74 北の塔にて
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
ヘンリー・マクスウェル:イーリンの父、公爵
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
ルイス・ギーベル:第二王子、リリーの婚約者
マデライン・ギーベル:王妃、アーサー達の母
キャサリン・パー(リーデン):魔女として処刑済み。
ストラスタ侯爵:リリーの父、マクスウェル公爵と同様の穏健派
アルバート・ボンベルグ:ルイーゼの父、辺境伯
──どこだ、ここは。
妙に薄暗く、寒々しい。窓から光はさしているが、部屋を明るくするには不十分だった。肌寒さを感じ、身を震わせると、身体に激痛が走った。
無性に腹が立って叫ぶが、誰もやってこない。叫べばまた身体が痛くなるばかりで、それにも苛立った。
剣を抜くため、腰に手をやったが、そこには何もなかった。
石壁に囲まれたこの部屋は、小さな窓と、重そうな木の扉だけで、外と繋がっているようだった。
1日2回、食事を持って来る者がいる。時々身体を拭かれ、着替えをさせられた。
外へ出たい。どうなったんだ、王家は、キャサリンは。
扉が開いた隙に飛び出してやろうとしたが、すぐに押さえつけられてしまった。窓から外を覗くが、ここはどうやらかなり高いところで、身体を出したところで降りられそうにはない。
一度貴族のような奴がやってきたので、キャサリンはどうしたと尋ねた。そうしたら、「心配しなくても、いずれ同じところに行けるよ。」と言われ、2、3回蹴られた。
しばらく痛みで動けなかった。
見たことのない医者が身体を診て、首をひねって帰っていった。
どうしてこんな目に遭わされているんだ。自分は、王になる人間なのに。
冷たい夜が何度もやってきて、少しずつ少しずつ記憶が戻ってきた。
自分は、自分にふさわしいものを手に入れた。キャサリンが、そうすればいいと言ってくれたから。
それなのに、なぜか王都には兵が向かってきた。そこからは、どうなったか覚えていない。しかし、突然自分の部屋にあの女が現れた。死んだはずの、あの女が。
──イーリン・マクスウェル。最後まで自分を拒絶した、あの生意気な女。
あの女を屈服させるまで、あきらめてなるものか。
そして、自分が正しかったと、周りに認めさせるのだ。
石壁を殴っても手が痛いだけで、馬鹿馬鹿しくなってきたころ、食事にワインが添えてあった。
懐かしい。キャサリンは、ワインをふるまうのが好きだった。最後のときも、仲直りしよう、とワインを注いでくれたのだ。
久しぶりのワインは身体に沁み、心地よい眠気が襲ってきた。それに身を委ね、部屋の中央にある、大した作りでもないベッドに倒れ込んだ。
アーサーが目を開けると、自分の膝の上に、複数の人間の影が見えた。誰だ、と思い、身体を起こそうとするが、うまく動かすことができなかった。
「兄上、目を覚まされましたか。」
弟王子、ルイスの声が聞こえた。
気がつけば、後ろ手で結ばれた上に、椅子の背ごとぐるぐると縄で縛りつけられていた。足にも違和感を感じ、頭を動かして足元を見ると、左右の足がそれぞれ、椅子の脚にしっかりと結びつけられていた。
「何だ、これは。」
「ああ、申し訳ありません。あまり暴れられると困りますので。」
ルイスは、固い、少し震える声で答えた。
ルイスの他に部屋にいたのは、そうそうたる貴族たちだった。その中の1人が、口を開いた。
「お久しぶりです。アーサー殿下。」
その顔を見て、アーサーは顔をしかめた。
「お前は……。追放したはずだろう。」
「そうなってはおりません。私は今でも、この国の公爵です。」
1人目は、マクスウェル公爵、ヘンリーだった。ヘンリーは、落ち着いた声で言った。
「こんな形でお会いしたくはありませんでした。」
「兵を寄越してきたそうだな。この反逆者が。」
「いいえ。反逆者は殿下、あなたです。」
「何だと!」
アーサーはとっさに動いたが、しっかりと結ばれた縄に阻まれ、ガタガタと椅子を鳴らすにとどまった。
そこに、もう1人が話し始めた。
「殿下。何度もお止め致しましたのに。」
2人目は、ストラスタ侯爵だった。
「引き返せる時は、ありました。しかしあなたは、あの娘と突き進んでしまった。」
ストラスタ侯爵は、残念そうに目を伏せた。そうすると、また別の声が話し出した。
「我々も、命を賭してお仕えするつもりだったのですよ。」
最後の1人は、ボンベルグ辺境伯、アルバートだった。
「あなたに兵を動かすとはどういうことかと、もっとお教えするべきでした。」
ルイスが正面に立つと、他の3人が、椅子に縛りつけられたアーサーを囲んだ。その圧迫感に、アーサーはややたじろいだ。
突然にルイスは膝をつき、アーサーを縋るような目で見た。
「最後に、教えてください。兄上。」
ややかすれた声で、ルイスは言った。ルイスの顔色は、薄暗い部屋の中でも分かるほど悪かった。
「なぜ、こんなことをなさったのです。国王である父上にまで薬を盛り、罪もないイーリン嬢を処刑しようとするなど。」
アーサーとルイスは、よく似た顔立ちの兄弟であった。しかし、アーサーの方が少しだけ背が高く、鼻が尖り、目元が吊り上がっていた。それらは、以前はルイスよりもアーサーを美しく見せていたところだったのだが、今は、それらが全て、空しい傲慢さを示していた。
アーサーは、鼻をふん、と鳴らした。
「手に入れるべきものを手に入れて、何が悪いと言うんだ。」
「そんなことを……。」
「父上も、あの女も、邪魔をするから悪いんだ。ちっとも言うことを聞きやしない。」
ヘンリーは、ルイスの後ろから一歩出て、アーサーを見据えた。そして、そのまま表情を変えず、低い声で言った。
「……私の娘を殺そうとしただけでなく、無体なこともしようとされたそうですな。」
「私が、私のものをどう扱おうが勝手だ。」
「……。」
アルバートが公爵の方に目をやると、拳を白くなるほど握りしめているのが見えた。
ルイスは、アーサーに必死に訴えた。
「キャサリン嬢の方が、魔女だったのですよ。あの娘は、たくさんの民を殺したのです。」
「キャサリンが、魔女のわけがないだろう!」
アーサーは、唾を飛ばし叫んだ。ルイスは負けずに言い返した。
「兄上、目を覚ましてください。せめて、イーリン嬢に、謝罪の言葉を。」
アーサーは、吠えるような叫び声を上げた。
「ああ! どいつもこいつも、何であの女の味方をするんだ! こんなことになっているのも、全部あの女のせいだ。あの女がちゃんと死んでくれていれば、今頃は!」
「兄上!」
ルイスが、悲痛な叫び声を上げた。聞きなれないルイスの大声を聞いて、アーサーは驚いた顔をして黙った。
「馬鹿な……。馬鹿なことを……。」
ルイスの目には、涙が滲んでいた。ルイスは、ぎこちなく首を動かし、ヘンリーたちの方を見た。ヘンリーたちが黙って首を横に振ると、ルイスは絶望的な顔となった。
ルイスは片手で顔を覆った。その指の隙間から、涙がぽたぽたとこぼれ落ちた。
「何を泣いているんだ、お前は。」
アーサーがあきれたように言ったが、ルイスはそのまま動かなかった。しかし、しばらくして顔を上げると、アーサーの目をしっかりと見据えた。
「兄上。残念です。」
「なに?」
ルイスは、ヘンリーたちの方を向いて言った。
「私も心を決めました。皆様、お願いします。」
ルイスが言うと、ヘンリーたちがアーサーのそばにより、椅子に縛られた身体を押さえつけた。
「何をする!」
そうしている間に、ルイスは木の箱から、長く突き出た飲み口を持つ、小さな器を取り出した。
それを見ると、アーサーは目を大きく見開いた。
「ルイス! 貴様、まさか……。」
「そうです。ご存知でしょう、兄上。これは、兄上のためのものです。」
それは、貴人の処刑に使われるための、毒杯だった。
「嫌だ! 離れろ! 出て行け、お前たち!」
アーサーが身をよじるが、ストラスタ侯爵とアルバートが力を込め、その両肩を押さえた。ヘンリーはアーサーの鼻をつまみ、もう片方の手を顎に当て、口を開けさせた。
「ルイス殿下、それでは。」
アーサーは、ヘンリーの手の下からルイスを憎々し気に睨みつけ、歯を噛みしめて抵抗した。ルイスの手は震え、なかなかアーサーの口に毒杯の飲み口を入れることができなかった。
「殿下、私でよければ代わりに。」
アルバートが助け舟を出したが、ルイスは首を横に振った。
「いえ、これは、私の仕事です。」
アーサーが歯を剥き、獣のような唸り声をあげていると、ルイスの後ろから、ふわりと、優しい花の香りがただよった。
「えっ……。」
ルイスが振り向いたが、そこには何もなかった。しかし、アーサーは動きを止め、ルイスの後ろを凝視していた。そして呆けたように口を開いた。
「母上。」
アーサーは急に大人しくなり、口を開けたまま止まっていた。ルイスが状況が分からず戸惑っていると、ヘンリーが声をかけた。
「殿下、今です。」
慌ててルイスが杯を傾け、口の中に毒を流し込んでも、アーサーはそのままだった。アーサーは前を向いたまま、自らそれをごくりと嚥下した。
そして、大きく叫んだ。
「母上! ご一緒に……。」
毒を飲み込んだのを確かめ、ヘンリーたちが離れると、アーサーの呼吸が荒くなり始めた。身体の力が抜けてきたため、縄を解き、ベッドに寝かせた。
ルイスは真っ青になりながら、アーサーの様子を見守っていた。しかし、アーサーは、ルイスたちの他にもう一人いるかのように、同じところをずっと見ていた。
やがて、アーサーの身体は、小刻みに痙攣しはじめた。目はかっと開いたままであったが、次第にそのさざなみのような小さな震えもなくなり、全く動かなくなった。
アルバートが、外で待機していた従者に声をかけた。しばらくしてやってきた侍医は、アーサーの手を取り、目を確認すると言った。
「ご臨終です。」
お読みいただいてありがとうございます。今回お父さんたち中心で、暗くて申し訳ありません。次回はイーリンたちが出てきます。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




