53 聖女
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
ルイス・ギーベル:第二王子、リリーの婚約者
マデライン・ギーベル:王妃、アーサー達の母
キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女
リリー・ストラスタ:イーリンの友人、侯爵令嬢、第二王子ルイスの婚約者
ストラスタ侯爵:リリーの父、マクスウェル公爵と同様の穏健派
(何が聖女だ、まったく。)
アーサーは、面白くない様子で、王城の中を歩いていた。苛立って、大きな足音を立てる王太子を見て、侍女たちは焦って廊下の端に避けた。
つまらないのだ。王としての権限を手に入れたはずなのに、何もかも思い通りにならない。
宴を催そうとすれば、食料が乏しいと言われる。憂さ晴らしに狐狩りにでも行こうかとすれば、今はその時期でないと言われる。
魔女を処刑したはずなのに、王都では、変わらず人間が行方不明になる。
おまけに、魔女を『聖女』だと言い出す輩が出た。
多少雨が続き、雷が鳴っただけでも、聖女を迫害したからでは、などという噂が流れる。
表立っては、あの女は幽閉されたことになっている。それを解放せよ、という声が聞こえてくる。
ばかばかしい。
あのつまらない女が、聖女などであるものか。
あの女の死骸こそないが、王城にしつらえたキャサリンの部屋には、血塗れの処刑服が飾られている。それこそが、あの女のたどった運命を示しているのだ。
生意気なあの女は、『天が私に味方したならば、生き延びるやもしれません。』と言った。しかしどうだ。結局、あいつは助かることなく、死んだのだ。
「殿下! 殿下!」
年配の侍従が、アーサーのもとに走ってきた。大声を出し、息切れをしている。
「うるさいな。何だ。今から妃のもとに行くんだぞ。」
アーサーは、キャサリンを「妃」と呼んでいた。ただし、正式には何の手続きもされてはいなかった。
「も、申し訳ありません。ですが……。」
「さっさと言え。」
「戦です。戦が始まりました。マクスウェル家から、兵がこちらに向かっております。」
アーサーは、きょとんとした表情をした。
「なぜ戦になどなるのだ。マクスウェル家には、処罰を言い渡したはずだろう。」
「殿下。そういうわけにはいきません。爵位を返上させたとて、マクスウェル家の力は変わりません。」
「公爵でもないのに、どうして力があるのだ。領地をさっさと取り上げればいいだろう。」
「それこそ戦になります。あそこには、後ろにハーフェンも控えているのですから……。」
アーサーは、ため息をついた。また、話が通じない。
「だいたい、なぜ王家に逆らおうなどと思うのだ。」
「……イーリン嬢を、処刑なされたからでは。」
イーリンの名前を聞くと、アーサーの表情がみるみる変わり、顔を真っ赤にして怒りの形相となった。アーサーが剣の柄に手をかけると、侍従は後退りした。
「馬鹿を言うな。魔女を処刑したからと言って、王家に逆らういわれがあるか。」
「し、しかし……。」
(ああ、愚か者ばっかりだ。もう、うんざりだ。)
「殿下。せめて、ご指示を。」
「何とかしろ。馬鹿な元公爵家に、王家の力を見せつけてやればいいだろう。」
「そんな……。もう、王都には……。」
アーサーは踵を返し、キャサリンの部屋へ向かった。
「入るぞ、キャサリン。」
アーサーが部屋に入ると、椅子に座っていたキャサリンは、嫣然と微笑んだ。床には、侍女が這いつくばっている。
アーサーは、その笑顔で満足した。自分の妃はいつも美しい。なぜ、皆はキャサリンの素晴らしさが分からないのだろう。
「今日はどうなさったの、殿下。お怒りの声が、ここまで聞こえてきましたわ。」
キャサリンは立って、優雅にアーサーのところまで歩いてきた。アーサーは、ちらりと床の侍女に目をやった。侍女は震えながら、「申し訳ございません」と繰り返している。
キャサリンは教育熱心だ。生意気な者、躾のなっていない者を、こうやって教育する。
それは、甘いばかりのあの女や、全く何もしない王妃に比べて、よほど上に立つ者にふさわしい姿だと思う。
身分などというつまらないものにこだわっているから、周りのやつらは愚かなままなのだ。
優れた我々に従っていれば、それでうまくいくものを。
近づいてきたキャサリンは、するりとアーサーの首に腕を絡めた。そして、少し斜めからの上目遣いで、微笑んだ。
「また、誰かが殿下を怒らせたのね。今度は、どんな愚か者だったのかしら?」
「戦が始まったなどと言われてな。」
「戦?」
キャサリンが、珍しく眉を寄せた。
「マクスウェル家が、こちらに兵を向けていると言うんだ。」
「まあ。」
部屋の中にいる、他の侍女たちが息を呑んだ。
「キャサリン、一体どうなっていると思う? なんで、戦なんか始まったんだ。」
「マクスウェルのおじさまにとっては、魔女でも可愛い娘ですもの。それが死んだので、怒っているだけですわ。」
「なるほど、そういうものか。」
アーサーは、キャサリンの言葉に、素直に納得した。
「でも、すぐにやっつけてくださるのでしょう?」
「もちろんだ。王家の力を見せつけろと言っておいた。」
「まあ、頼もしいこと。」
うふふふ、とキャサリンは楽しそうに笑った。アーサーは、キャサリンの期待に応えられる自分が誇らしかった。
一方、アーサーに追い払われた侍従は、そのまま第二王子ルイスのところへ向かった。
ルイスは報告を聞いて、顔色を失った。父親も兄も、今は頼りにならない。
しかし、ルイスには気になることがあった。
「なんと。狼煙は、5本だったというのか。」
「はい。5本の狼煙が、次々と上がっていったと……。」
5本の狼煙には、おそらく意味がある。
マクスウェル公爵家、ストラスタ侯爵家、バクスター侯爵家、ボンベルグ辺境伯家。この4つの家は、今のギーベル王国で重要な位置を占める貴族たちだ。
かつて、彼らと王家との間で、取り交わされた約束がある。
有事の際には、5つの家が力を合わせること。
──国よ、纏まれと。
マクスウェル家が、何かを伝えようとしている。マクスウェル家は、まだギーベル王国を見捨てていないのかもしれない。交渉の余地があるのなら、その可能性を探らねば。
「使いを……いや、私が向かおう。準備をしてくれ。」
ルイスの命を受け、侍従は部屋を辞すると、すぐにやるべき仕事に取り掛かった。
──本当に、どいつもこいつも無能だ。
「兵がいないとは、どういうことだ。」
戦の報告を受けた翌日、アーサーは、また苛立った様子で侍従の報告を聞いていた。アーサーのそばには、昔からの取り巻きである、貴族の次男がいた。その男が顔色を悪くして震えているのも、気に食わなかった。
「その……。国中を見張らせるため、王家の兵は出払っております。ボンベルグ家にも一団をやりましたし、マクスウェル家を見張らせていた部隊は全滅しました。」
「直轄の兵がいないなら、貴族たちに出させればいいだろうが。」
「召集はかけましたが……。」
ほとんどの貴族たちは、王家からの使いを丁重に扱い、帰した。そして、それだけだった。
「集まったのは、わずかな兵のみです。これでは、マクスウェル家の軍隊にはとうてい勝てません。」
汗を拭きながら報告する侍従に対して、お前たちが何とかしろと言い放ち、アーサーは部屋を出た。そして、キャサリンの部屋に向かった。
アーサーが部屋に入ると、キャサリンは待ってましたとばかりに微笑み、アーサーをソファに座らせた。そして、隣に座ると、その肩にしなだれかかった。
「殿下。ストラスタ家のリリー様は、そろそろ処罰を受けた方がいいのではないかしら?」
キャサリンは笑い、白い指でアーサーの胸をくすぐる。
「私、殿下に忠誠を誓うよう、再三お伝えしておりますのよ。でも、昨日も今日も、王城に来られなかったわ。ストラスタ家は、王家に反抗的ですのね。」
そこまで言うと、キャサリンは、アーサーの反応が鈍いことに気がついたようだった。一瞬、面白くなさそうな顔を浮かべたが、キャサリンはすぐに笑顔になった。
「あら、殿下。どうかなさったの?」
「兵が、集まらないらしい。」
「……何ですって?」
「このままでは勝てない、と言うんだ。」
キャサリンは、不満そうな顔をした。
「いやだ。そんなことになったら、どうなるのよ。すぐに、やっつけてくれるって言ったじゃないの。」
キャサリンは、ぐいっとアーサーの服を引いた。アーサーはその仕草にいらっとし、思わずキャサリンを突き飛ばした。
「うるさい!」
「きゃっ。」
キャサリンに、初めて乱暴をしてしまったことに気がつき、アーサーは我に返った。
「す、すまない。キャサリン。」
「……。」
キャサリンは、少し黙っていたが、にっこりと笑顔を浮かべた。
「……大丈夫ですわ、アーサー殿下。このくらいのことで、私が殿下をお慕いする気持ちは変わりませんわ。」
「あ、ああ……。」
「殿下。仲直りをしましょう。私も言い過ぎましたわ。」
キャサリンは、侍女に言いつけて、飲み物の用意をさせた。そして、それを受け取ると、自らグラスに注いだ。
「心配いりませんわ、殿下。私にお任せくださいませ。」
「キャサリン。いい考えがあるのか。」
「もちろんですわ。さあ、仲直りのしるしでございます。お飲みになって。」
「ああ。」
アーサーは、キャサリンが差し出したグラスをあおった。キャサリンは、それを見ながら、アーサーの隣で美しく笑っていた。
「殿下。」
キャサリンは、侍女を下がらせ、人払いをした。
「……そろそろ、いい心持ちじゃありませんこと?」
アーサーは、頭がぼんやりしてくるのを感じた。頭の中に、霞がかかったようだった。
身体に力が入らず、ソファの背に寄りかかるが、姿勢を保てずに、ずるずると崩れ落ちてしまった。
(何だ、これは……。)
「アーサー。あなただけは、私の味方でいてくれなくちゃ。」
アーサーは、ソファの上に寝転がる形になった。その顔を、上からキャサリンが覗き込む。赤い唇から、キャサリンの少し低い声がこぼれ、動きを止めた頭の中に響いてくる。
いや、どうなのだろう。あれは、本当にキャサリンなのだろうか。もしかして、あの女性は……。
「母上……?」
うつろな目で宙を見ながら、アーサーは言った。小さなころに熱を出したとき、母親はこのように自分を覗き込んでいたような気がする。
アーサーの言葉を聞き、キャサリンは吹き出した。
「ふふっ、あはははは。アーサー、あなたやっぱり面白いわ。あなたったら、そうだったの?」
「母上。私は……。」
熱に浮かされたように、アーサーはぶつぶつと言っている。
キャサリンはにい、と笑って優し気な声を作り、アーサーに話しかけた。
「そうよ。私はマデライン。可愛いアーサー、元気にしていたかしら?」
「母上……。なぜ、部屋から……。」
笑いをこらえながら、キャサリンは続ける。
「もう、これからは一緒よ。あなたはいい子だから、私の言うことを聞いてくれるわよね?」
「はい……。」
キャサリンは、しばらくアーサーの耳元で話しかけ続けた。アーサーがそのまま眠りにつくと、満足げな顔をして、そっと離れた。
お読みいただいてありがとうございます。次回は、王都での話となっていきます。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




