神様は食いしん坊
俺こと三烏柔内の家賃二十万円の部屋に、神棚が設置された。
いや、設置された、というか、設置させられた。
「もっと右じゃ」
「この辺ですか?」
「違う。もう少し上じゃ」
「賃貸なんで、あんまり壁に穴とか開けたくないんですが」
「神を祀るのに、賃貸も持ち家もあるか」
あると思う。
敷金とか、原状回復とか、そういう現実的な問題が。
だが、相手は神様である。しかも見た目は幼女。 文句を言うと、幼女に説教されるという、精神的に大変よろしくない状況になる。
結局、俺はホームセンターで買ってきた簡易神棚を、壁を傷つけないタイプの金具と突っ張り棒を駆使して、どうにか設置した。
家賃二十万円の部屋に神棚。
何だろう。急に生活感が変な方向に増した。
「うむ。悪くない」
イナリ様は満足げに頷いた。
脛までの丈の着物姿。黒髪に白い肌。相変わらず、日本人形が歩いているような姿である。
そのイナリ様が、ぴょん、と軽く跳び上がったかと思うと、そのまま神棚の前にちょこんと座った。
「今日よりここを妾の社とする」
「社」
「うむ」
「ここ、俺の部屋なんですが」
「ならば、おぬしは社守じゃな」
「勝手に職業が増えた……」
アラカン探索者。神様の保護者。そして社守。
履歴書に書いても、誰も信じてくれないだろう。
しかも、俺の部屋は一人暮らしには十分過ぎる広さがあるとはいえ、決して神社ではない。キッチンもあるし、洗濯機もあるし、冷蔵庫には安売りの総菜も入っている。
そんな現代的な部屋の片隅に、幼女神が鎮座している。
俺はもう、何に驚けば良いのか分からなくなっていた。
などと思っていたら、インターホンが鳴った。
「はい」
『オジサーン、真桃です!』
『シィマもいますよー!』
来た。
来てしまった。
俺は一瞬、神棚の方を見た。
イナリ様は、涼しい顔で座っている。
「どうするんですか?」
「どうするとは何じゃ」
「いや、説明が」
「神であると説明すればよい」
「それで通るなら苦労しません」
とはいえ、居留守を使う訳にもいかない。
俺は腹を括って玄関を開けた。
「オジサン、こんにちは!」
「お邪魔しまーす!」
真桃ちゃんとシィマが、いつものように明るく入ってくる。
そして、二人の視線が、ほぼ同時に神棚の前へ向いた。
数秒、沈黙。
その後、真桃ちゃんの目が丸くなった。
「……オジサン」
「はい」
「その子、誰ですか?」
来た。
当然の質問が来た。
俺は、できるだけ落ち着いた声で答える。
「この辺りの神様です」
「神様?」
「神じゃ」
イナリ様が、神棚の前で偉そうに頷いた。
普通なら、ここで混乱する。あるいは、冗談だと思う。しかし、真桃ちゃんとシィマは、俺と一緒にそれなりに迷宮の非常識を見てきたせいか、反応が少しおかしかった。
「神様……」
「神様なんですね……」
二人は顔を見合わせる。
そして、次の瞬間。
「可愛い!」
「めちゃくちゃ可愛いです!」
二人がイナリ様に突撃した。
「ぬおっ!?」
神様が変な声を出した。
真桃ちゃんがイナリ様を抱き上げる。
「わあ、軽い! お人形さんみたい!」
「真桃、私にも抱っこさせて!」
「ちょっと待って、今、私が抱っこしてるから!」
「交代制よ!」
イナリ様は抱えられたまま、目をぱちぱちさせていた。
怒るかと思った。
燃やすかと思った。
だが、意外にもイナリ様は大人しくしている。
「……ふむ」
むしろ、少し満更でもなさそうである。
「可愛い可愛いって言われてますけど、良いんですか?」
「褒め言葉を拒むほど、妾は狭量ではない」
「ババアは駄目なのに?」
「燃やすぞ」
「すみません」
危ない。
つい余計な事を言ってしまった。
イナリ様は真桃ちゃんに抱っこされ、シィマに頬をつつかれ、なんだかんだで楽しそうだった。
年齢を超越した美しさを持つ神様でも、可愛いと言われるのは嫌ではないらしい。
そのうち、マユリ、ユサ、キョウコも合流した。
真桃ちゃんのパーティーである。
盾役のマユリ。魔法使いのユサ。回復役のキョウコ。音魔法を使うバッファーのシィマ。そして双剣使いの真桃ちゃん。
全員がイナリ様を見て、だいたい同じ反応をした。
「可愛い」
「可愛いですね」
「可愛いわね」
神様は、完全にマスコット扱いである。
俺は一応、念のために言っておいた。
「皆さん、見た目はこうですけど、本当に神様ですからね。失礼のないように」
「オジサンが一番失礼な事を言ってそうですよね」
キョウコに即座に刺された。
否定できない。
やがて話題は食べ物になった。
何故かは分からないが、若い女性たちが集まると、話はだいたい食べ物に向かう。いや、若い女性に限らないか。俺も食べ物の話は好きだ。
「イナリ様は、好きな食べ物ってあるんですか?」
真桃ちゃんが聞く。
「いなり寿司じゃ」
「やっぱり!」
シィマが手を叩いた。
「他には?」
「美味い肉も嫌いではない」
「肉!」
その一言で、場の空気が少し変わった。
迷宮の肉。
探索者なら誰もが知っている、危険と引き換えのご馳走である。
「そういえば、迷宮牛って食べた事あります?」
ユサが言った。
「迷宮牛?」
イナリ様が首を傾げる。
「迷宮に出る牛型モンスターです。すごく速いんですけど、肉が美味しいんですよ」
「ほう」
イナリ様の目が、少しだけ光った。
神様の目が光ると、妙な迫力がある。
「美味いのか」
「美味しいです」
「ならば狩る」
即決だった。
神様は食に正直である。
こうして、俺とイナリ様と真桃ちゃんのパーティーで、迷宮牛を狩りに行く事になった。
休日のはずが、また迷宮である。
最近、俺の休日は迷宮に吸い込まれる呪いでもかかっているのだろうか。
そして当日。
俺たちは迷宮牛が出る階層へ向かった。
迷宮牛は、普通の牛とは違う。
体は大きい。角は鋭い。そして何より、速い。
牛なのに速い。
いや、現実の牛も本気を出せば速いらしいが、迷宮牛はそういうレベルではない。筋肉の塊が、弾丸みたいに走り回るのだ。
正面から受ければ、盾役でも吹き飛ばされる。
「マユリ、無理に止めないでね」
「分かってる。角度をずらして受け流す」
真桃ちゃんが確認し、マユリが頷く。
シィマはバイオリンを構え、ユサは杖を握り、キョウコはいつでも回復できる位置につく。
俺もチャクラムを手にした。
そして、イナリ様はいつもの着物に草履で立っている。
「やっぱり、その格好なんですね」
「動きやすいぞ」
「草履で迷宮を歩いてる時点で、もう俺には何も言えません」
その時、通路の奥から地鳴りが聞こえた。
来た。
迷宮牛である。
黒い巨体が、猛烈な勢いで突っ込んでくる。
「来ます!」
真桃ちゃんが叫んだ。
シィマのバイオリンが鳴る。
澄んだ音が迷宮の通路に響き、全員の体が軽くなった。音魔法のバフである。
迷宮牛が突進してくる。
俺は横に跳んだ。真桃ちゃんも避ける。マユリが盾で角度をずらし、ぎりぎりで流した。
その瞬間、イナリ様の周囲に鬼火が灯る。
「行け」
青白い火が、迷宮牛を追った。
速い。
迷宮牛も速いが、鬼火はさらに速い。
逃げる牛の尻に、横腹に、脚に、次々と鬼火がぶつかる。
迷宮牛が悲鳴を上げて倒れた。
あっさりである。
「……迷宮牛って、こんなに簡単でしたっけ?」
ユサが呆然と呟く。
「いや、違うと思う」
俺も正直に答えた。
イナリ様の鬼火攻撃は、相変わらずゲキつよだった。
その後も、迷宮牛は順調に狩れた。
走る。逃げる。追う。
普通なら苦戦するはずの高速戦が、イナリ様の鬼火によって一気に楽になる。真桃ちゃんが足を狙い、ユサが進路を妨害し、マユリが突進を受け流し、シィマが全員を強化し、キョウコが小さな傷を治す。
そこに俺がチャクラムで牽制を入れる。
なかなか良い連携だった。
いや、イナリ様が強過ぎるので、連携というより、神様の火力を皆で支えている感じではある。
それでも、獲物は増えていく。
「今日は焼肉ですね!」
真桃ちゃんが楽しそうに言った。
「すき焼きも良いですよ」
キョウコが言う。
「ステーキも捨てがたいです」
ユサが真面目な顔で続ける。
「牛肉の歌、作りましょうか」
シィマが妙な事を言い出す。
「やめておけ。腹が減る」
イナリ様が止めた。
神様にも、腹が減るという概念はあるらしい。
十分に狩ったので、そろそろ帰るかという空気になった時だった。
イナリ様が、ふと通路の先を見た。
「……あちらじゃ」
「どうしました?」
「あちらに、美味そうな気配がする」
美味そうな気配。
神様の感覚は、相変わらずよく分からない。
だが、ここまでの流れからして、無視する手はない。
「行ってみますか?」
「行く」
即答だった。
俺たちは警戒しながら、イナリ様の示す方向へ進んだ。
通路を抜け、少し広い空間に出る。
そこにいた。
牛である。
ただし、普通の迷宮牛ではなかった。
全身が、黄金に輝いていた。
角も、毛並みも、蹄までも、薄く金色の光を帯びている。
「……黄金牛?」
マユリが呟く。
「レアモンスターですかね」
ユサの声が少し震えている。
黄金牛は、こちらを見た。
次の瞬間、消えた。
「速っ!」
俺は思わず叫んだ。
いや、消えたように見えただけだ。黄金牛は、とんでもない速度で横へ走ったのだ。
普通の迷宮牛より、さらに速い。しかも動きが直線的ではない。
通路の壁際を蹴り、角度を変え、こちらを翻弄するように駆け回っている。
イナリ様の鬼火が飛んだ。
しかし、黄金牛はそれを避けた。
「ほう」
イナリ様の口元が、少し上がる。
楽しそうだった。
「これは、良い肉じゃ」
「基準が肉なんですね」
「当たり前じゃ」
黄金牛が突っ込んでくる。
「マユリ!」
「任せて!」
マユリが盾を構える。
だが、黄金牛は直前で軌道を変えた。
盾をすり抜けるように横を抜け、後衛へ向かう。
「ユサ!」
「土壁!」
ユサの魔法で壁が生える。
黄金牛はそれすら蹴って、さらに角度を変えた。
何だあれ。
牛の動きではない。もはや忍者牛である。
シィマのバイオリンが強く鳴った。
「速度強化、さらに入れます!」
音が体に染み込む。
全員の動きが、さらに軽くなった。
真桃ちゃんが双剣を抜き、黄金牛の横を取る。 しかし刃が届く寸前、黄金牛はまた逃げた。
「速過ぎます!」
「しかも硬い!」
真桃ちゃんの剣は、わずかに毛並みを斬っただけだった。
俺はチャクラムを構える。
正直、普通に投げても当たらない。この速度の相手に、投擲武器を当てるのは至難の業である。
だが、俺には【縮地】がある。
本来は、人間が瞬間的に距離を詰めるためのスキル。
だが、俺はそれを、チャクラムに乗せる。
つまり、投げた瞬間に当たる。
スキルの本来の使い方ではない気がする。というか、絶対に違うと思う。
しかし、使えるものは使う。アラカンは柔軟性が大事である。
「シィマ、もう一段いけるか!」
「いけます!」
シィマの音が跳ねた。
俺の腕に力が乗る。
黄金牛が、こちらへ突っ込んでくる。避けられない速度。いや、避けられる。こちらもバフを受けている。
俺は半歩ずれ、チャクラムを投げた。
同時に【縮地】。
チャクラムが消えた。
次の瞬間、黄金牛の前脚に深く食い込んだ。
「よし!」
黄金牛が体勢を崩す。
それでも倒れない。踏ん張った。強い。打たれ強い。
「今です!」
真桃ちゃんが叫ぶ。
マユリが盾で進路を塞ぐ。ユサの魔法が足元を固める。キョウコが皆の消耗を見ながら、すぐに回復できるよう構える。
俺は二枚目のチャクラムを抜いた。
黄金牛が暴れる。金色の体が、迷宮の灯りを反射して眩しい。
「妾の獲物じゃ」
イナリ様の声が響いた。
その周囲に、鬼火が灯る。
一つ。二つ。三つ。
いや、数えるのが馬鹿らしいほどの数だった。
青白い火が、ぐるりと黄金牛を囲む。
黄金牛が逃げようとした。だが、前脚は削られ、地面は固められ、盾に進路を潰されている。
そこへ、鬼火が一斉に飛んだ。
炎が爆ぜる。
黄金牛が吠えた。
迷宮全体に響くような声だった。
それでも、イナリ様は眉一つ動かさない。
「焼き加減は、ほどほどでよいぞ」
「ドロップ品に焼き加減とか関係あるんですか!?」
俺が突っ込んだ瞬間、最後の鬼火が黄金牛の額に命中した。
黄金の巨体が、崩れる。
そして、光となって消えた。
あとに残ったのは、巨大な肉の塊だった。
普通の迷宮牛の肉とは違う。脂の入り方が美しく、肉そのものが淡く金色を帯びている。
黄金牛のブロック肉。
その場にいた全員が、しばらく黙った。
そして。
「やったー!」
真桃ちゃんが歓声を上げた。
「凄いです!凄いお肉です!」
シィマも飛び跳ねる。
「これは高く売れますね」
ユサが真顔で言う。
「食べる分は残しましょう」
キョウコも真顔で言う。
「まず味見よね」
マユリが盾を下ろして笑った。
イナリ様は、満足そうに肉を見下ろしていた。
「うむ。美味そうじゃ」
「結局、そこなんですね」
「そこが大事じゃ」
神様は断言した。
まあ、否定はしない。俺も今、かなり腹が減っている。
これだけの肉だ。売れば相当な金額になるだろう。だが、全部売るなどという選択肢は、誰の頭にもなかった。
食べる。
まず食べる。
探索者とは、そういう生き物である。
俺は黄金牛のブロック肉を見ながら、ふと部屋の神棚を思い出した。
家賃二十万円の部屋に住み着いた幼女神。神棚。 いなり寿司。迷宮牛。黄金牛。
何だ、この生活。
アラカンになってからの人生が、妙に濃い。
若い頃の俺に言っても、絶対に信じないだろう。
お前は将来、幼女の姿をした稲荷神を部屋に住まわせ、若い女性パーティーと一緒に黄金の牛を狩るぞ。
そんな事を言われたら、間違いなく病院を勧める。
「オジサン、どうしたの?」
真桃ちゃんが首を傾げる。
「いや、人生って分からないなと思って」
「急に深いですね」
「深いというか、迷子です」
俺の人生は、たぶん迷宮より迷っている。
だが、目の前には黄金牛の肉がある。
可愛い神様は満足げで、真桃ちゃんたちは楽しそうで、全員無事だ。
なら、まあ良いか。
「帰ったら、どう食べます?」
シィマが聞く。
「ステーキ」
イナリ様が即答した。
「いなり寿司は?」
「それは別腹じゃ」
神様にも別腹があるらしい。
俺は思わず笑った。
こうして俺たちは、黄金牛のブロック肉を抱え、意気揚々と迷宮を後にした。
ギルドに報告したら、またオオヤシロとカミキが、知らないふりをしながら喜ぶのだろう。
神様が迷宮で黄金牛を狩りました。
そんな報告を、平然と処理するギルド。
俺も大概だが、あの人たちも大概である。
まあ、良い。
今日のところは、細かい事を考えるのはやめよう。
今夜は焼肉か、ステーキか、すき焼きか。
それこそが、今の俺たちにとって最大の問題なのだった。
読んでいただいて、ありがとうございます。
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