54 攻囲
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り
ピーター:マクスウェル家の庭師兼斥候
ファン・イン:クリスの従者、イン国元皇子、イーリンの現婚約者
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
ルイス・ギーベル:第二王子、リリーの婚約者
キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女
リリー・ストラスタ:イーリンの友人、侯爵令嬢、第二王子ルイスの婚約者
ストラスタ侯爵:リリーの父、マクスウェル公爵と同様の穏健派
ルイーゼ・ボンベルグ:イーリンの友人、辺境伯令嬢、実はイーリンの従妹
セリーナ・ボンベルグ:ルイーゼの母、辺境伯夫人
シルウァ:『昏き森』に存在する森の主
(まあ、順調だな。)
王都の石壁が遠くに見えてきたころ、クリスは思った。
王都は、中心に王城を構え、周囲を石壁で囲まれた都市である。遠い昔には戦を経験しているが、国境からは遠く離れているため、最近になっては攻め込まれたことがない。
ボンベルグ領を筆頭に、領地が他国と接する貴族たちは、常に軍の鍛錬を怠らない。しかし、王都は華やかな生活が広がる一方で、武力とは長らく遠ざかっていた。
王都に向かうまでの間、王家の兵がぱらぱらといたが、全てこちらの兵が蹴散らすか、相手が逃げ出していった。
頭の中がお花畑の王太子と、軍など動かしたこともない娘が指揮をとっているのでは、こんなものだろう。騎兵たちなどは、あまりに出番がなくて退屈している。
(出番がないほうがいい。)
分かってはいるが、自分自身も滾る血を抑えられずにいる。
石壁が近づくと、クリスは軍を展開した。正門の前と、石壁の脆そうな場所に兵を配置する。長年手入れされていない壁は、破城槌で簡単に壊せそうだった。
「中の人たちには、どれだけ伝わっているだろうね。」
クリスは、笑顔で隣にいる従者の1人に話しかけた。従者は王都を睨んだまま、静かな声で答えた。
「伝わっていなければ、彼らの犠牲が増えるだけです。」
「まあ、その通りだねえ。」
小さなころからそばにいる従者は、クリスのことをよく分かっていた。クリスはいつも美しい顔に笑顔を浮かべているので、優しい人間だと誤解されやすい。しかし、その表情を崩さず、人の命を奪うことができるのがクリスだ。
ただし、家族、特にイーリンを見るときには、クリスの笑顔が変わる。それはいつもの貼りついたような笑みではなく、人が愛しいものを慈しむときに、自然に現れる笑みだった。その笑顔のクリスは、あまりにも弱く、冷静さを失いやすかった。
どちらのクリスが領主としてふさわしいのか、従者には分からなかった。しかし、従者としては、後者のクリスの方が好ましかった。
クリスたちが着く前に、兵が向かっている知らせは届いたのだろう。クリスが王都の正門の前に到着したとき、扉はぴったりと閉ざされていた。
マクスウェル家の主力部隊は、正門の前に陣取り、大きな天幕を張った。クリスは、その中に用意された椅子に腰かけ、正門の様子を確認することにした。
「……おや。」
とりあえず、門の前で用件だけでも叫ばせるか、とクリスが考えていると、正門の扉が動いた。
そのまま見ていると、中からゆっくりと開いていき、兵士たちがぱらぱらと出てきた。彼らはこちらを警戒するものの、戦いを仕掛けてくる様子はなかった。
(王家の兵だけじゃないな。)
兵士たちの鎧の紋章は、複数のものが入り混じっていた。門が開ききると、兵士たちに囲まれて、馬に乗った人物が3人現れた。
それを見ると、クリスは腰を上げた。
「これは、私が行かないといけないね。」
3人の人物は、ストラスタ侯爵、ボンベルグ辺境伯夫人セリーナ、そして、第二王子ルイスであった。
「……クリス様は、そろそろ王都に着いた頃かな。」
ピーターは、隣で準備をしているファンに話しかけた。クリスが王都を攻略したという知らせを受けたら、イーリンたちはすぐに出発する予定であった。
「まあ、そろそろでしょうね。」
「長期の攻城戦なんかにならなきゃいいけどなあ。狼煙の合図に、どれだけ気づいてくれるか。」
「狼煙?」
「ああ、ファンは知らないか。最初に、5本ずつ狼煙が上がっただろ? あれだけしつこく5本で上げていたのには、意味があるんだよ。」
王家と、貴族4家が力を合わせるときである、自分たちは敵ではない、というメッセージなのだ、とピーターは言った。
「……ストラスタ家と、ボンベルグ家は気づくと思うけど……。バクスター家は引きこもりだし、王家はどうかなあ。気づけるのって、ルイス殿下くらいだろうな。アーサーは無理だろ。アホだし。」
ピーターは、大分歯に衣着せぬようになってきている。
「ルイス殿下というと……、第二王子の?」
「そ。今の王家で、まともなのはあの人くらい。王女様は、まだ子供だし。ルイス殿下は、たぶん、かなり苦労なさっているだろうなあ。」
なるほど、王家にも協力してくれる可能性のある人物がいるわけか、とファンは思った。
クリスは、ルイス、ストラスタ侯爵、セリーナを、天幕に呼び込んだ。
「お久しぶりです。ご無沙汰しておりまして。」
笑顔で迎えるクリスに対して、3人は戸惑っているようであった。
「クリス殿、イーリン嬢は……。」
「これは、申し遅れました。イーリンは、先日我が家に無事に戻ってきました。皆さまにご尽力いただいたことについては、報告を受けております。マクスウェル家を代表して、お礼を申し上げます。」
クリスは、頭を下げた。
「おお……。」
3人は、安堵の息をもらした。
ルイスやストラスタ侯爵は、『昏き森』での処刑から先、イーリンがどうなったかを知らなかった。また、セリーナは、ボンベルグ領までのことは把握していても、森に向かってからのことは分からず、やきもきとしていた。
その後、ルイスは表情を暗くし、頭を垂れた。
「……しかし、イーリン嬢のことは、王家の落ち度だ。大変申し訳ない。」
「いいのですよ、殿下。殿下のお立場は十分に理解しております。」
「彼女が助かって、本当に良かった……。」
ルイスが全く何もしていなかったわけではないだろうし、どちらにしても、ルイスの力では止められなかっただろう。役に立たない状態とはいえ、王城の中には、国王がまだ厳然と存在しており、アーサーは正式な王太子のままであるのだから。
ルイスは顔を上げ、クリスを見据えた。
「正直に申し上げましょう、クリス殿。今、王城の中は、2つに割れております。」
1つは、現在の身分に沿って、王太子アーサーに従う者。もう1つは、第二王子ルイスを擁立し、王家の立て直しを図る者。
ストラスタ家も、ボンベルグ家も、こうなっては後者しかないと考えている。
しかし、国王を退位させ、アーサーを王太子から下ろす大義名分がない。下手をすると、自分も家族も反逆者として処刑されてしまいかねないため、表立っては動けず、時機が来るのを待っていた。
そこまで聞くと、クリスはふふ、と微笑んだ。
「それについては、我々がご協力できると思います。我々は、アーサーを断罪するつもりなのですよ。」
「断罪……?」
クリスは、3人にウェナムの話をした。ウェナムの存在で、全てに説明がつくこと、また、それを王城に持ちこんだキャサリンと、国王に使用したアーサーは、大罪人であること。
「なるほど……。」
「ですので、皆様にはウェナムの捜索にご協力いただきたいのですが。」
「わかったわ。」
「ふむ……。」
ルイスは、異常な国王の様子を思い出した。晩餐会の日から、急に人が変わったようになった父親。妙な薬を使われたというのなら、その方が納得がいく。
「わかりました。では、私は王城の中を……。」
すると、ストラスタ侯爵が、ルイスの言葉をさえぎった。
「いえ、ルイス殿下。あなたは王城に帰らないほうがよろしかろう。よければ、このまま我が家へおいでくださいませ。」
「しかし、私だけが……。」
クリスも横から言う。
「王家にとっては、あなたが最後の希望だ。あなたにウェナムを使われてしまっては、王家は滅びますよ。」
セリーナが、扇子で口元を隠しながら言った。
「いいではありませんか。ストラスタ家に行かれれば、リリー嬢もお喜びになるかと。」
「えっ。」
「……失礼。大変仲がよろしいと、伺っておりましたので。」
ルイスが頬を赤く染める。こういう表情は、年相応の少年の様子だ。喋ったのはルイーゼだろうなあ、とクリスは、お節介な従妹のことを思った。
「し、しかし。王城にはまだ、母上も、シャーロットもいる。」
「できるだけ早く、お助けするようにはいたしますが……。」
兵が王都を囲んでいることを知れば、さすがにアーサーたちも籠城の態勢には入るだろう。そして、自分たちが逃げ出す方法を探るに違いない。
早いうちに、ルイスが王城から出てこられたのは幸いであった。
そこに、クリスが事も無げに言った。
「ああ、言い忘れていました。説明がややこしいので情報源は伏せますが、王妃陛下はすでに亡くなられているそうですよ。」
3人は、クリスの言葉に、目を丸くした。
「クリス殿。それはまことか。」
「おそらく真実ですよ。嘘を吐く必要のない方がおっしゃったそうですから。」
森の主であるシルウァが、くだらない嘘をつく理由はない。ただ、それを説明している時間はない。
「いや……。そうであれば、納得はいく……。」
ルイスがつぶやいた。王妃の侍従に、何度も追い返されたことを思い出した。あれは、自分に会わせる相手などおらず、その死を隠蔽しているだけだったのだ。
「父上は、どこまで……。」
なぜ母親の死が隠蔽されたのかは分からない。しかし、国王である父親が、妻である王妃の死を知らなかったわけはない。
「……どこまで、冷たいのだ。」
ルイスは、ぐっと膝に置いた手を握りしめた。王家には多くの責務があるのに、家の中はばらばらだ。ストラスタ侯爵が、ルイスの様子を心配そうに見守っていた。
「シャーロット王女は、幼いゆえに手を出されることはありますまい。」
婚約者もおらず、人質としての価値も低い。おそらく放っておかれるだろう。しぶしぶとルイスも納得し、ルイスはストラスタ家の館に身を寄せることとなった。
クリスは、ストラスタ侯爵に尋ねた。
「バクスター家は、来られなかったのですね。」
「殿下がお訪ねされたのですが……、怖がって出てこられなかったようで。」
バクスター侯爵であるブラムは、領地の管理も人に任せてしまっており、自分で動かす兵を持たない。戦が始まることは理解していたようだが、関わることは拒否した。
「申し訳ない。」
「いや、その方が都合がいいので、よいのです。」
「……そうなのですか?」
クリスは、ウェナムがバクスター家にあるであろうことは、あえて3人に伝えていなかった。
バクスター家には、真っ先に捜索に入る予定だ。それならば、怯えてどこにも行ってくれない方がよい。
その後、クリスたちは天幕の中で、今後の計画を話し合った。
マクスウェル家の軍はこのまま王都を取り囲み、王城を牽制する。ストラスタ家とボンベルグ家は、王都の貴族たちに根回しし、余計な動きをしないよう見張る。
ウェナムの捜索は、ウェナムの香りを知っている人間たちが到着してから、始めることとなった。
お読みいただいてありがとうございます。次回は、イーリンたちも参加していきます。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




