65 クリスの報告
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り
アンナ:イーリン付きの侍女兼マクスウェル家の斥候
ファン・イン:クリスの従者、イン国元皇子、イーリンの現婚約者
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
ルイス・ギーベル:第二王子、リリーの婚約者
シャーロット・ギーベル:王女、国王の末娘
マデライン・ギーベル:王妃、アーサー達の母
キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女
ジョン:キャサリンの仲間
ストラスタ侯爵:リリーの父、マクスウェル公爵と同様の穏健派
セリーナ・ボンベルグ:ルイーゼの母、辺境伯夫人
ノーマン:ボンベルグ領の軍医
シルウァ:『昏き森』に存在する森の主
翌日の朝、ボンベルグ家の館に、クリスとストラスタ侯爵がやってきた。
「叔母上、イーリンがお世話になりました。」
「いいえ、色々と聞かせてもらって、楽しかったわ。」
セリーナは、満足そうな表情をしていた。
クリスは、頬を染めているイーリンと、何も聞くなという視線を向けているファンを見て、昨晩何があったかを察した。
「では、さっそくですが、我々からのご報告をさせていただきたいと思いまして。」
「ええ、こちらへ。」
セリーナは、広間にクリスたちを案内した。皆が席に着き、セリーナが人払いをすると、クリスが話し始めた。
「まずは、国王陛下です。結論から言うと、国王陛下は無事に、お助けすることができました。」
「それは、何よりですね。」
と、セリーナが言うと、ストラスタ侯爵が、少し眉をしかめた。
「ただ、セリーナ殿。晩餐会のときの状態……と言ったら分かりますかな。あの状態と、強く苦しまれる状態が、互い違いに来ておられるのです。」
ノーマンによると、急激に大量のウェナムを使われたせいではないか、ということだった。
国王にどうしても言うことを聞かせたかったアーサーが、考えなしにたくさんの量を飲ませたのだろう、とクリスが言った。
「ですので、今はまともに会話ができる状態ではありません。」
「まあ……。」
(あの、国王陛下が……。)
イーリンも、晩餐会のときの国王の様子は覚えていた。しかし、イーリンにとっての国王フィリップは、眼光鋭い、傲慢さを感じさせるほど自信に満ちた人間だった。
「陛下については、ノーマン殿に指導して頂きながら、治療を行っていくこととしました。」
わずかずつウェナムを飲んでもらい、徐々にその量も減らしていくことで、ウェナムが切れたときの苦痛を和らげていくのだという。
「シャーロット殿下も、ご無事でしたよ。」
王家の末娘である、幼い王女シャーロットは、侍女たちに守られるようにして、自分の部屋にこもっていた。
第二王子ルイスと仲が良く、自分に懐かないシャーロットに対して、あまりキャサリンは興味を示さなかったようだった。
シャーロットは、部屋にやってきたクリスたちに対し、
「ルイスお兄様は、どこにいらっしゃるの?」
と、目にいっぱいの涙をためて言ったという。
「あれは、参りました。こちらが悪いことをしたみたいな気になりましたね。」
クリスは苦笑して言った。ルイスに王城に戻らないように勧めたのは、クリスたちだった。
「ルイス殿下は、先程王城に戻られましたので、もうお会いになっておられるかと。」
ストラスタ侯爵も、苦笑しながら言った。
「それなら、シャーロット殿下も安心されるでしょう。」
「そうね。」
イーリンとセリーナが言った。
国王は、子供たちに構えるような状態ではなかったし、母であるマデラインもすでにいない。兄の1人であるアーサーはキャサリンにかまけて、妹のことなど気にしてもいなかった。
幼いシャーロットにとっては、優しい兄のルイスだけが頼りだったのだろう。
イーリンがシャーロットの不安な心を思いやっていると、クリスが笑いながら言った。
「そういえば、シャーロット殿下は、聖女様が王城を開けてくださった、と感謝されていたよ。」
「え? もう、お兄様。およしになって……。」
イーリンにとっては、聖女などと言われることは面映い。恥ずかしがる妹を見て、別に間違っていないのになあ、とクリスは思った。
「捕らえた罪人たちは、どのようにされたのですか。」
ファンが、クリスたちに質問した。
「アーサーには、北の塔にて過ごしてもらっているのだけどね……。」
王城の北の塔は、貴族などが罪を犯した時、幽閉するために使う場所だった。表向きには、これまでイーリンが幽閉されていたとされるところである。
クリスは、ファンに呆れたような視線を向けた。
「ファン。君さあ、アーサーを結構蹴るかなんかしただろう。」
「しましたね。何度も立ち上がってくるものですから。」
ファンは、涼しい顔で言った。
「何かあったのですか? お兄様。」
「いやね、目を覚ましたアーサーがあんまり痛がるから、ノーマン先生に診てもらったんだよ。」
アーサーの服を脱がせると、胸から腹にかけて、皮膚の下から大量に出血した痕があった。ノーマンの診察によると、胸を囲む骨が、かなり折れているだろうとのことだった。
「君、折れているのが分かっていて、その部分をあえて強く縛っただろう。」
「言いがかりはやめてください。」
「ファンらしくない。どうしたんだ。」
すると、ファンはクリスのそばに行って、何やらひそひそと耳打ちをした。聞いていたクリスは次第に冷たい目となり、納得した様子になった。
「あー……。じゃあ、しょうがないか。むしろよく我慢したね。」
「でしょう。」
頷きあう2人の様子に、イーリンとストラスタ侯爵は不思議そうな顔をしていたが、セリーナとアンナは何となく内容を察したようだった。
ファンが席に戻ると、クリスが話を続けた。
「まあ、案の定、アーサーもウェナムを使われていました。部屋に匂いもしていましたし。」
だから、骨が折れていても、起き上がって向かってくることができたのだ。
「ただ、使われていた量は、さほど多くなかったようでしてね。痛みを抑える効果は、今はもうすっかり切れています。」
ウェナムの効果が切れるとともに、その禁断症状が襲ってくる。そして、バクスター家のウェナムは、その作用がことさらに強いのだ。
「ま、最後に見たときは、かなり苦しそうでしたよ。」
ストラスタ侯爵も、頷いていた。
ウェナムが切れた苦しみのためか、生来の癇癪も加わってか、アーサーの錯乱と興奮はひどくなっていた。しかし、暴れようにも身体がままならず、怒りをぶつけようともがいては、激痛に苦しむことを繰り返しているとのことだった。
「でも、彼に高価なウェナムを使ってあげる気もしないので。しょうがないですね。」
この国でウェナムを手に入れるには、マクスウェル家を通すしかない。クリスがそう言う以上、アーサーの運命は決まっていた。
ストラスタ侯爵も、セリーナも、これについては致し方ない、という姿勢であった。令嬢を惨殺されかけたマクスウェル家の報復としては、まだ生ぬるいと言えるだろう。
イーリンも、今回は何も言わなかった。
復讐などは考えていないが、アーサーに襲われたときのことを思い出すと、どうしようもなく寒気がした。アーサーに再びウェナムを使うなど、考えることも恐ろしかった。
イーリンはいつの間にか、身体を縮めて震えていた。
「もう、大丈夫なのですよ。イーリン。」
指輪から、ふわりと香りがしたと思うと、ファンの声が耳に届いた。その香りと声で、イーリンは恐ろしい記憶から我に返った。
「……ありがとうございます。」
ファンは、心配そうにイーリンを見つめていた。
「まだ、聞けますか。」
「はい。」
前を向くと、同じく心配そうなクリスと目が合った。イーリンは、大丈夫、と微笑んだ。
──自分はシルウァに宣言したのだ。この国の行く末を見届けたい、と。
「申し訳ありません。お兄様、続けてください。」
「分かった。辛かったら言うんだよ。」
「ええ。」
セリーナたちは何も言わなかったが、イーリンを気遣うように見守ってくれていた。私は、今は独りではないのだわ、とイーリンは皆に感謝をした。
「罪人たちの話でしたね……。まず、先にジョンの話をしておきましょうか。」
ジョンはキャサリンの仲間で、我々が不在の間、公爵家の館と使用人を我が物顔に使っていた者です、とクリスがストラスタ侯爵たちに説明した。
「彼は駄目でした。残念ながら、我々が到着したときには、死んでしまっていました。」
「出血が多かったですからね。」
現場を見ていたファンが言った。イーリンは、ファンの腕をきゅっと掴んだ。ジョンの血だまり、落ちた腕。アーサーの部屋は、凄惨な現場だった。
「亡骸はどうするのです。」
「火刑にするから、地下牢に腕と一緒に放り込んであるよ。」
公爵家での行状も十分に重罪だが、国賊であるキャサリンの協力者というのが、一番罪が重い。それに、ジョンの言動から想像するに、恐ろしい余罪はたくさんありそうだった。
「それから、あの娘も、口をふさいだまま地下牢に放り込みました。喋ると、どうせろくな事を言わないだろうと思いましたし。」
「それがいいと思います。本当に、ろくなことを言わない。」
ファンが、珍しく前のめりに同意した。
「取り調べなども、複数で行うつもりです。兵士がたぶらかされて、あの娘に逃げられてしまうようなことになっても困りますので。」
「恐ろしい娘です。油断しないよう、兵士たちにはよくよく言い聞かせなくてはなりませんな。」
ストラスタ侯爵も同意した。
さすがに、食事を与えるときには猿轡を外すのだが、そうするとすぐに喋り出し、兵士を誘惑しようとするのだという。その話を聞いて、ファンは、キャサリンへの嫌悪感を隠さなかった。
「証拠はすでに揃っているのだから、取り調べもあまり必要ないでしょう。とりあえず、舌を切ってしまえばいいのではないかしら。」
「まあまあ、叔母上。一応形だけは必要ですから。」
ウェナムを悪用し、友人であるエリザを死に至らしめたキャサリンに対して、セリーナはかなり強く怒っているようであった。
(地下牢……。)
かつて自分が閉じ込められた地下牢に、今はキャサリンがいるのだ。
キャサリンとて、あの環境に慣れているはずがない。あのとき自分は、ファンからもらった『気』を思い出し、何とか乗り切ることができた。
キャサリンは、あの暗い地下牢の中で、今何を考えているのだろうと、イーリンは思った。
お読みいただいてありがとうございます。次回は、マデラインの話になっていく予定です。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




