60 あんまりな仕打ち
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り
アンナ:イーリン付きの侍女兼マクスウェル家の斥候
ピーター:マクスウェル家の庭師兼斥候
ルイス・ギーベル:第二王子、リリーの婚約者
マデライン・ギーベル:王妃、アーサー達の母
キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女
ジョン:キャサリンの仲間
ノーマン:ボンベルグ領の軍医
シルウァ:『昏き森』に存在する森の主
「代金は、貴公の命ですから。」
ブラムは、クリスの言葉を聞いて、真っ青になって固まった。
「し、しかし、先程は……、許してくださると。」
「ああ、誤解を招きましたね。命を取ろうと言っているのではありません。それに、バクスター家が兵を出したかどうかなど、どうでもいいことです。」
引きこもったブラムに、兵など指揮できるわけがない。
「では、どういう。」
「あなたが、このウェナムをあの娘に渡したことの方が、大きな問題になっているのですよ。」
「ええっ。」
クリスは、バクスター家のウェナムを取り巻く問題について、ブラムに丁寧に説明した。
ブラムは、本当に何も知らなかった。
ウェナムがそもそも取り扱いが難しい薬であること。
ウェナムを使いこなせる医者はわずかしかおらず、キャサリンがそのような医者など知るはずがないこと。
キャサリンの周りで、ウェナムを使われたであろう人間が複数いること。
そして、今や王太子アーサーも巻き込み、国王にまで使ったであろうこと。
「私の妹も、この薬のせいで、冤罪で処刑されそうになりましてね。」
実際のところ、クリスが一番気に食わないのは、そこなのではあるが。
「ひ、ひえ……。そんな恐ろしいことになっていたとは……。」
ブラムは、キャサリンの行為が反逆罪に当たることは、さすがにすぐ理解したようだった。
この愚かな侯爵は、自分の目で結果を確かめることもせず、ただキャサリンの言うことを鵜吞みにしていたのだな、とクリスは思った。
しかし、ブラムは反論してきた。
「し、しかし……。キャサリンは、マデラインから頼まれたと言ったのです。」
「王妃陛下から……?」
クリスは怪訝な顔をした。
クリスの聞いた話によると、マデラインは、1年ほど前にすでに亡くなっている。そうでなくても、ここ最近は王族で、息子であるルイスすら会えない状態だったのは間違いない。
単なる男爵令嬢であったキャサリンに、謁見の機会があったはずもない。
「我が家に使われていない貴重な薬があるから、有効に使ってほしいと言われたと……。マデラインは、人を使って悪事を企むような人間ではありません。だから、私は……。」
ブラムは嘘を言っているようには見えなかった。おそらく、キャサリンが実際に、そう言ったのだろう。
「キャサリン嬢は、いつ頃、その話をあなたにしたのですか。」
「昨年の……、今よりも後の時期だったかと。」
そのころには、マデラインはもういなかったはずだ。
「ブラム様は、王妃陛下に直接確認されなかったのですか。」
「いや……。その、マデラインは、身体も弱いし、王妃として忙しいので。」
「しかし、ご兄妹ではありませんか。キャサリン嬢が拝謁できて、なぜ兄君にはお会いできないのです。」
「そうなのですが……、その……。」
これまでのやり取りで、クリスたちにはブラムの性質がおおよそ分かっていた。
気弱で素直な性格で、あまり自ら動くことはせず、与えられたものをそのまま受け入れてしまう。自信ありげに嘘をつくキャサリンのような詐欺師にとっては、騙しやすい相手だったろう。
こういう人間は、嘘をつくのも下手だ。クリスは、鎌をかけた。
「ブラム様。我々は、王妃陛下のことを、すでに存じ上げているのですよ。」
ブラムは飛び上がった。そして、クリスを凝視した。
「え。ま、まさか。」
「気の毒なことでしたね。」
「マ、マデラインは……。」
ブラムは、急にぼろぼろと涙をこぼし始めた。大の大人が涙を隠さず、拭おうともしないその様子に、さすがのクリスもぎょっとした。
「クリス殿。あなたもご存知なのですか。可哀想なマデラインのことを。」
「は、はあ……。」
「あんまりだとは思いませんか。望まれて王妃となったのに、亡くなっても葬儀もしてもらえない。」
ブラムは、泣きながらマデラインの死について語った。
シルウァの言ったことは、真実だった。
マデラインは、自らその生命を絶った。王城からの連絡を受け、さすがのブラムも慌てて登城した。
しかし、王妃であるマデラインをおろそかに扱い、そのような事態を引き起こしてしまった王家は、謝罪するどころか、その事実を隠蔽しようとした。
「さすがに、あんまりですと申し上げました。国王陛下のことは、恐ろしかったですが……。」
元々病弱だったマデラインなので、病死としてもらって構わない。しかし、ちゃんとその死は公表し、王妃らしい葬儀だけでもしてもらいたい。
しかし、ブラムの弱々しい抗議は、国王に一蹴された。
「国王陛下は、マデラインを役立たずだとおっしゃいました。」
王妃としての役目も果たさず、勝手に死ぬなど迷惑だ。王妃が亡くなったなど、貴族たちが聞いたら勢力争いがややこしくなる。新しい王妃の選定をするのも面倒だから、療養中ということにしておいてやる。
最後には、混乱する頭のまま、ブラムは王城を追い出された。
ただし、王家は口止め料として、何とか侯爵として生きていけるだけの手当をブラムに約束した。それからは、さらにブラムは引きこもった。
「もう、嫌だったのです。王家も、家も、自分自身も。」
やっとハンカチを取り出し、ブラムは流れる涙を拭いた。
王家をいくら恨んでも、力のない自分を嘆いても、ぶつけるところもない。そこで、その思いを抱いたまま、ただ閉じこもることを選んだのだった。
(このご兄妹は、似ておられるのだろうな。)
と、ピーターは思った。ブラムの話が、シルウァから聞いたマデラインの姿と重なった。
ブラムが落ち着くのを待って、クリスが尋ねた。
「そもそもあの娘は、最初はどうやってあなたのところに来たのですか?」
「ある日、キャサリンから手紙がきたのです。そこには、私の他はマデラインしか知らないようなことが、たくさん書いてありました。」
幼い頃の兄妹の思い出、館の間取り、そしてウェナムのこと。
「私は、寂しかった。嘘でもいいから、マデラインの話ができるのならと、キャサリンを呼びました。」
マデラインが突然この世を去り、両親はもういない。妹の死を分かち合える者を、孤独なブラムは欲していた。
「キャサリンは、いつも笑って、私の話を聞いてくれました。2人で、マデラインのことをたくさん話しました。楽しかった。」
キャサリンの存在は、鬱々としていたブラムの心の慰めになっていた。だから、貴重な薬ではあったが、キャサリンの求めるままに差し出した。
「マデラインは、ああいうものを詳しく知ることが好きだったので、父とはよく手紙のやり取りをしていました。キャサリンの話を聞いて、マデラインはあの薬が活用されることを、ずっと望んでいたのだなと思いました。」
ブラムとは違い、マデラインは、バクスター家の学者気質を受け継いでいた。病弱だったこともあり、幼い頃から薬に興味を持っていたという。先代の侯爵は、製造を試みるくらいであったから、当然ウェナムには詳しかっただろう。
「私は、お恥ずかしながら、貴重な薬だということと、ワインに混ぜて使うことくらいしか知りませんでした。匂いがどうも……だめでして。」
ブラムは当時、領地にいたため、製造に着手したときから失敗に至るまでの報告は受けていた。その後に両親が次々に亡くなり、急遽侯爵を継いだブラムは、ウェナムの箱と共に王都に来たのだ。
「……私は、ずっと、騙されていたのですね。」
ブラムは、大きくため息をついた。キャサリンとの日々が心の慰めになったぶん、裏切られたことへの悲しさがあるようだった。
クリスは、ブラムに言った。
「なぜ、あの娘が、王妃陛下しか知らない情報を手に入れたのかは分かりません。しかし、王妃陛下が望まないようなことをやっているのであれば、それはあの娘があなたを騙したということです。」
「……そうです。マデラインは、そのようなことは望みません。」
ブラムはもう一度、「マデラインは人を使って悪事を企むような人間ではない」と、繰り返した。
クリスは、ブラムが、おおよその現状を理解したと踏んだ。
「それではブラム様、商談に戻りましょう。」
「商談、ですか。」
ブラムは、先程のクリスの言葉を思い出したのか、少し青ざめた。
「この薬は、我々が預からせていただきます。それと、ブラム様には証言をお願いしたいのです。」
「証言……。」
「キャサリンがマデライン様の名を騙り、この薬をだまし取ったことについてです。」
ブラムは、祈るように手を合わせ、クリスを見つめている。
「実際に、あなたは何も知らなかった。証言さえすれば、あなたは騙された犠牲者であり、反逆罪に問われることはないでしょう。」
「ほ、本当でしょうか。」
クリスは、縋りついてこようとするブラムから、わずかな動きで身をかわした。よろけたブラムを、ピーターが嫌々抱きとめた。口の動きが、「重い」と言っている。
ピーターに支えられたブラムは、顔をクリスの方に向け、また泣きそうな目をしていた。
クリスは、笑いをこらえながら、ブラムに言った。
「お約束いただければ、マクスウェル家が、必ずやあなたをお守りいたします。」
「わ、わわ、分かりました。」
ブラムはそれから座り直し、クリスたちに「もう少し話を聞いてほしい」と言った。内容は、マデラインを助けられなかったことや、キャサリンに騙された理由であり、同じ話を何度も何度も繰り返した。
クリスたちが長話に心底うんざりしたころ、マクスウェル家の兵が、慌てて飛び込んできた。
「会談中、失礼いたします。クリス様、急ぎの報告がございます。」
「何だ。」
「アンナが外におります。詳しくは本人から……。」
クリスは一瞬真顔になったが、すぐにまた笑顔を作り、ブラムの方を向いた。
「ブラム様。申し訳ありません、急ぎの用ができたようです。我々はもうお暇せねばなりません。」
「は、はい。」
クリスは、てきぱきと兵士たちにウェナムの箱を運ぶよう指示した。ブラムは急に目の前があわただしくなり、呆気にとられていた。
「では、こちらの品は預かります。ブラム様、お約束の方、お忘れなきよう。」
「しょ、承知しました。」
クリスは、にっこりと笑って言った。
「ブラム様、我々は味方ですよ。安心なさってください。」
ぽかんとしたブラムを置いて、クリスたちはバクスター家の館から退出していった。
「うっ……。」
「痛いのか? 馬鹿な女だな。余計なことしやがって。」
イーリンは、古井戸まで連れていかれたときに、一度ジョンに抵抗した。その結果、ジョンの鋭いナイフで、右の手のひらを傷つけられてしまったのだ。
結局逃げられず、ジョンに抱えられて、乱暴に井戸の中に放り込まれた。そして、ナイフを突きつけられながら、今は隠し通路を歩いているのだった。
「こんなところで切り刻んだって面白くねえんだ。城に着くまで大人しくしてな。」
イーリンの右手からは、今もぽとぽとと血が落ちている。
(いいの、これで……。)
井戸に入れられる前に、何とか縁をつかんだ。今も、血が流れているのであれば、多少は誰かが追ってくるのに役立つかもしれない。
(怖い……。でも、あきらめないわ。)
──自分を大事に思ってくれる人のために、できるだけのことをするのだ。
イーリンは、暗い通路の中を歩き続けた。
お読みいただいてありがとうございます。次回は、イーリンの捜索の続きになります。次もお付き合いいただけると嬉しいです




