増えましたし、

 兵たちも、ようやく“平時の感覚”を取り戻しつつあります。

 あの夜のことを笑い話にできる日も、そう遠くはないでしょう」


「……そうですわね」


 風が、二人の間を抜けていきます。


「学校のほうは?」


「子どもたちは元気そのものですわ。

 ……少々、元気が良すぎるところもありますけれど」


 先ほどの「無邪気爆弾」を思い出し、

 思わず頬が熱くなりました。


「?」


 レオンが怪訝そうにこちらを見ます。


「何か、ありましたか」


「い、いえ。少し……失礼な質問をされまして」


「失礼な質問?」


「その……将来、私が誰と結婚するのか、などと」


「…………」


 レオンの表情が、一瞬固まりました。


 沈黙。

 夕風だけが、衣擦れの音をさらっていきます。


「子どもは本当に、容赦がありませんわね」


 苦笑混じりにそう言うと、

 レオンはわずかに視線を落とし、

 それから、いつもの真面目な顔つきに戻りました。


「……そういうことを考える年頃なのかもしれません」


「ええ。そうなのだと思います」


 私もまた、「そういうこと」を、

 ようやく真面目に考え始めた年頃なのかもしれません。


 胸の鼓動が、少しずつ強くなっていくのが分かりました。


 今なら言える。

 この流れなら、きっと——。


「レオン」


 自分の声が、

 いつもより少しだけ低く、

 かすかに震えているのを自覚します。


「はい」


 彼は真っ直ぐにこちらを見ました。


 夕焼けの光が、

 彼の瞳に薄く映り込んでいます。


「その……あなたがいてくださったから、

 私はここまで来られました」


「私は、なすべきことをしているだけです」


 いつもの返答。

 けれど、今はそれが少しだけ、

 胸に痛く響きました。


「いいえ。

 あなたが“いてくださる”ことそのものが、

 私にとっては、とても大きな——」


 言葉が、喉のあたりで絡まります。


(言ってしまえばいいのです)


 この先、また大きな戦いが来るかもしれません。


 教会との対立も、

 他国からの視線も、

 世界の外側から覗いてくる“何か”も。


 そのたびに、レオンは私の隣に立ってくれるのでしょう。


 だからこそ——。


「もし、私がただの女として、あなたに——」


 そこまで言いかけた瞬間、

 頭のどこかで、別の声が囁きました。


——今、これを口にしたら。


 彼に背負わせるものが、

 またひとつ増えてしまうのではないか。


 公爵令嬢としての私。

 領主としての私。

 奇跡を行使する者としての私。


 それだけでも、十分すぎるほど彼を縛っているのに。


 そこへ「ひとりの女」としての私まで、

 彼の肩に預けてしまったら。


 まだ戦いは終わっていないのに。

 まだ守らなければならないものが山ほど残っているのに。


 ——それは、あまりにも卑怯なのではないか、と。


 喉元まで来ていた言葉に、

 内側からそっと鍵がかかります。


 口を開いたまま、声だけが消えていく。

 胸の奥がきゅっと痛む感覚に、

 思わず指先に力を込めました。


 レオンが、静かにこちらを見つめています。

 続きを待つように、

 せかさず、遮らず。


 だからこそ、

 なおさら。


「……いえ」


 私は、息をひとつ飲み込んでから、

 別の言葉を選びました。


「いえ、今は、とにかく領地を守ることが先ですわね」


 自分で口にしながら、

 その言葉がどれほど都合の良い逃げ道になっているか、

 痛いほど分かっていました。


 それでも、選んでしまったのです。


 レオンは、一瞬だけ目を伏せました。


 その横顔が、

 ほんのわずかに寂しそうに見えたのは——

 私の気のせいでしょうか。


「……ええ」


 それでも彼は、いつも通りの声音で答えます。


「今はまだ、危険が去ったとは言えません。

 守るべきものを守りきるまでは、

 私も“騎士”であり続ける必要があります」


「そうですわね」


 風が、髪を揺らします。


 夕陽は、もうほとんど地平線の向こうへ沈みかけていました。

 空の端に残った光だけが、

 惜しむように塔の縁を照らしています。


(言葉は喉元まで来ていて、

  あとは外へ押し出すだけなのに)


 胸の中で、静かに思いました。


(私の中の“領主としての私”が、

  その扉にそっと鍵をかけてしまったのです)


 それが正しいのか、間違っているのかは分かりません。


 ただ、今の私には——

 彼に、「私」という重荷をこれ以上背負わせない選択を、

 選ぶことしかできませんでした。


 それでも。


 その選択をした自分を、

 責めることだけは、どうしてもできません。


 戦場で誰も死なせなかった夜と同じように。

 あのとき私が全力で走ったことを、

 たとえ世界のバランスを狂わせていたとしても、

 「間違いだった」と言い切れないように。


 今の私は、

 この未遂の告白を、

 「臆病だった」とだけ切り捨てることができませんでした。


「レオン」


「はい」


「これからも——

 しばらくのあいだは、どうか隣で、

 “騎士”としていてくださいます?」


 ほんの少しだけ、

 言葉に甘さを混ぜてしまったのが、自分でも分かりました。


 レオンは、一拍だけ間を置いてから、

 静かに頷きます。


「はい。

 リヴィア様がここに立たれる限り、

 私は何度でも、その隣に立ちます」


 それが、

 今の私たちにとっての精一杯なのだと思いました。


 塔の上に、夜風が吹き抜けてきます。


 遠くで、村の灯りがひとつ、またひとつとともり始めていました。


 言えなかった言葉たちが、

 喉の奥で丸くなって、

 胸の中に沈んでいきます。


 いつか、また——

 この塔の上で。


 その丸い塊を、

 そっと外の世界へ差し出せる日が来るのでしょうか。


 今はまだ、その答えを持たないまま。


 私は、隣に立つレオンと同じ景色を見つめながら、

 静かに夜の訪れを待ちました。


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