神 vs 吸血鬼
伊吹蝶子と再会してから、数日が経った。
あの女は、最後に言った。
深層で待ってるわ、と。
正直、格好良かった。
中学時代から格好良い女だったが、迷宮で若返り、深層冒険者になり、胸まで立派になって現れた初恋相手が、そんな台詞を吐いて去って行ったのである。
刺激されなかったと言えば、嘘になる。
だが、俺こと三烏柔内は、アラカンである。
若い頃なら、うおおお、俺も深層に行くぞ、と燃え上がったかも知れない。だが、今の俺はまず膝と腰の心配をする。
人間、年を取ると、情熱より関節が先に来るのだ。
とはいえ、少し深いエリアに行ってみようかという気にはなった。
別に蝶子に刺激された訳ではない。
ないったらない。
「ほう。初恋の女に尻を叩かれたか」
「イナリ様、言い方」
俺の部屋の神棚付近で、いなり寿司をつまみながら、イナリが楽しそうに言った。
家賃二十万円の部屋に住み着いた幼女神は、今日も実に偉そうである。見た目は日本人形のように整った幼女。中身は神様。そして、食い意地はなかなかのもの。
「別に尻を叩かれた訳じゃありません。ただ、少し深いエリアにも慣れておくべきかなと思っただけで」
「同じ事じゃろう」
「違います」
「では、妾が行きたいと言ったからにしておけ」
それは事実だった。
イナリは迷宮に興味津々である。神様らしく、存在力とやらを高めるためでもあるらしいが、最近はどう見ても、食べ物目当ての比率が増えている気がする。
迷宮牛。黄金牛。ついでに、『はるか』のいなり寿司。
この神様、だいぶ地下都市に馴染んでいた。
そこで俺は、久々にカヤシマのオッサンのパーティーと組む事にした。
大剣持ちのカヤシマ。盾役で調理役のクラタ。魔法使いのエグサ。そして紅一点、弓矢使いのミショウ。
安定感のあるベテランパーティーである。
俺一人とイナリだけで深めのエリアに行くより、ずっと安心だ。
いや、イナリがいる時点で安心も何もない気もするが、精神的な保険は大事である。
「それで、今日は少し深いエリアまで行くんですよね?」
ミショウが確認する。
「はい。無理しない範囲で。イナリ様もいるので」
「妾は構わぬぞ。強い獲物の方が、存在力も増す」
「あと、美味いものがあると良いですね」
「そこも大事じゃ」
やはり食べ物目当てが混じっている。
ともかく、俺たちは迷宮に潜った。
浅いエリアを抜け、いつもより深部へ進む。
空気が変わる。
出てくるモンスターの気配も、明らかに濃い。
カヤシマたちも、自然と口数が減る。
俺も装備を確認しながら歩いた。
イナリだけは、草履に着物で平然としている。
「本当に、その格好で深いエリアまで来るんですね」
「妾に防具など要らぬ」
「その台詞、一度で良いから言ってみたい」
俺が呟くと、カヤシマのオッサンが苦笑した。
しばらく進むと、エリアの奥から、重い足音が聞こえてきた。
ずしん、ずしん。
嫌な音である。
「トロールです」
ミショウが弓を構える。
トロール。
大柄な人型モンスター。膂力が強く、再生力もある。普通の冒険者なら、正面から戦うのは避けたい相手だ。
現れたトロールは、まさにそんな感じだった。
身長は三メートル超。腕は丸太のよう。口からは牙が覗き、濁った目でこちらを見ている。
「クラタ、受けるな。逸らせ」
「分かってる」
カヤシマのオッサンが大剣を構え、クラタが盾を前に出す。エグサは杖を上げ、ミショウは弓に矢を番える。
俺も武器を抜こうとした。
その時、イナリが一歩前に出た。
「ふむ。少しは食いでがありそうじゃな」
「食べるんですか?」
「食わぬ。喩えじゃ」
そう言って、イナリは小さな手を軽く振った。
ぽう、と鬼火が灯る。
一つ。二つ。三つ。
トロールが咆哮を上げ、こちらへ突っ込んで来た。
クラタが盾を構える。カヤシマが横から斬り込む態勢に入る。
だが、その前に鬼火が飛んだ。
青白い火が、トロールの胸に、肩に、顔にぶつかる。
トロールが燃えた。
いや、燃えたというより、焼かれた。
再生力がどうこうという間もなく、鬼火が肉を焼き、魔力を焼き、存在そのものを削っていくようだった。
トロールが暴れる。腕を振り回す。だが、イナリは少しも動かない。
「もう少しじゃな」
さらに鬼火が二つ飛ぶ。
トロールの膝が崩れた。巨体が通路に倒れる。
そのまま、光となって消えた。
残ったのは、ドロップと魔石。
あっさりである。
「……トロールですよね?」
クラタが、盾を構えたまま呟いた。
「トロールでしたね」
エグサも呆然としている。
「三烏さんの周り、どうなってるんですか?」
ミショウが聞いてきた。
「俺も知りたいです」
正直、俺も同じ気持ちだった。
イナリの鬼火は、迷宮牛にも、黄金牛にも通じた。だが、再生力のあるトロールにも問題なく通用するらしい。
ゲキつよである。
カヤシマのオッサンは、大剣を下ろしながら笑った。
「心強いな」
「心強過ぎて、自分たちの出番が減りそうですが」
「それもまた経験だ」
ベテランは受け止め方が大人だった。
その後も、俺たちは何体かのモンスターと遭遇した。
トロール。大蜘蛛。硬い甲殻を持つ蜥蜴のようなモンスター。
カヤシマたちが前に出て、俺も支援し、イナリが鬼火で焼く。
安定していた。
安定し過ぎて、少し怖いくらいだった。
とはいえ、深いエリアで長居するのは危険だ。 俺たちは無理をせず、いつもの安全エリアに向かった。
そこは砂漠エリアだった。
迷宮の中なのに、空があるように見える。いや、本物の空ではないのだろうが、頭上には暗い夜空のようなものが広がっていた。
砂は白く、ところどころに低い岩があり、風もある。
不思議な場所だ。
そして、この一角はモンスターがほとんど近づかない。探索者たちの間では、野営場所として知られている。
クラタが慣れた手つきで簡易的なかまどを作り、ミショウが水を用意し、エグサさんが火種を魔法でつける。
カヤシマのオッサンは周囲を確認し、俺は荷物を出した。
イナリは、岩の上に座って夜空もどきを眺めている。
「迷宮というのは、不思議なものじゃな」
「神様でも不思議なんですか?」
「神にも分からぬものはある」
「そうなんですね」
「だから面白い」
イナリは少し笑った。
その顔は、見た目相応の幼女のようでもあり、年齢を超えた神のようでもあった。
クラタの料理は美味かった。
迷宮で食べる温かい飯というのは、それだけでありがたい。肉と野菜を煮たものに、固めのパン。 そこにイナリ用として持ってきたいなり寿司も並ぶ。
「準備が良いのう」
「忘れると怒られそうなので」
「分かっておるではないか」
神様の機嫌を取るのも、社守の仕事らしい。
食事を終え、皆が少し落ち着いた頃だった。
砂漠の向こうから、足音が聞こえた。
軽い足音。
だが、妙に響く。
カヤシマのオッサンが大剣に手を伸ばす。ミショウが弓を構える。エグサは杖を握り、クラタが盾を持つ。
俺も身構えた。
そして、闇の中から現れたのは、女だった。
美しい女。
白い肌。赤い唇。長い髪。夜の砂漠に似合う、黒いドレスのような服。
女吸血鬼、メサージュ。
「お久しぶりですわ、三烏様」
メサージュは、優雅に微笑んだ。
俺は思わず、ほっとした。
「ああ、メサージュか。久しぶりだな」
美しい女吸血鬼。強い冒険者を見ると仕掛けてくる、困った存在。ただし、勝っても殺しはしない。 吸血はするが、眷属化はしない。負けると消滅するが、死ぬ訳ではない。
何とも迷宮らしい、よく分からない存在だった。
「ちょうど野営してるところだ。何か飲むか?」
俺はそう言いかけた。
だが、メサージュの視線は俺ではなく、岩の上のイナリに向いていた。
「今日は、あなたに用があるのです」
「妾か」
イナリが楽しそうに笑った。
その瞬間、空気が変わった。
カヤシマたちも、それを感じ取ったらしい。全員が身構える。
メサージュは、いつもの余裕たっぷりな笑みを浮かべている。だが、よく見ると、少し緊張していた。
肩の力。指先の動き。目の奥の光。
強い相手を前にした戦士の緊張だ。
「ずっと気になっておりました。迷宮に、新しい強い気配があると」
「ほう」
「神の気配。けれど、幼子の姿。実に興味深いですわ」
「ならば、試してみるか」
イナリが岩から降りた。
草履が砂を踏む。
見た目だけなら、夜の砂漠に迷い込んだ着物の幼女である。だが、その周囲に漂う気配は、明らかに人ではない。
メサージュは、嬉しそうに唇を吊り上げた。
「では、参ります」
「うむ。来い」
「いや、ちょっと待ってください」
俺は思わず口を挟んだ。
「ここでやるんですか? 野営地ですよ?」
「少し離れますわ」
「そういう問題でもないんだが」
「心配は無用じゃ」
イナリが言った。
「すぐ終わる」
自信満々だった。
メサージュは、その言葉を聞いても怒らない。 むしろ楽しそうだった。
俺たちは少し離れた砂地に移動した。
安全距離を取る。とはいえ、どこまでが安全距離なのか、正直分からない。
カヤシマさんたちは完全に観戦モードだった。
メサージュが動いた。
速い。
以前、俺と戦った時も速かったが、今回はさらに速く見えた。
黒い影が砂の上を滑る。右にいたと思ったら、次の瞬間には左。さらに背後。
月もどきの光の下、吸血鬼の姿が残像のように揺れる。
俺は目で追うだけで精一杯だった。
「これ、俺とやった時より速くないか?」
思わず呟く。
ミショウが、顔を引きつらせていた。
「弓で狙える気がしません」
だろうなと思った。
だが、イナリは動かない。
何気なく立っているだけである。
着物の袖が、砂漠の風に少し揺れる。
メサージュが爪を伸ばし、横から斬りかかる。
その瞬間、鬼火が一つ灯った。
ぽう。
青白い火が、メサージュの爪を弾く。
メサージュはすぐに離れた。さらに高速で動き、今度は背後へ回る。
鬼火が二つ。
背後に回ったメサージュを追い、弾ける。
メサージュは空中で身を捻り、砂地へ着地した。
「素晴らしいですわ」
声が弾んでいる。
緊張しながらも、嬉しそうだ。
強い相手と戦う事が、本当に好きなのだろう。
「まだまだじゃな」
イナリも笑っている。
こちらも嬉しそうである。
何だろう。見た目は幼女と美女の戦いなのだが、中身は戦闘狂同士の交流会である。
メサージュがさらに加速した。
砂が舞う。黒い影が幾筋にも分かれる。
吸血鬼の爪が、牙が、魔力を帯びた赤い霧が、イナリに迫る。
それに対し、イナリはただ立ったまま、手を少し動かすだけ。
鬼火が灯る。飛ぶ。弾ける。
一つ一つは小さい。だが、数が増えていく。
最初は十。次は二十。やがて、空中に数え切れないほどの青白い火が漂い始めた。
メサージュはその間を縫うように動く。
速い。美しい。そして、危ない。
一つ触れただけで、ただでは済まない鬼火の群れを、吸血鬼は紙一重でかわし続ける。
だが、逃げ場は少しずつ削られていった。
「あれ、包囲してますね」
エグサが呟く。
「鬼火をばら撒いてるだけに見えますけど、ちゃんと逃げ道を潰してます」
「神様って、えげつないな」
俺は正直な感想を漏らした。
メサージュも気づいているのだろう。笑みは消えていないが、額に汗のようなものが見えた。
吸血鬼に汗が出るのかは知らない。
それでも、追い詰められているのは分かった。
「ならば!」
メサージュの身体が、赤い霧に変わった。
霧化。
物理攻撃をすり抜ける吸血鬼らしい能力である。
普通なら厄介だ。
だが、相手は鬼火である。
「霧でも、燃やす!」
イナリが指を鳴らした。
鬼火が一斉に収束した。
青白い炎の網が、赤い霧を包む。
メサージュの声が響いた。
「ああ、これは……!」
悲鳴ではなかった。
歓喜に近い声だった。
次の瞬間、赤い霧は青白い炎に包まれ、激しく燃え上がった。
砂漠の夜が、一瞬だけ昼のように明るくなる。
そして、メサージュの姿は消えた。
あとに残ったのは、一つのワイン樽だった。
ごろん、と砂の上に転がっている。
沈黙。
「……勝ったんですか?」
クラタが聞いた。
「勝ったんだと思います」
俺は答えた。
イナリは、満足げにワイン樽へ歩いて行った。
「良い酒の気配じゃ」
「ドロップ品がワイン樽……」
吸血鬼メサージュらしいと言えば、らしい。
イナリが樽を軽く叩くと、いつの間にか杯が現れた。いや、神様だから何でもありなのだろうか。
樽から赤いワインが注がれる。
イナリはそれを、くいっとあおった。
「うむ」
目を細める。
「美味い」
「幼女の姿でワインをあおらないでください。絵面が悪いです」
「妾は神じゃ」
「便利な言葉ですね、本当に」
俺も少しだけ分けてもらった。
一口飲んだ瞬間、分かった。
超美味い。
ワインの事など詳しくない俺でも分かる。この前の黄泉平坂の葡萄のワインとは違う。香りが深い。 渋みが柔らかい。甘さもあるのに、重くない。飲み込んだ後、身体の奥がじんわり温かくなる。
「これは、凄いですね」
カヤシマも驚いていた。
クラタは料理人の顔になっている。
「肉料理に合わせたいですね」
「黄金牛、残しておけば良かった」
俺が本気で悔しがると、ミショウが笑った。
「三烏さん、発想が食べ物寄りですね」
「最近、周りの影響で」
主に神様の影響である。
それにしても、俺は少し気になっていた。
メサージュは強かった。
速かった。美しかった。あれだけの鬼火を相手に、かなりの時間粘った。
だが、俺と以前戦った時より、明らかに本気だった気がする。
「……俺とやった時、メサージュは手加減してたんじゃないか?」
ぽつりと呟く。
イナリが杯を片手に、こちらを見た。
「そうじゃろうな」
「やっぱり?」
「おぬしを殺す気はなかったのじゃろう。吸血鬼の遊び方じゃ」
「遊ばれてたのか、俺」
「悪い事ではない。相手に興味を持たれたという事じゃ」
慰めになっているような、なっていないような。
カヤシマが苦笑した。
「それに、今の戦いを見て生きて帰れるだけでも、普通は貴重な経験だよ」
「それは確かに」
あんな戦闘、普通なら巻き込まれただけで終わりである。
俺たちはその夜、メサージュのドロップしたワインを少しだけ楽しみ、残りは大事に収納した。
イナリはかなり満足そうだった。
「また来ぬかのう、あの吸血鬼」
「負けたのにですか?」
「死なぬのじゃろう?」
「まあ、たぶん」
「ならば、また戦える」
神様、だいぶ物騒である。
翌日、俺たちは無事に地下都市へ戻った。
ドロップもそこそこ取れた。トロールも倒した。 メサージュのワインも手に入った。
成果としては十分過ぎる。
ギルドに報告すると、またオオヤシロとカミキが、見事なまでに知らないふりを発揮した。
「トロールのドロップですね。良い成果です」
「こちらは……ワイン樽ですか」
「はい。女吸血鬼が落としました」
「なるほど」
なるほどで済ませるな。
だが、このギルドでは済むのだ。
政府に知られると大ごとになる話は、知らないふり。神様も吸血鬼も、単独ドラゴン討伐も、扱いはだいたい同じである。
大人の組織は恐ろしい。
その後、俺とイナリは、いつものように『はるか』へ向かった。
迷宮帰りに、はるか。もう完全に習慣である。
「いらっしゃい」
女将さんの声に迎えられ、俺たちは店に入った。
そして、カウンターの端を見て、足を止めた。
メサージュがいた。
普通にいた。
赤ワインを片手に、優雅に飲んでいた。
「お久しぶりですわ、三烏様。イナリ様」
「昨日ぶりでは?」
俺が言うと、メサージュはくすりと笑った。
「迷宮の中と外では、また違うものですわ」
「そういうものか?」
「そういうものですわ」
もう深く考えない事にした。
イナリも、当たり前のように椅子に座る。
「昨日の酒は美味かったぞ」
「お口に合ったようで何よりですわ」
「また落とせ」
「それは、また勝ってからですわね」
「ふむ。楽しみじゃ」
何だ、この会話。
昨日、燃え尽きてワイン樽になった相手と、普通に次の戦闘の話をしている。
迷宮の常識は、外の常識と違い過ぎる。
いや、この店もだいぶ迷宮側に寄っている気がする。
女将さんは、俺たちの様子を見ても、特に驚かない。
「今日は何にする?」
「お任せでお願いします。あと、これを少し使えますか」
俺はメサージュのワインを少し出した。
女将さんは香りを確かめ、にやりと笑った。
「良いわね。煮込みに使いましょう」
「贅沢ですね」
「こういう時に使わないと、もったいないわ」
料理人は強い。
しばらくして、料理が並んだ。
ワインを使った肉の煮込み。香草焼き。温かいスープ。そして、イナリ用のいなり寿司。
メサージュはワインを傾け、イナリはいなり寿司と煮込みを交互に食べ、俺はひたすら料理に舌鼓を打った。
美味い。
迷宮で疲れた身体に、女将さんの料理は染みる。
ワイン煮込みは、肉がほろほろにほどけ、深い香りが広がる。昨日の戦闘で手に入れた酒が、今日の飯をさらに美味くしている。
何というか、迷宮生活の醍醐味である。
「三烏様」
メサージュが、ふと俺を見た。
「はい?」
「あなたも、また強くなりましたわね」
「そうですか?」
「ええ。以前より、気配が濃くなっています」
「年のせいで加齢臭が濃くなったとかではなく?」
「柔内くん」
女将さんに睨まれた。
「すみません」
メサージュは楽しそうに笑った。
「いずれ、もう一度お相手願いたいものですわ」
「俺よりイナリ様の方が良いんじゃないですか?」
「もちろん、イナリ様も。しかし、あなたにはあなたの面白さがあります」
「面白さ」
「奇妙な強さ、とでも申しましょうか」
褒められているのか、よく分からない。
イナリが横から言った。
「この男は、くたびれておるが、底が見えぬところはある」
「くたびれは余計です」
「事実じゃ」
否定できない。
メサージュは杯を掲げた。
「では、くたびれた底知れぬ男に」
「やめてください、その乾杯」
イナリも杯を掲げる。
「くたびれた男に」
「乗らないでください」
女将さんまで笑っている。
俺はため息をつきながら、湯呑みを持ち上げた。
「はいはい。くたびれた男です」
そう言って、俺も軽く乾杯した。
イナリがいなり寿司を頬張り、メサージュがワインを飲み、女将さんが次の料理を出してくれる。
俺は煮込みを一口食べて、思わず目を閉じた。
美味い。
とりあえず、深層を目指すかどうかは、また明日考えよう。
これ以上、何を望むというのか。
……いや、欲を言えば。
もう少しだけ、胃袋が若返ってくれると助かる。
俺は腹をさすりながら、そんな事を思ったのだった。
読んでいただいて、ありがとうございます。
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