稲荷神とお散歩
休日というものは、実にありがたい。
ありがたいのだが、いざ与えられると、何をして良いのか分からなくなるのが、アラカン男の悲しいところである。
若い頃なら、寝る、遊ぶ、酒を飲む、などと分かりやすい選択肢があったのかも知れないが、今の俺こと三烏柔内は、寝過ぎると腰が痛いし、遊ぶといっても迷宮くらいしか思いつかないし、酒を飲み過ぎると翌日が怖い。
結局、地下都市をぶらぶら歩く事になった。
買い物と言えば買い物。散策と言えば散策。要するに、特に目的はない。
武具屋を冷やかし、道具屋でポーションの値段を見て、食料品店で干し肉を眺める。
……いや、干し肉を眺めてどうするんだ、俺。
そんな事を考えながら歩いていた時だった。
「……おい」
誰かに呼ばれた気がした。
振り返る。誰もいない。
気のせいかと思って、また歩き出そうとすると、
「おい、そこのくたびれた男」
くたびれた男。
まあ、否定は出来ない。出来ないが、面と向かって言われると、ちょっと傷つく。
声のした方へ目を向けると、いつの間にか細い路地があった。
いや、路地くらい元からあったのだろうが、さっきまで全然意識していなかった。地下都市の通路から少し外れた、薄暗い脇道である。
普通なら、こういう所には入らない。
だが、俺は入ってしまった。
呼ばれたからである。それに、くたびれた男と言われっぱなしなのも、何となく腹立たしい。
路地を進むと、奥に小さな人影が立っていた。
幼女だった。
年の頃で言えば、六歳か七歳。脛のあたりまである丈の着物を着ている。柄は派手ではないが、布地も仕立ても、素人目にも安物ではないと分かる。
そして、顔立ちが妙だった。
いや、妙というのは悪い意味ではない。むしろ、異様なほど整っている。
白い肌。黒い髪。小さな唇。静かな瞳。
まるで日本人形が、そのまま歩き出したような姿だった。
だが、そこで俺は冷静になった。
地下都市に子供はいない。
迷宮に関わるのは二十歳以上。それは法律というか、決まりというか、とにかくそういうものだ。 探索者はもちろん、地下都市の仕事も原則として成人してから。
つまり、ここに本物の幼女がいる筈はない。
では何か。
モンスターか。幽霊か。妖怪か。あるいは、見た目は幼女、中身はババア――。
「誰がババアじゃ」
幼女が、すっと目を細めた。
俺は固まった。
どうやら、口に出ていたらしい。
「い、いや。違うんだ。これはその、一般論というか、可能性の話であって」
「ほう。妾を見て、最初に出る可能性がババアか」
「いや、見た目は大変お美しく……」
「ならば、何故ババアと言った」
詰められた。
六歳くらいの見た目をした幼女に詰められる、五十代後半の男。絵面が酷い。
俺は咳払いを一つした。
「で、君は何者なんだ?」
「妾は、この辺りの神じゃ」
「神様?」
「うむ」
幼女は当然のように頷いた。
神様。
なるほど。
見た目は幼女。実年齢は不明。神様。
つまり、ロリババ――。
「燃やすぞ」
「すみませんでした」
俺は即座に頭を下げた。
長く生きていると、謝るべき時に謝る能力だけは高くなる。誇れる事ではない。
「で、その神様が、俺に何の用なんだ?」
「迷宮に入りたい」
「はい?」
「迷宮に入りたいと言うておる」
幼女神様は、実に大人びた口調でそう言った。
俺は思わず、路地の奥から地下都市の通路の方を見た。
迷宮。
いや、まあ、この地下都市にいる時点で迷宮目当てなのは分かる。分かるが、神様が迷宮に入りたいとはどういう事だ。
「何しに?」
「戦う」
「神様が?」
「そうじゃ。モンスターと戦い、存在力を高める」
「存在力……」
聞き慣れない単語である。
だが、何となく分かるような気もした。神様という存在が、人に祀られたり、信じられたりする事で力を得るという話は、昔話や漫画で見た事がある。 それと同じように、迷宮でモンスターを倒す事でも、何か得られるものがあるのだろう。
たぶん。
俺は専門家ではない。アラカン探索者である。
「それで、何で俺なんだ?」
「おぬし、妙な気配がする」
「妙な気配」
「死にかけの年寄りのような、妙にしぶとい獣のような、得体の知れん宝箱のような気配じゃ」
「褒めてる?」
「半分くらいはな」
半分か。
まあ、神様基準なら上出来かも知れない。
「とにかく、一人で迷宮に入るのは駄目だろう。いや、神様に駄目も何もないのかも知れないけど」
「手続きが要るのじゃろう?」
「まあ、いる」
「ならば、おぬしが連れて行け」
「俺が?」
「うむ」
いきなり神様の引率を任された。
休日の散策が、妙な方向に曲がり始めている。
とはいえ、放っておく訳にもいかない。見た目だけなら完全に幼女だ。このまま地下都市を歩かせていたら、俺が通報される可能性がある。
いや、すでに一緒にいる時点で危ないかも知れない。
俺は腹を括って、幼女神様をギルドへ連れて行く事にした。
ギルドの受付で、俺はなるべく穏やかな声を出した。
「すみません。ギルドマスターか、副ギルドマスターに会えますか」
受付嬢は、俺と幼女神様を見比べた。
そして、少しだけ目を細めた。
分かる。言いたい事は分かる。
しかし違う。隠し子ではない。
ましてや誘拐でもない。
もっと厄介な案件だ。
しばらく待たされた後、俺たちは奥の部屋に通された。
そこにいたのは、ギルドマスターのオオヤシロ。それに、副ギルドマスターのカミキだった。
二人そろっている。
俺だから、という訳ではないと思いたい。思いたいが、最近の俺の扱いを考えると、ちょっと自信がない。
「それで、三烏さん。そちらのお嬢さんは?」
オオヤシロが、穏やかな顔で聞いてくる。
俺は答えに困った。
神様です、と言って良いのか。いや、言うしかない。
「ええと……この辺りの神様だそうです」
部屋の空気が、少しだけ止まった。
だが、オオヤシロもカミキも、驚きはしたものの、慌てはしなかった。
さすがである。
というより、慌てても仕方がない事に慣れている顔だった。
「なるほど」
オオヤシロは頷いた。
「それで、神様がギルドに何のご用でしょうか」
「迷宮に入りたい」
幼女神様は、椅子にちょこんと座ったまま、威厳たっぷりに言った。
「モンスターを討ち、存在力を高める。ついでに、迷宮とやらを見てみたい」
「ふむ」
オオヤシロは、カミキを見る。
カミキは、少し考えた後で言った。
「貴重な素材が得られるなら、こちらとしては助かりますね」
軽い。
あまりにも軽い。
「いや、神様ですよ? 政府とかに知られたら、大ごとになるんじゃ……」
「三烏さん」
カミキが、にこりと笑った。
「地下都市には、時々、知らない方が良い事があります」
「ああ……」
「吸血鬼とか」
「ああ……」
「単独でドラゴンを討伐する探索者とか」
「ああ……」
俺は目を逸らした。
どうやら俺自身も、知らない方が良い事リストに入りつつあるらしい。
「という訳で、こちらとしては正式な探索者登録を行います。ただし、見た目の問題がありますので、保護者を付ける必要があります」
「保護者?」
「三烏さんで」
「俺が?」
「はい」
神様の保護者。
意味が分からない。
だが、オオヤシロもカミキも、実に真面目な顔をしていた。
たぶん、真面目な顔をしていれば大体の事は通ると思っているのだろう。
そして実際、通った。
幼女神様は、あっさりギルド証を発行された。
名前の欄をどうするかで少し揉めたが、本人が「イナリでよい」と言ったので、イナリという名前になった。
稲荷神らしい。
あまりにもそのままだが、本人が良いと言うなら良いのだろう。
そうして俺は、神様の保護者として迷宮に潜る事になった。
俺はフル装備である。
防具を着込み、武器を持ち、道具も確認した。 休日だった筈なのに、いつもの探索装備になっている。
一方、イナリ様は着物に草履のままだった。
「本当にその格好で行くんですか?」
「何か問題があるか」
「いや、ありますよ。足とか危ないですし、動きにくいでしょうし」
「妾に人の理を当てはめるでない」
「はい」
また怒られそうなので、俺は黙った。
迷宮に入る。
最初のエリア。出て来たのは、いつものスライムである。
俺が前に出ようとした瞬間、イナリ様が小さな手を上げた。
「灯れ」
ぽう、ぽう、ぽう、と青白い火がいくつも現れた。
鬼火だ。
それが宙に浮かび、ゆらゆらと揺れる。
綺麗だな、などと思った次の瞬間、鬼火が一斉に飛んだ。
スライムにぶつかる。燃え上がる。消し炭になる。
「……」
俺は黙った。
強い。
ゲキつよである。
その後もイナリ様は、歩きながら鬼火を呼び出し、モンスターにぶつけていった。
俺は横で警戒しているだけ。保護者というより、付き添いの爺である。
「おぬし、何をしておる」
「見守りです」
「役に立っておらんな」
「自覚はあります」
悲しい会話だった。
やがてオークが現れた。
さすがにこれは、と思って俺は武器を構えた。
だが、イナリ様は涼しい顔で一歩前に出る。
「ふむ。少し大きいな」
そう言って、指先を軽く振った。
今度は鬼火が十以上現れた。
それが蛇のように絡み合い、一本の炎の縄になってオークに巻き付く。
オークが吠えた。だが、その声はすぐに悲鳴に変わる。
数秒後、オークは黒焦げになって倒れた。
「……満足ですか?」
「うむ。悪くない」
イナリ様は、少しだけ口元を緩めた。
その表情は、見た目だけなら天使のように可愛らしい。
中身は神様である。ロリバ――いや、考えるのはやめよう。
「何か失礼な事を考えたな」
「考えてません」
「嘘をつけ」
神様相手に隠し事は難しい。
とりあえず初回探索は、オーク討伐までで終わりにした。
神様がまだ行けると言っても、俺の精神が保たない。あと、ギルドに戻って報告しなければならない。
ドロップアイテムを持ち帰ると、ギルド側は実に満足そうだった。
神様がどうこうという話は、誰も深掘りしない。 中級ポーションが取れた。それで良し。
大人の組織というのは、時に恐ろしく割り切っている。
その後、俺はイナリ様を連れて『はるか』に向かった。
探索後の飯である。これは大事だ。
店に入った瞬間、女将さんの視線が俺とイナリ様を射抜いた。
「あら、三烏さん。その子は?」
近くの席にいたカヤシマのオッサンまで振り返った。
「ジュウナイ……まさか」
「違います」
俺は即答した。
何が違うのか説明する前に、まず否定する。これが大事である。
「隠し子ではありません」
「まだ何も言ってないわよ」
「顔に書いてありました」
女将さんは笑った。
カヤシマのオッサンも、にやにやしている。
やめて欲しい。俺はただでさえ、真桃ちゃんやシィマへの言い訳案件を抱えがちな男なのだ。
ここで新たな疑惑を増やす訳にはいかない。
「この方は、ええと……イナリ様です。ちょっと事情があって、迷宮に」
「神じゃ」
本人があっさり言った。
店内の空気が、少し止まった。
だが、女将さんは数秒後には頷いた。
「そう。じゃあ、何を食べる?」
強い。
この店の女将さんも、ある意味ゲキつよである。
「いなり寿司はあるか」
「あるわよ」
「ならば、それを」
イナリ様の目が、初めて年相応に輝いた気がした。
やっぱり稲荷神はいなり寿司が好きなのか。分かりやすすぎるが、可愛いので良しとする。
テーブルに料理が並ぶ。
いなり寿司。煮物。焼き魚。味噌汁。俺の前には、しっかり肉料理も置かれた。
イナリ様は小さな手でいなり寿司を持ち、上品に口へ運ぶ。
「うむ」
満足そうに頷いた。
「これは良い」
「良かったですね」
「おぬしも食え。くたびれた男は、食わねばさらにくたびれる」
「余計なお世話です」
そう言いながら、俺も箸を取った。
美味い。
探索後の飯は美味い。休日が迷宮になってしまった気もするが、飯が美味いなら、まあ良いかと思えてくる。
カヤシマのオッサンは相変わらず、こちらを面白そうに見ている。
「柔内くん、今度は神様の保護者ですか」
「俺が一番意味分かってません」
「似合ってますよ」
「似合いたくないです」
女将さんは笑いながら、お茶を足してくれた。
イナリ様は、いなり寿司をもう一つ口に運んでいる。年齢を超越した美しさを持つ日本人形みたいな幼女が、真剣な顔でいなり寿司を食べている。
何だ、この光景。
俺の人生、どこでどう間違えたらこうなるのか。
いや、間違えたというより、迷宮に関わった時点でこういう道に入っていたのかも知れない。
神様。吸血鬼。ドラゴン。謎のアイテム。そして、アラカン探索者の俺。
ギルドが知らないふりをしたくなる気持ちも、少し分かる。
ただ、一つ問題がある。
真桃ちゃんやシィマに会った時、どう説明するかである。
隠し子ではない。神様である。俺は保護者である。
……うん。
どこからどう聞いても、言い訳としてはかなり苦しい。
俺は味噌汁をすすりながら、小さくため息をついた。
「どうした、くたびれた男」
「これからの言い訳を考えてました」
「大変じゃな」
「誰のせいだと」
「妾は神じゃからな」
イナリ様は、しれっとそう言った。
神様とは、実に自由な存在らしい。
俺はもう一度ため息をつき、それから焼き魚に箸を伸ばした。
まあ、考えても仕方ない。
とりあえず今は、飯を食おう。
休日の過ごし方として正しいかどうかは分からないが、神様と迷宮に潜って、いなり寿司を食べる。
そんな休日も、たぶん、人生に一度くらいなら悪くない。
……一度で済むかどうかは、かなり怪しかったが。
読んでいただいて、ありがとうございます。
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