表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女と呼ばれた令嬢  作者: 梨花むす
第三章
58/77

58 小柄な男

イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢

クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り

アンナ:イーリン付きの侍女兼マクスウェル家の斥候

ピーター:マクスウェル家の庭師兼斥候

ファン・イン:クリスの従者、イン国元皇子、イーリンの現婚約者

キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女

ジョン:キャサリンの仲間

ノーマン:ボンベルグ領の軍医

「じゃあ、行ってくるよ。」


 朝になると、クリスはノーマンとピーターを連れ、バクスター家の捜索に出かけていった。

 イーリンとファン、アンナは、今日は館に残ることとなっていた。


「どこで変な奴が現れるか分からないからね。イーリンは、まだ館にいた方がいいね。」


 そう、クリスが言ったためだ。


 昨晩、公爵家の使用人たちに聞いたところ、やはり、キャサリンには仲間がいた。ジョンという名前で、小柄な男だという。


 キャサリンもそうだが、ジョンもまた人をいたぶることが好きなようだった。気まぐれに人を殴り、ナイフで切りつけ、使用人たちが泣いて許しを乞うても、止めてはくれなかった。

 特に女の使用人は、例外なくジョンにひどい目に遭わされていた。


「自業自得とはいえ……。とんでもない人間に仕えてしまいましたね。」


 かつては、アンナやピーターも彼らと共に、公爵家に仕えていた。彼らの悲惨な話を聞いて、さすがにアンナも同情するところがあったようだった。




「順番を守って並べ。列の最後はここだ。」


 公爵家の館の前に、兵たちの声が響いた。


 マクスウェル家は、昨日からさっそく炊き出しをして、人々に食事を配っていた。窮乏する王都の民への慈善ではあるが、一方、新しい王政への反発を和らげ、マクスウェル家の印象を良くするねらいもあった。


 使用人たちは、炊き出しには参加させてもらえず、ピーターの指示で、庭の掃除を言いつけられていた。


 イーリンは、天幕の下で、人々に粥を配っていた。


 当初は、イーリンは館の中で待機している予定だった。

 しかし、炊き出しの様子を見に来たイーリンを、人々が目ざとく見つけてしまったのだ。そうなったら、変に隠すわけにもいかない。

 アンナが作業を手伝いながら、ファンが後ろで見守ることになった。


「お優しいお嬢様、お恵みを。」

「はい、どうぞ。熱いので、気をつけて召し上がってね。」


 イーリンはにっこりと微笑み、炊き出しの粥を一人一人に渡した。単調で、根気のいる作業ではあったが、イーリンは嫌な顔ひとつせず、皆に優しく対応していた。


「聖女様だ。」


 清らかな美しさに見とれ、人々はイーリンを『聖女』だとほめそやした。長い列ができていたが、むしろイーリンに会うために、人々は不平も言わずに並んだ。


「まあ、いけませんわ。それは、もっと立派な方に呼びかける言葉よ。」


 『聖女』と呼ばれることを、イーリン自身は否定するのだが、その謙虚さが、またイーリンの清らかな印象を強くした。


 イーリンという少女の愛らしさに、惹きつけられる者たちもいた。


 時々、粥をもらったのになかなか動かず、イーリンの手を必要以上に握ろうとする男がいたが、そのときは、ファンがイーリンの後ろから無言の圧力をかけていた。

 そうすると、男たちはぞわっとしたり、妙な居心地の悪さを感じたりするようで、首をひねりながら立ち去っていくのだった。


 それを横目で見ながら、アンナが言った。


「シルウァ様みたいな技使うの、やめてください。」

「何のことですか。」


 ファンは、表情を変えずにしれっと言った。


(この人も、変わったわよねえ。)


 ファンと出会ってイーリンは変わったが、ファン自身も変わった、とアンナは思った。最初のころの、敵を作らないための愛想のよさは少なくなり、素のままで、人と接することが増えた。


 ここで出会った人々に、心を許してきているのだろう。アンナには、ファンはイーリンだけではなく、イーリンを取り巻く人々をも愛しているように見えた。



 バクスター家の捜索に時間がかかっているのか、昼を過ぎてもクリスたちは帰ってこなかった。


 長かった列もいったん途切れ、イーリンたちも休憩に入ることにした。皆は手分けをして、片付けをしていた。ファンもイーリンの様子を見つつ、兵たちを手伝っていた。


「聖女様、私にもお恵みを。」


 いつの間にか、フードを深くかぶり、しわがれた声を持つ老婆が1人、イーリンのそばに立っていた。


「あら。」

「腹が減って死にそうなのです。」

「まあ……。気の毒に……。」


 しかし、粥の鍋はからっぽになってしまっていた。


「申し訳ないわ。何かほかに差し上げられるものがないか、聞いてくるわね。」

「よろしいのですか。お優しい方。」

「お嬢様、私が参ります。」

「大丈夫よ、私が行くから。アンナはおばあさまを見ていてあげて。」


 ここで待っていらしてね、とイーリンが声をかけ、奥へ行こうとすると、


「うっ……。」


 老婆が苦しみ始めた。イーリンは、行こうとしていた足を止め、思わず駆け寄った。


「まあ、どうなさったの。」

「胸が、苦しいのです。」


 イーリンは、心配そうに、苦しそうな老婆の背をさすった。アンナがイーリンに言った。


「身体を診られる者がいないか、探してきます。」

「おお、感謝します。親切な方々。」


 アンナが老婆のそばを離れ、人を呼びに行こうとすると、


「アンナ待て! イーリン、離れて!」


 と、ファンの声が飛んだ。


 いつも穏やかなファンの、聞きなれない調子にイーリンは戸惑った。声の方を見ると、ファンは剣を抜いて、こちらに向けていた。

 イーリンが混乱しながらも、ファンの方に駆け寄ろうとすると、老婆はイーリンの手をぐっと掴んだ。それは、年寄りとは思えない力だった。


「えっ……。」


 あっという間に、イーリンは後ろ手にされてしまった。首筋に、何か冷たいものが当たった。


「お嬢様!」


 アンナが叫んだとき、ひらりと、老婆と思った人物のフードが外れた。その中にいたのは老婆ではなく、下卑た笑いを浮かべた、小柄な男だった。


 イーリンの細い首に当たっているのは、男が持った大きなナイフだった。よく研がれたそのナイフは、今にもイーリンの柔肌を傷つけそうに見えた。


「おっと、余計なことをしようと考えるなよ。俺は、ナイフの使い方は上手いんだ。お前たちが近づく前に、お嬢様をズタズタにするなんて朝飯前だ。」


 イーリンのすぐ後ろで、ナイフを持った男が言った。


「お前が、ジョンか。」 


 剣を構えたファンが、男に尋ねた。

 その名前を聞き、離れたところにいた使用人が、びくっとした。


 ジョンは、相当な場数を踏んでいるのか、ファンの覇気にも(ひる)んでいなかった。


「名前を覚えていただいているとは、光栄だね。なら、なおさらお嬢様は離せないな。さあ、来い。」


 ジョンは、イーリンの首にナイフを当てたまま、じりじりと動き出した。ジョンが容赦のない男であることは、公爵家の使用人たちがすでに証明していた。


 イーリンを人質に取られ、ファンを始め、周りの者は動けないでいた。


「ど、どこへ……行くのです……。」


 イーリンは、声を絞り出した。


「おや、この状態で喋るのか。見た目と違って、なかなか根性があるな。」


 ジョンは、少し驚いた様子で言ったが、その後にやりと笑った。


「あんたがよく知っている人が、あんたと遊びたいってさ。二人とも、ずいぶんお待ちかねだぜ。」


 ジョンの言葉を聞いて、イーリンは青ざめ、身体をこわばらせた。その様子を見て、ジョンはおかしそうに笑った。


「はは、あんた、よっぽどあいつらが苦手らしいな。後で俺とも遊ぼうぜ。」


 そのままジョンは、ナイフをイーリンに当てたまま、館の裏側へ続く道まで連れていった。その道は、館の壁と庭の垣根に挟まれており、2人ほどが横に並べるくらいの幅だった。


 その道の先には、言いつけられた作業をするために、10人ほどの使用人たちが固まっていた。彼らはジョンの姿を見て、絶望した表情を浮かべていた。


 ジョンは、その使用人たちに向かって、大声を出した。


「前に立って、壁になれ!」


 しかし、使用人たちはびくびくとしながらも、なかなか動かなかった。昨日のクリスとのやり取りが、頭に残っているのだろう。


 ジョンは、舌打ちをして、もう一度叫んだ。


「てめえら。誰がご主人様か、思い出させてやろうか!」


 その言葉に、使用人たちは「ひいっ」と叫び、走ってジョンたちの前にやってきた。そして、ファンや兵士たちとの間に、両手を広げて立ち塞がった。

 何人かはジョンに行け!と言われ、ファンやマクスウェル兵の方に向かってきた。


「うわあああ!」


 悲鳴をあげながらしがみついてくる使用人たちに、マクスウェル兵は戸惑った。これが兵同士の戦いであれば、容赦なく斬り捨てる。しかし、丸腰の使用人に対して、剣を抜いてもいいものか。おまけに女性も混じっている。


 その隙に、ジョンはイーリンの手を引っ張り、さらに奥へと逃げ出した。


「いやっ……!」


 そこで、ファンが叫んだ。


(ひる)むな! 抵抗するなら迷わず斬れ! お前たちのお嬢様が(さら)われるぞ!」


 その言葉で兵たちは我に返り、それぞれ剣を抜いた。それにさらなる恐怖を感じたのか、しがみついていた者は、手を離してへたりこんだ。

 しかし、壁となっていた者たちは、恐怖でパニックになっており、道を塞いだまま突っ立っていた。


 ファンは、迷わず彼らの方に走っていき、身体を軽く下げたかと思うと蹴りを繰り出し、3人ほどを吹っ飛ばした。そして、蹴った足を支点にして体を回転させ、肘打ちを繰り出すと、数人を一斉に倒した。


 そうやって人の壁を崩すと、その間をファンは駆け抜けていった。


 兵士たちは、その流れるような動きに、一瞬呆気に取られていたが、


「私たちも続くわよ。倒された者は、縛り上げておいてちょうだい!」


 と言う、アンナの声で我に返った。ファンを追って、アンナも道を走り抜けていった。

お読みいただいてありがとうございます。これからファンは、イーリンを追いかけていきます。次もお付き合いいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ