73 一つの終わり
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
ヘンリー・マクスウェル:イーリンの父、公爵
クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り
アンナ:イーリン付きの侍女兼マクスウェル家の斥候
ピーター:マクスウェル家の庭師兼斥候
ファン・イン:クリスの従者、イン国元皇子、イーリンの現婚約者
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
ルイス・ギーベル:第二王子、リリーの婚約者
キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女
ジョン:キャサリンの仲間
ルイーゼ・ボンベルグ:イーリンの友人、辺境伯令嬢、実はイーリンの従妹
アルバート・ボンベルグ:ルイーゼの父、辺境伯
セリーナ・ボンベルグ:ルイーゼの母、辺境伯夫人
ノーマン:ボンベルグ領の軍医
「陛下の方は、少しずつ落ち着かれてきています。簡単な会話をされるようにもなってきました。」
「そうですか。ご尽力いただき感謝いたします。ノーマン殿。」
マクスウェル公爵ヘンリーは、王都の公爵家の館で、ノーマンから国王の病状について聞いていた。
アーサーとキャサリンを捕らえ、王城も開かれたというクリスからの知らせを受け、ヘンリーは領地から王都へとやってきたのだった。
到着したとたん、怒涛のように報告が寄せられた。その中で、愛娘が悪漢に攫われて傷つけられたことを聞き、慌てて様子を確認しに行ったら、意外にも落ち着いていた。
「迷惑をかけてしまったのですけど……。でも、ファンやお兄様たちが助けてくださったの。」
右手に巻かれた包帯は痛々しかったが、娘は以前よりも堂々とした様子で、にっこりと笑った。
どうやら、娘は周りに助けられながら、少しずつ成長しているらしい。
──成長しなかった者もいるが。
ノーマンは、国王の治療を行うかたわら、アーサーの状態も診てくれていた。
「殿下の方は……。頭の方は、徐々にはっきりとしてきておられるのですが、骨の状態と痛みが、なかなかよくなりませんでな。どうも、新しく骨が折れているようです。よく暴れておられるので、そのせいかもしれませんが。」
どこにぶつけているのやら、と、ノーマンは首をひねりながら言った。
「そうなんですか。罪人とはいえ気の毒ですねえ。」
そう言ったクリスを、隣で控えていたファンがちろりと見た。
ノーマンが報告を終えて下がると、クリスは、ヘンリーに声をかけた。
「父上、そろそろ。」
「おお、もうそんな時間か。」
これから、キャサリンとジョンの火刑が行われる。ヘンリーとクリスは、見届けのため、刑場へと向かう予定だった。
「イーリンは、館にいるのだな。」
「はい、今日は朝から祈りを捧げています。自分は行かない方がいい、と。」
あの方は、自分が火刑になる姿を、私に見られたくはないでしょう、とイーリンは言った。
「あの子らしいな。ファン、すまないが、そばについていてやってくれ。」
「はい。」
ファンが頷くと、クリスが笑顔で口を出した。
「大丈夫ですよ。2人は決して離れないそうですから。」
「うん? 何だ、その話は。」
「やめてください。こんな時まで。」
興味を示し出したヘンリーと、今にも色々と喋りそうなクリスを送り出すと、ファンはイーリンの部屋に向かった。
「イーリン、私です。」
アンナが扉を開けると、イーリンが、刑場の方に向かって祈りを捧げているのが見えた。
光に照らされ、人のために祈るその姿は神々しく、聖女というにふさわしかったが、ファンは口をつぐんだ。
(彼女は、嫌がるから。)
イーリンは、自分が特別に扱われるのを好まなかった。むしろ、ただの1人の人間として扱われる方を望んだ。
いつもからかうクリスも、実のところ、それはよく分かっていた。
ファンにとっても、泣きもするし、怖がりもする、1人の愛しい女性だ。いつまでもそばにいて守ってあげたいし、共に喜びや苦労を分かち合っていきたい。
「ファン。」
部屋に入ってきたファンに気づくと、イーリンは振り返り、ファンに愛らしく笑いかけた。それを見て、アンナまでが顔が緩んでいた。
「祈っていたのですか。」
「ええ。……お父様とお兄様は、もう出発されたのね。」
「はい、先程。」
ならば、もうすぐ火刑が始まる。ただ、すでにキャサリンは自害してしまい、その亡骸だけが刑に処されるとのことだった。
罰を受けよ、とは言ったものの、残酷な形にはならず、イーリンはほっとした。必要以上に苦しめたいなどとは思っていない。
「一つ間違えれば、私が火刑だったのね。」
キャサリンの罪を暴くことで、イーリンの無実は証明された。
まず、遺体の山は言い逃れしようもなかった。イーリンはパー家にも、ましてや貧民窟にも出入りしたことはない。
一方キャサリンは、パー家の館にそもそも住んでいたし、貧民窟でも、何度かその姿を見かけられていた。
ウェナムについては、ブラムとマーガレットの証言が重要となった。
ブラムは、キャサリンの甘言に騙され、バクスター家が所有していたウェナムを渡したことを認めた。
マーガレットは、父親がワインを受け取ったのは、キャサリンからであること、それを母エリザに飲ませた後に、エリザが急死したことをはっきり証言した。
そして、あの日イーリンは、ワインなど持ってきていなかった、とも。
マーガレットが証言する代わりに、リーデン伯爵は、ウェナムの犠牲者であるということにされた。リーデン伯爵は退位となり、伯爵家はマーガレットの兄が継ぐこととなった。
「イーリンの無実と、あの娘の悪行が証明されればいいのでね。使い物にならないリーデン伯爵を処刑したって、別に何にもならないだろう。」
あまり興味はなさそうに、クリスは言っていた。
ファンが、窓の外を見てつぶやいた。
「……ああ、始まりました。」
遠くに煙が立った。炎はキャサリンとジョンの亡骸を焼き、人の形をとどめなくなるまで消されないだろう。
煙は、シルウァの枝を燃やした時とは違い、どことなく黒く、渦を巻いているように見えた。
イーリンは、その煙の方を向き、また祈り始めた。
ファンには、キャサリンの冥福を祈ることはできなかった。だから、ただ黙って、イーリンが祈る姿を見守っていた。
多くの王都の民を殺し、王家を乗っ取ろうとした魔女キャサリンの処刑は、こうして終わった。
キャサリンの処刑が済んだ翌日、アーサーへの処罰が公に言い渡された。
魔女にたぶらかされたアーサーは、王の資格なしとして、王太子を降ろされ、北の塔へそのまま幽閉されることとなった。
そして、新たに王太子となったルイスは、国の立て直しを民に約束した。
イーリンの手の包帯が取れ、薄い傷跡だけが残ったころ、アルバートとルイーゼが王都にやってきた。2人は、マクスウェル家の館を訪ねてきてくれた。
「またお会いできて嬉しいですわ。アルバート叔父様。」
「イーリン。無事で良かったよ。ファン殿との婚約おめでとう。」
「イーリン様、おめでとうございます。」
ルイーゼは、一足先に領地に戻ったセリーナから、イーリンの無事と婚約を聞き、たまらずやってきたのだと言った。
「イーリン様が森へ発った後、やはり調査隊がやってきましたのよ。」
イーリンたちが出てから3日後、ボンベルグ領に王家の兵が調査に来た。彼らが隅々までボンベルグ領を調べているうちに、マクスウェル領から狼煙が上がったという知らせが届いた。
それまで王家の兵に大人しく従っていたボンベルグ兵たちは、アルバートが命令を下すと反旗を翻し、瞬く間に王家の兵たちを捕らえてしまった。
「殺してしまわないように気は遣ったけど、久しぶりの実践訓練で、なかなか良かったよ。」
アルバートは、爽やかに笑って言った。
捕らえた王家の兵たちは、そのままボンベルグ領で預かっていた。しかし、ルイスが王太子となり、争う理由もなくなったとのことで、アルバートが引き連れて王都にやってきたのだった。
「うちの者とも、一緒に過ごすうちに仲良くなったみたいでね。」
「やっぱり、嫌だったらしいですわ。あの方たちの命令に従うのは。」
ルイーゼは、軽くふくれた。
「こんなに無茶をされたのに、皆に謝りもしないなんて許せませんわ。」
「あの方は罰を受けて、もう亡くなられたのですから……。」
「でも、殿下はまだ生きておいでではありませんか。それならイーリン様に、少しでも謝られたらよろしいのに。」
「……。」
イーリンは黙った。
キャサリンには最後に会ったが、アーサーには会いたいと思えなかった。クリスに頼まれても、おそらく今度は断るだろう。
アーサーという人間のことは、幼い頃から見てきたので、よく知っている。
最後にアーサーの部屋で出会ったときに確信した。アーサーは、イーリンのことを自分の所有物だとしか思っていない。心など、通じ合うわけがなかったのだ。
(ファンと巡り合えて、ほんとうに良かったわ。)
顔を上げると、穏やかに笑うファンと目が合った。ファンと心を通じ合わせたからこそ、アーサーが自分をどう思っているか、気づくことができたのだ。
微笑み合うイーリンたちを見て、ルイーゼは少し落ち着いたようだった。そして、アルバートに尋ねた。
「お父様、アーサー殿下は、この先ずっと幽閉なのですか。」
「……まあ、死ぬまで、だろうね。」
「まあ……。それは、かなり厳しい罰ではありますわね……。」
ルイーゼは、自分が老婆になるまで北の塔から出られないことを想像し、ぞっとしたようだった。
「ルイーゼは心配することないよ。お前は、塔くらいなら脱出してくるだろう。」
「お父様。私だって淑女なのですわ。でも、あのくらいなら……、ああやれば……。」
北の塔を想像し、ルイーゼは真剣に考えこみ始めた。アルバートはその様子をしばらく面白そうに眺めていたが、イーリンの方を向いて尋ねた。
「義兄上とクリスは王城かな?」
「そうですわ。叔父様もこれから行かれるのでしょうか。」
「そうだね、様子も確認したいから。」
アルバートは、王城の方を向いて言った。
「では、ルイーゼ様は、後でお送りいたしますわ。」
「悪いね、ありがとう。」
アルバートがマクスウェル家の館を発ったあと、ルイーゼは北の塔の脱出方法について、自分の考えを話し出した。すると、アンナやピーターまでが混ざって、面白がって話し合いをし始めた。
しかし、結論としては、塔が高すぎて外から降りていくことはできず、中の階段は一本道なので、やはりそこからの脱出は難しいだろう、ということになった。
お読みいただいてありがとうございます。次回は塔の中のアーサーの話となります。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




