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魔女と呼ばれた令嬢  作者: 梨花むす
第三章
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59 大切な財産

イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢

クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り

アンナ:イーリン付きの侍女兼マクスウェル家の斥候

ピーター:マクスウェル家の庭師兼斥候

ファン・イン:クリスの従者、イン国元皇子、イーリンの現婚約者

キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女

ブラム・バクスター:侯爵、王妃マデラインの兄

ノーマン:ボンベルグ領の軍医

シルウァ:『昏き森』に存在する森の主

 ファンが館の裏側の方までやって来ると、垣根に隙間があるのが見えた。


(あれが、ピーターの言っていた場所か。)


 人が何度か通ったから、垣根が傷んだようだ。近くに使用人が1人いたが、「退け! 斬るぞ!」とファンが叫ぶと、びくっとして動かなくなった。


(おそらく、ここから外に出た……。)


 イーリンを連れているにしては素早い。おそらく、最初から逃げ道を決めていたのだろう。


 隙間から外に出て、どちらに行ったか見回していると、アンナが追いついてきた。


「アンナ。この辺りに、マクスウェル領のような隠し通路はありますか。」

「王城からつながっているものがあるらしいと聞いたことはあるわ。でも、詳しいことまでは……。」 


 斥候(せっこう)であるアンナがそこまでしか知らないのであれば、今はこれ以上の情報はない。


「アンナ、このことをクリス様に報告してもらえますか。」

「ファンはどうするの。」

「この辺りを探します。人が2人隠れられるところは、そう多くない。」

「分かったわ。」


 アンナと別れ、ファンが周囲を探っていると、覚えのある香りが、鼻をくすぐった。かすかではあったが、清爽なその香りは、かつて森で嗅いだものだった。


(シルウァ様の……?)


 ファンは集中した。心乱されていては、香りを辿れそうになかった。


 シルウァの香りを追っていくと、木立に隠れた草むらの中に、一つの古井戸があった。井戸の周りの草は長く伸びていたが、一部分は折り曲がって倒れていた。

 最近になって、何度か人に踏まれたように見えた。


(ここか……?)


 古井戸には、木の板が渡されていた。木の板を外そうとして、ファンはどきりとして手を止めた。


 井戸の縁には、新しい人の血がべったりとついていた。


「イーリン!」


 ファンは、板を急いで取り除くと、ひらりと井戸の中に入っていった。




 その頃クリスは、バクスター侯爵であるブラムの長々とした言い訳を、いらいらとしながら聞いていた。


(早く、帰りたいんだけどな。)


 バクスター家の館は、公爵家の館とそう離れてはいない。クリスたちは、まだ朝と言えるうちにバクスター家に到着していた。


 門の前に立ったとき、ピーターが、ため息をついて言った。


「ここも、荒れていますねえ。」


 とはいえ、マクスウェル家のように、心無い者に荒らされたというよりは、ただ手入れをされていないだけのようだった。

 かつては美しかったであろう庭園は、不格好に伸びた枝で形が崩れ、土の上には枯葉が積もって、濁った色をしていた。


 門番の小屋は空っぽで、クリスは兵士を館の玄関まで呼びにやらせた。兵士が玄関の呼び鈴を鳴らすと、年若い侍女が1人現れた。侍女は、門のところに立派な貴族と兵士たちがいるのを見ると、慌てて奥に引っ込んだ。


 少し経つと、侍女が出てきて、クリスたちを館の中に招き入れた。そして、顔色の悪い太った男が、奥からそろりそろりと出てきた。


「ク、ククク、クリス殿でしょうか?」


 怯えてうまく喋れない男に、クリスが苦笑して答えた。


「いかにも。ご無沙汰しております。バクスター侯爵。」

「きょ、今日は、どういったご用件で……。いや、まず、席を用意させます。これは失礼を……。」


 館の中に入り、慌てて準備をさせたと思われる客間で、クリスとブラムは向かい合って座った。ノーマンとピーターは、後ろで控えている。


「お元気そうで何よりです、バクスター侯爵。今日私が参ったのは……。」

「ど、どうぞ、ブラムとお呼びください……。その、私は、は、反抗するつもりなどないのです。ご協力したくても、兵もおりませんで……。」


(うん?)


 クリスは、少し意外だった。


 どうも、ブラムは狼煙(のろし)に反応しなかったことを、クリスが怒っていると思っているようだ。


「ブラム様。そのことはもういいのです。あなたが敵などとは思っておりません。」

「そ、それでは。許してくださるのですか。」

「許すも何も……。今日は、協力のお願いに参ったのですよ。」

「きょ、協力……でしょうか?」


 ブラムはきょとんとしており、他に心当たりがないようだった。

 ただ鈍いという可能性はあるが、狼煙(のろし)狼煙(のろし)には気づいた男である。ウェナムを悪用しているという自覚があれば、もう少し違う反応が出るはずだ。


(まさか、ブラムはウェナムを持っていないのか?)


 ノーマンも同じことを考えているようで、(いぶか)しげな表情をしていた。


(いや、あの娘が、他に手に入れる手段はないはずだ。)


 クリスがぐっと身を前に乗り出すと、ブラムは逃げるように身体を反らした。


「ブラム様。単刀直入に聞きましょう。貴家に、ウェナムという薬はありますか?」

「ウェナム……。」


 ブラムは、首をひねっている。しかし、何か思い出そうとしている様子であり、聞き覚えがないわけでもなさそうだった。


 それを見て、クリスは話をさらに進めた。


「大変、貴重なものと伺っております。先代の侯爵が作られたと……。」


 そうすると、ブラムは合点がいったという顔になった。


「おお。あれのことですかな。クリス殿も評判を聞きつけられたのでしょうか。」


 ブラムはほっとした様子で笑顔を浮かべ、急に饒舌(じょうぜつ)になった。


「最近は、評判が上がったようで何よりです。()()が広まることは、先代の悲願でしたから……。」

「……?」


 どうも、話がおかしい。


「クリス様、よろしいでしょうか。」


 ノーマンが、たまらず声を上げた。


「構わないよ。」

「失礼いたします、バクスター侯爵。私は、その薬が作られたときに関わった医者です。あれの評判が上がったとは、どういうことでしょうか。」


 ブラムは、にこにことして答えた。


「おお、そうか。ならばそなたも本望だろう。あれは今、よい医者を紹介してくれる者がいて、ちゃんと薬として使われておるのだ。」

「その医者とは、どなたでしょうか。」


 ギーベル王国にウェナムを使いこなせる者は、わずかしかいない。そのほとんどはノーマンの弟子であり、彼らはボンベルグ領にいる。


「医者の名前は知らんが、紹介してくれた者は、若い、(こころざし)の高い娘だ。」

「……名前は?」


 クリスの声が、少し低くなった。それには気づかず、ブラムはにこやかに話す。


「キャサリンという、パー男爵家の娘です。王太子殿下の信頼も厚いと聞いておりますよ。」


 ──つながった。


 クリスたちは、互いに目配せをした。やはり、キャサリンはバクスター家から、ウェナムを手に入れていたのだ。


「……ブラム様。私どもにも、その貴重な薬を見せていただけますか?」

「ええ、もちろん。」


 ブラムは、控えていた侍女に言いつけると、使用人たちに一つの木箱を持ってこさせた。その箱は頑丈そうな木でできており、一抱えもある大きさだった。使用人たちは2人がかりで運ぶと、テーブルの上に置いた。


「こちらです。」


 ブラムは慣れた手つきで鍵を差し、蓋を大きく開けた。クリスたちは中を見るために、席を立って箱の周りを囲んだ。


 箱の中は薄い木の板で細かく仕切られており、一つ一つに茶色の小瓶が入っていた。かつてはぎっしりと詰まっていたようだが、数本は取り出されたようで、端の方の仕切りはいくつか空になっていた。


「おお……。」


 ノーマンは、木箱にも、小瓶にも見覚えがあるようだった。クリスは、いかにもノーマンの願いを叶えてやりたいといった体で、ブラムに頼んだ。


「申し訳ありません、ブラム様。この者は先程も申し上げた通り、この薬の製作に関わった者なのです。決して変なことはいたしませんので、彼に、この薬を確かめさせてもよいでしょうか?」

「それは、構いませんが……。」


 ノーマンは、丁寧な手つきで、箱から茶色の小瓶を取り出した。そして蓋を開けると、手であおいでその匂いを嗅いだ。


「……間違いありません。ウェナムです。」


 ノーマンはすぐに蓋を閉めたが、部屋にウェナムの香りが広がった。ピーターは、久しぶりに嗅ぐウェナムの香りに、顔をしかめている。


「なるほど、聞いてはいたが……。独特の香りだな。」


 クリスはつぶやくと、商談のときによく使う、愛想のよい笑顔を作った。そして、ブラムの方に向き直り、明るい声で言った。


「素晴らしい。ブラム様、この薬を全て、マクスウェル家で買い取らせていただきたいのですが。」


 ブラムは、クリスの急な申し出に戸惑った。


「そ、それは願ってもない話ですが……。」

「何か、問題でも?」


 クリスは、笑顔のままでブラムに一歩近づいた。


「しかし、キャサリンの方も捨て置けませんで。あちらでも、待っている方がいると聞いています。」

「そちらはすぐに解決いたします。それにブラム様。あなたはこの商談を断れないと思いますよ。」

「な、なぜでしょうか。」


 近づいてくるクリスに、何となく不穏な空気を感じたのか、ブラムの額に汗がにじんできた。

 クリスの悪い癖が出ているなと思い、ピーターが周りに分からないように、小さくため息をついた。


「代金は、貴公の命ですから。」

お読みいただいてありがとうございます。次回はバクスター家の続きと、イーリンの行方の話になる予定です。次もお付き合いいただけると嬉しいです。

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