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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第3章_愛と怒りと、歌えば国が揺らぐ夜
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カタリナとの邂逅

 その書簡が届いたのは、

 いつも通りの朝の執務に追われていた、静かな時間帯のことでした。


「リヴィア様。差出人不明の書簡が、一通」


 ルークが銀盆に乗せて持ってきた封筒は、

 王都の公文書よりもずっと簡素で、しかし妙に手慣れた封の仕方をしていました。


 安い紙。けれど、無駄のない折り目。

 封蝋も紋章ではなく、無地の赤。


(……赤、ですのね)


 私の胸の中で、小さな仮説が浮かんで、ゆっくりと形を取っていきます。


「どこから届いたものか、分かります?」


「途中で何度も手を渡っているようです。

  最初の差出人を辿るのは、ほぼ不可能かと」


 ルークは、申し訳なさそうに首を横に振りました。


 私は頷き、そっと封を切ります。


 中の紙には、丁寧とも乱雑とも言えない、

 しかし一筆一筆に迷いのない文字が並んでいました。


『辺境の公爵令嬢殿へ。

 あなたの行いが本物かどうか、この目で確かめたい者がいる。』


『民の前で取り繕う必要のない場所で会おう。

 城でも教会でもなく、森の奥で。』


『来るも来ないも、あなたの自由だ。

 ただし——来ないのなら、こちらにも“こちらのやり方”がある。』


 署名はありません。


 けれど、

 文の端々に滲む癖と、飾り気のなさと、

 わざと丁寧な言葉遣いを選んでいるのが透けて見えるところに——


(……あなた、ですのね。カタリナ)


 私は、そっと息を吐きました。


◆ ◆ ◆


「罠の可能性が高すぎます」


 書簡を読み終えた私に、

 レオンの言葉は、ほとんど反射のように飛んできました。


「森の奥、場所は向こう指定。

  護衛を連れていくにしても、伏兵を仕掛けられやすい地形です」


「もちろん、承知しておりますわ」


「ならば——」


「それでも、行きたいのです」


 私が遮ると、

 レオンはぴたりと言葉を止めました。


 その沈黙が、かえって苦しいものです。


「このまま、一方的に“テロリスト”と決めつけてしまうのは簡単ですわ」


 私は手紙を畳み、机の上に置きました。


「あの赤い旗を掲げた人々が、何を憎み、何から逃げて、

  どこに行き場所を作ろうとしているのか——

  誰からも直接、聞かないまま」


 それは、私にとって、

 “救えなかった人々”をもう一度見捨てることにも似ている気がしたのです。


「本当に守るべき相手を間違えたくありません」


「……」


「もちろん、城を空にする気はありませんわ。

  護衛は最小限、あなたにも来ていただきます。

  正面から乗り込むほど無謀ではないつもりですの」


 レオンは長い沈黙のあと、

 深く息を吐きました。


「本心を申し上げれば、今すぐこの書簡を暖炉にくべたいところです」


「それは、少しもったいないですわ。

  燃やしてしまうには、なかなかに興味深い挑戦状ですもの」


「挑戦状と受け取ってしまわれる時点で、十分に危険です」


 呆れたような、

 けれどどこか諦め半分の声音。


「分かりました。

  ……お連れいたします。その代わり、条件をひとつ」


「何かしら?」


「森の中では、必ず私の視界から外れないでください。

  それが守れないなら、この話はここで終わりにします」


 真剣な灰色の瞳が、

 まっすぐこちらを射抜いてきます。


「……善処いたしますわ」


「善処ではなく、厳守をお願いします」


「努力はいたします」


 そこで、彼は観念したように目を伏せました。


 護衛の人数を決め、出発時間を決める。

 淡々とした打ち合わせの最中——


 私は、なぜだか何度も手袋の位置を直している自分に気づきました。


「リヴィア様。

  手袋は、十分きれいに見えます」


「……そう見えます?」


「はい」


 レオンの言葉に、

 なんとなく顔が熱くなるのを感じて、

 私は慌てて視線を逸らしました。


(緊張しているのは、私のほうなのですね)


◆ ◆ ◆


 指定された森は、

 城からそう遠くない、

 しかし人の手があまり入っていない一帯でした。


 木々は高く、

 枝が空を覆い隠すように広がっている。


 足元は柔らかい土と落ち葉。

 小鳥の声さえ、どこか遠くに聞こえます。


「ここまでは異常なし」


 前を行く騎士が合図を送ってきました。


 護衛は、レオンを含めて四人。

 私を中心に、ゆるく円を描くように配置されています。


 その輪の内側で——

 私は、手袋の縫い目をまたいじっている自分に、

 小さく苦笑しました。


「落ち着いておられますか」


「ええ。

  ……落ち着いております、たぶん」


「たぶん、ですか」


 レオンがわずかに口の端を上げます。


「森の中で転ばないよう、足元にもお気をつけください」


「それは、刺客よりも身近な敵ですわね」


 そんな他愛ないやり取りをしていると、

 前を歩いていた騎士が、ふいに手を上げました。


「止まれ!」


 私たちは一斉に足を止めます。


 木々の間。

 少し開けた場所の中央に、

 ひとりの影が立っていました。


 赤い布切れを肩に巻き、

 粗末だが実用的な革鎧。

 腰には剣、背には弓。


 長い髪は、無造作に束ねられていて——

 しかし、その立ち姿には奇妙な品の良さがありました。


 元貴族か、元兵士か。

 あるいはその両方か。


 私がそんなことを考えていると、

 彼女はゆっくりとこちらに歩み寄り、

 私を真正面から見据えました。


「……思ったよりも、“普通の娘”だな」


 森の空気を切り裂くような、低く、よく通る声。


 その第一声だけで、

 この人が、自分の正義を一切恥じない人間なのだと分かりました。


「ご挨拶、ありがとうございます」


 私は、ドレスの裾を指先でつまみ、軽く礼をしました。


「辺境公爵家当主、リヴィア・フォン・——」


「名乗りはいらない」


 カタリナは、それを遮ります。


「貴族の名前には、ろくな思い出がない」


「そうですの」


「ただ——」


 彼女の視線が、私の手元に落ちました。


「貴族にしては、綺麗な指だ」


 皮肉とも、本心とも取れる声音。


 私は一瞬、返す言葉に詰まりました。


(綺麗な指、ですか……。

  剣だこもなく、鍬を握った跡もない。

  そう言われてしまえば、その通りで)


 ぐっと喉の奥で沸き上がるものを飲み込んで、

 私は、ゆっくり息を吐きます。


「あなたが——《赤い風》の頭領、カタリナですのね」


「そう呼びたければ呼べばいい」


 カタリナは肩をすくめました。


「こっちからすれば、あんたも“奇跡の公爵令嬢”とやらだ。

  名を呼ぶたび、虫唾が走る」


「それは手厳しい評価ですこと」


「貴族にしては、頑張っている、とは思っている」


 さらりと続いた言葉に、

 私は目を瞬きました。


「……それは、褒めてくださっているのかしら」


「貴族に褒め言葉なんて、もったいない」


 カタリナは、わずかに口元を歪めました。


「ただ——

  あんたの名前は、焼けた村で一度くらいは出る。

  “あの公爵令嬢のおかげで助かった”って声も、

  “どうせいつか見捨てられる”って声も、両方な」


「ええ。そうでしょうね」


 私は、その現実から目を逸らすつもりはありませんでした。


◆ ◆ ◆


「で?」


 短い沈黙のあと、

 カタリナが、ぐっと一歩こちらに近づきました。


「わざわざ罠かもしれない場所に来るなんて、

  どういう風の吹き回しだ? 貴族様」


「あなたが“罠かもしれない”とわざわざ書いてきたからですわ」


「そんな文面、どこにも書いてない」


「“来ないのなら、こちらにもこちらのやり方がある”——

  十分な挑発ですわ」


 彼女の眉が、わずかに上がりました。


「本物かどうか、この目で確かめたいとおっしゃったのでしょう?

  でしたら、こうして顔を出すのが礼儀かと思いまして」


「礼儀ね」


 カタリナは、鼻で笑います。


「いいさ。

  じゃあ、見せてもらおうか。

  あんたの、その“貴族の正義”とやらを」


 ――それからしばらくの間、

 森の中には、言葉と息遣いだけが響く時間が続きました。


「貴族は、構造的に民を搾取する側に立つ」


 カタリナの声は、鋭い刃物のようでした。


「生まれたときから、そう決まっている。

  税を取り、領地を食い物にし、

  “守ってやっている”と恩を売る」


「否定は、いたしませんわ」


 私は静かに頷きました。


「多くの貴族は、そうしてきたのでしょう。

  今もそうしている者が大勢いるのも、知っています」


「なら話は早い」


 カタリナは、木の幹に片手をつきました。


「私は、そういう構造そのものを壊したい。

  貴族も領主も、全部。

  あんたの椅子も、例外じゃない」


「壊したあとに、何を据えるおつもりかしら?」


「それを決めるのは、あんたじゃない」


 ぴしゃり、と。


 その一言は、

 自分の弱さを突かれたように胸に刺さります。


 けれど——。


「制度の中でしか守れない命もあります」


 私は、一歩も引かずに言い返しました。


「今この瞬間にも、

  私の名前を出して税を減免される人がいて、

  集いの家で今日をやり過ごしている人がいます」


「それは全部、“あんたがいる間だけ”の話だ」


 カタリナの瞳が、鋭く光りました。


「貴族は代替わりする。

  あんたが死ぬか、どこかに嫁ぐか、失脚すれば——

  次の奴が、また好き勝手するだけだ」


「だからこそ、

  今生きている私が、できるだけ“ましな”形に近づけておきたいのです」


 それは、言い訳なのか。

 それとも、本心なのか。


 自分でも時々分からなくなる言葉を、

 私は、それでも口にします。


「私が今すぐすべてを壊せば、

  救われる前に死ぬ人が増えるだけですわ」


「“今生きている人”だけ助けて、

  その先を考えるのは誰の役目だ?」


「それを考えてくださる方が現れるなら、

  私は喜んで席を譲ります」


「綺麗事だな」


 カタリナは、肩を揺らしました。


「そうかもしれませんわ」


 自嘲気味に笑うと、

 彼女の目が、一瞬だけ細くなりました。


「……あんた」


「はい?」


「本当に、貴族か?」


「残念ながら」


 肩をすくめてみせると、

 カタリナの口元に、わずかな苦笑が浮かびます。


「だったらやっぱり、あんたも“同罪”だ」


 その一言が、

 森の空気をまた少し、冷たくしました。


「制度を温存する限り、

  あんたがどれだけ善人でも、結果は同じだ」


「私が、制度そのものを守りたいと思っていると?」


「違うのか?」


「守れる命を、守りたいのです」


 少しだけ、声が強くなってしまいました。


「この領地で生きる人たちを、

  飢えと戦と、理不尽な搾取から。

  それが“貴族”という椅子を使ったほうが早いなら、

  私はその椅子を使います」


「その椅子ごと、ひっくり返そうとしているのが、私だ」


 カタリナは、静かに告げました。


「貴族という椅子がある限り、

  そこに座りたい奴は絶えない。

  “あんたみたいな例外”を前に出して、

  他の連中が隠れる。

  私はそれが嫌なんだ」


「私が例外であることは、

  否定できませんわね」


「自覚があるなら話が早い」


 カタリナは、くるりと背を向け、

 少し歩いてから振り返りました。


「——あんたの言いたいことは分かった」


 その声には、

 先ほどまでの刺々しさとは少し違う響きが混じっていました。


「だが、私はあんたのやり方を認めない」


「でしょうね」


「私は壊す。

  あんたは好きに直せばいい」


 唐突で、乱暴で、

 けれど妙に筋の通った言い回し。


 それが、彼女らしいのだと、

 なぜだかすんなり受け入れてしまう自分がいました。


「あなたの怒りと、

  あなたが守ろうとしている人々の存在は、理解しました」


 私もまた、背筋を伸ばして言います。


「けれど——そのやり方で、

  あなた自身が壊れてしまわないことを祈りますわ」


 カタリナの瞳が、わずかに揺れました。


 それは怒りか、侮蔑か。

 あるいは、もっと別の何かなのか。


「祈りなんて、もうとうに捨てた」


 彼女は吐き捨てるように言い、

 くるりと背を向けました。


 こちらも同じように背を向ける。

 互いに、一歩、二歩と距離を取って——


 本当はどちらも、

 振り返りかけた足を、

 ぎりぎりのところで踏みとどまらせているのだと、

 なぜか分かってしまう。


 そんな、奇妙な瞬間でした。


◆ ◆ ◆


 森を出て、

 視界が開けたところでようやく、

 私は深く息を吐きました。


「お怪我は」


「ありませんわ。

  転びもしませんでした」


「それは何よりです」


 レオンの安堵の笑みを見て、

 私も少しだけ肩の力を抜きます。


 馬に乗り、

 森を背にしたあとも——

 カタリナの背中が、どうにも頭から離れませんでした。


(彼女はきっと、私が憎むべき“敵”なのでしょう)


 貴族制度そのものを壊すと言い切り、

 私の椅子をも例外にしないと言い放つ人。


 そのやり方は、

 この領地を守ろうとする私にとって、

 あまりにも危険で、

 あまりにも受け入れがたいものです。


(それでも——)


 森の中で見た、

 彼女の立ち姿と、

 まっすぐに向けられた憎しみと。


 その奥にちらりと覗いた、

 壊された何かを抱きしめ続けているような、

 痛々しいほどの誠実さを。


 私は、忘れられそうにありませんでした。


『私が壊す。あんたは、それを直そうとすればいい』


(彼女の背中を、

  誰かが“正義”と呼ぶ未来も、

  どこかで想像してしまうのです)


 正義と正義がぶつかるとき、

 どちらかが“悪”として語られる。


 もしこの物語を、

 誰かがどこかで歌にするのなら——。


(彼女と私のどちらが“悪役”にされるのかしら)


 そんなことを、

 ふと考えてしまう自分が、

 少しだけおかしく、

 そして少しだけ、心細く思えました。


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