今度は、猪肉です
深層を目指す。
そう言うと、何やら物凄く格好良い。
強敵。未知の領域。限界突破。眠れる力の覚醒。
アニメなら、ここで熱いBGMが流れるところである。
だが、俺こと三烏柔内の場合は、少し違う。
「ちょっと奥の方に、美味い猪がいるらしいんですよ」
である。
目的は肉。
いや、肉だけではない。少しずつ深いエリアに慣れるためでもある。新しい防具の性能確認もある。 伊吹蝶子に言われた事が、胸のどこかに残っていない訳でもない。
だが、最終的に俺の足を動かしているのは、やはり食欲だった。
アラカンの決意など、その程度で良い。
「今回は二人だけで行くのか」
俺の部屋の神棚前で、イナリがいなり寿司を食べながら言った。
脛までの丈の着物姿。白い肌に黒い髪。見た目は日本人形のような幼女神。
しかし、口の周りに少し油揚げの汁がついている。
神様の威厳とは。
「まあ、試しにですね。無理そうなら引き返します」
「妾がおるのに、無理などあるか」
「その台詞、前も聞きましたよ。そして前回、ゴールデンな牛で結構苦労しましたよね」
「最後は勝った」
「勝てば良いってものでもないですから」
「勝てば肉が食える」
「それは否定しません」
駄目だ。俺もだいぶ食べ物に支配されている。
今回の獲物は、アーマードボア。
体長二メートルほど。全身を金属質の装甲と突起物で覆われた、猪型モンスターである。
話に聞く限り、見た目は小型戦車。
突進力があり、打たれ強く、正面から受ければ盾役でも吹き飛ばされる。装甲の隙間を狙わなければ、まともに刃も通らないらしい。
そして、美味い。
これが重要だ。
肉質は締まっていながら柔らかく、脂は甘い。 焼いても煮ても旨味が強く、深いエリアの冒険者たちの間では、かなり評価が高いという。
ただし、目的地は遠い。
低山エリアと呼ばれる場所まで、片道二日。
普通なら野営の負担が大きいが、俺には【仙人みかん】がある。
あの謎の空間に入れば、安全に休める。寝床もある。食料もある。妙に快適だ。
使い方によっては反則である。
いや、俺の周りは反則だらけなので、今さらである。
準備を終え、俺とイナリは迷宮に潜った。
イナリは相変わらず着物に草履である。
「本当にその格好で行くんですね」
「神は服を選ばぬ」
「いや、結構こだわってるように見えますけど」
「これは良い着物じゃ」
「選んでるじゃないですか」
「細かい男じゃのう」
道中は、思ったより順調だった。
浅いエリアを抜け、少し深い場所へ進む。
出てくるモンスターは強くなっていくが、イナリの鬼火は大体通じる。俺も新しい防具のおかげで、以前よりずっと動けるようになっていた。
パワーアシスト機能。
これが、なかなか凄い。
踏み込みが軽い。重い武器が振れる。防御姿勢を取った時の踏ん張りも効く。
魔力は消費するが、それに見合う価値はある。
もちろん、俺自身が急に若者になった訳ではない。調子に乗ると、普通に息が上がる。膝も少し文句を言う。
だが、それでも戦える。
それが嬉しい。
「おぬし、にやけておるぞ」
「そうですか?」
「新しい玩具をもらった子供の顔じゃ」
「アラカンの子供顔、需要あります?」
「ないな」
「即答」
そんな漫才のような会話をしながら、一日目を終えた。
夜は【仙人みかん】の中で休む。
入り口を開き、俺とイナリが中へ入る。中は相変わらず、外とは切り離されたように静かで快適だった。
「便利じゃな、これは」
イナリが畳の上に座りながら言った。
「そうですね。これがなかったら、二人だけで片道二日の遠征なんて、もっと慎重になりますよ」
「妾の社より広い」
「俺の部屋の神棚と比べないでください」
「社守よ。いつか妾の社も、これくらいにせよ」
「家賃がいくらになるんですか」
イナリは、当たり前のように飯を要求した。
俺は用意してきた弁当を出す。当然、いなり寿司もある。
「分かっておるではないか」
「忘れたら、何を言われるか分からないので」
「言うだけで済むと思うか」
「怖い事を言わないでください」
食事を終え、俺は布団に転がった。
迷宮の中なのに、何の心配もなく眠れる。
これは本当に強い。
普通の探索者なら、見張りを立て、罠を警戒し、物音一つに神経を尖らせながら休む。それが、俺たちは布団である。
しかも、神様が横でいなり寿司の残りを大事そうに確認している。
何だ、この探索。
翌日も順調に進み、昼過ぎには目的の低山エリアに到着した。
迷宮の中なのに、そこには低い山々が広がっていた。
岩肌と低木。乾いた土。ところどころに草地があり、小さな沢も見える。
空はあるように見えるが、本物かどうかは分からない。迷宮のエリアは、相変わらず意味が分からない。
「ここにアーマードボアがいるはずです」
「美味そうな気配がする」
イナリが鼻をひくつかせるような仕草をした。
「神様って、そういうの分かるんですか?」
「分かる」
「便利ですね」
「おぬしも年を取れば分かるようになるかも知れぬ」
「もう結構取ってますけど」
「まだまだ若造じゃ」
神様基準では、俺も若造らしい。
喜んで良いのか、微妙である。
しばらく進むと、岩陰から重い足音が聞こえた。
ずしん。ずしん。
猪の足音ではない。
もっと硬いものが地面を叩く音。
現れたのは、まさに小型戦車だった。
アーマードボア。
体長は二メートルほど。ただし、幅も高さもあり、質量が凄い。
全身は黒鉄色の装甲に覆われ、肩や背中には鋭い突起物が並んでいる。鼻先にも、角のような装甲があり、突進されたら人間など簡単に吹き飛ぶだろう。
「……硬そう」
「美味そう」
俺とイナリの感想は違った。
アーマードボアがこちらに気づく。
鼻息を荒くし、前脚で地面を掻いた。
来る。
「まずは妾がやる」
イナリが小さな手を上げた。
ぽう、ぽう、ぽう、と鬼火が灯る。
アーマードボアが突進してくる。
速い。
重い。
地面が揺れる。
だが、鬼火も速かった。
青白い火が一直線に飛び、アーマードボアの顔面と肩口にぶつかる。
装甲の隙間に火が入り込んだ。
アーマードボアが悲鳴を上げる。
鬼火が内部を焼く。装甲の外側ではなく、中を焼く。
数秒後、アーマードボアは勢いを失い、横倒しになった。
そのまま光になって消える。
あとには、ブロック肉と装甲素材が残った。
「……あっさりですね」
「普通じゃ」
「普通の基準がおかしい」
イナリは得意げだった。
だが、これで分かった。
普通のアーマードボアなら、鬼火は問題なく通じる。
それは良い。
問題は俺である。
「次は俺がやります」
「挟まれるなよ」
「猪です。蟹じゃありません」
「轢かれるなよ」
「そっちの方が怖い」
俺はメイスを取り出した。
刃物で装甲を抜くのは難しい。まずは打撃で動きを止める。
二体目のアーマードボアは、少し山を登ったところで見つかった。
こちらを見るなり、突進態勢に入る。
俺は正面には立たない。
小型戦車を正面から受ける趣味はない。アラカンは生存第一である。
アーマードボアが突っ込んでくる。
俺は横へ動く。
パワーアシストのおかげで、踏み込みが軽い。 突進を紙一重でかわし、すれ違いざまにメイスを叩き込む。
狙いは前脚の関節。
がつん、と音がした。
硬い。
手が痺れる。
「うわっ、硬い!」
「見れば分かるじゃろ」
「分かってても言いたくなるんです!」
アーマードボアは大きく旋回し、また突っ込んでくる。
猪というより、装甲車である。しかも小回りが利く。
俺は再び横に跳ぶ。
今度は大剣に持ち替えた。
装甲の隙間を狙う。特に脇腹。突進後の旋回時、一瞬だけ隙が見える。
シンプルに言えば、危ないタイミングに近づいて斬るという事である。
嫌だ。
やりたくない。
だが、やらないと倒せない。
「若い頃なら、こういうのも勢いで行けたんだろうな」
「今も行け」
「神様、雑!」
アーマードボアが来る。
俺は息を止めず、吐きながら動いた。
蝶子に言われた事を思い出す。
素質はあるのに頑張ろうとしない。
いや、今は頑張っている。かなり頑張っている。 猪の戦車と戦っている時点で、充分ではないか。
突進をかわす。横に回る。大剣を振る。
防具の魔力回路が反応し、重い刃を押し出してくれる。
がきん、と装甲に弾かれた。
「うそん」
思わず変な声が出た。
だが、完全に無駄ではなかった。装甲に亀裂が入っている。
「もう一回!」
アーマードボアが振り返る前に、俺は同じ場所へメイスを叩き込んだ。
ばきん。
装甲が割れた。
そこへ、短剣を抜いて魔力を流す。隙間に突き込む。
アーマードボアが暴れた。
「うおっ!」
吹き飛ばされそうになる。俺は咄嗟に後ろへ跳び、距離を取った。
浅くはない。効いている。
だが、まだ倒れない。
アーマードボアは怒り狂ったように鼻息を荒くし、地面を掻いた。
「そろそろ代わるか?」
イナリが楽しそうに言う。
「まだです!」
「強情じゃな」
「高い防具を買ったんで!」
「理由がせこい」
せこくてもいい。
俺は再び構えた。
今度の突進は、今までより速かった。
正直、完全には避けられない。
俺は【縮地】を使った。
瞬間的に横へずれる。
アーマードボアの突進が、すぐ横を通り過ぎる。 風圧が痛い。
その背後に回り込み、割れた装甲の部分へ大剣を突き込んだ。
魔力。防具の補助。体重。
全部乗せる。
「おおおっ!」
年甲斐もなく叫んだ。
大剣が深く入る。
アーマードボアが大きく痙攣した。
そして、光となって消えた。
あとに残ったのは、肉と装甲素材。
俺はしばらく、その場に立ち尽くした。
「……倒した」
「うむ。倒したな」
「アーマードボア、倒しましたよ」
「見ておった」
「ちょっと褒めても良いんですよ」
「偉い偉い」
「雑!」
とはいえ、イナリは少し笑っていた。
「悪くなかったぞ。くたびれた男にしては」
「くたびれ部分いります?」
「いる」
いるらしい。
そこから俺たちは数体のアーマードボアを狩った。
俺が二体。イナリが五体。
比率については、やはり考えない事にした。
俺だって頑張った。イナリが規格外なだけである。
肉も素材も集まり、そろそろ一度休むかという頃だった。
イナリが、ぴたりと足を止めた。
「……おぬし」
「はい?」
「あちらじゃ」
出た。
イナリの「あちら」だ。
黄金牛の時も、そうだった。美味そうな気配がする、と言って進んだ先に、黄金のレアモンスターがいた。
俺は嫌な予感がした。
「イナリ様」
「何じゃ」
「まさか、美味い気配とか言いませんよね」
「美味い気配じゃ」
「言ったよ」
頭が少しクラクラした。
この流れは危険だ。
美味い気配。レアモンスター。黄金。
そして、大体強い。
「行くぞ」
「行くんですね」
「当然じゃ」
「逃げるという選択肢は?」
「美味い気配から逃げるのか?」
「何か俺が悪いみたいに言わないでください」
結局、俺たちはイナリの示す方向へ進んだ。
低山の斜面を回り込み、岩場を抜ける。
その先に、広い窪地があった。
そして、いた。
黄金に輝くアーマードボア。
ゴールデンアーマードボア。
その姿を見た瞬間、俺は本当に少し眩暈がした。
体長は普通のアーマードボアより一回り大きい。 全身を覆う装甲は、黒鉄ではなく黄金。突起物も金色に輝き、まるで成金趣味の小型戦車である。
だが、笑えない。
気配が重い。
強い。
明らかに、さっきまでのアーマードボアとは別物だった。
「帰りません?」
「行くぞ」
「ですよね」
イナリは嬉しそうに笑っている。
俺はもう、半分やけくそだった。
「じゃあ、まずはイナリ様の鬼火で様子見を」
「うむ」
イナリが手を上げる。
青白い鬼火がいくつも灯った。
ゴールデンアーマードボアがこちらに気づく。
目が赤く光った。
嫌な感じだ。
「行け」
鬼火が飛ぶ。
青白い火が、黄金の装甲へぶつかった。
その瞬間。
火が跳ね返った。
「は?」
俺は変な声を出した。
鬼火が、弾かれたのだ。
黄金の装甲に触れた瞬間、まるで鏡に反射するように方向を変え、こちらへ戻ってきた。
「ぬっ!?」
イナリも驚いた声を出す。
俺は咄嗟にイナリを抱えて横へ飛んだ。
鬼火がさっきまでいた場所に着弾し、岩を焼く。
「ちょ、ちょっと待ってください! 鬼火、跳ね返りましたよ!」
「見れば分かる!」
「神様の鬼火、反射する装甲って何ですか!」
「妾が知るか!」
珍しくイナリも焦っている。
ゴールデンアーマードボアが前脚で地面を掻いた。
来る。
嫌な予感どころではない。
災害が来る。
「逃げます!」
「まだじゃ! 妾の鬼火が通らぬなど、許せぬ!」
「プライドで死にたくないです!」
「離せ、くたびれ男!」
「離したら轢かれるでしょうが!」
俺はイナリを抱えたまま走った。
着物姿の幼女神を小脇に抱え、黄金の装甲猪から逃げるアラカン。
絵面が酷い。
ゴールデンアーマードボアが突進してきた。
地面が揺れる。岩が砕ける。低木が吹き飛ぶ。
さっきまでのアーマードボアが小型戦車なら、こいつは重戦車である。
「妾を降ろせ! 今度は角度を変えて焼く!」
「反射した火がこっちに来たらどうするんですか!」
「避ける!」
「俺が!?」
「おぬしも避けろ!」
「雑!」
俺は防具のパワーアシストを全開に近い形で使い、斜面を駆け下りる。
魔力がごっそり持っていかれる感覚がある。
だが、今は惜しんでいる場合ではない。
後ろから金色の暴力が迫ってくる。
俺は【縮地】を使って横に跳んだ。
ゴールデンアーマードボアが、俺たちのすぐ横を通り過ぎる。
風圧で体が持っていかれそうになる。
「うわっ!」
「ほれ見ろ! 降ろせば妾が――」
「だから反射するでしょうが!」
「では、尻を狙う!」
「神様が尻って言わないでください!」
完全に漫才である。
だが、状況は笑えない。
鬼火が通じない。俺のメイスや大剣で、あの黄金装甲を割れる気がしない。突進は速く、重く、まともに受ければ終わる。
これは、まずい。
本当にまずい。
逃げながら、俺は必死に考えた。
どうする。どう倒す。
装甲を抜けないなら、装甲のない部分を狙う。 だが、あの速度で突進する相手の隙間を狙うのは無理だ。イナリの鬼火も反射される。罠を作る時間もない。
残る手段。
俺の収納、【仙人みかん】。
「イナリ様」
「何じゃ!」
「最後の手段を使います」
「何をする」
「【仙人みかん】です」
「……おぬし、まさか」
「そのまさかです」
イナリが一瞬、黙った。
さすがに意味が分かったらしい。
「失敗したら?」
「俺たちが挽肉にされます」
「洒落にならぬ!」
「だから集中します!」
ゴールデンアーマードボアが、再び突進態勢に入った。
正面から来る。
俺はイナリを抱え直し、タイミングを計った。
心臓がうるさい。
防具の中で汗が流れる。
アラカンの心臓に悪い。本当に悪い。
できれば、温泉に浸かっている時くらい穏やかに動いて欲しい心臓が、今は太鼓のように鳴っている。
「来ますよ」
「分かっておる!」
「暴れないでください」
「誰が暴れておる!」
「暴れてます!」
ゴールデンアーマードボアが突っ込んでくる。
金色の巨体。赤い目。地面を削る脚。迫る装甲。
怖い。
普通に怖い。
俺は【仙人みかん】を開いた。
空間の口が、目の前に生まれる。
俺はそこへ飛び込む。
イナリを抱えたまま。
背後から、ゴールデンアーマードボアが突っ込んでくる。
狙い通り、勢い余って頭から【仙人みかん】の入り口へ飛び込んできた。
黄金の頭部が、空間の内側へ入る。
胴体はまだ外。
今だ。
「閉じろ!」
俺は叫んだ。
【仙人みかん】の口が閉じる。
ぎゃりん、と嫌な音がした。
金属を無理やり断ち切るような音。
次の瞬間、目の前に黄金の頭部が転がった。
ゴールデンアーマードボアの頭である。
外側では、胴体がどうなったのか分からない。 だが、しばらくして、光が漏れた。
倒したのだ。
たぶん。
俺はその場に座り込んだ。
イナリを抱えたまま。
「……生きてる」
「離せ、くたびれ男」
「あ、すみません」
俺はイナリをそっと下ろした。
イナリは着物を整え、少し不満げに俺を見た。
「妾を荷物のように抱えおって」
「助けたんですよ」
「それは認める」
「なら、もう少し優しい言い方を」
「怖かったぞ」
「急に素直!」
イナリはぷいと横を向いた。
その耳が少し赤いように見えた。
神様でも、さすがに今のは怖かったらしい。
俺も怖かった。
ものすごく怖かった。
【仙人みかん】の口を閉じるタイミングが少しでも遅れれば、あの金色の突進が中まで入ってきた。 早過ぎれば、倒せなかった。失敗すれば、俺たちは終わっていたかも知れない。
心臓に悪過ぎる。
「もう、この戦法はなるべく使いたくないですね」
「同感じゃ」
「イナリ様もですか」
「妾が抱えられて逃げるのは、威厳に関わる」
「そっち?」
「もちろん怖くもあった」
「また素直!」
俺たちは一度、【仙人みかん】の外に出た。
外には、ゴールデンアーマードボアの胴体が消えた後のドロップ品が残っていた。
黄金の装甲素材。巨大なブロック肉。そして、魔石。
普通のアーマードボアの肉とは、明らかに違う。 赤身は濃く、脂は金色に近い光沢を帯びている。
「……美味そうですね」
「うむ」
イナリは真剣な顔で頷いた。
あれだけ怖い目に遭っても、肉を見ると復活する。神様は強い。
「しかし、鬼火を反射するとはな」
「驚きましたね」
「妾の鬼火を弾くとは、生意気な猪じゃ」
「もう頭落ちてますけどね」
「食ってやる」
「怨念が食欲に変換されてる」
俺はドロップ品を収納した。
その手が、まだ少し震えていた。
怖かったからだ。
だが、それだけではない。
勝った。
あのゴールデンアーマードボアを、何とか倒した。
正攻法ではない。胸を張れる戦い方でもない。 むしろ、二度とやりたくない戦法だ。
それでも、生きて勝った。
イナリと二人で。
「イナリ様」
「何じゃ」
「今日はもう帰りません?」
「……そうじゃな」
珍しく即答だった。
さすがのイナリも、これ以上の美味い気配を探す気にはならなかったらしい。
俺たちは【仙人みかん】で一晩休んだ。
その夜の食事は、持参したものだけだった。さすがにゴールデンアーマードボアをその場で料理する余裕はなかった。
イナリは、いなり寿司を食べながらぽつりと言った。
「おぬし」
「はい」
「今日は、少し見直したぞ」
「おお。珍しい」
「逃げ足と、妙な発想は大したものじゃ」
「褒めてるんですか?」
「褒めておる」
「微妙!」
それでも、悪い気はしなかった。
翌日、俺たちは慎重に帰路についた。
途中、普通のアーマードボアと出会ったが、二人とも妙に落ち着いて対処できた。
ゴールデンを見た後だと、普通の個体が少し可愛く見える。
いや、轢かれたら普通に死ぬので、可愛くはない。
地下都市に戻った時には、身体より心が疲れていた。
ギルドへ報告すると、受付の人がゴールデンアーマードボアの素材を見て固まった。
その後、奥からオオヤシロとカミキが出てきた。
「三烏さん」
「はい」
「これは?」
「ゴールデンアーマードボアです」
「なるほど」
オオヤシロは、いつものように頷いた。
なるほどで済ませるには、少し重い案件だと思う。
カミキが素材を確認しながら言う。
「非常に貴重ですね。深層でもそう簡単に手に入るものではありません」
「そうなんですか」
「ええ。どう倒したんですか?」
「【仙人みかん】の口で頭を」
「……なるほど」
今度の沈黙は少し長かった。
さすがのカミキも、知らないふりの処理に一瞬詰まったらしい。
「詳しい戦法は、聞かなかった事にします」
「それが良いと思います」
俺も心から同意した。
その後、俺たちは当然のように『はるか』へ向かった。
女将さんは、ゴールデンアーマードボアの肉を見た瞬間、しばらく無言だった。
「……また凄いものを持ってきたわね」
「料理できますか?」
「できるわよ」
女将さんは、少し笑った。
「料理人を舐めないで」
格好良い。
今日一番格好良い台詞かも知れない。
料理が出てくるまでの間、俺とイナリはぐったりしていた。
「疲れましたね」
「うむ」
「怖かったですね」
「うむ」
「もうあの戦法、やめましょうね」
「必要なら使え」
「神様?」
「だが、妾を抱えて逃げるのは最小限にせよ」
「そこなんですね」
やがて、料理が出てきた。
ゴールデンアーマードボアの炙り。厚切りステーキ。味噌仕立ての猪鍋。脂を使った焼き飯。
香りだけで、疲れが少し吹き飛んだ。
一口食べる。
濃い。
アーマードボアの肉は、力強い旨味があった。 だが、ゴールデンはさらに深い。脂が甘く、赤身には野性味があり、それでいて臭みがない。
噛むほどに、身体に力が戻ってくるようだった。
「……美味い」
「うむ」
イナリも目を細めている。
あの苦労。あの恐怖。あの心臓に悪い一瞬。
全部、この味に繋がっている。
そう思うと、少しだけ報われた気がした。
だが、やはり【仙人みかん】を使った断頭戦法は、心臓に悪すぎる。
俺は鍋の肉を噛みしめながら、しみじみ思った。
深いエリアには、美味いものがある。
同時に、洒落にならないものもいる。
少しずつ深く行くという俺の方針は、たぶん間違っていない。一気に行ったら、心臓がもたない。
「イナリ様」
「何じゃ」
「次から、美味い気配を感じても、一回相談してから行きましょう」
「嫌じゃ」
「即答しないでください」
「美味い気配は逃すな。これは神託じゃ」
「食欲を神託にしないでください」
俺はため息をついた。
だが、口元は少し笑っていた。
怖かった。危なかった。疲れた。
それでも、こうして生きて帰り、美味い飯を食べている。
なら、まあ、悪くない。
深層への道は、まだまだ遠い。
そして、たぶん危険だらけだ。
だが、イナリと二人で漫才をしながら、時々逃げ回り、時々勝ち、時々心臓を酷使しながら進むのなら。
それはそれで、俺らしいのかも知れない。
「おぬし、次は何を狩る?」
「もう次の話ですか」
「うむ」
「せめて今日は休ませてください」
「くたびれた男じゃのう」
「今日は本当にくたびれました」
俺は猪鍋の汁をすすった。
美味い。
心臓に悪い戦法は、できれば二度とやりたくない。
だが、もしまた美味い肉が目の前に現れたら。
その時、自分がどうするか。
俺は考えない事にした。
とりあえず今は、ゴールデンアーマードボアを味わう。
アラカンの深層挑戦は、決意より食欲、勇気より胃袋、そして何より生還第一。
そんなゆるい方針で、もう少しだけ続いていきそうだった。
読んでいただいて、ありがとうございます。
こんなお話でも面白いと思って下さったら、『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』にしてポイントを入れてもらえたら嬉しいです。




