66 王妃の寝所
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り
ファン・イン:クリスの従者、イン国元皇子、イーリンの現婚約者
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
ルイス・ギーベル:第二王子、リリーの婚約者
マデライン・ギーベル:王妃、アーサー達の母
ジョン:キャサリンの仲間
ストラスタ侯爵:リリーの父、マクスウェル公爵と同様の穏健派
ルイーゼ・ボンベルグ:イーリンの友人、辺境伯令嬢、イーリンの従妹
セリーナ・ボンベルグ:ルイーゼの母、辺境伯夫人
ノーマン:ボンベルグ領の軍医
シルウァ:『昏き森』に存在する森の主
「お兄様。王妃陛下の方は……。」
アーサーたちの処遇を聞いた後、イーリンはクリスに尋ねた。
森の主シルウァは、王妃マデラインは1年前にすでに亡くなっている、と言った。
生前のマデラインは、王城の中で不遇だった。今のマデラインがどのように扱われていたのか、イーリンは気になっていた。
クリスは、イーリンの問いに答えようとして、はたと何かを思い出した様子だった。
「ああ、そうだ。イーリンたちには、まだ伝えていなかったね。」
「何でしょうか?」
「昨日の朝、私たちはバクスター家に行っただろう。そのとき、バクスター侯爵からも、色々と話を聞いたんだ。」
「……どんなお話を、されたのですか?」
バクスター家に向かうクリスを送り出した後、イーリンはジョンに攫われた。助け出されてからも、クリスとゆっくり話す間がなかったので、バクスター家で何があったかは知らなかった。
「バクスター侯爵はね、王妃陛下が亡くなっていることはご存知だったよ。」
「まあ……。そうだったのですか。」
マデラインの死は、国王の意向によって隠蔽されていた。バクスター侯爵であるブラムは、口止めをされて引きこもっていたのだ、とクリスは教えてくれた。
ストラスタ侯爵とセリーナは、すでにこの話を聞いていたらしく、驚く様子はなかった。
「それと、例のウェナムは、やはりバクスター家にあったよ。ノーマン殿に確認してもらったから、間違いない。」
今はマクスウェル家の館に運ばれ、兵士たちが守っているとのことだった。
「バクスター侯爵は、ウェナムの作用についてはあまり詳しい方ではなくてね。そのウェナムは、侯爵と相談させていただいて、こちらでお預かりすることにしたんだよ。」
「それは、良かったですわね。」
イーリンは喜んだ。バクスター家のウェナムが、これ以上悪用されないような状態になれば、ノーマンは安心するだろう。
ファンは、にこにこと笑顔で説明するクリスに、訝しげな視線を向けていた。
セリーナは、じろりとクリスを睨んだ。
「ウェナムとかいう薬がバクスター家にあるのを、私達にまで隠していたなんて。クリス、あなた相変わらず腹黒いわね。」
「できるだけ、確実に不意打ちしたかったものですから。」
クリスは、けろっとして言った。
ブラムは小心者だ。偶然でも、ウェナムの存在が知られているという話が耳に入れば、捜索に入る前にウェナムを処分してしまうかもしれない。クリスとしては、それは避けたかった。
「少しは、イーリンを見習いなさい。」
「見習っていますよ。」
クリスは、子供のようにふくれてみせた。それを見て、セリーナは大きくため息をついた。イーリンは叔母と兄のやり取りにおろおろとし、ファンとアンナは苦笑していた。
「……まあ、いいわ。続けなさい。」
クリスは真面目な顔に戻ると、再び話し始めた。
「国王陛下の無事を確認したあと、我々はまず、王妃陛下の居室に向かいました。」
クリスたちが中に入ろうとすると、王妃付きの侍従が止めようとした。しかし、すでに亡くなっていることは知っていると言うと、へなへなと座り込み、そこからはもはや抵抗しなかった。
「お部屋の中には、王妃陛下はおられませんでした。……ただ、寝所にたくさんの花が飾られていました。」
窓は長く開けられていなかったようで、むせかえるような花の香りが、部屋の中に満ちていた。
クリスたちが、王妃はどこにおられるのか、と侍従に尋ねると、何も言わず、指で床の方を指した。
「王妃陛下……、マデライン様は、地下の部屋におられたのです。」
マデラインの遺体は棺に入れられ、地下室に置かれていた。地下室の場所は、ちょうどマデラインの部屋の真下に当たっていた。
棺の周りにも花が飾られていた。そこにある花は、少なくとも数日前までのものであり、古いものは順に片付けられていたようだった。
クリスたちは、棺の中を確認した。棺の蓋は打ち付けられておらず、壊さずに取り外すことができた。
そこまで言うと、クリスとストラスタ侯爵は、顔を見合わせた。
「……さすがに、あれは驚きましたね。」
「ええ。まるで、生きておられるかと思いました。」
「どういうことなのかしら?」
セリーナが尋ねると、クリスはマデラインの遺体の状態について説明した。
亡くなるときに飲んだ薬の効果か、地下室の環境のせいか分からないが、マデラインの遺体は全く腐らず、生前の姿のままだった。
よくよく見れば、蠟のような肌が、生きている人間のものではないと分かる。しかし、一見、ただ眠っているだけのように見え、声をかければ目を開くのではないか、と思わせるような状態であった。
それを聞き、セリーナは目を丸くしていた。ストラスタ侯爵も、このような経験は初めてらしく、戸惑いを隠し切れない様子だった。
「その場では、どうしていいか分からなかったので、今はまだ、そのままにさせていただいています。いずれは、正式な葬儀を行わなくてはなりませんが……。」
マデラインの死は隠蔽されたため、亡くなった当時には、葬儀が行われなかった。そのため、ルイスやブラムなどの家族ですら、マデラインとの別れができていない。
マデラインの遺体が生きていた当時の姿を保っているのであれば、これから別れを告げる彼らにとって、少しは心の慰めになるかもしれなかった。
「そうだったのですね……。」
ただ、イーリンには不思議だった。新しい花が飾られ、棺の蓋が開く状態になっていたということは、誰かが、定期的にマデラインに会いに来ていたということだろうか。
しかし、マデラインの死を知っていた人物は限られている。王子であるルイスですら、全く知らされていなかったのだ。
(まさか……。でも、どうして?)
今の時点でいくら考えても、答えは出そうになかった。それに、イーリンがやるべきことは、他にあった。
──マデラインの魂を救うこと。
イーリンは、懐にしまったシルウァの枝に触れた。どこかにいるマデラインの魂に、これを届けなくてはいけない。
イーリンは、ファンと目を合わせて頷いた。
全ての報告を終えると、セリーナが口を開いた。
「ストラスタ侯爵、クリス。ルイス殿下とは、これからの話をされたのですか?」
「ええ、叔母上にも、ぜひご協力をお願いいたします。山ほどやることがあるので。」
王太子であるアーサーが罪人となった今、新たな王太子となるべきはルイスである。立太子の手続きはまだだが、国王が動けない今、ルイスは国王代理としての働きを求められていた。
アーサーやキャサリンの取り調べ、それに対する裁定。王都の立て直しや治安の改善。バクスター家やリーデン家にも、手を入れなくてはならなかった。
「しかも、アーサーたちが、しっかりと浪費してくれていましてね。王家の持つものが少なくなっているのです。」
後先を考えない2人により、王家の財産も兵も、無駄に消費されていた。おまけに、城の中の人間も乱暴に扱ったため、侍従や使用人の数もかなり減っていた。
「ご報告したときには、ルイス殿下は頭を抱えておられましたよ。」
「お気の毒に。」
「そういうわけで、我々としては、手を取り合わないといけないようです。」
ルイスが愛想よく言うと、セリーナが貫禄のある笑顔を浮かべた。
「仕方ないわね。お国のためですもの。」
ストラスタ侯爵も、穏やかな笑みとなった。
「これから大変ですが、ともにやっていきましょう。」
マクスウェル家、ストラスタ家、ボンベルグ家の3人は、協力を約束し合った。
(ルイス殿下がいてくださって、本当によかったわ。)
イーリンは、3人の姿を見て思った。
以前から、粗暴なアーサーより、聡明で穏やかなルイスの方が国王にふさわしい、と誰もが思っていた。だからこそ、王家がこのような状態になっても、ルイスが次代の国王となることを、皆がすんなりと受け入れていた。
まだ、この国に希望はある。そして自分は、この国のために、何ができるだろうか。
報告の後、クリスたちは簡単に当面の話し合いを済ませた。ストラスタ侯爵は、ルイスのいる王城へと向かうため、先に館を出た。
イーリンたちは、クリスとともに、マクスウェル家の館に戻ることとなった。
「叔母様、お世話になりました。」
「また、遊びにいらっしゃい。そのうち、ルイーゼもこちらに来させるから。」
「まあ、早くお会いしたいですわ。」
セリーナは、ファンの方を向いた。
「そのときは、あなたもぜひ一緒にね。」
「……お気遣いいただいて、ありがとうございます。」
──昨晩の状態に、ルイーゼが加わるのか。
マーガレットと別れを惜しんで、最後の挨拶を交わすイーリンを見ながら、ファンは今後の不安を感じていた。
お読みいただいてありがとうございます。次回もマデラインの話の続きとなっていきます。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




