七月二十九日 親分
翌日。
この日の高上は、事務所に一人きりだった。
結局、修学旅行中に事故死した名瀬シキミに関する詳細については、そのまま探偵に調査を依頼することになった。
周防と佐々木はちょうど今、探偵とともにその調査に同行している。
この時間帯は名瀬シキミの遺族と会って、聞き取り調査をしている頃だろう。
高上としては、あまり納得のいく形ではなかった。
だが現在の立場としては、佐々木が高上を雇っている側だ。
なので意見が割れた際には、当然佐々木の意向が優先される。
ゆっくりと深呼吸して、高上は瞑目する。
そうして色々と考え事をするのだが、最後は決まって同じ懸念に行きつく。
今回の事件、はたして佐々木に任せて大丈夫なのか、と。
思えば佐々木が名瀬シキミのことを気にかけているのは、その名前が「帰り道」と韻が踏めるからというダジャレみたいな理由からだった。
彼女がそういう現象を専門とする言霊師だと知っていてもなお、正気の度合いを疑いたくなる話だ。
もちろん、佐々木に協力すると決めた時点でいつかはこうなると分かっていた。
得体の知れない韻や言霊という概念に関しては、高上にはまったく判断がつかない。
それが傍目に冗談や洒落のようなモノであっても、佐々木が着目するのなら重要な手がかりになるのかもしれない。
なのでとりあえずは彼女の好きにやらせておくことにするが、なんとも先行きは怪しいように思われた。
そんなことを考えている矢先。
事務所の固定電話が突然鳴り出した。
はて、周防か佐々木だろうか。
もしや調査中になにかあったのか。
少し不安になりながらも高上は受話器を取った。
「もしもし、こちら高上霊能事務所ですが――」
「おう、ひさしぶりやんけ、ミハル。元気しちょっとかあ?」
音割れ寸前のやかましい声が耳に突き刺さる。
自分を名前で呼ぶような人物は、知り合いに一人しかいない。
「――こちらこそお久しぶりです。親分」
「おうおう。さっそくやがお前の事務所、大変みたいやんけ。雷の怪異の噂はこっちまで届いとんぞ。まさかあの照尾がやられるとはなあ」
親分。
霊能業界における高上の師であり、人生の恩人。
さらには高上に霊能事務所を開業するよう仕向けた張本人だ。
今は隠居しているが、こうしてたまに電話で連絡をくれることがある。
「すみません、親分。僕の力不足です。正直、未だに事件の全容が掴めないでいます。本当に、どうしたものやら。手詰まりを感じてますよ」
「んなことあるかいな。権藤のジジイから聞いとるで。あいつ、佐々木んとこの嬢ちゃんに解決を依頼しとるんやろ? 今はお前と一緒に動いとるはずやろ?」
親分は業界内でも顔が広く、現在の依頼人である権藤師長とも交流がある。
こちらの動向はある程度お見通しらしい。
高上は昨日までの進捗をすべて親分に話した。
なにかアドバイスをもらえるのではないかと期待して。
「――というわけで、正直に言って佐々木さんが本当にこの事件を解決できるのか、僕にはあまりピンと来てないんですよ」
「まあそうやろな。ワイも言霊にはあんま詳しくねえし、聞いとる分やと今回の事件が言霊絡みかはまだまだ微妙な感じやんな」
「そうでしょう。このままあの子に協力してていいのか、分かんなくなってきましたよ」
周囲に誰もいないのをいいことに、不安を素直にぶつける高上。
韻や言霊などという理解の及ばないものを調査方針に組み込んでいる佐々木のことを、心の底ではいまいち信じ切れていないのだった。
「お前の気持ちはよーく分かるわ」
「親分……」
「でもなあ。とりあえず協力はそのまま続けたほうがええやろな」
はっきりとした口調で、親分はそう断言した。
「……親分は、あの子のことを信じているんですか?」
「別に信じるとかいう話やないけどな。どうせ他にアテもないんやろ」
「そうですけど」
「第一、まっとうな怪異が相手やったら照尾や千条がやられるかいな。そやったら言霊絡みの可能性はあると思うで」
先日の周防と同じようなことをいう親分。
だが、師と仰ぐ相手が後押ししてくれたことで、幾分か佐々木を信用する気持ちが戻ってくるのを高上は感じていた。
「それにな。そんなに分が悪い話とも思わんけどな」
「そうですかね」
「せや。奇妙な怪異案件の調査に嬢ちゃんが関わっとったってこと自体が、巡り合わせみたいなもんかもしれん。たぶん権藤のジジイもそう思って嬢ちゃんに依頼したんやろ。知らんけど」
そう言って親分は受話器の向こうで豪快に笑った。
巡り合わせ。
その言葉は非論理的ではあったが、妙に説得力があるような錯覚を高上にもたらした。
「それに今回のが言霊絡みの事件やったら、もうけもんやないか」
「もうけもん、というのは?」
「ああ、知らんのかいな。まあワイも噂程度にしか聞いたことけどな」
「ですから、なにを?」
「言霊由来の怪異を倒したら、その怪異が起こした全ての事象が『なかったこと』になるらしいねんで」
「……え?」
その言葉に、高上は思わず声をあげた。
その意味を理解する前に、親分がまくしたてる。
「正確には、『怪異が生まれる前まで時間が巻き戻る』みたいな感じやそうや。あれ? 世界の記憶が書き換わるんやったっけ? まあどちらでもええわ。ようするに……」
「怪異に殺された高校生の子供たちも、照尾さんたちも、みんな生き返るってことですか?」
「ま、そういうことやんな。もしそうなったらハッピーエンドやんけ」
怪異が、この世に存在しなかったことになる。
特殊な超常現象を解決したときに稀にみられる、「世界の修正力」。
それが、言霊絡みの事件においても発生すると親分は言っている。
それは、高上からするとあまりに都合のいい幻想だった。
まずもって親分の知識が正確かどうか分からない。
そもそも今回の事件に言霊が関わっているかどうかはまだ不明だ。
だが、すがりたくなる魅力に満ちていた。
「まあとにかく、お前は佐々木の嬢ちゃんをしっかりサポートしちゃりぃや。もし調査のために金が足らんくなったらワイに電話せえ。そんじゃあ、な」
言いたいことだけを言い終えると、親分は一方的に電話を切った。
高上はしばらく受話器を手に持ったまま、今の話をずっと頭の中で反芻した。
死んでいった犠牲者や同業者がこの世に戻ってくる。
そんな夢みたいな可能性が、ほんの少しでもあるのなら。
言霊絡みの事件であってほしい。
願望と先入観が入り混じった気持ちが、心の中で増大していく。
そんなバイアスは調査においては邪魔になるだけだというのに。
そう信じたい気持ちが抑えられなくなりそうになる高上だった。




