キノコは危険
俺は、巨大キノコを見上げながら、しばらく考え込んでいた。
どう見てもキノコである。
だが、普通のキノコではない。
俺の背丈より高いもの。傘だけで畳一枚分くらいあるもの。柄が丸太みたいなもの。やたら金色に輝いているもの。湯気を出しているもの。なぜかほんのり焼けた肉みたいな匂いを放っているもの。
最後のやつは、もうキノコとしてどうなのか。
「柔内。早う持って帰ろうぞ」
イナリが、目を輝かせながら俺の袖を引く。
「いや、だから鑑定してからだぞ。絶対にここで食うなよ」
「分かっておる。妾は神じゃ。毒キノコなどに負けぬ」
「負けないとかじゃなくて、食うなって話をしてるんだよ」
俺は【仙人みかん】を開いた。
もはや、みかんとは名ばかりの亜空間収納である。中にはレッサーアースドラゴンの肉がぎっしり詰まっている。さらに、さっき採った謎の巨大キノコも次々に押し込んでいく。
肉。キノコ。肉。キノコ。
改めて考えると、かなり危険な組み合わせだった。
これで鍋でもしたら、絶対に美味い。絶対に美味いが、絶対に何か起こる。
俺のこれまでの経験が、そう告げていた。
「……帰るか」
「うむ。鍋じゃな」
「まだ鍋とは言ってない」
「では、すき焼きか?」
「そういう問題じゃない」
俺とイナリは、山岳森林エリアを後にした。
途中、火山麓エリアの近くを通ったのだが、そこは相変わらず酷いことになっていた。
「ヒヒイロカネはどこだあああ!」
「こっちの岩が怪しいぞ!」
「馬鹿、そっちはレッサーアースドラゴンの巣だ!」
「うわあああああ!」
遠くから悲鳴が聞こえた。
見れば、数人の探索者が全力で走っている。その後ろから、レッサーアースドラゴンが怒り狂って追っていた。
俺は、そっと目を逸らした。
「主様。助けぬのか?」
「……助ける」
見なかったことには出来なかった。
俺は大剣を抜き、走った。
結果から言えば、そのレッサーアースドラゴンも肉になった。
助けた探索者たちは、地面に座り込んで震えている。
「あ、ありがとうございました……!」
「次からは来ない方がいいですよ」
「でも、ヒヒイロカネが……」
「命と一億を天秤にかけるな」
「でも、一億……」
「命だって!」
駄目だった。
人間、一攫千金の夢を見ると、耳が遠くなるらしい。
俺はそれ以上関わらないことにして、イナリとともに事務所へ戻った。
事務所では、いつものように鑑定を頼んだ。
レッサーアースドラゴンの肉は、もう職員も慣れたものである。最初の頃は「またですか!?」という顔をしていたが、最近は「ああ、今日もですね」くらいの反応になってきた。
慣れとは恐ろしい。
しかし、巨大キノコを出した瞬間、職員たちの顔色が変わった。
「……何ですか、これ」
「キノコです」
「それは見れば分かります」
「山岳森林エリアに生えてました」
「生えてました、で済む大きさではないと思うんですが」
職員は、巨大キノコを囲んで鑑定器具を持ち出した。
切片を取る。魔力反応を見る。毒性を見る。胞子の性質を見る。念のため、何かよく分からない試験管にも入れる。
俺とイナリは待合スペースで結果を待った。
「毒ではないと思うがのぉ」
「そういう勘は当たるんだよな、お前」
「美味い物を見逃す妾ではない」
「神様としての威厳が食欲に全振りされてるんだよ」
しばらくして、鑑定結果が出た。
「結論から言えば、毒はありません。全て可食です」
「おお」
俺は少し安心した。
イナリは当然のように頷いていた。
「ただし、栄養価と魔力含有量が非常に高いです。特にこの金色のキノコは、上位モンスターの肉に匹敵する魔力密度があります」
「……それ、食って大丈夫なんですか?」
「普通の人が大量に食べるのはおすすめしません。体質によっては、強烈な多幸感や一時的な魔力酔いを起こす可能性があります」
「多幸感」
嫌な単語が出た。
毒ではない。だが、食べると意識が飛ぶ可能性がある。
それは、もう食材としてどうなのか。
「まあ、少量なら問題ないかと」
「少量なら……」
俺はイナリを見た。
イナリは目を逸らした。
「おい」
「妾は神じゃから」
「少量の概念を確認しておこうか」
とりあえず、キノコの一部は事務所に売ることにした。レッサーアースドラゴンの肉も、少し卸す。
すると、思った以上の値が付いた。
ヒヒイロカネほどではない。だが、食材としては異常な高値である。
レッサーアースドラゴンの肉と、謎の巨大キノコ。
この時点で、嫌な予感はしていた。
だが、食材が手に入れば行く場所は決まっている。
『はるか』である。
女将よ、すまん。
また、よく分からないものを持ち込む。
俺たちが暖簾をくぐると、店内は夕方前ということもあり、客は少なかった。
カウンターでは、カヤシマのオッサンがすでに飲んだくれていた。
「おう、来たか。今日は何を持って来やがった」
「何で持って来た前提なんですか」
「お前が手ぶらで来るわけねえだろ」
失礼な。
いや、合っている。
女将が奥から顔を出した。
「また変な食材なの?」
「変とは限りません。鑑定済みです。毒はありません」
「毒は、ねえ」
女将の目が細くなった。
その反応は正しい。
俺も同じことを思っている。
毒ではない。だから安全とは限らない。
俺は【仙人みかん】から、まずレッサーアースドラゴンの肉を出した。
「ほう」
カヤシマのオッサンの目が光る。
続いて、巨大キノコを出した。
女将の手が止まった。
「……柔内くん、山でも持って来たの?」
「キノコです」
「見れば分かるわよ。分かるけどね、普通キノコは店の床を占領しないのよ」
確かに、一本置いただけで、店内の半分がキノコになった。
イナリは誇らしげに胸を張っている。
「美味そうじゃろう」
「美味しそうかどうか以前に、大きいわねえ」
女将は呆れながらも、キノコの傘を撫で、香りを嗅ぎ、包丁を入れた。
さくり。
その瞬間、店内に濃厚な香りが広がった。
土の香り。森の香り。バターにも似た甘い香り。 そして、奥の方に、出汁のような旨味の気配。
カヤシマのオッサンが、酒の盃を持ったまま固まった。
「……おい。今の匂いだけで一杯飲めるぞ」
「飲むな」
女将は、にやりと笑った。
「面白いわね。肉もキノコも強い。なら、余計なことはしない方がいいわね」
地下都市の住人は強い。
普通なら尻込みするような謎食材を前にしても、女将は一切怯まなかった。
大鍋を出す。昆布に似た地下産の乾物で出汁を取る。レッサーアースドラゴンの肉を薄く切る。巨大キノコも、数種類を厚めに切る。酒。塩。少しの醤油に似た調味料。香り付けの薬草。
やがて、大鍋がぐつぐつと音を立て始めた。
肉の脂が出汁に溶ける。キノコがそれを吸う。逆にキノコの旨味が出汁に溶け、肉に絡む。
湯気が上がった。
その湯気を吸った瞬間、俺は理解した。
これは駄目だ。
美味すぎる匂いだ。
人間が嗅いで良い匂いではない。
「……柔内」
「ああ」
「これは、勝ったの」
「何にだよ」
イナリは箸を握りしめている。
カヤシマのオッサンも、完全に目が据わっていた。
女将が小鉢に取り分ける。
「まずは少しだけだよ。鑑定済みとはいえ、初物だからね」
「そうですね。少しだけ」
俺は真面目に頷いた。
真面目に頷いたはずだった。
だが、目の前に置かれた小鉢から立ち上る香りが、俺の理性を溶かしていく。
レッサーアースドラゴンの肉は、しっとりと艶を帯びていた。キノコは肉の脂を吸い、黄金色に輝いている。出汁は澄んでいるのに、底知れない力を感じる。
俺は箸で肉とキノコを一緒につまんだ。
「いただきます」
口に入れた。
瞬間。
世界が消えた。
いや、違う。
世界が鍋になった。
熱い。旨い。深い。肉の力強い旨味が、岩山を砕くように押し寄せてくる。そこへキノコの香りが、森ごと覆いかぶさる。噛むたびに肉汁と出汁が溢れ、キノコの繊維がそれを抱きしめ、舌の上で爆発する。
脳が理解を拒否した。
美味いという言葉では足りない。
これは、攻撃だ。
旨味による暴力。幸福による蹂躙。食欲の形をした災害。
「う、うま……」
言い終わる前に、俺の意識が白くなった。
目の前に、温泉旅館が見えた。卓球台が見えた。ドラゴン肉のフルコースが空を飛んでいた。その上に、巨大キノコが鎮座している。イナリが神々しい顔で鍋を掲げていた。
ああ。これは神の食べ物だ。
そう思った瞬間、胸がどきんと鳴った。
いや、鳴ったというか、一瞬止まった。
「柔内!?」
「柔内くん!?」
遠くで声がする。
俺は畳に倒れていた。
どうやら、小鉢一杯で意識を吹っ飛ばされたらしい。
毒ではない。確かに毒ではない。
だが、猛毒のような美味さだった。
隣では、カヤシマのオッサンがカウンターに突っ伏していた。
「へへ……俺ぁ今、若い頃の女房に会ってきたぜ……」
「生きてますよね!?」
女将は、鍋を見つめながら真顔だった。
「これは、危険すぎるわね」
「女将さんが言うと重い!」
イナリはというと、平然としていた。
いや、平然ではない。頬を赤くし、目を潤ませ、尻尾があったら絶対にぶんぶん振っていただろう顔をしている。
「美味い……」
「お前、神で良かったな」
「これは、神をも堕落させる味じゃ」
「それはもう駄目なんだよ!」
俺は起き上がろうとして、胸を押さえた。
心臓は動いている。良かった。まだ生きている。
しかし、これはまずい。
非常にまずい。
いや、味はまずくない。むしろ美味すぎる。だからまずい。
俺は脳裏に、真桃ちゃんの顔を思い浮かべた。
温泉旅館の時もそうだった。俺が変なことをすると、だいたい怒られる。そして今回、俺は謎の巨大キノコとレッサーアースドラゴンの肉を合わせた鍋を作らせ、食べた者の意識を吹っ飛ばした。
黙っていたら、確実に怒られる。
いや、黙っていなくても怒られる。
だが、黙っていたらもっと怒られる。
「女将さん」
「何だい」
「この鍋、絶対に一般客へ出さないで下さい」
「当たり前よ。こんなもん出したら、店が料理屋じゃなくて救護所になるわ」
「あと、俺、真桃ちゃんを呼びます」
女将は、少しだけ目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「賢明ね」
「怒られますよね」
「怒られるわね」
「ですよねえ」
俺はスマホを取り出した。
手が少し震えていた。美味さの余韻か、恐怖かは分からない。
通話ボタンを押す。
数回の呼び出し音の後、真桃ちゃんの声が聞こえた。
『もしもし? どうしました?』
「あー、真桃ちゃん。ちょっと相談があって」
『また何かしました?』
第一声でバレていた。
俺は言葉に詰まった。
「いや、その……レッサーアースドラゴンの肉と、謎の巨大キノコを合わせた鍋を作ってもらったんだけど」
『はい』
「毒はなかったんだけど」
『はい』
「美味すぎて、俺とカヤシマさんの意識が飛んだ」
沈黙。
電話の向こうで、とても深い沈黙があった。
そして。
『すぐ行きます。食べないで待ってて下さい』
「はい」
『イナリ様にも食べ過ぎないように言って下さい』
「はい」
『鍋から離れて下さい』
「はい」
通話が切れた。
俺はそっとスマホを置いた。
イナリが、鍋の前で箸を持っていた。
「イナリ」
「何じゃ」
「鍋から離れろ」
「あと一口だけ」
「駄目だ。真桃ちゃんに怒られる」
「むう……」
イナリは不満そうに唇を尖らせた。
しかし、さすがに真桃ちゃんの名前は効くらしい。しぶしぶ箸を置いた。
鍋は、まだぐつぐつと煮えている。
湯気が立つ。香りが漂う。それだけで、俺の意識がまた遠くなりそうになる。
俺は思った。
ヒヒイロカネを見つけた時も、大変なことになった。巨大キノコを見つけた時も、嫌な予感はした。 だが、まさか食材を組み合わせただけで、ここまでの災害になるとは思わなかった。
レッサーアースドラゴンの肉。謎の巨大キノコ。 そして『はるか』の女将の腕。
この三つを合わせてはいけない。
少なくとも、何の備えもなく食ってはいけない。
俺は畳に正座し、真桃ちゃんの到着を待った。
カヤシマのオッサンは、まだ幸せそうに突っ伏している。イナリは鍋を見つめている。女将は腕を組んで、料理人としての好奇心と人としての常識の間で揺れている。
そして俺は、心臓がちゃんと動いているかを確かめながら、深くため息をついた。
「……俺、ただレベル上げしてただけなんだけどな」
誰も答えなかった。
鍋だけが、ぐつぐつと返事をしていた。
『魔獣英雄アロー』なるものを書いていましたが、18話で完結いたしました。
設定、ストーリーと、かなり頑張って作った話なのですが、悲しい程に読まれておりません。気が向きましたら、ちょっとそちらにも目を通していただけると……。




