八月八日 帰国
「なあ、本当にもう帰っちまうのか。もう少し観光していけよ」
「すみません。日本でやるべきことがようやく見えてきたんです。上手くいくかは分かりませんが……」
八月八日。
ホノルル空港にて。
怪異の正体が韻生まれの亜神であるという佐々木の説をとりあえず採用することになった一行は、次の行動に移るべくハワイを去ることを決めていた。
空港に見送りに来た二人のガイドは、名残惜しそうに溜息をついた。
「……言霊、というのはよく分からないが……アナタが正しいと信じたことをすればいい……我らの神の偽物を……無事に討ち倒せることを祈っている」
「大丈夫。上手くいきますよお。あなたのお師匠さんから『退魔のおまじない』も教えてもらいましたしねえ」
老体の身だからか、今この場にヒロマオリはいない。
だがウェヘウェヘの言葉から察するに、佐々木とヒロマオリたちはずいぶん親しくなった様子だった。
「お二人とも、このたびは本当にお世話になりました」
「いいってことよ。またハワイに来ることがあれば声かけてくれや」
「……次は、そうだな……収穫祭の時期にまたこの島に来るといいだろう……師匠も、また会うのを楽しみにしていると言っていた」
「ええ、ヒロマオリさんにもよろしくお伝えください」
フアロエロとウェヘウェヘに見守られながら、一行は航空ゲートをくぐった。
高上にとってはおよそ五日ぶりとなる、地獄の長時間飛行の幕開けである。
「ところで所長どの。一応確認しておきたいのですがな」
搭乗口までの移動のさなか、周防がそう声をかけてきた。
「どうしたんだい、周防さん」
「怪異、いや、亜神と接触するために稀香殿を説得すると言っていましたが……本当にやるんですかな?」
亜神に関する佐々木の考えは、すでに周防には伝えていた。
そして亜神討伐のためには、次の新月の日に稀香を外出させる必要がある点も説明している。
いったんは周防もそれを承諾したはずだが、今さらどうしたのだろうか。
「もしかして、稀香さんを巻き込むのは良くないとか言い出すつもりじゃないだろうね」
「そうですよ。稀香ちゃんが狙われてるのはある意味で自業自得なんですから、多少のリスクは負ってもらわないとですよお」
「いえ。拙僧が言いたいのはそうではなくてですな……」
周防は少し躊躇したように言葉をいったん溜めて、すぐにそれを吐き出した。
「はたして拙僧らは、怪異を祓う必要があるのですかな?」
「え? どういうことだい?」
根源的な問い。
その言葉は、あまりに冷たい響きを含んでいた。
「亜神とやらが生まれた原因が推測通りなのであれば――今佐々木殿が言われたように、稀香殿が狙われるのは自業自得だと思いますぞ」
「なに言ってんですかあ。相手は照尾さんたちの仇ですよお? それに私は正式に権藤一族の皆さんから依頼だって請けてるんですから……」
「それは理解しておりますぞ。ですが今回の話を振り返るに、稀香殿が生前のシキミ殿に対して行った事はあまりに非道。ゆえに拙僧は、報いを受けるべきと思わずにはいられないのですな。だというのにシキミ殿のほうを討伐するなど、納得がいきませんぞ」
霊能力の皆無な高上には理解できないことだが、一応は中堅の霊能力者である周防はこれまで数多くの死霊と対峙してきた。
そのせいなのか、あるいは本人の性格なのか。
周防は必要以上に死霊に感情移入してしまいやすいタイプだった。
それはこの業界において長所になることもあれば、短所になることもあった。
そして今回は、そのせいでチーム内の意見が割れそうな状況に陥っている。
極端に言えば周防の主張は「稀香は一生祟られながら生きろ、あるいは死ね」である。
敵討ちという観点を除けば、亜神を討伐して得をするのは稀香一人だけ。
それに周防からしたら、亜神のほうが被害者に思えるのかもしれない。
であれば危険を犯して立ち向かう必要などないことになる。
「いや、あのさ、周防さん。そうじゃないんだよ」
高上は説明をしようとした。
周防には伝えていなかったが、親分から聞いた話がたしかならば。
『――言霊由来の怪異を倒したら、その怪異が起こした全ての事象が『なかったこと』になるらしいねんで』
佐々木が亜神を祓うことに成功すれば、死んだ犠牲者がみな生き返る。
正確には、怪異発生前まで時間が巻き戻る。
落雷死した生徒たちも、亜神に倒された霊能力者たちも、みな戻ってくる。
高上が佐々木の説を、半信半疑ながらに無条件で肯定することに決めた理由がそれだった。
すべてがなかったことになるという希望に、すべてを託したのだ。
たとえそれが真偽不明で都合のいい話だったとしても。
それを伝えようとして――先に言葉を発したのは佐々木だった。
「亜神はあくまで言霊による造りものです。それは、シキミさんそのものじゃありません」
「それはそうかもしれませんがな……」
「やっていることは死者の祟りに見えるかもしれませんが、実際にはそこに意味も意志もないんですよ。亜神はただ『名瀬シキミの霊であれば、復讐を行うにちがいない』という論理に従って動いているにすぎません」
雷神でもなければ、死者の霊でもない。
韻が生み出した、空っぽの映し身。
ただの紛いもの。
「だから同情なんて必要ないんです。むしろ今回の亜神は、死者の因縁を借りて神の力で人を殺す冒涜的な存在ですから、この世に存在させちゃダメなんです」
「……佐々木殿」
「そんなものに任せなくても、稀香ちゃんはいずれ報いを受けますよ。今はまだでも、いつか必ず」
きっぱりと断言する佐々木。
なにか考えがあってそう言っているのかどうかは窺い知れなかったが、そこにはある種の確信が込められていた。
その言葉に納得したのかどうかは分からないが、周防はそれ以上なにも言わなかった。
この先のことはもう、言霊専門家の佐々木にお任せするほかないだろう。
こうして一行はハワイを離れ、帰国を果たした。
実に久しぶりに触れた日本の空気は異常なまでに暑く、高上たちは早くもハワイの爽やかな気象を恋しく感じたのだった。




