初恋のひと
黄金牛のブロック肉を手に入れた俺たちは、意気揚々と帰路についていた。
黄金牛の肉は、【仙人みかん】に入れてある。
真桃ちゃんたちは、まだ興奮冷めやらぬ様子だった。
「黄金牛ですよ、黄金牛!」
「初めて見ました」
「肉、どんな味なんでしょうね」
「焼きます?煮ます?ステーキですか?」
シィマ、ユサ、キョウコが口々に言う。
マユリは盾を背負いながら、にこにこと笑っていた。真桃ちゃんも、ずっと機嫌が良い。
そしてイナリ様は、俺の横を草履で歩いている。
着物姿の幼女である。
どう見ても迷宮にいるべき姿ではない。
今さらながら、俺は周囲の冒険者たちに目を向けた。
帰路なので、他のパーティーとも何組かすれ違う。
しかし、誰もイナリ様を見ていない。
というより、気づいていない。
俺たちとすれ違っても、視線は真桃ちゃんたちや俺の装備に向くだけで、幼女神にはまるで反応しない。
俺は首を傾げた。
「どうしたのじゃ、くたびれた男」
「いや、今さらですけど、何で誰もイナリ様を気にしてないんですか?迷宮に幼女ですよ。普通なら大騒ぎでしょう」
「認識阻害をかけておる」
「さらっと凄い事を」
「騒がれると面倒じゃからな」
確かに面倒だ。
見た目だけなら完全に子供。その子供を連れて迷宮を歩いている俺。
通報案件である。いや、ギルドに登録はしているのだが、それを説明して回るのは非常に面倒だ。
「じゃあ、真桃ちゃんたちは?」
「最初に見えておった者には、ある程度通るようにしてある」
「便利ですねえ」
「神じゃからな」
神様という言葉で、だいたいの事が片付けられるようになってきた。
この調子だと、そのうち俺の常識が完全に壊れる気がする。
いや、もうかなり壊れているか。
そんな事を考えた矢先だった。
「待ちなさい!」
後方から、鋭い声が響いた。
俺たちは足を止めた。
「どうして子どもがいるの!?」
振り返る。
そこには、一つのパーティーがいた。
全員が、明らかに雰囲気の違う冒険者たちだった。
装備が良い。立ち方に隙がない。俺たちが普段潜る浅いエリアの冒険者とは、纏っている空気そのものが違う。
その先頭に立っていたのは、女性だった。
見た目は四十代くらい。
凛とした美女。
背筋がすっと伸び、黒髪を後ろでまとめ、切れ長の目がこちらを真っ直ぐ射抜いている。
美しいというより、格好良い。ただ立っているだけで、周囲の空気が引き締まるような女性だった。
その女性を見た瞬間、キョウコたちが息を呑んだ。
「ちょ、蝶子さま……!」
キョウコの目が、明らかにハートになった。
「本物……!」
ユサまで、普段の冷静さをどこかへ落としている。
「深層エリアの伊吹蝶子さん……!」
マユリが小声で言った。
「女性冒険者の憧れの人です……!」
シィマも完全に見惚れている。
真桃ちゃんまで、緊張した顔で背筋を伸ばしていた。
伊吹蝶子。
その名前を聞いた瞬間、俺の頭の中で、遠い記憶が音を立てて開いた。
中学時代。
同じクラス。
いつも真っ直ぐで、成績も良くて、運動も出来て、何となく近寄りがたいのに、たまに笑うと妙に可愛くて。
俺が、初めて好きになった女の子。
伊吹蝶子。
「……伊吹?」
思わず声が出た。
女性の眉が少し動いた。
「その呼び方……」
彼女の視線が俺に向く。
そして、数秒。
「……三烏、柔内?」
「お、おう」
俺は間抜けな返事をした。
まさか、こんな所で中学時代の初恋相手に会うとは思わなかった。
いや、会うだけならまだ良い。
問題は、向こうが四十代くらいにしか見えない事である。
俺と同い年のはずだ。つまり、五十代後半である。
なのに、どう見ても俺より十歳以上若い。
肌も張りがある。姿勢も綺麗。目に力がある。
そして。
俺は一瞬、視線を落としてしまった。
いや、落とすつもりはなかった。本当だ。
だが、記憶の中の伊吹蝶子は、どちらかと言えばすらりとした体型で、胸も小ぶりだった。
それが今は、何というか、立派だった。
非常に立派だった。
年齢を重ねたからというより、全体的に若返り、なおかつ女性らしさが増したような――。
「どこを見ているの?」
「すみません」
俺は即座に頭を下げた。
アラカンの反射神経は、こういう時だけ鋭い。
蝶子は呆れたように息を吐いた。
「久しぶりに会って、最初に見るところがそこ?」
「いや、違う。驚いただけだ。色々と」
「色々、ね」
冷たい目で見られた。
中学時代にも、たぶん何度かこんな目で見られた気がする。
懐かしい。
懐かしいが、痛い。
真桃ちゃんたちの視線が、今度は俺に集まっていた。
「オジサン、蝶子さまとお知り合いなんですか?」
キョウコが、妙に低い声で聞いてくる。
「ああ、中学の同級生」
「中学の……」
「同級生……?」
「え、でも、蝶子さまって……」
ざわめく真桃ちゃんたち。
その反応は分かる。
俺と蝶子が同級生。つまり同い年。
しかし見た目は、俺がくたびれた五十代後半のおっさんで、蝶子は凛とした四十代美女。
差が大きい。
悲しいくらい大きい。
「迷宮適性が高いと、身体が若返る事があるのよ」
蝶子が淡々と言った。
「深層で活動していると、特にね。代謝も変わるし、肉体も強化される。私は迷宮適性Aクラスだから、その影響が出やすいの」
「Aクラス……」
真桃ちゃんたちがまたざわめく。
「おぬしと同じじゃな」
イナリ様が、俺を見上げて言った。
蝶子の目が細くなる。
「あなたもAクラスなの?」
「まあ、一応」
「一応じゃないでしょう」
蝶子の声に、少し圧が乗った。
「Aクラスの迷宮適性を持っているなら、浅いエリアで遊んでいる場合じゃないわ。もっと深層を目指しなさい」
出た。
説教である。
中学時代の伊吹蝶子は、何でもちゃんとやる人間だった。勉強も、運動も、委員会も、行事も。
そして、ちゃんとやらない人間を見ると、黙っていられないタイプだった。
俺は逆に、何でもそこそこ出来るが、そこから先を頑張らない人間だった。
たぶん、彼女は昔から俺をそう見ていたのだろう。
素質はある。でも頑張らない。もったいない。
今、その評価が迷宮でも発動している。
「いや、俺もそれなりには頑張ってるんだが」
「それなりでは駄目よ」
「アラカンに厳しい」
「年齢を言い訳にしない」
強い。
初恋相手は、深層でも強いが、説教も強い。
「そもそも、その子は何?」
蝶子の視線がイナリ様に向く。
イナリ様は、胸を張った。
「神じゃ」
「……そう」
蝶子は一瞬だけ眉を上げたが、それ以上は追及しなかった。
深層の冒険者ともなると、神様くらいでは騒がないのか。それとも、関わると面倒だと判断したのか。
たぶん後者だ。
「認識阻害を見破ったのは、おぬしが初めてじゃな」
イナリ様が言う。
「強い気配がしたから見えたのよ。あなたも相当な存在ね」
「ふむ。見どころがある」
神様が上から目線で褒めた。
蝶子は苦笑しただけだった。
格が高い者同士の会話は、横で聞いていて胃が痛い。
「それはそうと、柔内」
「はい」
昔の同級生に名前で呼ばれて、ちょっと変な気分になる。
「この後、付き合いなさい」
「え」
真桃ちゃんたちが、ぴくりと反応した。
キョウコの目が、また別の意味で光った気がする。
「話したい事があるの。昔の事も、今の事も。それに、あなたの探索方針についても」
「探索方針……」
説教の予感しかしない。
だが、それ以前に問題がある。
黄金牛の肉だ。
今、俺の収納には、黄金牛のブロック肉が入っている。
初恋相手との再会。確かに大事である。
しかし、黄金牛の肉も大事である。
むしろ、今の俺にとっては、かなり大事である。
「悪い。今日は大事な用があるから、また後日にしてくれ」
俺がそう言うと、周囲が静まり返った。
蝶子の目が、すっと細くなる。
「初恋相手より大事な用事?」
「いや、何で初恋って分かってるんだ」
「気づいていたわよ」
「うぐっ」
即死級の一言だった。
中学時代の俺よ。お前の気持ちは、普通にバレていたぞ。
今さらだが、顔から火が出そうである。
真桃ちゃんたちが、さらにざわめいた。
「初恋……」
「オジサンの初恋……」
「蝶子さまが……」
やめて欲しい。アラカン男の初恋を、そんな珍しい化石みたいに眺めないで欲しい。
蝶子は腕を組んだ。
「で? その初恋相手との再会より大事な用事って何?」
詰め寄ってくる。
これはまずい。
正直に言うと、肉である。
だが、初恋相手より肉を優先したとなると、何か人として大事なものを失う気がする。
俺が返答に詰まっていると、横からキョウコがにこりと笑った。
「でしたら、蝶子さまも一緒にいらっしゃれば良いのでは?」
「キョウコさん?」
「黄金牛の肉を食べに行くんです」
バラした。
あっさりバラした。
蝶子の眉が動く。
「黄金牛?」
「はい。さっき倒しまして」
「……黄金牛を?」
蝶子の視線が、俺に向く。
その目には、驚きと疑念と、少しの評価が混じっていた。
「浅いエリアで遊んでいるわりには、面白いものを狩っているのね」
「いや、これはイナリ様と皆の手柄で」
「妾の肉じゃ」
イナリ様が胸を張った。
「いえ、皆で頑張りましたよ」
真桃ちゃんが慌てて補足する。
「オジサンの【縮地】チャクラムがなかったら、逃げられてました」
「【縮地】チャクラム?」
蝶子の眉間に皺が寄った。
「あなた、また変な使い方をしているのね」
「またって何だ。昔からそんなに変な事してたか?」
「してたわよ。何でも器用にこなすのに、正攻法で頑張らない」
ぐうの音も出ない。
「まあいいわ。黄金牛の肉なら、確かに大事な用ね」
「認めるのか」
「認めるわよ。黄金牛は深層でも滅多に出ないもの」
そうなのか。
俺たち、とんでもないものを狩ったらしい。
いや、とんでもない事は、肉を見た時点で分かっていたが。
結局、蝶子も同行する事になった。
場所も『はるか』となった。
彼女のパーティーメンバーたちは、少し呆れたような顔をしながらも、慣れているのか特に止めなかった。
ただし、全員で来ると『はるか』が大変な事になるので、蝶子だけがついてくる事になった。
迷宮を出て、ギルドに軽く報告する。
黄金牛の肉については、女将さんに料理してもらってから一部を買い取りに出す事にした。オオヤシロもカミキも、話を聞いて非常に良い笑顔になった。
もちろん、神様がどうこうという部分は深掘りしない。蝶子が認識阻害を見破った件も、見なかった事にする。
この地下都市、知らないふりの技術が高過ぎる。
そして俺たちは『はるか』へ向かった。
女将は、黄金牛のブロック肉を見た瞬間、目の色を変えた。
「あらまあ」
それだけ言って、肉をじっと見る。
料理人の顔になっていた。
「これは、下手に手を入れ過ぎない方が良いわね」
「お願いします」
「任せなさい」
女将さんは、静かに肉を厨房へ運んでいった。
その背中に、妙な頼もしさがある。
深層冒険者。神様。Aクラス適性者。双剣使い。 音魔法使い。
色々いるが、この瞬間、一番格好良いのは女将かも知れない。
しばらくして、料理が並んだ。
まずは、薄く切られた炙り肉。
表面だけを軽く炙り、中はほとんど生に近い。 塩とわさびが添えられている。
次に、厚切りステーキ。焼き目は美しく、中から肉汁が滲んでいる。
さらに、すき焼き風の小鍋。甘辛い香りが、胃袋を直撃する。
締めには、黄金牛の脂を使った焼き飯まで用意されていた。
俺たちは、しばし無言だった。
イナリ様ですら、黙って料理を見ている。
「では、いただきます」
真桃ちゃんの声で、全員が箸を取った。
俺はまず、炙り肉を一枚つまんだ。
塩を少し。わさびをほんの少し。
口に入れる。
その瞬間、世界が止まった。
肉の旨味が、舌の上でほどける。
脂はしつこくない。甘い。だが、ただ甘いだけではなく、深い。
噛むほどに、肉の味が広がる。
何だこれは。
牛肉というものは、こんな味をして良いのか。
「……」
俺は言葉を失った。
横を見ると、真桃ちゃんが目を閉じて震えていた。
シィマはバイオリンを抱えたまま、魂が抜けた顔をしている。
ユサは真顔で涙を流していた。
マユリは箸を持ったまま固まり、キョウコは両手を合わせて祈っている。
イナリ様は、静かに頷いた。
「うむ」
それだけだった。
だが、その一言に、神様としての最大級の評価が込められている気がした。
蝶子も、一口食べたまま動きを止めていた。
凛とした美女が、完全に無防備な顔になっている。
「……何、これ」
ようやく絞り出した声は、少し震えていた。
「美味いだろ」
俺が言うと、蝶子は素直に頷いた。
「美味しいわ」
次にステーキを食べる。
もう駄目だった。
魂が抜ける。
肉を噛んでいるだけなのに、人生の反省会が始まりそうになる。ああ、俺はこの肉を食べるために今日まで生きてきたのかも知れない。そんな馬鹿な事まで思う。
すき焼き風の小鍋に至っては、卵と絡めた瞬間、全員が一度沈黙した。
美味すぎると、人は叫ばない。
静かになる。
そして、少し遅れておかしくなる。
「オジサン……」
シィマが、ぽつりと言った。
「私、牛の歌、作れそうです……」
「今はやめなさい。泣くかも知れないので」
「私も泣きそうです」
ユサはもう泣いていた。
イナリ様は、いなり寿司も横に置いて、黄金牛を楽しんでいた。
「おぬし」
「はい」
「この迷宮、良い所じゃな」
「肉基準ですか」
「大事じゃ」
またそれである。
だが、俺も同意せざるを得ない。
迷宮は危険だ。怖い。理不尽だ。
しかし、こんな肉がある。
人間というのは単純な生き物で、美味いものを食べると、大体の事を許せる気がしてくる。
食事が一段落した頃、蝶子が湯呑みを手に、ふっと息をついた。
「柔内」
「何だ?」
「あなたの迷宮の楽しみ方、少し分かった気がするわ」
「そうか?」
「深層を目指して強くなるだけが、迷宮じゃないのね。こうして仲間と狩って、食べて、笑う。それも悪くない」
珍しく、蝶子の声が柔らかかった。
中学時代の俺が聞いたら、心臓が爆発していたかも知れない。
「でも」
来た。
この「でも」は、だいたい説教の前置きである。
「あなたは、やっぱり深層に来るべきよ」
「やっぱりそこに戻るのか」
「戻るわよ。Aクラスの適性があるのに、浅い場所で満足するのはもったいないもの」
「俺はもう若くないんだが」
「迷宮に入っているなら、若返る可能性はあるわ。私みたいにね」
蝶子が軽く胸を張った。
俺は視線を逸らした。
「だから、見るな」
「見てない」
「見た」
「すみません」
また謝った。
成長しない男である。
蝶子は呆れたように笑った。
「昔からそうね。すぐ誤魔化す。でも、本当に素質はあったのよ。勉強も、運動も、人付き合いも。ちゃんと本気になれば、もっと上に行けた」
「耳が痛いな」
「迷宮でも同じ事をしないで。今度こそ、ちゃんと自分の力を使いなさい」
その言葉は、不思議と嫌ではなかった。
説教ではある。間違いなく説教である。
だが、馬鹿にしている訳ではない。
昔から彼女は、俺にそう思っていたのだろう。
もったいない。もっと出来るはず。だから頑張れ。
そういう厳しさだった。
「まあ、考えておくよ」
「考えるだけ?」
「アラカンは急に走ると膝に来るんだ」
「迷宮適性Aクラスでしょう」
「膝は膝だ」
蝶子は声を出して笑った。
その笑顔は、中学時代の記憶と少し重なった。
俺は少しだけ、胸の奥がくすぐったくなった。
食事を終え、黄金牛の肉の残りは、食べる分と売る分に分けた。売る分だけでも、とんでもない金額になるらしい。
女将さんにも料理代とは別に、少し多めに渡す事にした。あの肉を最高の形で食べさせてもらったのだから、当然である。
店を出る頃には、全員がどこか放心していた。
黄金牛の肉は、それくらい凄かった。
蝶子は店の前で立ち止まり、俺を見た。
「柔内」
「何だ?」
「深層で待ってるわ」
そう言って、凛とした笑みを浮かべた。
深層で活躍する女性冒険者たちの憧れの人。中学時代の俺の初恋相手。そして、俺と同じAクラス適性者。
伊吹蝶子は、軽く手を振って去って行った。
その後ろ姿を、真桃ちゃんたちがうっとりと見送る。
「格好良い……」
「蝶子さま……」
「深層、憧れますね……」
完全にファンの顔である。
俺はというと、少し複雑な気分だった。
初恋相手との再会。若返った彼女。大きくなった胸。説教。黄金牛。
情報量が多い。
多過ぎる。
イナリ様が、俺の横でぽつりと言った。
「おぬし、女難の相があるな」
「神様がそういう事言うと、洒落にならないんですが」
「安心せい。今のところ、楽しそうな難じゃ」
「それは難と言うんですか?」
「言うじゃろ」
イナリ様は、満足そうにいなり寿司の包みを抱えていた。
いつの間にか、女将さんからお土産をもらっていたらしい。
神様は抜け目がない。
俺は空を見上げた。
地下都市なので、本物の空は見えない。
それでも、何となく遠くを見たくなった。
深層。
今までは、どこか他人事だった場所。
だが、蝶子はそこで待っていると言った。
俺に来いと言った。
行くかどうかは分からない。すぐに行けるとも思わない。
ただ、少しだけ。
本当に少しだけ。
行ってみても良いかも知れない、と思ってしまった。
まあ、その前に。
俺は腹をさすった。
「今日はもう動けないな」
「同感じゃ」
イナリ様が真顔で頷いた。
深層への道は遠い。
だが、とりあえず今夜は、黄金牛で満たされた腹を抱えて、神棚のある家賃二十万円の部屋に帰る。
それが、今の俺にとって一番大事な探索方針なのだった。
読んでいただいて、ありがとうございます。
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