美女は殴りにくい
俺は、完全に吸血鬼の、姿を見失っていた。
それでも、瞬間的に腰を落とし、周囲に意識を飛ばす。
が。
「残念」
奴は、正面にいた。
美しい笑みを浮かべ。
かわし様のないタイミングで。
真っ直ぐにそろえた右手の指を俺の心臓に突き立て───。
「え?」
そう洩らしたのは、俺だったか吸血鬼だったか。
吸血鬼の貫手は、なぜか俺の身体の横を素通りして行った。
思わず、反射的にメイスを振り抜く。
その美しい顔を横殴りに。
確かな手応えとともに、吹っ飛ぶ女吸血鬼。
が、湿気た地面の上を転がり、泥だらけとなるも、奴はユラリと立ち上がる。
「今のは、何?」
吸血鬼は、顔が半分潰れたままで平然と問いかけて来た。
グロい。
とても、グロい。
俺の頭の中には、【方違え】というスキル名が浮かんでいた。
いつの間にか生えていたスキルらしい。そりゃ、ドラゴンやら何やら、結構相手をしたもんな。新しいスキルも生えるよ。
これは、簡単に言えば敵からの初撃が当たらないという能力らしい。「かわす」じゃなくて「当たらない」。また変なスキルだが、おかげで命拾いした。
本来、方違えと言えば陰陽道で、方角の悪い所に行く時に、一度違う方角に向かってから、目的地に向かう行為だったと思う。そうすれば、悪い方角に直接向かわずに済むので、災厄を避けられるというものだ。
「お前の感覚は、俺が狂わせた!!」
とっさにデタラメを言いながら、俺はアギト357マグナムを抜き放った。久々の出番だ。
問答無用で引き金を引く。引く。引く。
サイレンサー一体型のくぐもった銃声が連続する。
狙いは、適当。つか、狙った所に当てられるウデがない。どこにでも、当たれば良い。
こんな事なら、銀の銃弾を用意しといたのに!
か細い身体に次々とマグナム弾が突き刺さる。
泥に塗れ、血に汚れ、よろける女吸血鬼。
が、倒れない。
崩れない。
俺に向けた目は、怒りの為か爛々と輝いている。
六発撃ち尽くした。
やはり、倒れない。
銃を、そっとホルスターに戻す。
「それで終わりなの?」
いつの間にか、吸血鬼の顔は、元の美しさを取り戻していた。
マグナム弾を撃ち込んだ所も、もう出血してる様子はない。
化け物じみた回復力だ。いや、化け物だったな。
「あと一つだけ試したい事があるんだけど、良いかな?」
「構わないわよ。どうぞ」
「では、ありがたく」
俺は目礼すると、背後に【仙人みかん】を開こうとする。ドラゴンがドロップした大剣なら、もしかしてと思ったのだ。正直、勝算はほとんどなかった。
こんな事なら、恥を忍んで真桃ちゃんに一回お願いしとくんだった。
シィマにキスされた時、もっと堪能しとくんだった。
もっと美味い酒飲んで、もっと美味い肉を食っとくんだった。
「なあ、ちょっと関係ない話して良いか?」
「時間稼ぎは見苦しいわよ」
「いや、単純に聞いてみたい事があって」
「言うだけ言ってみたら?」
「迷宮牛やタイタン・クラブの他に、食べると美味しいモンスターって、いない?」
「……」
女吸血鬼は、呆れた表情で俺を見た。
「それを知って、どうするの?」
「いや、どうしようもないけど、ただ、心残りで」
「相変わらず、人間て非合理的な生き物だわねぇ」
「面目ない」
「まあ、良いわ。教えてあげましょう。この迷宮で一番美味いのは、神の血の葡萄から作ったワインよ」
「ワインとはまた吸血鬼らしいな。でも、名前からして、かなり奥に行かないと生えてなさそうな葡萄だな」
「そうね。ここから、まだ人の足で三日はかかるかしら」
「えー、無理じゃん、それ。取って来てくれない?」
「私に勝てるなら、取って来てあげても良いわよ」
吸血鬼は艶然と微笑むと、その右手を振った。と、手のひらから血がほとばしり、次の瞬間、血の色の歪な形の剣へと変じた。
「今度は、さっきの様にはいかないわよ。この剣なら、どこが触れようとあなたの血を吸い上げてくれるから」
いや、よけられるのは初撃だけなんで……。
俺は腹を決めると、背後に【仙人みかん】を開いた。
右手のメイスをそこに放り込み、替わりにドラゴンの大剣を取り出す。
と、そこで気がついた。
吸血鬼が俺から顔を背け、苦しがっている。
「ん?」
気のせいか、その身体のあちこちから、青白い小さな炎が上がっている様な……。
「あれ?どうした?」
「あ、あなた、そんな隠し玉があったのね……」
「え?」
「吸血鬼が太陽の光に弱いと知っていて……」
俺は後ろを振り向いた。
俺の背後では、【仙人みかん】の口が開いて、中の光を外に漏れさせている。
「え、この光?」
「そうよ。そんな技を持っているから、呑気に食べ物の話なんかして来たのね」
「あー、いや、その、何て言うか……」
「でも、負けないわ!」
吸血鬼が剣を振ると、刃が鞭の様に伸びて来た。
慌てて大剣で防御しようとするも、大剣に当たった所から刃が折れ曲がり、俺の身体を打ち据えた。
「ぎっ!」
変な声が出た。
ボディースーツのお陰で傷は追わずに済んだが、スーツの横っ腹がばっくりと裂けてしまった。
まずい。こんなの、何発も受けられない。
続けてまた刃が飛んで来たところを、俺は大剣で刃を力いっぱい叩いてから、一気に前に出た。
目の前には、剣を弾かれて無防備になった女吸血鬼。
チャンスだ!
俺は大剣で女吸血鬼の細い首を跳ね───。
いや、大剣はその首の手前で止まっていた。
女吸血鬼が、その細い左手一本で大剣を受け止めたのだ。
「───!?」
大剣は、ピクリとも動かなかった。
押しても、引いてもダメだ。見かけに反する、驚異的な膂力だ。
「これで、終わりね」
相変わらず小さな炎たちに灼かれながら、女吸血鬼が右手の剣を振り上げる。
「そう、終わりだ」
俺は、女吸血鬼の背後に、直径二十メートルの【仙人みかん】の口を開いた。
先程とは比べ物にはならない量の光を浴びて、女吸血鬼の身体が一瞬で燃え上がる。
「え───?」
呆然とした表情のまま、か細い肢体が燃える。
振り上げた血の剣は霧散し、俺の大剣を押さえた左手は力を失い、そしてその身体は灰となって地面に崩れ落ちた。
辺りに満ちる静寂。
その中に、俺の荒い息だけが響き渡る。
勝ったのか?
実感がなかった。
死んだのか?
確信が持てなかった。
俺は数分間、そうやって立ち尽くしていた。
いつまで経っても何も起こらないので、俺はトンズラする事にした。
もう、ややこしい目には合いたくない。
灰の中には、数枚の金貨が落ちていただけだった。
吸血鬼はそうなのか、魔石は落ちていなかった。
もう墓場エリアには来たくない。スケルトン・ナイト狩りも、もう終わりだ。
次は迷宮牛を狩りに行って、また真桃ちゃんのチームと宴会やって、しばらく探索は休みでも良いかな。うん、それが良いかもね。
俺は足早に墓場エリアを抜けると、ひたすらに出口を目指した。
数時間後、俺はダンジョンの外に出ていた。
意外な事に何も起こらなかった。
パターン的に、もう一波乱あると思っていたのに。
俺は派遣事務所に寄ると、依頼の魔力血をいつものお姉さんに手渡した。
中級のポーションと魔力ポーションは、今回は数が少なかった事もあって、自分の分に置いておく事にする。また、強敵に出会うかも知れないし。
吸血鬼の落とした金貨は、鑑定だけしてもらうと、時々ダンジョンで拾える魔力を持ったコインで、一枚百万円程度で売れると言われた。でも、なんだか売る気にはなれない。お守り替わりに持っておく事にしよう。
「じゃあ、これで」と帰ろうとすると、お姉さんに引き止められた。
「さっき、綺麗な女の人かやって来て、三烏さんにって置いて行きましたよ?」
お姉さんが指差したのは、部屋の入り口付近に置いてある大きな木の樽だった。
こんなの、どうやって女の人が持って来た?
その前に、誰だ、それ?
俺はおそるおそる樽の蓋に手をかけた。
あろう事か、蓋はちゃんとハマっていなくて、樽の上に乗せられているだけだった。
本当にどうやって運んで来た?
そして、中身は?
蓋を開けて、俺は凍りついた。
全く動けなくなった。
「あれ、見事な葡萄ですね!」
お姉さんの無邪気なセリフが、俺の心臓を鷲掴みにする。
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