八月九日 説得
「ダメです」
高上たちの話を黙って聞いていた砂根兼汰は、開口一番そう答えた。
八月九日。
帰国した一行は、荷物などをいったん事務所に置いてからすぐに砂根家の豪邸へと足を運んでいた。
亜神討伐のため、砂根稀香には次の新月の日に外出をしてもらう必要がある。
そのための協力を要請したのだが、返ってきたのは拒否の返答だった。
当然の結果である。
「なんでうちの娘がリスクを冒す必要があるんですか? 今後、新月の日には娘に外出をさせないと伝えたはずですがね」
兼汰はこちらを小馬鹿にしたようにそう吐き捨てる。
羽田絵麻にリスクを冒させ、あまつさえ死なせた男の言葉とは思えなかった。
「なあ、稀香だって協力は嫌だよな?」
「あったり前でしょ、パパ。アタシには関係ないしぃ?」
「関係ないって……もとはといえば君がシキミさんを突き落とすから――」
「ふうん。そんなことまでよく調べられたわね。でもアレはただの事故だし。手すりが壊れてたのが悪いんだし。アタシのせいじゃねーっつの」
シキミの落下事故の真相を突き付けても、稀香はまったく悪びれる様子を見せなかった。
たしかに不運が重なった一面があるのは事実だが、それでも人を死に追いやっておいて後ろめたさを感じないのは異常だ。
「……あなたは、稀香さんのやったことを知っていたんですね?」
「当然知っていました。だから出来る限りの隠蔽工作はしましたし、オアフ島の警察に根回しもしましたよ」
やはり父親の兼汰は、事情を知っていた。
だからこそ落雷に狙われているターゲットが分かっていたのだ。
ここまでの相手の反応から、ヒロマオリの霊視は正確だったことが確定した。
「胸は痛まないんですか? 稀香さんはイジメにも加担していたんですよ」
「僕はいつも娘に言い聞かせているんです。『この社会では常に支配し搾取する側にまわれ』とね。娘はそれを実践しているだけですよ」
親子揃ってとんだ人格破綻者だ、と高上は苛立ちを覚えた。
隣の周防も、怒りに震えて歯ぎしりしているのが分かる。
おそらくは「こいつら亜神に殺されればいいのに」と思っているのだろうし、正直なところ高上もそう思わなくもない。
思えば、落雷死した羽田絵麻はずっとなにかに怯えていた。
きっと彼女には、ずっと良心の呵責があったのではないだろうか。
後悔の感情が免罪符になるわけではないが、それでも目の前の親子に比べたらかなりマシだと高上は思った。
「協力してくれないなら、稀香ちゃんのやったことを世間にバラしちゃいますけど、いいんですかあ?」
直球の脅迫をかけていく佐々木。
事前に「協力を取り付ける秘策があります」と言っていたが、まさかこれのことではないだろうなと高上は内心呆れていた。
「さすがにバラされたくはないですね。もっとも、こちらとしては真実を知った貴方がたを大人しくこの屋敷から帰す気は最初からありませんが」
そう言い終わらないうちに、どこからともなく屈強な黒服の男たちが部屋に入ってきて高上たちを取り囲んだ。
どうやら逃げられそうにはない。
高上たちが訪問した時点で、兼汰はこの展開を予測して人手を準備していたに違いなかった。
「パパ、こいつら殺すの?」
「そんな酷いことするわけないだろ? この人たちは知り合いの組に引き取ってもらうんだ。あとのことは向こうに任せるだけさ」
組とはおそらく反社会的ななにかだと思われる。
つまり兼汰の言っていることは「殺す」とほぼ同義であろう。
自ら手を汚すかどうかの違いしかそこにはない。
組とやらに引き渡されたあとは内臓を取られたり、どこかの湾に沈められたりするのかもしれない。
「ひええぇ。こんなの反則ですよお! 所長さん、なんとかしてください!」
早くも秘策が破れたのか、佐々木が泣き言を言い出した。
高上としても、兼汰がここまで暴力行使上等だとは想定していなかった。
亜神と対決して祓うのは、佐々木の仕事だ。
その瞬間になったら、高上はもはやほとんど関与できないだろう。
であれば高上にできることは、対決までの障壁を排除することくらいだ。
そして今、まさにその障壁が立ちはだかっている。
まずはなんとかしてこの場を切り抜けなければならない。
そしてできれば同時に、稀香の協力を取り付けなければ。
「……稀香さん、あなたは本当にいいんですか?」
「は? なにがよ」
「協力いただければ、亜神は佐々木さんが祓います。そうすれば、あなたは今後新月など気にする必要のない完全な自由が得られるんですよ」
「んなこと言ってもさ。成功する保証なんてないっしょ? だったらアタシは安全策を取るし。そもそもアンタらを信用してないわけ。分かる?」
腹立つ物言いだが、正論ではあった。
だがここで引くわけにもいかない。
「……逃げるんですか?」
「ああ? なに言ってんのよ、おっさん」
それまで嘲笑的な態度だった稀香が、急激に怒気を込めて高上を睨んだ。
かまわず高上は言葉を続ける。
「ここで亜神討伐を諦めるということは、シキミさんの怨念に屈するのと同じことでしょう。生前虐げてきた相手に敗北を認めることになるんです。これからの人生で新月が訪れるたびに、あなたはそれを思い返すことになるでしょうね」
「おっさん、てめえ……挑発のつもりかよ」
「そうですよ。あなたがシキミさんを突き落としたせいで、あなたの友人たちが巻き添えで命を落としています。なのにあなただけが生き残り、これからも生きながらえようとしている……亜神と決着をつけられるのはあなただけだというのに、そこから逃げることが本当に正しいんでしょうか?」
思いつくままに煽りにかかる高上。
内心はやぶれかぶれだ。
稀香は途中までしかめ面で聞いていた。
だがほどなくして顔が真っ赤に染まっていき、ついには激昂しはじめた。
「くそがぁ! 上等だよ、おっさん! そこまで言うなら協力してやるし!」
「ああ? なにを言っているんだ、稀香! やめなさい!」
唐突に意志を曲げた稀香を、兼汰が慌てて引き留めようとする。
だが稀香の気は収まらない。
挑発した側の高上のほうがびっくりするキレ方だった。
「パパは黙ってて! そもそもアタシは悪くないんだ! シキミごときが生意気にも抵抗しやがったから突き飛ばしただけだったのに! シキミが勝手に崖から落ちやがっただけなのに! なんでアタシが祟られなきゃいけないし!」
喚き声が部屋中にこだまする。
気が昂っているせいか、随分と勝手な主張だ。
「そう……そうよ! なんでこのアタシが、死んだヤツなんかに人生を縛られなきゃいけねーの!? そうでしょ、おっさん!!」
「え、いや、それは……」
「たしかにアンタの言う通りよ! ここでシキミから逃げるなんて、アタシがどうかしてたわ! このまま一生アイツに祟られたままなんてまっぴらだし!!」
感情に任せ、一人で盛り上がっていく稀香。
高上の意図した伝わり方と大きく違うが、それでも状況は変わり始めていた。
「本当にその亜神ってヤツをぶっ倒せるんでしょーね!?? 他の霊能力者たちが敗けた相手なんでしょ!?」
「……大丈夫だよ、稀香ちゃん。あなたはただ亜神を呼び寄せてくれればいいだけ。あとは私が全てを終わらせてあげるから」
自信に溢れた佐々木の返事。
稀香はそれを聞くと、急速に落ち着きを取り戻した様子で「ならいいけど」と吐き捨てた。
「考え直さないか、稀香。父さんは反対だぞ」
「いいんだって、パパ。こいつらがもし討伐失敗しても同じことだし。シキミなんかの祟りに屈してたら、それは死んでるのと変わりないし」
稀香が説得に応じたのは、歪んだプライドが根底にあるようだ。
それは説得を試みた高上にすら共感不能なものだったが、ともあれそのおかげで彼女の協力を取り付けることには成功したことになる。
あとは、亜神との対決を残すのみ。
長かった道のりが、ようやく最終局面に差し掛かっていた。




