71 最後の取り調べ
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り
ファン・イン:クリスの従者、イン国元皇子、イーリンの現婚約者
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
マデライン・ギーベル:王妃、アーサー達の母
キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女
クリスから申し出があった翌日、イーリンは、ファンとクリスと共に、キャサリンのいる地下牢までやってきた。
「ごめんね、イーリン。嫌な場所だと思うけど。」
キャサリンがいるのは、かつてイーリンが入れられていたのと同じ、一番奥の牢だった。
地下牢へと続く階段を降りると、見張りの兵士がイーリンたちに敬礼した。奥へと歩いていくと、立ち並ぶ牢の扉の中からは、貴族が歩いている気配に気づいた罪人たちが、恩赦を願う声を投げかけてきた。
(あの男の人は、どうなったのかしら……。)
自分の名前を叫び、地下牢に囚われていた男。
「お兄様、私の名前を叫んでいる罪人はいなかったでしょうか。」
クリスには心当たりがあったようで、すぐに答えてくれた。
「ああ、あれか。あの男はかなり衰弱していたから、別のところに移したよ。あの娘の仲間だったみたいだから、一応証人として置いてあるのだけど。」
「あの人も、処刑されるのですか。」
「利用されたとはいえ、関与しているのは間違いないからね。処刑は免れないだろう。……可哀想だと思うのかい?」
クリスは、心配そうにイーリンの顔を窺った。しかし、イーリンはきっぱりと言った。
「……いいえ。したことの罰は、受けねばなりませんわ。」
イーリンは、まっすぐに前を見据えた。その横顔を、ファンが隣で見守っていた。
奥の牢まで着くと、兵士が鍵を外し、扉を開けた。キャサリンは、縛られて口を塞がれたまま、牢のベッドに座っていた。
取り調べや牢での処遇は、マクスウェル家らしく人道的に行われたようで、キャサリンの顔に傷などはなく、服も汚くはなかった。寝床なども、イーリンのときよりも真っ当なものがしつらえてあった。
最初に兵士たちが中に入り、キャサリンをベッドから立たせ、床に座らせた。
キャサリンは、クリスに続いて牢に入ってきたファンを見ると、あからさまに喜んだ表情になったが、その次に入ってきたイーリンを見ると、すぐに憎しみの視線を向けた。
キャサリンの猿轡を外させると、クリスは話しかけた。
「さて、キャサリン嬢。私とは何度もお会いしたけど、覚えていただけたかな。」
「そうね。綺麗な顔のあなたは覚えているわ。私とまた話をしたくていらしたの?」
キャサリンは、この状況でも不敵に笑った。化粧は落ちていたが美しい顔立ちはそのままで、唇は猿轡のせいもあってか、赤さが増していた。
キャサリンはファンの方を向くと、うっとりとした視線を向けた。
「この方を連れてきてくださったの? そうね、この方にだったら、私、本当のことをお話ししてもいいわ。お願い、2人きりにしてくださらない?」
キャサリンに誘うような目つきを投げかけられ、ファンは、顔をそむけて不快感をあらわにした。しかし、ファンが口を開く前に、クリスがキャサリンに返事をした。
「はは、そこまでわがままを聞いてあげるわけにはいかないな。それに、彼はイーリンの婚約者だ。人の婚約者に手を出すなんて、淑女のすることではないよ。」
すると、キャサリンは小さく舌打ちをして、イーリンの方を向いた。
「ひどいわ、イーリン様。この方は、元々私と約束した方でしたのに。アーサー殿下が嫌だからと、私に殿下のお相手を押し付けて、この方を奪ってしまわれるなんて。」
「ええっ。」
イーリンも驚いたが、ファンもびっくりした表情をしていた。マクスウェル領から来た兵士たちも、ファンが隣国ハーフェンから来た者であることを知っているため、キャサリンの言葉に目を丸くしていた。
「あなた、恥ずかしがらないで。あなたがこの人の家柄に惹かれたのは仕方がないわ。でも、私はまだあなたを愛しているの。もう一度私を選んで。」
キャサリンは、目に涙をためて、切々とファンに訴えた。何も知らなければ、迫真の演技に騙される者もいるだろう。しかし、事情を知っている者にとっては、ただの茶番であった。
「何を言っているんですか、この女は。」
ファンが、たまらないといった様子で口を開いた。イーリンがファンを気遣い、その背にそっと手を当てた。それを見て、キャサリンがまたイーリンを憎々し気に睨んだ。
「ねえ、気安く触らないでくださる……。」
「いやいや、そのくらいにしておこうね。」
クリスが、笑いをこらえながら言った。
「悪いけれど、彼は、王都に来るのは今回が初めてだ。君は、王都から外に出たことはないだろう?」
キャサリンは、かっと顔を赤くした。そして、それを言ったクリスではなく、イーリンをぎっと睨んだ。
「何よ。いつも人を馬鹿にして。ねえ、いつも言っているでしょう。私はこの女に命令されたの。どうして信じてくれないのよ。」
キャサリンはクリスや兵士を見回して言ったが、誰も相手にしないので、またイーリンを睨みつけた。
イーリンは、ファンのそばから一歩踏み出し、膝を折って、キャサリンと同じ目線となった。そして、穏やかな声でキャサリンに尋ねた。
「なぜ、そんなに私を目の敵になさるのですか?」
イーリンの声は、凛として地下牢の中に響き渡った。キャサリンの悪意から守ろうとするかのように、シルウァの香りがイーリンの身体を包んでいた。
「ふん。嫌なにおいがぷんぷんするわ。本当にいまいましい女。森で死んでしまえばよかったのに。」
ほう、とクリスが小さな声で言った。やはり、『昏き森』に刺客を差し向けたのはキャサリンだったのだ。
「私は、アーサー殿下の婚約者を降りるつもりでした。それに、私がいなくなったとしても、あなたが将来の王妃になられるかどうかは、また別の話だったでしょう。それなのに、どうして私を処刑することにこだわったのですか?」
イーリンの声は、あくまで穏やかだった。そこに恨みは感じられず、本当にただ尋ねているだけのようだった。
キャサリンは、鼻で笑った。
「あなたが、何もかも私から奪うからよ。」
ファンやマクスウェル兵たちは、キャサリンの答えに釈然としなかった。イーリンは、キャサリンから何も奪ったことはない。むしろキャサリンの方が、イーリンから色々なものを奪った。
「私が、あなたから何を奪ったというのです。」
「あなたが持っている、全てよ。」
キャサリンは、そう言い捨てると唾を吐いた。距離があるのでイーリンには届かなかったが、反抗的な態度を取ったとして、マクスウェル兵がキャサリンを押さえにかかった。
「……話に、ならないですね。」
ファンは呆れてこぼしたのだが、それでもキャサリンはその声に嬉しそうに反応し、ファンの方を見た。ファンは、顔をしかめてクリスに言った。
「もういいでしょう、クリス様。」
「そうだね、十分だ。」
クリスはそれまで平然とした顔で、イーリンとキャサリンのやり取りを聞いていた。そして、にっこりと笑うと、キャサリンの方を向いた。
「君はあんまり何も話してくれなかったけど、魔女だという証拠は揃ったから、もういいよ。近いうちに、君は火刑に処される。」
「何ですって。」
「馬鹿だねえ。君に情けをかけられるのは、イーリンだけだったのに。」
クリスの言う通りであった。
マクスウェル家に大事にされているイーリンは、クリスたちに意見することができる稀有な存在だった。さらに、聖女と崇められるイーリンが赦すのなら、怒る王都の民を納得させることもできただろう。
つまり、イーリンが願えば、キャサリンは極刑を免れる可能性はあった。しかし、自らの感情に支配され、キャサリンはイーリンを罵倒し、突き放してしまったのだ。
キャサリンは、急に青ざめ、動揺し始めた。嘘を吐き続けて自白をしなければ、処刑はできないと思い込んでいたのかもしれない。
「ま、待って! イーリン様。さっきは申し訳なかったわ。私も、ついかっとなってしまって……。また、前みたいに楽しくお話しする仲になりたいの。」
さっきとは打って変わり、キャサリンは、イーリンに縋るような視線を向けた。イーリンは、ちらりとファンの方を見た。
「……彼のことは、もうよいのですか。」
「……え、ま、まあ。そのことは水に流しますわ。だから、お助けくださいませ。私、恐ろしいことに手は染めましたけれど、とても反省しておりますの。」
「まあ。」
イーリンは、キャサリンの言葉に、ぴくりと反応した。
「反省されておられるのですか。」
「え、ええ。そうよ、そうですわ。私いたく反省しておりますの……。」
キャサリンは、イーリンが聞き返したことで、期待を持ったようだった。目を潤ませて愛想笑いをするキャサリンを、イーリンはじっと見つめ返していた。
クリスは黙って成り行きを見守っていたが、足をとんとんと動かし、少し落ち着かない様子であった。
しかし、イーリンは毅然として言い放った。
「ならば、甘んじて罰をお受けなさいませ。」
クリスとファンは驚いて、同時にイーリンを見た。キャサリンは、一瞬大きく口を開けたままでいたが、慌てた様子で喋り始めた。
「そんな! 私、とても反省しておりますのに……。殺されてしまっては、罪をつぐなうこともできませんわ。」
「いいえ、キャサリン様。罰は受けなくてはなりません。あなたは、それだけのことをなさったわ。」
イーリンは、優しい母親が子供に諭すように言った。その顔に全く怒りはなく、復讐の意図は感じられなかった。
──人の世で暮らすのならば、人の世の決まりは守らなくてはならない。それを破ったのなら、罰を受けなくてはならない。
ましてやキャサリンたちは、人を害さないという最も大事な決まりを、何度も何度も破ったのだ。それなのに、人の世でのうのうと暮らすことは許されない。
イーリン自身は、キャサリンと同じ立場に立ったなら、大人しく刑を受けるだろう。
「あなたが反省なさっておられるのなら、亡くなった方々も、少しは浮かばれることでしょう。」
イーリンにも、キャサリンが反省などしていないのは分かっていた。しかし、少しでもその方向に向かってほしいと思った。向かわなければ、おそらくどこかにまだ存在するであろう、あの闇に飲まれるのだ。
「し、死んでしまったら何にもなりませんわ。」
「いいえ、人は死んでも魂が残ります。キャサリン様もご存知でしょう?」
──マデラインと、会話をしていたのだから。
「だから、死を前にしても、悔い改めることは無駄ではありませんわ。」
イーリンは、女神のような顔で微笑んだ。
お読みいただいてありがとうございます。次回は今回の話の続きとなります。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




