63 開城
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り
アンナ:イーリン付きの侍女兼マクスウェル家の斥候
ピーター:マクスウェル家の庭師兼斥候
ファン・イン:クリスの従者、イン国元皇子、イーリンの現婚約者
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
ルイス・ギーベル:第二王子、リリーの婚約者
マデライン・ギーベル:王妃、アーサー達の母
キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女
ジョン:キャサリンの仲間
ストラスタ侯爵:リリーの父、マクスウェル公爵と同様の穏健派
アルバート・ボンベルグ:ルイーゼの父、辺境伯
セリーナ・ボンベルグ:ルイーゼの母、辺境伯夫人
ノーマン:ボンベルグ領の軍医
シルウァ:『昏き森』に存在する森の主
「嫌な女。あなたって、本当に私から何もかも奪うのね。」
「そんな……。」
キャサリンは、ファンに庇われているイーリンを、憎しみを込めた目で睨んでいた。
「このっ……、売女!」
キャサリンが、イーリンを打とうと手を上げたところで、急にどやどやと部屋の中が騒がしくなった。
イーリンが音がする方に顔を向けると、隠し通路の扉がある戸棚が、内側から大きく開かれたのが見えた。
そうして、隠し通路の扉から、マクスウェル家の兵士たちが次々と現れた。
「ファン様! やっと追いつきました!」
「イーリン様! ご無事でしたか!」
兵士たちの姿を認めるやいなや、キャサリンは踵を返し、扉から逃げようとした。しかし、すぐに追いかけた兵士たちに取り押さえられてしまった。そして、あっという間に兵士たちに縛り上げられた。
「何するのよ! こんなことして、ただですむと思わないでよ!」
縛られながらも、キャサリンは悪態をついていた。
「いい所に来てくれました。」
ファンは、兵士たちが来てくれて安心した様子であった。そして、縛られたキャサリンの方を、ちらりと見て言った。
「その女は、甘言で人をたぶらかします。取り調べまでは、口をふさいでおいた方がいいでしょう。」
「ちょっと、ねえ、そんなこと言わないでよ。まだ、話は途中だったじゃない……。」
ファンに冷たい目を向けられ、キャサリンは呆然としていた。抗議する間もなく、キャサリンは兵士に猿轡をかませられた。
「うぐっ……。」
仕事を終えると、兵士はファンに敬礼した。
「本隊には、この抜け道のことを報告してあります。兵士がもう少し到着しましたら、数名をこの部屋に残して、この3人をクリス様に引き渡すまで見張ります。出口の方も兵が見張っておりますので、取り逃がすことはないと思います。」
「それなら安心です。」
キャサリンは、縄を解こうと身体をくねらせ、ファンにまだ縋るような視線を向けていた。しかし、ファンには無視され、不審な動きをしたとして、そばにいる兵士に剣を突きつけられていた。
そうしているうちに、通路からは、続々と兵士たちが出てきた。
「では、申し訳ないのですが、イーリン様とファン様は、我々と正門まで一緒に来ていただけますか?」
彼らに聞くと、可能なら中から王城の正門を開くように命じられたという。しかし、普段王城に入ることがないマクスウェル家の兵士たちは、あまり王城の造りに詳しくはなかった。
「分かりました。正門を開きに行きましょう。イーリン、場所は分かりますか。」
「ええ。」
イーリンは頷いた。何度も訪れた王城である。イーリンは、王城の間取りをよく知っていた。
ファンはイーリンの手を取り、扉の方に向かった。多くの兵士たちが、それに続いた。
「んんー!」
扉が閉まる直前、キャサリンのくぐもった声と、兵士の怒鳴り声が聞こえた。
「こちらです。」
扉を出て、イーリンはファンと共に先頭に立ち、兵士たちを案内した。歩きながらも、イーリンはさっきのキャサリンの様子が、頭から離れなかった。
(……どうして、ファンなのかしら……。)
アーサーのときは、キャサリンに婚約者の座を奪われてもどうでもよかった。でも、今、キャサリンがファンに執着する姿は、見ているだけでもつらい。
「難しい顔をしていますね。」
ファンが、そっとイーリンに声をかけてきた。
「すみません。こんな時に。」
「……私はさっき、嬉しかったのですよ。」
「え……?」
「イーリンは、怒ってくれたでしょう。私のために。」
「まあ……。」
──『私の、大事な方なのです!』
そう言えば、ファンの腕を掴みながらではあったが、夢中でキャサリンに言い返した。今までは、話すのも嫌で、怖くてたまらなかったのに。
「あの娘は、何か勘違いをしていたようでしたね。口をふさいでおきましたから、もう余計なことは言えないでしょうが。」
眉を寄せて、ファンは嫌そうな顔をしていた。イーリンはその表情を見て、何だかほっとする自分に気がついた。そして、キャサリンの言葉を思い出した。
『嫌な女。あなたって、本当に私から何もかも奪うのね。』
──ファンは、誰のものでもない。でも、自分から離れていってしまうのは嫌。キャサリンに連れていかれてしまうのは、もっと嫌。
イーリンは、胸を軽く押さえ、ため息をついて言った。
「……これも、シルウァ様のおっしゃる『悪意』なのかしら。」
ファンは、それを聞いて微笑んだ。
「嬉しかったと、言ったでしょう。悪意など感じません。ああ、シルウァ様も、そう思っておられるようですよ。」
「あら……。」
ふわりと、指輪からシルウァの香りがした。
「ああ、そうだ。あなたを追いかけることができたのも、シルウァ様が手伝ってくださったからです。」
井戸を見つけるまでは、シルウァの香りが導いてくれたと、ファンは話してくれた。
「まあ、シルウァ様、ありがとうございます。」
イーリンは、指輪にお礼を言った。
⦅指輪を、外してはいけないよ。⦆
マクスウェル領に戻った翌日の朝、シルウァはそう伝えてくれた。今回、自分が危ない目に遭うことが、シルウァ様には分かっていたのかもしれない、とイーリンは思った。
イーリンは、ファンにその話をした。そしてもう一度、イーリンとファンが心からの感謝を捧げると、喜んでいるようなシルウァの感情が、指輪を通して伝わってきた。
イーリンたちは、正門に向かって歩き続けた。
王城に残っていたのは、王太子派の貴族と、わずかな近衛兵や侍従たちであった。彼らは、処刑されたはずのイーリンが王城に現れたのを見て、愕然とした。
彼らの中で、イーリンの聖女の噂を知らない者はいなかった。ファンやマクスウェル兵と共に歩くイーリンは、優し気で清らかであり、つい先ほどまで、王城を我が物顔に歩き回っていたキャサリンとは、まるで異なっていた。
彼らは、イーリンたちと戦い、抵抗することもできた。しかし、皆、籠城にも、身勝手な王太子やその愛妾にも、疲れ切っていた。
──これで、終わる。
彼らは、自分たちの前を歩いていくイーリンたちに、自然と跪き、頭を下げた。
門を守る近衛兵も、外に並ぶ大勢の兵士たちを見て、もはや戦う気力を持っていなかった。イーリンたちが到着すると、王城の正門は中から開かれ、短かった籠城は終わった。
「イーリン!」
ファンと共にイーリンが正門から出てくると、クリスが走ってきた。クリスは、また泣きながらイーリンを抱きしめた。
「心配をかけてごめんなさい、お兄様。」
「もういいんだ、イーリン。よく生きて帰ってきてくれた。」
「あっ……。」
強く抱きしめるクリスの身体に右手の傷が当たり、イーリンは思わず声が出てしまった。クリスは、イーリンの手の血に気が付いて、慌て出した。
「えっ、何だい、その傷は! ちょっと、ノーマン殿はどこだ、早く!」
「落ち着いてください、クリス様。ノーマン先生は館で待機していますから、ここにはいませんて。」
ピーターとイーリンが、慌てるクリスを急いでなだめた。
「イーリンを連れて行った男の仕業か。」
「クリス様、あいつの処刑方法を考えるのは後です。」
「お兄様、もう血も止まっていますから。私は大丈夫ですから。」
しばらくしてクリスが落ち着くと、ファンは、手短に中の状況を報告した。
「……じゃあ、罪人たちは捕らえてあるんだね。では、捜索だけで済みそうですね。」
「そうですな。」
「物騒なことにならず、結構だわ。」
クリスは、ストラスタ侯爵と、叔母である辺境伯夫人セリーナに顔を向けた。ピーターの進言で、ストラスタ家とボンベルグ家に使いを出し、協力を要請したのだ。
「ご心配を、おかけしました。」
イーリンは、2人に頭を下げた。2人は、「無事でよかった」とイーリンに微笑んだ。
イーリンの手の傷はかなり深く、イーリンは先に館に戻り、ノーマンの治療を受けることになった。
「それが終わったら、ノーマン殿には無理をかけて悪いのだけど、王城に来てもらうように言ってもらえるかな。色々と教えてほしいことがあるんだよね。」
腕を斬られたジョンや、ウェナムを使われたアーサーへの対応など、見識の高いノーマンの協力が必要だった。
「では、館で待っていますね。お兄様。」
イーリンがクリスに言うと、クリスは少しの間悩んだ様子を見せ、セリーナの方に向いた。
「叔母上、うちにはまだたくさんゴミがありまして……。申し訳ありませんが、治療が終わった後、今日はイーリンを預かっていただけませんか。」
「いいわ。」
「ゴミ……?」
「明日までには、片付けておきますので。」
ジョンとの争いで荒れた跡のことだろうか、とイーリンは思ったが、ピーターは片手で額を押さえていた。
セリーナは、イーリンの隣にいるファンの方を見た。
「ファン……、とおっしゃったかしら。あなたも一緒においでなさいませ。」
セリーナの申し出に、ファンは少し驚いた。アルバートから多少情報が伝わっているかもしれないが、セリーナにとっては、ファンはよく知らない人間のはずだ。
「よろしいのでしょうか。」
「ええ。イーリンも、その方が安心でしょう。それに、色々伺いたいこともあるので。」
「……。」
ファンは、ボンベルグ領で、アルバートとルイーゼに問い詰められたときのことを思い出した。
ファンが、少し遠い目をしていると、クリスが笑いをこらえながら声をかけた。
「私たちは、これから色々とやることがあるからね。後で報告に行くよ。では、行きましょうか、ストラスタ侯爵。」
「うむ。まずは、国王陛下か……。」
クリスとストラスタ侯爵は、大勢の兵士を引き連れて、王城の中に入っていった。
イーリンは、その姿を見送りながら、ファンに言った。
「今から、中を捜索するのですね。」
「国王陛下と王妃陛下がどのような状態になっておられるかは、何よりも先に確認せねばならないでしょう。」
「ええ……。そうね。」
ならば今日、マデラインの死は明らかになるのだ。
お読みいただいてありがとうございます。やっと敵方が捕まりました。これからは、王城の内部など、まだ明らかになっていない部分へと話が移っていきます。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




