肉と温泉
経験値が欲しい。
それは、実に探索者らしい欲求であった。
強くなりたい。もっと深く潜りたい。今のままでは届かない場所へ行きたい。
そういう前向きで、熱くて、いかにも主人公っぽい理由で、俺は次の標的を決めた。
……という事にしておきたい。
実際には、半分くらいは肉である。
いや、半分ではないかもしれない。六割くらいは肉かもしれない。
もっと言うなら、七割近いかもしれない。
なにしろ、ダンジョン産の上位モンスター肉は美味い。
これはもう、理屈ではない。
探索者としての本能というか、人類としての業というか、そこに肉があるなら食いたいという、極めて根源的な衝動なのだ。
「で、次は何を狩るんじゃ?」
イナリが、いつものように他人事みたいな顔で訊いてきた。
目が期待に満ちている。
こいつも、だいぶ俺に毒されてきたと思う。
「レッサーアースドラゴンだ」
「ほう」
イナリの目が、すっと細くなった。
いつもの、飯の話をしている時の顔ではない。
ちょっとだけ本気の顔だった。
「それは、また大物じゃな」
「ああ。かなり気合いを入れないと厳しいと思う」
レッサーとは付いているが、ドラゴンはドラゴンである。
火を吐くとか、空を飛ぶとか、そういう派手さはないらしい。
だが、その代わりに、とにかく硬い。重い。しぶとい。力が強い。
要するに、動く岩山みたいなトカゲである。
「じゃが、黄泉平坂を目指すなら、その程度で尻込みしておれんじゃろ」
イナリが、ふん、と鼻を鳴らした。
「レッサードラゴンぐらい正面から叩き伏せられんで、黄泉平坂など永久に行けんわ」
「まあ、そうだよな」
俺も頷いた。
なんだかんだ言って、俺たちは黄泉平坂を目指している。
今のままでは、たぶん足りない。
装備も。レベルも。度胸も。覚悟も。
足りないものだらけである。
なら、埋めるしかない。
手っ取り早いのは、強い敵を倒す事だ。
もちろん、死んだら意味がない。
無謀と挑戦は違う。
だが、今の俺とイナリなら、勝てる。
そう思えた。
「よし。行くか」
「うむ」
こうして、俺たちのちょっと本気なレベル上げが始まった。
向かったのは、火山麓エリア。
名前の通り、遠くに黒々とした火山が見え、地面は赤茶け、あちこちに大小様々な岩が転がっている。
草木は少ないが、完全な荒野という訳でもなく、岩陰には妙に生命力の強そうな低木が生えていた。
地面のあちこちからは、白い湯気が立ち上っている。
そして、鼻をくすぐる硫黄の匂い。
「温泉……」
思わず、俺は呟いていた。
「温泉じゃな……」
隣で、イナリも呟いた。
俺たちは顔を見合わせた。
何も言わなかった。
だが、互いの考えている事は分かった。
入りたい。
今すぐ入りたい。
この荒々しい火山麓で、湧き立つ天然温泉。
しかもダンジョン内である。
効能とか、きっとすごいに違いない。たぶん。知らんけど。
だが、俺たちは首を振った。
「まずはトカゲどもを片付けんとな」
「そうですね」
珍しく、食い物以外の理由で俺たちは一致団結した。
温泉に入るために、ドラゴンを倒す。
……いや、やはり動機が俗っぽい。
探索を始めてしばらくすると、最初のレッサーアースドラゴンを見つけた。
岩かと思った。
本当に、最初はそう思った。
灰褐色の巨体が、地面に伏せている。
背中には分厚い鱗が重なり、岩肌のようにゴツゴツしていた。
頭は大きく、顎も太い。
四本の脚は短めだが、その一本一本が丸太みたいに太い。
そいつが、ゆっくりと頭を上げた。
黄色い目が、こちらを見る。
「……でかいな」
「うむ。肉も多そうじゃ」
「そこか」
「そこじゃろ」
イナリは当然のように言った。
レッサーアースドラゴンが、低く唸った。
空気が震えた。
次の瞬間、奴は地面を蹴った。
鈍いと思っていたが、突進の初速はかなり速い。
巨体が真正面から迫ってくる様は、もはや生き物というより土砂崩れだった。
「来るぞ!」
「分かっておる!」
俺は【縮地】を発動した。
視界が一瞬で流れる。
身体が滑るように横へ移動し、ドラゴンの突進を紙一重でかわす。
その横っ腹へ、大剣を叩き込んだ。
ガギン、と嫌な音がした。
斬ったというより、鉄板を殴ったような感触だった。
「硬っ!」
手が痺れる。
だが、鱗の一部が割れ、血が滲んだ。
通る。
通らない訳ではない。
なら、やるしかない。
「ぬん!」
反対側から、イナリの鬼火が飛んだ。
青白い炎が、ドラゴンの顔面にまとわりつく。
普通の炎ではない。
熱だけでなく、魂を焼くような、どこか嫌な炎だ。
レッサーアースドラゴンが苦しげに首を振った。
だが、倒れない。
「やはり、しぶといのう」
「ドラゴンだからな!」
俺は再び【縮地】を使った。
以前なら、ここで息が上がっていた。
一度、二度ならともかく、連続使用は厳しかった。
だが、今は違う。
迷宮での戦いを重ね、魔力量が増えている。
身体の中に流れる魔力の総量も、扱い方も、前よりずっとマシになっていた。
三度目の【縮地】。
ドラゴンの前脚の付け根に潜り込み、大剣を振り上げる。
今度は、刃に魔力を乗せた。
「おらぁっ!」
硬い鱗を割り、肉を裂く。
ドラゴンが吠えた。
尻尾が横薙ぎに振るわれる。
逃げ遅れれば、骨が何本か持っていかれる威力だ。
俺はとっさに後ろへ跳んだ。
だが、完全には避けきれない。
尻尾の先が脇腹を掠めた。
「ぐっ……!」
衝撃で息が詰まる。
痛い。
普通に痛い。
格好つけている場合ではない。
「柔内!」
「大丈夫だ!」
たぶん。
いや、たぶんでは困るのだが。
俺は中級ポーションを取り出す準備をしつつ、歯を食いしばった。
ドラゴンがこちらへ向き直る。
その瞬間、イナリが前に出た。
「妾を忘れるでないわ!」
イナリの周囲に、いくつもの鬼火が浮かんだ。
それらが一斉に飛ぶ。
ドラゴンの顔、首、傷口。
狙い澄ましたように、青白い炎が食らいついた。
レッサーアースドラゴンがたまらず大口を開ける。
そこへ、俺は【縮地】で踏み込んだ。
狙うのは、喉元。
硬い背中や横腹より、まだ柔らかいはずだ。
「これで――どうだ!」
大剣を、下から斜めに叩き上げた。
刃が鱗の隙間に入り込み、肉を割り、骨に当たる。
重い。
だが、止めない。
腰を落とし、全身の力を使って押し切る。
イナリの鬼火が、傷口へ潜り込んだ。
ドラゴンの巨体が大きく震えた。
そして、ゆっくりと崩れ落ちる。
地面が揺れた。
「……倒したか?」
「その台詞は危ないぞ」
俺が言うと、イナリは耳をぴくりと動かした。
だが、レッサーアースドラゴンは動かなかった。
しばらく警戒してから、俺たちはようやく息を吐いた。
「はあ……きついな」
「うむ。じゃが、やれん事はない」
「ああ」
俺は脇腹を押さえながら、中級ポーションを飲んだ。
苦い。
高いくせに苦い。
だが、効き目は確かだった。
痛みがすっと引いていく。
そして、ドロップを確認する。
上級ポーション。
レッサードラゴンの鱗。
レッサードラゴンのブロック肉。
肉。
その文字を見た瞬間、イナリの髪がぶわっと膨らんだ。
「出たな」
「出ましたね」
「よし。次じゃ」
「休憩は?」
「温泉に入ってからでよかろう」
「いや、温泉は全部終わってからだろ」
俺たちは、妙なところで真面目だった。
その後も、レッサーアースドラゴンを探して火山麓エリアを歩き回った。
二体目は、岩陰からいきなり飛び出してきた。
三体目は、温泉の近くで寝ていた。
四体目は、こちらを見るなり地面に潜ろうとしたので、イナリが鬼火で炙り、俺が大剣で無理やり引きずり出した。
どれも強かった。
一体一体が、ちゃんと命懸けだった。
気を抜けば怪我をする。
判断を誤れば死ぬ。
だが、それでも俺たちは倒していった。
イナリの鬼火で動きを鈍らせ、俺が【縮地】で懐に入り、大剣を叩き込む。
逆に俺が囮になり、イナリが横から焼く事もあった。
ドラゴンの尻尾をかわし損ねて吹っ飛ばされ、岩に背中を打ちつけた時は、さすがにちょっと帰りたくなった。
だが、そのたびにイナリが言うのだ。
「黄泉平坂の敵は、こんなものでは済まんぞ」
「分かってるよ!」
「なら立て。肉も待っておる」
「最後の一言で台無しだな!」
そう言いながらも、俺は立った。
不思議なものだ。
若い頃なら、こういう無茶も勢いで出来たかもしれない。
だが、今の俺はアラカンである。
無理をすれば、膝が笑う。
腰も不安だ。
翌日の筋肉痛も怖い。
それでも、前より動ける。
前より戦える。
前より、強くなっている。
それが、少しだけ嬉しかった。
結局、破邪の力を持つ武器は手に入らなかった。
まあ、そう都合よくはいかない。
だが、上級ポーションはいくつか手に入った。
レッサードラゴンの鱗も手に入った。
そして、何よりレッサードラゴンのブロック肉が、かなりの量になった。
「大漁じゃな」
「肉の事しか言ってないな」
「鱗もあるぞ。硬そうじゃ」
「そっちは売るか、装備素材だな」
「肉は?」
「食う」
「うむ」
そこだけは、即答で一致した。
そして、戦い終えた俺たちは、とうとう温泉へ向かった。
岩場の奥に、ちょうどよさそうな湯溜まりがあった。
白い湯気が立ち上り、湯の表面がゆらゆら揺れている。
俺は手を入れて温度を確かめた。
「おお……ちょうどいい」
「ほう」
イナリの目が輝いた。
さすがに、ここで細かい描写をする気はない。
何しろ相手は見た目だけなら幼女神である。
いろいろ問題がある。
なので、俺は岩陰を使い、きちんと距離を取り、互いに見えないようにして湯に浸かった。
「はああああああああ……」
思わず、声が出た。
温泉が、疲れた身体に染み込む。
脇腹も、背中も、太腿も、じんわり温まっていく。
レッサーアースドラゴンにぶっ飛ばされた痛みも、少しずつ溶けていくようだった。
「極楽じゃなあ……」
岩の向こうから、イナリのだらしない声が聞こえた。
「黄泉平坂の前に極楽に行きそうですね」
「縁起でもない事を言うでない」
「言い出したの、そっちみたいなものですよ」
俺たちは、しばらく黙って温泉を堪能した。
火山麓の荒々しい景色。
立ち上る湯気。
遠くで聞こえる、何かのモンスターの鳴き声。
そして、湯の中で伸びきるアラカン男と幼女神。
絵面はともかく、気分は最高だった。
「柔内」
「はい」
「今日は、なかなか良かったのう」
「そうですね」
俺は湯に肩まで浸かりながら頷いた。
本気で戦った。
ちゃんと勝った。
収穫もあった。
温泉にも入った。
これ以上、何を望むというのか。
「この調子で、どんどん強くなるぞ」
「うむ。黄泉平坂など、すぐじゃ」
「いや、すぐは困りますけどね」
「何を言う。レッサードラゴンぐらい叩き伏せられるようになったのじゃ。次は本物のドラゴンじゃな」
「段階を踏みましょう」
「では、肉の美味いドラゴンからじゃ」
「結局そこか」
俺は湯の中で苦笑した。
だが、不思議と悪い気はしなかった。
強くなる理由なんて、立派でなくてもいいのかもしれない。
誰かを助けたい。
大事なものを取り戻したい。
行かなければならない場所がある。
もちろん、それも大事だ。
だが、肉が美味いから。
温泉に入りたいから。
悔しいから。
まだ諦めたくないから。
そういう俗っぽい理由だって、足を前に出す力にはなる。
温泉から上がった頃には、俺もイナリもすっかり上機嫌だった。
帰り道、【仙人みかん】の中の荷物はずっしり重い。
だが、気分は軽い。
レッサードラゴンの肉。
鱗。
上級ポーション。
そして、少しだけ強くなったという実感。
「帰ったら、まず肉じゃな」
「ですね」
「焼くか」
「煮るのもありです」
「両方じゃな」
「両方ですね」
こうして俺たちは、妙に晴れ晴れとした気分で帰路に就いた。
黄泉平坂への道は、まだ遠い。
だが、少なくとも今日、俺たちは一歩進んだ。
……肉を抱えて。
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