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八月十六日 落雷の決死圏

 何度も何度も、亜神は車のドアをしつこく叩き続けた。

 ただそれだけを、ひたすらに繰り返した。


 最初は怯えていた稀香も、相手が車に入ってこれないと分かると次第に落ち着いてきた。


 「ねえ。このまま車の中で粘ってたら、コイツら諦めてくれんじゃねえの?」

 「それはないでしょうな。おそらくは一か月前、羽田殿とリミディ殿も同じ状況に追い込まれていたはずですぞ。そして結果は――」


 周防の返事に、稀香は愕然とした表情でうな垂れる。


 先月の事件で、羽田絵麻は車外に連れ出されたうえで落雷死していた。

 であれば亜神は今回も、稀香を車外に引きずり出す手段を持っているはず。


 その手段は一体なんなのか。

 一同が考えを巡らそうとして、しかし先に「答え合わせ」がはじまった。


 気付けばフアカイ・ポーの群れが、車をいつのまにか取り囲んでいたのだ。

 そして。


 「ああ!! コイツら! 車の中にっ!!! きゃああああ!!!」


 フアカイ・ポーの幽体が車体をすり抜けて、稀香の腕と首を掴んだ。

 実体のない幽霊には、ドアも窓も関係ない。

 だから、普通に車内に侵入できるようだった。


 幽体の群れに次々と体を掴まれた稀香は、そのまま車外へと引きずり出されようとしていた。

 霊でありながら、物体への干渉もできるらしい。

 こうなるともはや防衛不可能。

 反則としかいいようがない。


 車外へと引き寄せられる強力なパワーによって、稀香の体は車のドアに思いっきり叩きつけられたような格好に陥った。

 そしてなおもその身に、強力な圧が襲い掛かる。


 「ぎゃああああ!!! 痛痛痛痛痛!!!! 誰かドア開けてえええ!!」

 「耐えてください! ドアなんか開けたら落雷の餌食ですよ!!」

 「落雷の前に圧死するわボケえええええ!!!!! ボサッと見てねえで助けろやあああ!!!!」


 後部座席で巻き起こる霊障を、高上と周防はただなにもできず見ていた。

 フアカイ・ポーは照尾たちを破った強力な霊だ。

 稀香を助けてやりたいが、自分たちでは歯が立つはずもない。


 向こう側も、抵抗しない高上たちに手出しする様子はなかった。

 霊能事務所を構える身としては非常に最低なことだが、見捨てるという選択肢が高上の中で現実味を帯びてきていた。

 きっと周防も同じ気持ちだろう。


 思えば稀香は、この亜神を生み出した元凶ともいえる人間だ。

 ここで死んだとしても、それは因果応報じゃないのか。

 自分たちが危険を冒してまで、助ける義理はない。

 そもそも自分たちにとって稀香の護衛はすでに正式な依頼ではないのだから。


 そんな都合のいい言い訳を、頭のなかで念仏のように唱える高上。

 だが不都合なことに、それを否定する声も内側から湧き上がっていた。


 そもそもの話。

 この決戦の舞台をセッティングするために、自分たちが稀香をこの場に立ち合わせたのだ。

 稀香にはなんのメリットもないのに、強引に挑発して巻き込んだ。

 そのかわり、必ず生きて帰すと約束した。


 それを反故にすることは、実質的に高上たちが稀香を殺したのとなにも変わりはしない。


 そう気付くとほぼ同時に。

 車内のドアロックが一斉に解除され、独特なクリック音が鳴った。

 間髪入れず、四方のドアが勢いよく開いた。


 そのまま稀香は車外にとうとう引きずり出され、地面へと叩きつけられる。

 雲一つない空の向こうから、夕陽の光が彼女を赤く染めた。


 「いやあああ!!! アンタら、早く助けろし!!!!!」


 車という安全圏から出てしまった稀香。

 天空と稀香の間には、いまやなにも遮るものがない。

 落雷の決死圏。


 亜神が右手を空に掲げた。

 つい先ほど佐々木に雷を落としたときと、同じ所作。

 もはや一刻の猶予もない。


 その光景を目の当たりにして、考えるよりも前に高上は行動を起こしていた。


 「っ!? 所長殿!! いけませんぞ!!」


 周防の制止も聞かず、高上は助手席から車外へと飛び出した。

 それはいつ雷に撃たれてもおかしくない、あまりに危険な行動だった。


 そしてそのまま、こともあろうに亜神に向かって突進していく。

 体当たり。

 あまりにも原始的な抵抗手段。


 しかも。

 そこまでして危険を冒したにも関わらず、周囲の幽霊たちの俊敏な迎撃によって高上はあえなく取り押さえられてしまった。


 高上の無謀かつ無意味な特攻に、亜神は少し不思議そうに首を傾げる。

 わざわざ殺されに来たのか、とでも言いたそうな素振りだった。


 その行動の成果はせいぜい亜神たちの注目を集めて、十数秒ほど稀香の死期が延びたくらいだろう。


 しかし。

 結果的にはその十数秒は、命を賭けるに十分な成果だったらしい。


 「――ッ!?」


 高上に注目していた亜神の右手が、背後から何者かに取り押さえられる。

 不意を突かれた亜神はぐるりと振り返って抵抗しようとする。

 しかし、相手を振り払うことができない。


 「捕まえましたよお。これでもう、雷は落とさせませんからねえ」


 佐々木だった。


 通常、スタングレネードを受けた者の意識が戻る時間は十秒から一分以内。

 高上が稼いだわずかな時間が、彼女の戦線復帰を間に合わせたのだ。


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