新しい防具とゆるい決意
深層で待ってるわ。
伊吹蝶子は、そう言って去って行った。
正直、格好良かった。
格好良かったのだが、それで俺こと三烏柔内が、即座に「よし、深層を目指すぞ!」となるかと言えば、ならない。
俺はアラカンである。
気持ちは少し動く。胸の奥に、若い頃の火種みたいなものが、ちょっとだけ灯る。
だが、その直後に腰が心配になる。
深層。強敵。命懸け。未知の素材。そして、膝。
最後に膝が出てくる辺りが、我ながら実に情けない。
「おぬし、まだ迷っておるのか」
神棚の前でいなり寿司を食べながら、イナリが言った。
家賃二十万円の俺の部屋に住み着いた幼女神は、今日も偉そうだった。脛までの丈の着物姿。白い肌に黒い髪。見た目だけなら、日本人形そのもの。
ただし、口から出る言葉は容赦ない。
「迷っているというか、準備が必要なんですよ。深い所に行くなら、それなりに装備も整えないと」
「ふむ。つまり、尻込みしておるのを装備のせいにしておるのじゃな」
「神様、言い方」
「事実じゃろう」
否定できないのが辛い。
とはいえ、装備を更新するというのは、本当に必要な事だった。
伊吹蝶子に刺激されたとか、そういう事ではない。
いや、少しはある。
あるが、それだけではない。
最近、イナリと一緒に少し深いエリアに潜るようになって、俺自身の火力不足を感じる場面が増えていた。
もちろん、俺には変なスキルや戦い方がある。そこそこ自信もある。
だが、トロールや黄金牛、メサージュみたいな相手を見ていると、普通に殴る力というものの大切さを思い知らされる。
鬼火で焼けるイナリは別枠だ。
神様と比べてはいけない。
という訳で、俺は防具屋に向かった。
地下都市の武具屋街は、相変わらず物騒で活気がある。壁には剣、槍、斧、盾、防具。ショーケースには魔法の指輪や護符。店先では、冒険者たちが真剣な顔で装備を選んでいる。
命に関わる買い物だ。スーパーで大根を選ぶのとは訳が違う。
俺が向かったのは、何度か世話になっている防具屋『鉄鋼の牙』だった。
店主は俺の顔を見るなり、少しだけ目を細めた。
「三烏さん、そろそろ来る頃だと思ってましたよ」
「何ですか、その言い方」
「最近、少し深めのエリアに出てるって聞きましたんでね。今の装備のままだと、そろそろ物足りなくなるでしょう」
商売人は情報が早い。
いや、探索者の噂が早いのか。
どちらにせよ、俺が深いエリアに行った事は、もうそれなりに広まっているらしい。
「防御力は落としたくありません。魔力の通りも今のまま欲しいです。ただ、攻撃力を上げたい」
「贅沢ですね」
「年寄りは贅沢なんです」
「それなら、ちょうど良いのがありますよ」
そう言って店主が奥から出してきたのは、黒に近い濃紺の防具だった。
軽鎧に近いが、全身を覆うタイプ。胸当て、腕、脚、腰回りまでしっかりしている。革と金属と、何か分からない迷宮素材が組み合わされており、見た目はかなり格好良い。
そして、背中や関節部分には、細い魔力回路のようなものが走っていた。
「パワーアシスト付きの防具です」
「パワーアシスト?」
「装着者の動きを補助します。筋力そのものを上げるというより、力の伝達を助ける感じですね。重い武器を振る時、踏み込む時、盾で受ける時に効果が出ます」
「それはまた、年寄りに優しそうな」
「ただし、魔力を食います」
「ですよね」
便利なものには、だいたい代償がある。
店主は防具を軽く叩いた。
「でも、三烏さんは魔力の浸透性を重視してましたよね。これはその辺りもかなり良いです。今の装備と比べても、防御力は同等以上。魔力の通りも落ちません」
「お高いんでしょう?」
「お高いです」
即答だった。
俺は値段を聞いた。
そして、少し遠い目をした。
高い。
普通に高い。
しかし、払えない額ではない。
最近は黄金牛の肉やら、深めのエリアの素材やらで、懐はかなり温かい。むしろ、命を守る装備に金を使わない方が間違っている。
俺はしばらく悩んだ。
悩んだが、結局買った。
アラカンの決断は、若者ほど速くはない。だが、一度腹を括ると財布の紐もそれなりに緩む。
新装備を着てみる。
最初は少し違和感があった。だが、身体に合わせて調整してもらうと、驚くほど馴染んだ。
腕を上げる。膝を曲げる。腰を捻る。
軽い。
いや、防具そのものは軽くない。だが、動きが補助されるので、実際の重量よりずっと楽に感じる。
「どうです?」
「これは……すごいですね」
素直に声が出た。
大剣を持たせてもらう。普段なら、構えるだけでそれなりに重さを感じる武器だ。
それを振る。
ぶん、と空気が鳴った。
「おお……」
自分の腕ではないみたいだった。
いや、自分の腕なのだが、防具が後押ししてくれる。踏み込みと同時に、腰から肩、腕へ力が通る。
若返った、というほどではない。だが、若い頃の身体に、少しだけ戻ったような感覚があった。
「どうです、深層目指したくなりました?」
店主が笑う。
「いや、そこまでは」
「慎重ですねえ」
「アラカンですから」
深層という言葉を聞くと、まだ腰が引ける。
だが、この装備を試してみたいという気持ちは、確かに湧いてきた。
そこで俺は、イナリと一緒に試運転へ出る事にした。
標的は、ゴリアテ・クラブ。
俺たちが定期的に狩りに行っているタイタン・クラブの上位個体である。
巨大な蟹型モンスター。
タイタン・クラブでも十分大きくて硬くて美味いのだが、ゴリアテ・クラブはさらに上を行く。
更に巨大。更に硬い。更に美味い。
ただし、全身が棘だらけで、防御力が非常に高い。中途半端な攻撃では、殻に弾かれる。下手に近づけば、棘でこちらが傷つく。
これまで何度か目撃した事はあるが、正直、手を出しかねていた相手だった。
「今日は蟹か」
イナリは目を細めた。
「蟹です」
「美味いのか」
「タイタン・クラブより美味いらしいです」
「ならば狩る」
相変わらず決断が早い。
神様は食べ物が絡むと迷わない。
「ただし、硬いですよ。棘も多いですし」
「燃やせばよかろう」
「イナリ様はそれで良いんでしょうけど、今日は俺の装備の試運転も兼ねてるんです」
「ふむ。ならば、少しはおぬしに譲ってやろう」
「ありがとうございます」
神様に獲物を譲ってもらうアラカン。
この時点で何かがおかしい。
俺たちは迷宮に入り、ゴリアテ・クラブの出る水辺エリアへ向かった。
地下なのに湿った空気が流れ、壁には苔のようなものが光っている。足元には浅い水が広がり、ところどころに岩場がある。
この辺りにはタイタン・クラブも出る。殻は硬いが、倒せば美味い。俺たちにとっては、かなり馴染みのある狩場だった。
だが、今日狙うのは、その上位個体だ。
しばらく歩くと、水面が揺れた。
ごぼり、と泡が浮かぶ。
岩の陰から、巨大な影が現れた。
ゴリアテ・クラブ。
でかい。
横幅だけで、軽自動車どころではない。小型トラックくらいはありそうだ。
甲羅は暗い青緑色で、表面にはびっしりと棘が生えている。鋏は人の胴体くらいあり、脚も太い。
見るからに硬い。見るからに痛い。そして、見るからに美味そうだ。
「……あれ、食べる部分多そうですね」
「うむ」
イナリが満足げに頷いた。
俺はメイスを取り出した。
刃物では殻に弾かれる可能性が高い。ならば、叩き割る方が良い。
パワーアシスト付き防具の試運転にも向いている。
ゴリアテ・クラブが、ぎちぎちと鋏を鳴らした。
そして、横歩きとは思えない速度で近づいてくる。
「速っ!」
蟹のくせに速い。
迷宮の生き物は、なぜこうも見た目を裏切るのか。
俺は横に跳んだ。防具が動きを補助する。いつもより、踏み込みが軽い。
ゴリアテ・クラブの鋏が、さっきまで俺のいた場所を挟み込む。岩が砕けた。
洒落にならない。
「おぬし、挟まれるなよ。中身が出るぞ」
「言い方!」
イナリの忠告はありがたいが、表現が怖い。
俺はメイスを握り直した。
狙うのは脚の関節。いくら殻が硬くても、関節部分なら隙があるはずだ。
ゴリアテ・クラブが再び鋏を振る。
俺は防具の補助を使い、半歩踏み込んで避けた。
そのまま、メイスを振り下ろす。
ばきん、と鈍い音。
メイスが脚の関節を打った。
手応えはある。
だが、折れない。
硬い。
「うわ、硬っ」
俺は思わず声を出した。
タイタン・クラブとは明らかに違う。殻だけでなく、関節までやたら頑丈だ。
ゴリアテ・クラブが脚を振り上げ、棘だらけの先端で突いてくる。
俺は後ろへ跳ぶ。
パワーアシストのおかげで、思ったより大きく下がれた。
悪くない。
かなり良い。
これなら、動ける。
俺はもう一度踏み込んだ。
今度は、全身の力をメイスに乗せる。防具の魔力回路が、淡く光った気がした。
「おらっ!」
年甲斐もなく声が出る。
メイスが同じ関節に叩き込まれた。
ばぎゃっ。
今度は割れた。
ゴリアテ・クラブの片脚が、嫌な音を立てて折れる。
「よし!」
俺は思わず拳を握った。
だが、喜ぶのは早かった。
ゴリアテ・クラブは脚一本失っても、普通に動く。蟹だから脚が多いのだ。
ずるい。
「脚が多いって便利ですね!」
「感心しておる場合か」
イナリが呆れたように言った。
その周囲には、すでに鬼火が灯っている。
「手を出しても良いか?」
「まだです。もう少し試したい」
「欲張りじゃな」
「高い防具を買ったんです。元を取らないと」
「元を取るために死ぬでないぞ」
まったくである。
俺は今度、大剣を取り出した。
パワーアシストがどれほど重い武器を扱えるようにしてくれるか、試したかったのだ。
普通の剣より重く、リーチもある。これで脚を狙う。
ゴリアテ・クラブが横に回り込み、鋏を振る。 俺は水面を蹴って移動した。
防具の補助で、足が滑りにくい。踏ん張りが効く。
大剣を振る。
重い。
だが、振れる。
腕だけではなく、腰と脚の力がちゃんと刃に乗る。
大剣がゴリアテ・クラブの脚の付け根を叩き斬るように入った。
硬い殻に火花が散る。
刃は通りきらない。だが、亀裂が入った。
「もう一発!」
俺は踏み込み直し、同じ場所へ振り下ろす。
ばきん、と脚が落ちた。
ゴリアテ・クラブが大きく揺れる。
ここまで来れば、かなり動きは鈍る。
俺はメイスに持ち替え、甲羅の棘を避けながら側面へ回った。
だが、ゴリアテ・クラブも必死である。巨大な鋏が横薙ぎに飛んでくる。
避けきれない。
俺は咄嗟に防具の腕部分で受けた。
衝撃。
身体が浮く。
そのまま水面を転がった。
「ぐえっ」
情けない声が出た。
痛い。
だが、防具がかなり衝撃を逃がしてくれている。 骨は無事。たぶん、打撲くらいで済んだ。
高いだけの事はある。
「おぬし、大丈夫か」
「大丈夫です。ちょっと蟹に殴られただけです」
「普通は大丈夫ではないな」
イナリが言う通りだった。
俺は立ち上がり、息を整える。
ここで無理をすると怪我をする。アラカンは引き際も大事だ。
だが、ゴリアテ・クラブはかなり弱っている。
もう少しだ。
俺はメイスを両手で握った。
魔力を流す。防具が反応する。全身を補助する力が、少し強まった。
ゴリアテ・クラブが、残った脚で身体を支え、鋏を上げる。
俺は真正面から突っ込んだ。
自分でも、ちょっと馬鹿だと思う。
だが、パワーアシストがある。タイミングは読める。そして何より、今は試したい。
鋏が振り下ろされる。
俺は直前で【縮地】を使った。
身体が一瞬で横にずれる。鋏が空を切る。
その隙に、俺はゴリアテ・クラブの顔面というか、目の近くへ回り込んだ。
「これで、どうだ!」
メイスを振り抜く。
防具の補助を最大限に乗せた一撃。
棘だらけの甲羅の隙間に、メイスが食い込む。
鈍い音が響いた。
ゴリアテ・クラブの巨体が、びくりと震える。
そして、光となって消えた。
あとに残ったのは、巨大な蟹脚と、甲羅素材、それに魔石だった。
「……倒した」
俺は思わず呟いた。
自分で倒した。
イナリの鬼火ではなく。誰かの支援でもなく。 新装備の力を借りたとはいえ、俺自身の攻撃でゴリアテ・クラブを倒した。
正直、嬉しかった。
アラカンでも、装備と工夫でまだやれる。
それを実感できた。
「ふむ」
イナリが近づいてきた。
「悪くなかったぞ」
「ありがとうございます」
「だが、動きが少し危なっかしい。蟹に挟まれれば、中身が出る」
「それ、気に入ったんですか?」
「分かりやすかろう」
分かりやすいが、聞きたくない。
その後、イナリもゴリアテ・クラブを狩った。
俺が苦労して脚を折り、隙を作り、メイスで殴って倒した相手を、イナリは鬼火であっさり焼いた。
青白い火が数個飛ぶ。殻の隙間に入り込む。 内部から焼く。
ゴリアテ・クラブは、ほとんど何も出来ずに光になった。
「……俺の苦労は?」
「おぬしはおぬしで頑張った。妾は妾で焼いた。それだけじゃ」
「そうですね」
比べてはいけない。
神様と比べると、人生が辛くなる。
とはいえ、イナリの鬼火がゴリアテ・クラブにも通じる事は確認できた。この神様、本当に大体のモンスターを焼けるのではないだろうか。
俺たちは、数体のゴリアテ・クラブを狩った。
俺が一体。イナリが三体。比率については考えない事にした。
帰り道、俺は新装備の感触を確かめながら歩いた。
魔力の消費は確かにある。だが、許容範囲だ。 動きも悪くない。防御力も十分。何より、攻撃力が大きく上がった。
メイスや大剣を実戦で使えるようになったのは大きい。
これまで手を出しかねていた相手にも、少しずつ挑めるかも知れない。
「どうじゃ」
イナリが横で聞いてきた。
「新しい鎧は気に入ったか」
「かなり」
「ならば、もう少し深く潜れるな」
「……まあ、少しずつなら」
俺がそう答えると、イナリは嬉しそうに笑った。
「少しずつでよい。深く潜れば、強い獲物も増える」
「存在力ですか?」
「それもある」
「それも?」
「美味いものも増える」
やっぱりそっちもあるらしい。
俺は苦笑した。
「深層を目指すっていうと、何か大げさなんですよね。命を懸けて強くなるとか、限界を超えるとか、そういう感じで」
「おぬしは、そういう柄ではないな」
「自分でもそう思います」
「ならば、美味いものを探しながら、少しずつ深く行けばよい」
イナリは、何でもないように言った。
「無理をする必要はない。だが、同じ場所に留まる必要もない」
神様らしい言葉だった。
いや、いなり寿司と蟹目当ての神様なのだが、たまにちゃんと神様らしい事を言う。
俺は水辺エリアの奥を見た。
その先には、さらに深い階層へ続く道がある。
今までは、なるべく見ないようにしていた道だ。
危険そうだから。今の自分には早いから。若くないから。別に深層を目指す必要なんてないから。
言い訳はいくらでもあった。
そして、その言い訳は全部、本当に間違いという訳でもない。無謀は良くない。アラカンが無理をすれば、若者より簡単に壊れる。
だが、今日の俺はゴリアテ・クラブを倒した。
新しい装備も手に入れた。イナリもいる。カヤシマたちや真桃ちゃんたち、頼れる知り合いも増えた。蝶子は深層で待っている。
なら。
少しずつなら、行ってみても良いかも知れない。
本当に少しずつ。
膝と腰と相談しながら。美味いものを探しながら。危なくなったら帰るつもりで。
「まあ……」
俺は小さく呟いた。
「少しずつ、深い方にも慣れていきますか」
「うむ」
イナリが満足げに頷いた。
「妾の社守なら、そのくらいはせねばな」
「社守って役職、まだ有効なんですね」
「当然じゃ」
「給料は?」
「いなり寿司を供える栄誉をやろう」
「支出しかない」
俺はため息をついた。
だが、不思議と嫌ではなかった。
帰りに『はるか』へ寄ると、女将さんはゴリアテ・クラブの脚を見て、にやりと笑った。
「今日は蟹ね」
「お願いします」
「任せなさい」
その夜、俺たちはゴリアテ・クラブの蟹鍋と焼き蟹を堪能した。
タイタン・クラブより、さらに甘い。身が太く、旨味が濃い。鍋の出汁など、もう反則だった。
イナリは黙々と食べていた。神様が無言になるほど美味いらしい。
俺も蟹の身をほじりながら、今日の戦いを思い返した。
新装備。ゴリアテ・クラブ。少し深いエリア。そして、さらに奥へ続く道。
深層を目指す。
そう口にすると、まだ大げさ過ぎる。
だから、今はこう言うくらいで良い。
今度は、もう少しだけ奥へ行ってみよう。
そして、そこに美味いものがあれば狩ってみよう。
危なくなったら帰ろう。
生きて帰って、美味い飯を食おう。
それが、俺らしい決意だった。
「おぬし、何をにやけておる」
イナリが蟹の身を頬張りながら言った。
「いや、ちょっと前向きになっただけです」
「そうか。では、次はもっと美味いものを狩るぞ」
「存在力は?」
「それも大事じゃ」
「順番が逆な気がする」
「細かい男じゃのう」
イナリは呆れたように言った。
俺は笑って、蟹鍋の汁をすすった。
美味い。
深層への道はまだ遠い。
だが、その道の途中に、こういう飯があるなら。
もう少しだけ、進んでみても良い。
俺はそんな、ゆるい決意を胸に、蟹雑炊のおかわりを頼んだのだった。
読んでいただいて、ありがとうございます。
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