八月十六日 雷鳴と雷光
車の外に出た佐々木は、そのままゆっくりとフアカイ・ポーの群れに向かって歩みを進めた。
「ねえ! アイツ、マジで大丈夫なの!? 相手めちゃくちゃいっぱいいるんだけど!?」
稀香が車内で喚くが、高上も周防も無視して佐々木に注視する。
佐々木にどんな勝算があるのか分からないが、今は信じるしかない。
一方のフアカイ・ポー側も、近づいてくる佐々木に気付いて身構えた。
そのまま両者は互いに距離を詰めていく。
そして。
間合いが三メートルほどに迫った、その瞬間。
幽霊兵の群れが、合図もなく一斉に佐々木へと襲い掛かった。
獲物を狩る俊敏な獣のような軽やかさ。
対する佐々木は、その動きにまったく反応が出来ていない。
「あああっ! アイツ、めっちゃやられてるしっ!」
稀香の絶叫。
十人、二十人、それ以上の霊に取り囲まれ、佐々木の姿は車内からは見えなくなってしまう。
それは角砂糖に群がる蟻の群れのような光景だった。
「なんなのアイツ! ぜんっぜん役に立たねーじゃんか!!」
「ど、どうしますかな、所長殿。今すぐ車で逃げるのも一手ですぞ」
「……いや、ちょっと待って。なんか様子が、おかしくないかい」
撤退を提案する周防を遮って、高上が指差した先。
そこには、ついさっきまでとは異なる光景があった。
「……幽霊が――なんだか減ってない?」
なにが起こったか分からず、稀香がそう漏らした。
その言葉通り、佐々木に組みついていた霊がいつのまにか消えている。
周囲の霊たちは間髪入れずに次々と佐々木に飛び掛かっていく。
そこでようやく車内の三人は、なにが起こっているのかを理解した。
霊たちの拳も武器も、あらゆる攻撃が佐々木には効いていない。
むしろ佐々木に触れた霊の側が、溶けるようにその場で雲散霧消していく。
なにも知らずに塩の山につっこんでいくナメクジのようだった。
「なんなのアイツ! 無敵か!?」
「やけに自信満々でしたが、ああいうことだったのですかな」
言霊絡みの怪異であれば、必ず祓える。
そう佐々木は言っていた。
目の前の光景と照らし合わせて考えるなら。
専門家の佐々木は、言霊に対して無敵だということなのだろう。
気が付くと、フアカイ・ポーの群れは半分以下に減っていた。
この段階になると、さすがの相手も佐々木の異常さに気付いたのかうかつに手出ししてこなくなっている。
これならいけるのでは。
なんだか優位に立ち回っているような雰囲気に、少し緊張がほぐれる車内。
だが、次の瞬間。
予告なく、突如、世界が真っ白になった。
「――っ!」
まず最初に、閃光のような光が網膜を貫いた。
同時に車体が小さく跳ね上がるように揺れ、高上たちは思わず身をすくめる。
それから数秒遅れて――この世のものとは思えない轟音が鼓膜を叩く。
この車に雷が落ちたのだと三人が理解するまでに、十秒ほどかかった。
少し焦げたような匂いがかすかに漂う。
だが車内にはとくに別状はなく、誰も感電していない。
「今のって落雷!? アタシ、狙われてるっ??!」
「落ち着きなされ。どうやら想定通り、車内は安全のようですぞ」
「はあ? なに言ってっか聞こえねーし! ぼそぼそしゃべんな! つか今どんな状況よ! アンタたち、ちゃんとアタシを守んなさいよっ!!」
間近の雷鳴のせいで一時的に聴覚がやられた稀香が、パニックを起こす。
彼女を宥めようとした周防と高上だったが、車の外に出現した新たな存在が視界に入ると、思わずそのまま固まった。
稀香が座る車体左側の後部座席、そのドア窓の向こう。
そこに、人型のなにかが立っている。
二人の視線に気付いた稀香が、悪態をつきながらそちらの方へ振り向く。
とたん喚き声は止み、車内は急激に静けさに包まれた。
そのなにかは、車のドアを挟んで稀香と向かい合っていた。
フアカイ・ポーとはまた違う、異質な存在感を放っている。
右半身は漆黒に染まり、蝋燭の火のように不定形に小さく揺らいでいた。
そしてもう左半身は、三人とも知っている少女の体をしている。
「――やっぱりアンタなのね。シキミ」
稀香が小さく漏らした呟き。
それが届いたかは定かでないが、ドアの向こうでそいつはにやりと笑った。
南国の雷神と、非業の死者。
二つの存在を併せ持つ、韻生まれの亜神がついに姿を現わした。
亜神は数秒ほど、ドア窓越しの稀香を見つめていた。
そしておもむろに左手を高くかざすと――そのまま思い切り窓に叩きつけた。
ばん、という大きな音に思わず稀香は後すざりし、後部座席の反対側へと移動する。
亜神はなおも左手で窓を何度も何度も叩いていた。
明らかに窓ガラスを割ろうとしている動きだった。
車内に侵入しようとしているのだろう。
だがあまりパワーがないらしく、ガラスはまったく割れる気配がない。
それでも亜神は、ひたすら窓叩きをやめない。
「な、なによコイツ。もしかして、力も頭も足りてない感じ?」
拍子抜けしたのか、嘲るように吐き捨てる稀香。
助手席の高上からみても、その言葉は当たっているように見える。
直線的な動きで稀香に近づこうとしてドアに阻まれているその様子は、まるでホラー映画に出てくる知性のないゾンビのようだ。
ほどなくして、車から離れて幽霊たちの相手をしていた佐々木が亜神の存在にようやく気付いた。
そしてそのまま、車の方へと駆け足で戻って来る。
幽霊たちを統率していると思しき亜神本体を討ち祓い、一気に全てを終わらせるつもりだ。
一方、亜神の方も接近する佐々木に気付いた。
迎撃するようにその右手を空に掲げる。
そしてそのまま、すっと振り落とすと。
一瞬、空が真っ白に光った。
同時に、天から降ってきた雷の閃光が、佐々木に直撃する。
遅れて、耳を劈く轟音が辺りに響き渡った。
「ああっ! アイツ、雷に撃たれやがった!! まさか死んだっ!?」
弾かれたように倒れる佐々木を遠目に見て、反射的に叫ぶ稀香。
しかし高上は、すぐにそうではないと気付いた。
雷に撃たれた人間は、全身が黒焦げになるはずだ。
なのに佐々木はそうなっていない。
彼女は見た目にはまったくダメージを受けていなかった。
「やっぱり無敵か……雷が効いていないみたいだ。彼女には言霊からの攻撃は一切効かないってことなんだ」
「いや、所長殿。そういうわけではなさそうですぞ」
高上の言葉を、周防がすぐに打ち消した。
言われて高上も、はっとする。
無敵なのであれば、佐々木はなぜ倒れているのか。
そして、なぜすぐに起き上がらないのか。
「直撃する雷はたしかに効いていないのかもしれませんが……『光』と『音』までは防げていないように見えますぞ!?」
周防の指摘はおそらく正解だった。
超近距離でその身に受ける雷鳴と雷光。
それはきっと、自然界のスタングレネードのようなものだ。
強大過ぎる光と音は、網膜と鼓膜を揺らして脳を強制停止させてしまう。
車内にいるためにある程度それらから守られていた三人と違って、佐々木はもろにそれを浴びてしまった。
「なんじゃそりゃ! アイツやっぱ役に立ってねえええ!!! 事前対策してねえのかよおおお!!! おい、クソ坊主! 車をバックさせろしっ!!」
「さっきからやってますが……先ほどの落雷のせいでエンジンが入らなくなってますぞっ!」
「嘘でしょ!? 閉じ込められたってことかよお!? マジふざけろし!!」
パニックになる車内。
相変わらず道路にうつ伏せで倒れこんだままの佐々木。
復帰するまでに数十秒はかかりそうだ。
亜神は再び車の前に立つと、窓をどんどんと左手で叩きはじめた。
遠巻きにいたフアカイ・ポーたちも少しずつこちらへと迫ってくる。
明らかに、高上たちは追いつめられていた。




