ワイン! ワイン!
女吸血鬼は、死んでいなかったのだ。
それどころか、樽いっぱいの葡萄をどこからか取って来て、それを担いで俺より先にダンジョンを出て(どうやって出た?)、派遣事務所に預けて行った。
ダンジョンから、出た、だと!?
それで奴はダンジョンに帰ったのか?
それとも、地下都市の中をうろついているのか?
俺はビビりまくって、ギルドマスターのオオヤシロに大急ぎで面会を申し込んだ。
上手く時間が取れてすぐに面会出来たので、女吸血鬼の一件をとにかくまくし立てた。
と、事情を聞いたオオヤシロが、なぜか大笑いを始める。
なんと、件の女吸血鬼は有名なネームドモンスターで(メサージュという名前だって)、これまで何人もの腕自慢と一戦を交えて来たのだという。
結果、女吸血鬼は負けたり勝ったりしているそうだが、まだ死人は出ていないそうな。負けて半死半生になっても、女吸血鬼がポーションで治療してくれるらしい。
で、負けると血を吸われるらしいが、吸われるだけで眷属にされたりはしないという話だ。
逆に勝つと、何でも望みを聞いてくれるという。
エッチな望みを聞いてもらった奴もいるらしいが、俺は何も知らずに葡萄を望んでしまった訳だ。良かった様な、残念な様な……うーむ。
勝っても負けても、その後にしつこく狙われたという事例はないとの事で、俺はようやく安心出来た。
「で、その葡萄ってのは何なんだ?」
オオヤシロが聞いて来る。
「神の血の葡萄って言ってましたよ。ワインにすると、迷宮一美味いって」
「なんだと!?」
オオヤシロの雰囲気が変わった。
「お前、その葡萄、どうする気だ?」
「もちろん、ワインにしますよ」
「ツテはあるのか?」
「カヤシマのオッサンあたりに頼めば、なんとか───」
「俺に任せろ!」
「あー、ツテがあるなら、お任せしますよ?」
「よしよし。じゃあ、手数料でワイン十本よこせ」
「十本?それって、作れる量の何割ぐらいになるんだろう……」
「心配するな。樽一つから三百本は作れるからな」
「そんなに作れるんだ?じゃあ、良いですよ」
「ただ、新酒で飲むんなら二〜六ヶ月、一般的な赤ワインなら一〜二年、ヴィンテージにするなら三〜五年以上かかるぞ。それぞれ何本ずつぐらい作るか相談しなきゃな」
なんか、異常にワインに詳しいな。
まあ、頼むんなら、このくらいの人間が良いか。大体、ギルドマスターだから信用も出来るし。
しかし、そんなに時間がかかるのか。だったら、葡萄じゃなくてワインで頼むんだったなー。
「でも、そんな美味いワイン、ただ待ってるのもイヤだろ?」
「?」
「【発酵】ってスキルを持ってる奴がいる。そいつに頼めば、何本かはすぐに飲めるようになるぞ」
「おぉ、良いですね。それもお願いして良いんですか?」
「ああ、任せろ!」
そうして、ワインの宴が確定した。
女吸血鬼メサージュの血の剣で損傷してしまったボディースーツの替わりを買い込むと、俺は草原エリアに赴いた。
今度のボディースーツは、耐衝撃・耐切創・耐刺突効果がある上に、ミスリルが織り込まれていて魔力の通りが抜群という優れ物である。値段は一千万円越えだ。
ちょっと頑張りすぎたかとも思うが、またメサージュの様な強敵と突発的に出会う可能性もある。防御力は上げておくべきだろう。それに、他に大金の使い途もないし……。
例によって、【縮地】をかけたチャクラムを使って迷宮牛を仕留め、ブロック肉が二つ手に入ったところで、あっさり帰還。今はワインが楽しみ過ぎて、余計な狩りなんてやってる気分じゃないのだ。
ブロック肉を『はるか』に持ち込み、明日の宴を待つ。
宴の出席者は、ギルドマスターのオオヤシロ、副ギルドマスターのカミキ、カヤシマのオッサン、真桃ちゃん、【発酵】スキルのアザマ、そして俺だ。アザマは、線の細い三十代の男だ。シィマたちやクラタたちも呼んでやりたかったが、今回はワインの量が少ないので、遠慮してもらった。すまぬ。
そして、待ちに待った当日。
俺と真桃ちゃんが『はるか』に到着すると、すでに他のメンツが待ち構えていて、「遅い」と文句を垂れられた。いや、まだ約束の時間まで三十分以上あるだろうに。
それだけ、ワインの魔力は人を狂わせるのか。
俺と真桃ちゃんが席に着くと、またも『はるか』の扉が開いた。
はて、出席者はもうこれだけと思いながら入り口を見ると、ワンピース姿の清楚な美女が立っている。歳の頃なら、三十代前半。
どなただっけ?
かなり見覚えがあるのだかけど、誰だか思い出せない。
オオヤシロたちを見ると───オオヤシロが驚いて口をパクパクさせている。どうやら、誰か分かっている様子。他のメンツは、キョトンとしたままだ。
「はい。これ、差し入れ」
美女が紙袋を女将に渡す。
「あら、桃ですか?美味しそう」
女将が言うと。
「黄泉平坂の桃よ。それは美味しいわよ」
事も無げに言った美女のセリフに、カミキたちの雰囲気が変わる。
「ちょっと待って。黄泉平坂って、どこのエリアだ?」
「さあ?まだあなたたちが名前を付けていないエリアだから、説明のしようがないわ」
「なんだと───」
「やめろ」
呆けていたオオヤシロが、一転してドスの効いた声でカミキを止める。
「この女、メサージュだ」
「あ!」
そうだ。間違いない。女吸血鬼のメサージュだ。意外な場所で、意外な服装で現れるから、分からなかった。───って、大丈夫なのか!?
「メサージュ、今日はどうした?」
オオヤシロが質問する。さすがギルドマスター、頼りになる。
「あら、あなた、オオヤシロなの?私が童貞をもらってあげた時は、あんなに可愛かったのに、すっかりオジサンになっちゃって」
「ぶっ!」
まさかギルドマスター、あんた、メサージュ相手にエッチなお願いをしたのか!?
「ば、馬鹿!やめろ!くたらねぇ事を言うんじゃない!」
「ふーん、私が一から教えてあげたのに、そんな言い方をするのね」
うわーっ。
俺は思わず他人の振りをした。真桃ちゃんも、そっぽを向いている。
カミキとカヤシマのオッサンも困り顔だ。ただ女将だけが、ニヤニヤと悪い表情を浮かべている。
「まあ、良いわ。今日はワインのご相伴に預かりに来たのよ。なんせ、私が葡萄を提供したんですからね」
「ごめん女将、もう一人いける?」
俺が助け舟を出すと、女将は「一人ぐらい大丈夫ですよ」と言って微笑んだ。本当にデキる人だ。
「ありがとう、ミツガラス」
メサージュはそう言って、真桃ちゃんの反対側の俺の隣に座った。
そこに座るのか……。
少々おかしな雰囲気にはなりかけたが、なんとか宴は始まった。
乾杯の音頭は、当然のようにオオヤシロが取った。
「迷宮の恵みと……この場にいる全員の運に感謝して──乾杯だ」
グラスが軽やかな音を立てる。
そして、俺はゆっくりと、その琥珀色の液体を口に運んだ。
──瞬間、世界が変わった。
「……うわっ」
思わず、声が漏れる。
まず香りだ。グラスに顔を近づけた時点で、すでに異様だった。熟した葡萄の甘さだけじゃない。花のような、蜜のような、それでいてどこか鉄のような、血を思わせる濃密な気配が鼻腔を満たす。
そして味。
舌に触れた瞬間は柔らかい。だが、次の瞬間には爆発的に広がる。甘味、酸味、渋味、それら全てが極限まで研ぎ澄まされて、互いを殺さず、むしろ引き立て合っている。
まるで、生命そのものを飲んでいるような感覚だった。
「……これは、ヤバいな」
カヤシマのオッサンが、珍しく真顔で呟く。
「新酒でこれだぞ?信じられるか?」
「信じたくないね。熟成させたらどうなるのか……」
カミキが震えるように言う。
アザマは何も言わない。ただ目を閉じて、ゆっくりと味わっている。ああいうのが、本当に分かってる人間の飲み方なんだろう。
「ふふっ」
隣で、メサージュが楽しそうに笑った。
「でしょう?それが“神の血”よ。飲めば分かる。生き物としての格が、ほんの少しだけ上がる気がするはず」
言われて、俺はもう一口飲んだ。
確かに──身体の奥に、じんわりと熱が灯る。
魔力が、わずかに活性化しているのが分かる。
「おいおい……酒で強くなるとか、冗談じゃねぇぞ」
「冗談じゃないのよ。だから、欲しがる者が絶えない」
メサージュはそう言って、くい、とグラスを傾けた。その仕草がやけに絵になるのが腹立たしい。
「さて」
女将の声で、場の空気が切り替わる。
「お料理も、冷めないうちにどうぞ」
運ばれてきたのは、迷宮牛のステーキだった。
厚切りにされた肉は、表面がこんがりと焼き上げられ、中はわずかに赤みを残している。ナイフを入れると、驚くほど抵抗がない。
すっと刃が入り──肉汁が、じわりと溢れ出た。
「……いい焼きだ」
オオヤシロが唸る。
俺は一切れをフォークで刺し、口に運ぶ。
──これもまた、異常だった。
柔らかい。だが、それだけじゃない。噛めば噛むほど、肉の旨味が際限なく溢れてくる。脂はしつこくないのに、コクだけが舌に残る。
そして何より──ワインだ。
肉を飲み込み、すぐにワインを流し込む。
すると、さっきまで完結していたはずの味が、もう一段階、上に跳ね上がる。
「……嘘だろ」
思わず、笑ってしまう。
「料理と酒で、ここまで変わるのかよ」
「合わせてこその真価、ってやつだな」
カヤシマのオッサンがニヤリと笑う。
「迷宮牛は単体でも一級品だが、このワインと合わせると別物だ」
「そりゃあ当然よ」
メサージュが口を挟む。
「その牛も、葡萄と同じ迷宮の魔力を食べて育ってるんだから。相性が悪いわけがないでしょう?」
なるほど、と俺は妙に納得した。
同じ迷宮から来た恵み同士。そりゃあ、噛み合うわけだ。
「ほら、オジサン」
真桃ちゃんが、小さく笑いながら肉を取り分けてくれる。
「こんな美味しいもの、なかなかないですよ?」
「ああ……ほんとにな」
気付けば、場の全員が無言になっていた。
ただ食べて、飲んで、時折ため息をつく。
それだけで、十分だった。
騒ぐ必要なんてない。語る必要もない。
これは、そういう次元の味じゃない。
「いい宴ね」
ぽつりと、メサージュが呟いた。
「血も流れず、命も奪われず、それでいて満たされる。人間って、本当に不思議な生き物だわ」
「お前も楽しんでるじゃねぇか」
「ええ、もちろん」
彼女は微笑む。
その笑みは、迷宮で見た妖艶な吸血鬼のそれではなく、ただ美味しいものを楽しむ、一人の女の顔だった。
──なるほど。
いつもながら、本当にこういうのは悪くない。
今度はカニを取って来よう。
俺はグラスを掲げ、静かにワインを飲み干した。
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