美味そうな気配
高級温泉旅館での一件が終わり、俺とイナリは再び迷宮へ戻って来た。
いや、戻って来たと言っても、心情的にはあまり戻りたくなかった。
だって、ついこの間まで俺は、ドラゴン尽くしのフルコースだの、露天風呂だの、卓球だの、庭園散歩だのという、探索者とは思えぬ贅沢を満喫していたのである。
それが今や、火山麓エリアである。
岩だらけ。熱気むんむん。硫黄臭ぷんぷん。そのうえ、時々地面が揺れる。
普通に考えれば、休暇明けに来る場所ではない。
だが、ここにはレッサーアースドラゴンがいる。
経験値が美味い。肉が美味い。素材が高い。ついでに温泉も湧いている。
つまり、総合的に見れば、かなり優良な狩り場なのだ。
「うむ。今日も良き火山日和じゃな」
「そんな日和、聞いたことないけどな」
隣を歩くイナリは、いつものように涼しい顔をしている。
火山麓エリアの熱気など、神様には関係ないらしい。いや、幼女神様は普通に汗をかいているのだが、それでも顔は実に楽しそうだった。
理由は分かっている。
レッサーアースドラゴンの肉である。
よほど気に入ったのだろう。
イナリは朝からずっと、どの部位をどう食うかという話しかしていなかった。
「背肉は焼きじゃな。腹肉は煮込みも良い。尻尾は……ふむ、唐揚げにしても面白いかもしれん」
「尻尾の唐揚げって、字面だけ見ると完全にゲテモノだぞ」
「美味ければ良いのじゃ」
「まあ、それはそうなんだけど」
俺も否定はしない。
実際、レッサーアースドラゴンの肉は美味い。 かなり美味い。探索者としての倫理観や恐怖心を少し横に置けるくらいには美味い。
だが、相手はドラゴンである。
レッサーとは付いているが、ドラゴンはドラゴンだ。そこらの探索者が気軽に狩れる相手ではない。
おかげで、この火山麓エリアにライバルはほとんどいなかった。
そこがまた良かった。
人気狩り場というのは、得てして面倒が多い。 獲物の取り合い。場所取り。妙な因縁。マナーの悪い探索者。あとは、SNSに「穴場発見!」とか書いてしまう馬鹿。
その点、このエリアは平和だった。
何しろ、来たら死ぬ。
実に分かりやすい。
「よし。今日も安全第一で行くぞ」
「うむ。肉第一じゃな」
「安全第一って言ったよな?」
「肉を得るためには安全も大事じゃ」
「そういう意味では合ってるけども」
そんな会話をしながら進んでいると、さっそく岩場の陰からレッサーアースドラゴンが姿を現した。
全長は軽く十メートル以上。岩のような鱗。太い四肢。地面を削る爪。そして、こちらを見つけた瞬間、いかにも「人間風情が」と言いたげな目を向けてくる。
はいはい。どうも、人間風情です。
「先手必勝!」
俺は大剣を構え、一気に踏み込んだ。
最近は、身体能力が上がったせいか、こういう大型モンスター相手でも妙に怯まなくなってきた。 昔なら、まず逃げ道を探していたと思う。
今は、まず食えるかどうかを考えている。
人間として、大事な何かを失っている気がする。
「せいっ!」
振り下ろした大剣が、レッサーアースドラゴンの前脚に叩き込まれる。さすがに一撃で斬り飛ばすとはいかないが、硬い鱗に深く刃が食い込んだ。
レッサーアースドラゴンが怒りの咆哮を上げる。
その瞬間、横から青白い鬼火が飛んだ。
「焼き加減は任せよ!」
「まだ焼くな!」
イナリの鬼火が、レッサーアースドラゴンの顔面を包む。
苦悶の声を上げるドラゴン。俺はその隙に懐へ入り、腹の柔らかい部分を狙って大剣を突き込んだ。
重い手応え。
レッサーアースドラゴンは暴れたが、すでに勝負は決していた。数分後、巨体は地響きを立てて倒れた。
「よし。一体目」
「うむ。良い肉じゃ」
「まだ解体もしてないだろ」
「妾には分かる」
イナリは胸を張った。
神様の威厳ではない。食いしん坊の自信だった。
それから数時間。
俺たちは順調にレッサーアースドラゴンを狩っていった。
正直、効率はかなり良い。経験値も入る。素材も貯まる。肉も増える。たまに温泉で汗を流せる。
探索者生活としては、かなり理想に近い。
問題があるとすれば、俺がどんどん「ドラゴン狩りを日課にするアラカン」になりつつあることくらいだ。
そんな自分を少し怖く思い始めた時、イナリがぴたりと足を止めた。
「む」
俺も足を止める。
嫌な予感がした。
イナリがこの「む」を言う時は、大抵ろくなことがない。
「どうした?」
「美味そうな匂いがする」
「出たよ」
俺は思わず天を仰いだ。
この流れは知っている。嫌というほど知っている。
イナリが「美味そうな匂い」と言い出す。その先に変異種がいる。俺が巻き込まれる。死にかける。何とか勝つ。結果的に美味い。
だいたいこのパターンである。
「ちなみに、相手は?」
「分からん」
「分からんのかい」
「じゃが、美味そうじゃ」
「その情報だけで突っ込むの、そろそろやめない?」
今回の相手はレッサーアースドラゴンだ。その変異種となると、どうなるのか。
レッサーが取れて、ただのアースドラゴンになるのではないか。あるいはグレーターアースドラゴンとか、エルダーアースドラゴンとか、もう名前だけで胃が痛くなるやつが出て来るのではないか。
俺はアラカンである。若者のような無茶はしたくない。
「イナリさん。ここは一度、冷静に考えよう」
「何をじゃ?」
「レッサーアースドラゴンの変異種だぞ。下手したら、本物のドラゴンだぞ」
「美味そうじゃな」
「そうじゃなくて」
「本物のドラゴン肉……」
「目を輝かせるな」
駄目だ。この幼女神様、完全に食欲で脳を支配されている。
「妾は行くぞ」
「待て待て待て。せめて様子見だけだ。危なかったら即撤退。いいな?」
「うむ。危なかったら肉を諦める」
「本当に?」
「少しだけ諦める」
「少しだけって何だよ」
結局、俺は渋々イナリについて行くことになった。
岩場を越え、熱気の濃い谷間を進む。途中、地面から湯気が噴き出していて、何度か足を滑らせそうになった。
「こっちじゃ」
「本当にドラゴンじゃないだろうな」
「匂いはするが、獣の気配は薄いのぉ」
「それ、先に言ってくれる?」
やがて、俺たちは小さな窪地に出た。
そこには、モンスターはいなかった。
代わりにあったのは、地面から生えた水晶柱のようなものだった。
ただし、色は金。
透明感のある黄金色の鉱石が、まるで植物のように何本も地面から突き出している。火山の赤黒い岩肌の中で、それだけが不自然なほど美しく輝いていた。
「……何これ」
「むう」
イナリも首を傾げる。
「美味そうなのは、これ?」
「うーむ、間違えたかのぉ」
「匂いで金属と肉を間違えるなよ」
「いや、これはこれで美味そうな気配がするのじゃ」
「鉱石を食うな」
とはいえ、ただの石ではなさそうだった。見た目からして、いかにも高そうである。
俺は一本を慎重に掘り出した。
思ったよりも重い。触るとほんのり温かく、光の加減で赤みが差す。
「まあ、持って帰って鑑定してもらうか」
「食えぬのか?」
「食う方向から離れろ」
俺は採取できる分だけその黄金の鉱石を【仙人みかん】に入れ、事務所へ持ち帰った。
そして数時間後。
鑑定担当の職員さんが、顔面蒼白になった。
「こ、これ、どこで?」
「火山麓エリアですけど」
「全部ですか?」
「はい」
「全部……」
職員さんは震える手で鉱石を持ち上げた。
周囲にいた職員たちも、ざわざわと集まってくる。
「まさか……ヒヒイロカネ……?」
「え?」
「伝説級の特殊金属です。武器にも防具にも、魔道具にも使える。しかもこの純度……オークションに出せば、一億は下らないかと」
「いちおく」
俺の脳が一瞬止まった。
一億。一億である。
レッサーアースドラゴン何匹分だろうか。いや、比較対象がおかしい。
隣のイナリは、ふむと頷いた。
「なるほど。これで美味い物が食えるという訳か」
「その理解は早いな!」
こうして、俺たちは思わぬ大金の種を手に入れた。
だが当然、世の中そんなに甘くない。
ヒヒイロカネの情報は、なぜか爆速で広まった。
俺は言ってない。イナリもたぶん言ってない。 だが、探索者業界の噂というのは、温泉の湯気よりも早く広がるものらしい。
翌週、火山麓エリアには人が溢れた。
「ヒヒイロカネを探せー!」
「一発当てるぞ!」
「俺はこの鉱石で人生を変える!」
「レッサーアースドラゴン? 大丈夫だろ、何とかなるって!」
ならない。
俺は遠くからその光景を見て、心の底から思った。
ならないんだよ。
レッサーアースドラゴンは、何とかなる相手ではない。気合いでどうにかなるなら、世の探索者はもっと金持ちになっている。
案の定、数分後。
「ぎゃあああああ!」
「ドラゴンだあああ!」
「誰か助けてくれえええ!」
岩場の向こうから、逃げ惑う探索者たちが走って来た。
その後ろから、レッサーアースドラゴンがのしのし追って来る。
「ほら見ろ!」
「柔内、肉じゃ」
「人命優先!」
俺は大剣を抜いて飛び出した。
結局、その日はレッサーアースドラゴンを三体狩った。翌日も二体狩った。その次の日も、逃げ遅れた探索者を助けるために四体狩った。
あれ?
俺はレベル上げに来ているはずなのに、なぜ無謀な一攫千金勢の警備員みたいなことをしているのだろう。
「ありがとう! おかげで助かりました!」
「いや、次からは来ない方がいいですよ」
「でも、ヒヒイロカネが!」
「命がなくなりますよ」
「でも、一億が!」
駄目だ。全員、目が金色になっている。
ヒヒイロカネに取り憑かれている。
俺は三日目の夕方、温泉に浸かりながら深くため息をついた。
「もう嫌だ」
「肉は増えたぞ」
「そういう問題じゃないんだよ」
「では、明日も狩るか?」
「狩らない。別のエリアに行く」
火山麓エリアは、しばらく駄目だ。
獲物より人間の方が多い。しかも、その人間が勝手に死にかける。
あのままでは、俺の二つ名が「ドラゴン狩り」ではなく「火山麓の警備員」になってしまう。
翌日、俺とイナリは火山麓エリアを離れた。
向かったのは、山岳森林エリアである。
岩場と森が入り混じり、標高が高いため空気も少し涼しい。火山麓ほど熱くなく、人も少ない。
うん。こういうのでいい。
「今日は穏やかに狩ろう」
「うむ。穏やかに食おう」
「食う前提なのは変わらないんだな」
森の中には、角の生えた鹿型モンスターや、岩を背負った猪型モンスターがいた。どれもそれなりに強いが、レッサーアースドラゴンに比べれば可愛いものだ。
俺は久しぶりに普通の狩りを満喫した。
敵を探す。倒す。素材を回収する。肉を確保する。少し休む。
探索者とは本来こういうものだ。少なくとも、億単位の鉱石を拾って人の群れに巻き込まれる仕事ではない。
「平和だなあ」
俺がそう呟いた、その時だった。
イナリがぴたりと足を止めた。
「む」
「やめろ」
「美味そうな気配が……」
「やめろって言ったよな!?」
俺は思わず叫んだ。
だが、イナリはすでに鼻をひくひくさせている。
まただ。また始まった。
俺の平和は、いつもイナリの鼻によって破壊される。
「今度は何だ。ドラゴンか? 鉱石か? それとも金塊でも生えてるのか?」
「こっちじゃ」
「聞けよ」
イナリは軽い足取りで森の奥へ進んで行く。俺は頭を抱えながら後を追った。
しばらく歩くと、森の空気が変わった。
湿り気が強い。土の匂いが濃い。それに、どこか甘いような、香ばしいような、不思議な匂いが漂っている。
「……確かに、何か匂うな」
「じゃろう?」
「でも、これ肉じゃないよな」
「肉ではない。だが、美味そうじゃ」
やがて、俺たちは開けた場所に出た。
そこにあったのは、キノコだった。
ただのキノコではない。
山のようなキノコだった。
いや、本当に山である。人の背丈ほどもある巨大な傘。丸太のような柄。色は赤、白、茶、金、紫。 大小様々なキノコが、そこら一面にびっしりと生えている。
中には、湯気のようなものを出しているやつまであった。
「……何これ」
「キノコじゃな」
「見れば分かる」
「美味そうじゃ」
「それも分かりたくない」
俺は慎重に辺りを見回した。
モンスターの気配はない。だが、こういう時こそ油断してはいけない。
前に食べ物だと思って近づいたら、普通に襲ってくるパターンがあった。キノコ型モンスターという可能性もある。毒キノコという可能性もある。食べたら巨大化するとか、小さくなるとか、変な幻覚を見るとか、そういう可能性もある。
「イナリ。食うなよ」
「まだ食っておらん」
「まだって言ったな?」
「味見くらいなら」
「駄目だ」
俺は一本、比較的小さめのキノコを採取した。
小さめと言っても、俺の腕くらいある。ずっしりと重く、傘の裏からは甘い香りがする。
「これも鑑定だな」
「焼けば分かるのでは?」
「分からない。というか、分かりたくない」
俺はキノコを【仙人みかん】に入れた。
その瞬間、奥の方で、ぽこん、と音がした。
「ん?」
見ると、新しいキノコが地面から生えてきていた。
ぽこん。 ぽこん。 ぽこん。
次々と。
「……増えてない?」
「増えておるな」
「これ、放っておいたらどうなるんだ?」
「キノコ山になるのぉ」
「すでにキノコ山なんだよ」
嫌な予感しかしなかった。
ヒヒイロカネの次は、謎の巨大キノコ。
金属の次は菌類。
俺の探索者人生は、一体どこへ向かっているのだろう。
イナリは満面の笑みで、巨大キノコの森を見上げている。
「柔内」
「何だ」
「今夜はキノコ鍋じゃな」
「鑑定してからな!」
俺の声が、山岳森林エリアに虚しく響いた。
こうして俺はまた、よく分からないものに振り回されることになった。
温泉旅館騒動が終わったら、少しは落ち着くと思っていた。
だが、どうやらこの幼女神様といる限り、俺に平穏なレベル上げなど存在しないらしい。
せめて、そのキノコが美味いことを祈るばかりだった。
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