Re:一月二十二日 行く道
厄介事がなにもないというのは、一般的にはとても素敵なことである。
ただし霊能事務所においては、必ずしもそうではないようだった。
「ねえ! 所長サン! まだ仕事は来ないのカナ?」
「何分おきに聞いてくるつもりですか? ないものはないですよ」
「暇すぎるヨ! あと寒すぎるヨ! なんとかして、所長サン!」
一月もそろそろ終わろうかというこの週末。
この日の高上霊能事務所は、まったく仕事案件がない状態だった。
年末は大量に舞い込んだ除霊依頼も、正月を迎えたとたんに激減。
新年始まって早々の除霊依頼は縁起が悪いと考える客が多いのだろうか。
「あ~あ。この事務所は仕事もマトモに取ってこれないのカナ?」
「周防さん。この人さっさと追い出してくれます? 目ざわりなんですけど」
「拙僧にお任せくだされ。すぐに叩き帰しますぞ」
「ゴメンって! いつものジョークに決まってるでショ!」
業務提携中の霊能力者リミディが愉快そうに笑う。
この招かれざる客は暇を持て余しすぎて、たまにこうして事務所に入り浸っては高上に業務斡旋を催促していた。
都心は今日も霊的に平和である。
「どうせ仕事もないんだっタラ、思い切ってどっかバカンスでも行かナイ?」
「ずいぶんと唐突な話ですね」
「それが聞いテヨ。なぜか最近なんとなく頭に浮かぶノ。爽やかな太陽が降り注ぐ南国の景色がネ」
「おや、リミディ殿もですか。実は拙僧も同じですな」
「そうナノ? これはきっとカミサマのお導きデショ! ミンナで暖かい所に遊びに行きまショ!」
不思議なこともあるものだ、と高上は思った。
実は高上自身も、二人の言うことには身に覚えがあったからだ。
最近、ぼおっとしているときや寝る前などに、ふと南国の景色が脳裏に浮かぶことが増えた。
虫の知らせなのかもしれないし、あるいは厳しい冬の寒さに耐えかねて脳みそが現実逃避しているのかもしれなかった。
たしかに、暖かい地域で越冬するというのは悪くない考えだ。
いつもならもう少し深く考えるところだが、今日の高上は自分でも不思議なほどあっさりとその決断を下した。
「それじゃあ、そうしましょうか」
「おお! サスガ所長サン! 判断が早いネ!」
「え? 事務所はどうするんですかな?」
「一週間くらい休業にしても問題はないんじゃない? 都内には他にもたくさんの霊能事務所があるわけだし、お客さんも困らないよ」
「ふむ。たしかにそうですな」
周防はとくにそれ以上反論することなく了承した。
閑散期に休暇を取るのに、あえて反対する理由もないのだろう。
「で、リミディさんはどこに行きたいんです?」
「決まってるデショ。一月でも十分暖かい場所――つまりハワイ!」
「うむ。拙僧もそう言おうと思ってましたぞ」
こうして話はすぐにまとまった。
これまで一度も海外旅行など行ったことがない高上は内心わくわくしていた。
「で、旅行はこの三人のメンバーだけってことになりますかな?」
「ナニか問題あるノカ?」
「いや、なんというか、拙僧だけで海外旅行したとなれば、他の同業者たちがやっかむのではないかと愚考しましてな」
周防の懸念には一理ある。
広そうで狭いこの霊能業界では、たまに変な言いがかりをつけてくる人間がいるものだ。
たしか数年前に都内の同業者を集めて大忘年会を開いたところ、全国各地の同業者たちが「なんで自分たちを呼ばねえんだ。けしからん」と大量の呪怨メールを送りつけてきたことがあった。
呼んでもどうせ来ないだろ、と思いつつも丁寧に謝罪したのを覚えている。
こっちが厄介な事件の協力依頼を回しても無視するくせに。
「では今回は懇親旅行の名目で、全国の霊能力者に声をかけることにしましょうか。もちろん旅費はそれぞれ自費でね」
高上の提案に、周防はなるほどと頷く。
暇を持て余す霊能力者はそれなりに多いが、ハワイに行く旅行代をぽんと自腹で出せる者はそう多くはないはずだった。
それでも一応お誘いしたというアリバイにはなるだろう。
「それでは拙僧、みなさまに早速お誘いメールをお送りしておきますぞ」
「なんか気が乗らないナ? 知らないヒトが参加するかもしれなイノ?」
「別にいいじゃないですか。旅行は大勢の方が楽しいでしょうし。誘わずに後から文句言われるよりはマシですよ」
「ニホンって国は、本当にそういうシガラミみたいなのがクソだと思うヨ」
ぶつくさと文句を言うリミディを尻目に、周防はメールをさくっと発信した。
おそらく多くの同業者たちは「こいつら金持ってんな。当てつけかよ」と憤ることだろうが、この時の高上はそこまで深く考えてはいなかったのだった。
◇◇◇
三時間後。
相変わらず暇な高上は、ふと先刻の旅行企画の件を思い出した。
「周防さん。さっき送ってたメールだけど、反応はどんな感じだい?」
「そうですな、どれどれ……お、結構返信は来ていますが……ふむふむ」
受信ボックスをぱぱぱと確認しながら、周防は苦笑する。
「みなさま、どうやら不参加のようですなあ。『なんで事務所が旅費出してくれないんですか?』という返信が多いようですぞ。おや、いつもこういうイベントには前向きな千条殿も今回はパスだそうですな」
「思った通りだ。みんな財政はカツカツだからね。まあこっちは一応誘ったわけだし、義理は果たしたってことでいいんじゃないかな」
「そうですな……ん? んん?」
大量のメールを斜め読みしていた周防の動きが止まる。
「所長殿。参加したいって返事してきた方が二人いますな……しかもこれ、かなりの有名人ですぞ」
「え? ほんとに? どこの誰です?」
「エクソシストの照尾静雄殿と、退魔巫女の権藤千代殿ですな」
「嘘でしょ? そんな大物が? っていうか周防さん、その人たちにまで招待メール送っちゃったの? うちと提携したことないよ?」
慌てふためく高上。
照尾と権藤といえば、日本の怪異討伐界の頂点クラス。
高上からすれば仕事でも関わったことのない、遥か格上の存在だった。
「まずかったですかな? 片っ端からメール差し上げたのですが」
「まず……くはないな。いや、むしろトップ層の同業者とお近づきになるチャンスじゃないか! ナイスだよ、周防さん!」
「業界の英雄が二人も来るノカ! 面白くなってきたナ!」
「うむ。それでは日程や段取りを決めなくてはいけませんな。参加者が確定したらグループチャットで一度打ち合わせを――」
「親分が何回かハワイに行ってたっけ。いいガイドさんを知らないか聞いてみようかな」
にわかに盛り上がる三人。
バカンスに向けて、いろいろと期待が膨らんでいく。
今回のハワイ旅行は、きっと楽しいものになるだろう。
そんな予感が、高上にはあった。
その根拠がなんなのかはよく分からない。
照尾も権藤も初対面のはずだが、なぜだか初めて会う気がしなかった。
おそらくは、すぐに打ち解けられるんじゃないかという予感もある。
とんとん拍子で決まった旅行にも、集まりそうなメンバーにも、なにか奇妙な巡り合わせを感じる。
それがなんなのかしばらくぼんやりと考えていた高上だが、答えはまったく浮かばない。
ただなんとなくではあるが、それが吉兆であるということだけは妙な確信を持つことができたのだった。




