美味そうの正体
春日井竜彦。
その名前を聞いてから、俺の中で何かが少し変わった。
もちろん、翌朝からいきなり熱血主人公みたいに走り込みを始めた訳ではない。アラカンが急に走り込みなど始めたら、深層に行く前に整形外科行きである。
だが、迷宮へ向かう理由の中に、はっきりとしたものが一つ増えた。
美味い肉。珍しい素材。金。成り行き。イナリの存在力。
その辺りに加えて、破邪の力を持つ何かを探す、という目的が生まれた。
そして、その先に、黄泉平坂がある。
まだ行けるとは思っていない。行けば何とかなる、とも思っていない。
だが、いつか行く事になるかも知れない。
ならば、その前に、アンデッド相手の経験を積んでおくべきだ。
「という訳で、今日は墓場エリアの奥へ行きます」
俺がそう宣言すると、神棚の前でいなり寿司を食べていたイナリは、露骨に顔をしかめた。
「墓場か」
「はい」
「肉は?」
「ありません」
「魚は?」
「ありません」
「蟹は?」
「ありません」
「では、何がある」
「骨です」
「帰るか」
「早い」
イナリは本気で不満そうだった。
普段なら、美味そうな気配がどうの、存在力がどうのと自分から迷宮へ行きたがる神様である。だが、今日は目当てがアンデッド。
つまり食べるところがない。
この神様は、かなり露骨だった。
「イナリ様、今回は大事なんです。破邪の力がある武器とか薬品とか、そういうものが手に入るかも知れません」
「分かっておる」
「じゃあ」
「分かってはおるが、骨は食えぬ」
「食べる前提から離れてください」
俺は装備を確認した。
新しく買ったパワーアシスト付き防具。メイス。大剣。チャクラム。ポーション類。そして、念のために聖水っぽい効果があると言われる薬品も少し。
効果のほどは分からないが、ないよりはましだろう。
イナリは渋々といった様子で神棚から降りた。
「まあ、妾の鬼火はアンデッドにも効くじゃろう」
「頼りにしてます」
「その代わり、帰ったらいなり寿司じゃ」
「分かりました」
「上等なやつじゃ」
「分かりました」
「あと、甘いものも欲しい」
「だんだん増えてますね」
「骨狩り手当じゃ」
神様が手当を要求してきた。
労働環境にうるさい神様である。
俺とイナリは、迷宮へ入った。
目指すは墓場エリア。以前、女吸血鬼メサージュと遭遇した、ブラッディ・ボーンの湧く場所。今回はそこを越えて、さらに奥を探索する。
アンデッドの湧くエリアにしたのは、対アンデッド用のアイテムが手に入る事を期待してのものだ。
破邪の武器。浄化の薬品。聖属性の素材。
何でもいい。
それらしい物を探す。
すぐに竜彦をどうこう出来るとは思っていない。 蝶子が長年探しているのだから、簡単に見つかるはずもない。
だが、何もしないよりはいい。
そう思えるようになっただけでも、俺としてはかなりの進歩だった。
墓場エリアは、相変わらず嫌な場所だった。
薄暗い空。乾いた地面。割れた墓石。白っぽい霧。どこからともなく聞こえる、かすかな呻き声。
空気が冷たい。
実際の温度というより、気分的に冷たい。
「美味そうな気配がせぬ」
イナリが不満げに言う。
「墓場で美味そうな気配がしたら、そっちの方が怖いですよ」
「前に吸血鬼は酒を落としたではないか」
「メサージュは例外です」
「あれは悪くなかった」
「戦って燃やした相手をワインで評価しないでください」
そんな会話をしながら、俺たちは進んだ。
最初に現れたのは、見覚えのあるブラッディ・ボーンだった。
赤黒い骨。生き物の血を吸ったような嫌な色。 カタカタと顎を鳴らしながら、こちらへ向かってくる。
「懐かしいな」
「懐かしむほど良い相手ではないぞ」
「それはそうです」
ブラッディ・ボーンは、以前よりも怖く感じなかった。
こちらが強くなったのか。慣れてしまったのか。 あるいは、もっと酷いものを見過ぎたせいか。
イナリが鬼火を飛ばす。
青白い火がブラッディ・ボーンにぶつかると、骨の隙間から炎が入り込み、内側から燃やすように広がった。
骨が軋み、崩れ、光になって消える。
やはり、イナリの鬼火はアンデッドにも効く。
「便利ですねえ」
「妾の火じゃからな」
「でも、ゴールデンアーマードボアには弾かれましたよね」
「忘れよ」
「根に持ってるんですね」
「忘れよ」
大事な事らしいので、それ以上は言わなかった。
ブラッディ・ボーンの湧く場所を抜ける。
そこから先は、俺もあまり来た事のない領域だった。
墓石はより大きく、古びている。中には、人間用とは思えない巨大な墓もあった。
地面には黒い草のようなものが生え、踏むとざり、と嫌な音がした。
空気がさらに重くなる。
「来るぞ」
イナリが言った。
前方の霧が揺れる。
その中から、巨大な影が現れた。
オーガ・スケルトン。
体高は二メートルを超えている。頭蓋骨には大きな二本角。肋骨は太く、肩幅も広い。
骨だけなのに、なぜかマッチョに見える。
「骨なのに筋肉質って、どういう事なんですかね」
「気合いじゃろう」
「骨の気合い」
嫌な言葉である。
オーガ・スケルトンは、巨大な骨の棍棒のようなものを持っていた。それを軽々と振り上げる。
まともに食らえば、パワーアシスト付き防具でも無事では済まないだろう。
「まずは妾がやる」
「お願いします、イナリ先生」
「うむ。よく見ておけ」
先生になった。
イナリ先生は、小さな手を軽く振った。
鬼火が三つ、空中に灯る。
オーガ・スケルトンが吠えた。
骨なのに吠えた。喉も肺もないのに、どうやって声を出しているのか。迷宮は細かい事を考えると負けである。
鬼火が飛ぶ。
一つは胸。一つは頭蓋骨。一つは右腕。
青白い火が骨に絡みつき、瞬く間に燃え広がった。
オーガ・スケルトンは棍棒を振り下ろそうとしたが、その前に腕の骨が崩れた。
続いて肋骨。背骨。頭蓋骨。
最後に二本角だけが残り、それも光になって消えた。
あっさりだった。
「はい、終わりじゃ」
「先生、強過ぎて参考になりません」
「力とはそういうものじゃ」
「授業としてどうなんですか」
俺はドロップ品を確認した。
大きめの魔石。骨素材。そして、何かの角。
破邪っぽいものはない。
まあ、一体目で出るとは思っていない。
「次は俺がやります」
「無理をするでないぞ」
「分かってます」
「骨に殴られて骨を折るなよ」
「上手い事言ったつもりですか」
「少しな」
二体目のオーガ・スケルトンは、ほどなく現れた。
今度は俺が前に出る。
相手はでかい。力も強そうだ。だが、ゴールデンアーマードボアほどの理不尽さは感じない。
あれはもう、別枠だった。
俺はチャクラムを取り出す。
まずは牽制。
【縮地】を乗せたチャクラムを投げる。
投げた瞬間、チャクラムが距離を消すように飛び、オーガ・スケルトンの肩に当たった。
がきん、と骨が欠ける。
浅い。
やはり骨が硬い。
「もう一枚」
二枚目のチャクラムを投げる。今度は膝。
【縮地】チャクラムは、普通の投擲より遥かに当てやすい。投げた瞬間に当たるようなものだからだ。
オーガ・スケルトンの膝が揺れる。だが、倒れない。
棍棒を振り上げ、こちらへ突っ込んでくる。
「速っ」
骨のくせに速い。
俺は横に跳んだ。
パワーアシスト付き防具が、踏み込みを助けてくれる。棍棒が地面を叩き、墓石を砕いた。
その隙に、俺はメイスを握って踏み込む。
狙いは頭蓋骨。
大きな二本角の間。
だが、相手も簡単には殴らせてくれない。左腕でこちらを払ってくる。
俺はメイスで受けた。
衝撃が腕に走る。
「ぐっ」
重い。
やはりオーガの骨だけあって、力が強い。
正面から力比べは不利だ。
俺は一度下がり、再びチャクラムを投げた。
今度は顔面。
【縮地】チャクラムが頭蓋骨に当たり、片目の空洞の縁を欠く。
オーガ・スケルトンが怯んだ。
「今!」
俺は踏み込む。
防具の魔力回路が反応し、体を押し出す。メイスを両手で握り、全身の力を乗せる。
「おらっ!」
年甲斐もなく声が出た。
メイスが頭蓋骨に叩き込まれる。
かち割った、という表現がぴったりだった。
オーガ・スケルトンの頭蓋骨に亀裂が入り、二本角ごと砕ける。
巨体が崩れ、光となって消えた。
俺は肩で息をした。
「……倒した」
「うむ。悪くなかった」
イナリが偉そうに頷く。
「先生、評価は?」
「七十点じゃな」
「厳しい」
「最後の一撃は良かった。だが、その前に一度、正面から受けようとしたのは減点じゃ」
「確かに腕が痺れました」
「くたびれた男は、正面から受けるでない。避けて叩け」
「勉強になります」
先生らしい事を言われてしまった。
そこから、俺たちは何体かのオーガ・スケルトンを狩った。
イナリが焼き、俺が殴り、時々チャクラムで骨を欠く。
俺一人ならかなり苦戦する相手だが、イナリがいると安心感が違う。とはいえ、俺もなるべく手を出した。
アンデッド相手の経験を積むためだ。
何体目かを倒した時、小さなナイフがドロップした。
短い刃。銀色に淡く光っている。
手に取ると、かすかに温かいような感覚があった。
「これは……聖属性っぽいですね」
「ふむ。多少は清めの力がある」
イナリが覗き込む。
「使えますか?」
「弱いな」
「ですよね」
俺も分かっていた。
確かに普通のナイフよりは、アンデッドに効きそうだ。だが、これで竜彦をどうこう出来るとは、とても思えない。
せいぜい、低階層のアンデッド対策。お守りより少し強いくらい。
悪くはない。
悪くはないが、満足できる物ではなかった。
「まあ、第一歩としては」
「弱い物は弱い」
「神様、言い方」
「期待し過ぎれば、あとで落ち込むぞ」
「それはそうですね」
俺は聖属性のナイフをしまった。
小さな成果。だが、目指すものとは遠い。
やはり簡単ではない。
そう思った時だった。
イナリが、ぴたりと足を止めた。
俺は嫌な予感がした。
この止まり方を、俺は知っている。
「……イナリ様」
「何じゃ」
「まさか」
「あちらに、美味そうな気配がする」
「アンデッド地帯ですよ?」
「美味そうじゃ」
「何が?」
「知らぬ」
「知らないんだ」
墓場エリアで美味そうな気配。
嫌な組み合わせである。
黄金牛。ゴールデンアーマードボア。
これまでイナリが美味そうな気配と言った先には、だいたい強敵がいた。
しかも、洒落にならないやつだ。
「やめません?」
「行くぞ」
「ですよね」
「おぬしも探し物があるのじゃろう。強い敵ほど、良い物を落とすやも知れぬ」
「正論を食欲で包むの、やめてもらえます?」
とはいえ、イナリの言う通りでもあった。
変異種や強敵なら、普通のオーガ・スケルトンより良いドロップが期待できる。
破邪の力に近い物が出る可能性も、ゼロではない。
俺たちは、イナリの示す方へ進んだ。
霧が濃くなる。
墓石がさらに大きく、歪な形になっていく。 地面には赤黒い染みのようなものが広がり、足を踏み出すたびに、何か湿った音がした。
「嫌な場所ですね」
「うむ。美味そうではあるが、嫌な気配でもある」
「美味そうと嫌な気配が同居するんですか」
「発酵食品のようなものじゃ」
「アンデッドを発酵食品扱いしないでください」
やがて、開けた場所に出た。
そこにいた。
真っ赤なオーガ・スケルトン。
ブラッディ・オーガ・スケルトン。
体高は通常のオーガ・スケルトンよりさらに大きい。二本角は長く、骨の一本一本が赤黒く染まっている。血を吸った骨、という表現がそのまま形になったような姿だった。
そして、気配が重い。
普通のオーガ・スケルトンとは明らかに違う。
「美味そうじゃな」
「俺には全然そう見えません」
「強い魔力の匂いがする」
「それを美味そうと感じてるんですかね」
「かも知れぬ」
イナリは楽しそうだった。
俺は、あまり楽しくなかった。
ブラッディ・オーガ・スケルトンがこちらを見る。
空洞の目の奥に、赤い光が灯った。
来る。
「まずは妾が焼く」
イナリが手を上げる。
鬼火が十近く灯った。
普通のオーガ・スケルトンなら、これで終わる。
青白い火が一斉に飛ぶ。
ブラッディ・オーガ・スケルトンの胸、腕、頭蓋骨、脚に命中した。
炎が絡みつく。
だが。
「……あれ?」
燃えない。
いや、燃えてはいる。
骨の表面がじりじりと焼け、赤黒い煙のようなものが上がっている。
だが、崩れない。
ダメージは入っているようだが、あまりにも微量だった。
「む」
イナリが眉をひそめる。
「硬いのう」
「イナリ様の鬼火でそれですか」
「面白い」
「こっちは面白くないです」
ブラッディ・オーガ・スケルトンが、巨大な骨斧を振り上げた。
さっきまでの棍棒より、さらに凶悪な武器だ。
俺はチャクラムを取り出し、【縮地】を乗せて投げる。
肩。 膝。 顔面。
チャクラムが次々と命中する。
しかし、ほとんど効いていない。
硬い。
普通の骨ではない。
血のような魔力で強化されているのか、チャクラムは表面を少し削るだけだった。
「効いてない!」
「見れば分かる!」
「イナリ様、先生なんですから何とかしてください!」
「先生にも苦手科目はある!」
「急に人間臭い!」
骨斧が振り下ろされる。
俺は横へ跳んだ。
地面が割れ、赤黒い土が飛び散る。
衝撃だけで足元が揺れた。
これは食らったら終わる。
俺は距離を取りながら考える。
鬼火は微妙。 チャクラムも駄目。 メイスで殴るには、近づく必要がある。 だが、近づけば骨斧が怖い。
そこで、さっき拾った聖属性のナイフを思い出した。
「試すか」
俺はナイフを抜いた。
短い。 心もとない。 正直、ブラッディ・オーガ・スケルトン相手にこれで戦うのは、爪楊枝で熊に挑むような気分である。
だが、聖属性だ。
普通の武器よりは効くかも知れない。
「イナリ様、牽制を!」
「任せよ!」
鬼火が飛ぶ。
ブラッディ・オーガ・スケルトンが少しだけ動きを鈍らせる。
その隙に、俺は【縮地】で距離を詰めた。
狙うのは肋骨の隙間。
ナイフを突き込む。
じゅっ、と嫌な音がした。
赤黒い骨から煙が上がる。
ブラッディ・オーガ・スケルトンが、初めて明確にたじろいだ。
「効いた!」
「それじゃ!」
イナリの声が飛ぶ。
やはり聖属性は効く。
弱いナイフでも、こいつには通じる。
ただし、問題がある。
ナイフが短い。
近づかないと当たらない。
そして近づくと、骨斧が来る。
「怖い!」
「頑張れ、くたびれた男!」
「応援が雑!」
俺は必死に動いた。
防具のパワーアシストで踏み込みを補い、【縮地】で位置をずらし、ナイフで少しずつ傷を入れる。
ブラッディ・オーガ・スケルトンは暴れた。
骨斧を振り回し、足で踏みつけ、赤黒い魔力を撒き散らす。
俺は避ける。
避けきれない時は、メイスで受け流す。
腕が痺れる。 息が上がる。 年齢を感じる。
だが、止まれない。
ナイフで切りつける。 イナリが鬼火を重ねる。 俺がメイスで叩く。
鬼火だけでは微量だったダメージも、聖属性の傷口に重なると効きが良いようだった。
「そこじゃ!」
イナリが叫ぶ。
俺はブラッディ・オーガ・スケルトンの膝にナイフを突き刺した。
煙が上がる。
膝が揺れる。
そこへメイスを叩き込む。
ばきん、と骨が割れた。
「よし!」
ブラッディ・オーガ・スケルトンが片膝をつく。
イナリの鬼火が、一斉に頭蓋骨へ集中した。
青白い炎が赤黒い骨を包む。
まだ崩れない。
しぶとい。
「おぬし、頭じゃ!」
「分かってます!」
俺は跳んだ。
パワーアシストを使い、片膝をついた巨体の肩へ駆け上がるように踏み込む。
骨斧が横から迫る。
【縮地】。
体をわずかにずらす。
骨斧がすぐ横を通る。
心臓が止まりそうになる。
だが、止まっている暇はない。
俺は聖属性のナイフを、ブラッディ・オーガ・スケルトンの額に突き立てた。
「イナリ様!」
「焼け!」
鬼火がナイフの刺さった場所へ集中する。
聖属性の刃を芯にして、青白い炎が頭蓋骨の内側へ入り込む。
ブラッディ・オーガ・スケルトンが、大きく震えた。
俺はナイフを引き抜き、最後にメイスを振り上げる。
「これで!」
頭蓋骨を叩く。
亀裂が走る。
もう一度。
割れる。
三度目。
ブラッディ・オーガ・スケルトンの頭蓋骨が砕けた。
赤い光が消える。
巨体が崩れ、光となって消えていく。
俺はその場に尻餅をついた。
「……疲れた」
「うむ。なかなかだった」
イナリも少し息をついているように見えた。
神様でも、少しは疲れたのかも知れない。
いや、単に楽しんでいただけかも知れないが。
光が消えた場所に、一本の武器が残っていた。
メイスだった。
銀色の柄。 白く輝く打撃部。 表面には、細かな文字のような模様が刻まれている。
手に取ると、温かい。
さっきのナイフより、ずっとはっきりした力を感じた。
「これは……」
「聖属性じゃな」
イナリが言った。
「さっきのナイフより、かなり強い」
俺はメイスを握り直した。
重さもちょうどいい。 パワーアシスト付き防具との相性も良さそうだ。
破邪の力というほど大げさなものではないかも知れない。 だが、アンデッド相手には間違いなく役に立つ。
今日の成果としては、かなり大きい。
「やりましたね」
「うむ」
俺が少し笑うと、イナリは妙な顔をしていた。
「どうしました?」
「消えた」
「何が?」
「美味そうな気配じゃ」
「ああ……」
ブラッディ・オーガ・スケルトンを倒したからだろう。
イナリの言う美味そうな気配は、どうやら変異種や魔力の強い相手に反応しているらしい。 実際に食べられるかどうかは関係ない。
「つまり、イナリ様の美味そうセンサーは、魔力の強さに反応してるんですね」
「美味そうセンサーとは何じゃ」
「便利な言い方です」
「やめよ。神の感覚を安っぽく呼ぶでない」
「でも、だいたい合ってますよね」
「……否定はせぬ」
否定しないらしい。
イナリは少し悔しそうだった。
「しかし、食えぬ強敵とはつまらぬな」
「ドロップ品が役に立ったから良いじゃないですか」
「妾の腹は満たされぬ」
「帰ったらいなり寿司を供えます」
「上等なやつじゃぞ」
「分かってます」
俺は聖属性のメイスを収納した。
それから、もう一度周囲を見回す。
墓場エリアの奥。 ブラッディ・オーガ・スケルトン。 聖属性のメイス。
今日は、確かに一歩進んだ。
黄泉平坂には、まだ遠い。 竜彦を救うための決定打には、程遠い。
それでも、アンデッド相手に使える武器を手に入れた。
経験も積んだ。
そして、俺自身が能動的に深い場所へ向かった。
その事実が、少しだけ胸に残った。
「イナリ様」
「何じゃ」
「今日は帰りましょう」
「賛成じゃ。骨ばかりでは腹が減る」
「結局そこですか」
「そこも大事じゃ」
俺たちは帰路に就いた。
途中で何体かのアンデッドに遭遇したが、聖属性のメイスを試す良い機会になった。
これが、なかなか効く。
普通のメイスで殴るより、明らかに骨の崩れ方が早い。 青白い光のようなものが打撃と同時に走り、アンデッドの魔力を削っているように見えた。
「これは使えますね」
「うむ。おぬしにはちょうど良い」
「ちょうど良い?」
「近づいて殴る必要がある。危ないが、力はある。おぬし向きじゃ」
「褒めてます?」
「少しな」
少しでも褒められたなら良しとしよう。
墓場エリアを抜ける頃には、俺はかなり疲れていた。
だが、悪い疲れではなかった。
危険はあった。 苦戦もした。 途中で何度か、本気で帰りたくなった。
しかし、成果がある。
聖属性のナイフ。 聖属性のメイス。 アンデッド相手の経験。
そして、イナリの美味そうセンサーの正体らしきもの。
最後のは、今後のトラブルの予感しかしないが。
地下都市に戻り、ギルドで報告を済ませた。
聖属性のメイスを見た受付の人は、少し目を丸くした。 カミキさんまで出てきて、丁寧に確認してくれた。
「良い品ですね。中位アンデッド相手なら、十分に通じるでしょう」
「黄泉平坂では?」
俺が聞くと、カミキさんは少しだけ表情を改めた。
「役には立つでしょう。ただ、決定打になるかは相手次第です」
「ですよね」
「ですが、準備としては悪くありません」
その言葉だけで、少し救われた気がした。
俺は、すぐに蝶子へ連絡しようか迷った。
だが、やめた。
まだだ。
これは報告するほどの決定的な物ではない。 それに、蝶子に伝えれば、彼女はすぐに動こうとするかも知れない。
俺自身も、まだ足元を固めている段階だ。
焦らない。
焦ると死ぬ。
これは迷宮で何度も学んだ事である。
その後、俺たちは当然のように『はるか』へ向かった。
肉はない。 蟹もない。 猪もない。
だが、女将さんの料理はある。
「今日は何を狩ってきたの?」
「骨です」
「骨は料理できないわねえ」
「ですよね」
女将さんは笑いながら、イナリ用にいなり寿司を出してくれた。 俺には温かい煮物と焼き魚、味噌汁。
美味い。
アンデッド地帯の嫌な空気を、体の中から洗い流してくれるようだった。
イナリは、いなり寿司を頬張りながら、ようやく機嫌を直した。
「まあ、今日は許してやる」
「何をですか」
「食えぬ敵を狩った事じゃ」
「目的が違いましたからね」
「だが、悪くはなかった」
イナリが言った。
「おぬし、少しずつ前へ進んでおる」
不意に、そんな事を言われた。
俺は箸を止めた。
「そうですかね」
「うむ。くたびれながらな」
「そこは相変わらず付くんですね」
「大事な特徴じゃ」
俺は苦笑した。
くたびれながら前に進む。
確かに、それくらいが俺らしい。
熱血でもなく。 勇者でもなく。 格好良くもなく。
ただ、昔の友の名前を聞いてしまったから。 もう知らないふりは出来ないから。
少しずつ、深い方へ進む。
今日は、その一歩だった。
聖属性のメイスを手に入れた事よりも、俺自身がそこへ向かった事が、大きかったのかも知れない。
「次は、美味い敵も混ぜてください」
俺が言うと、イナリは満足そうに頷いた。
「任せよ。妾の美味そうセンサーが導いてやる」
「自分で言った」
「……今のはなしじゃ」
「聞きました」
「忘れよ」
「無理です」
イナリは少し頬を膨らませた。
神様の威厳は、今日もあまり長続きしなかった。
俺は味噌汁をすすりながら、ふっと息を吐いた。
黄泉平坂は、まだ遠い。
竜彦も、まだ遠い。
だが、遠いなら、歩くしかない。
膝と腰に気をつけながら。 イナリの機嫌を取りながら。 時々、美味いものを狩りながら。 時々、骨を殴りながら。
俺は、能動的に深部へ向かい始めた。
……まあ、能動的と言っても、帰りにいなり寿司を買う約束付きではあるが。
それくらいが、俺にはちょうど良いのだった。
読んでいただいて、ありがとうございます。
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