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魔女と呼ばれた令嬢  作者: 梨花むす
第三章
50/77

50 遠い国

イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢

ヘンリー・マクスウェル:イーリンの父、公爵

ソフィア・マクスウェル:イーリンの母、公爵夫人

マリア・マクスウェル(クリークス):イーリンの姉、隣国の貴族ヴィルターと結婚

クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り

アンナ:イーリン付きの侍女兼マクスウェル家の斥候

ピーター:マクスウェル家の庭師兼斥候

ファン・イン:クリスの従者、隣国の公爵ヴィルターの紹介でギーベル王国へ

ヴィルター・クリークス:隣国ハーフェンの公爵、マリアの夫

『ファン。お前は、すぐに山に戻りなさい。ここは危険だ。』


 そう兄に言われたファンは、後ろ髪を引かれる思いであったが、結局山に戻った。しかし、都に戻る前と違って、下界を忘れて修行に没頭することは、もうできなくなっていた。


 師匠には全て報告した。一度、山の修行場に葡萄酒が届けられたが、師匠と相談して処分した。


「ある日、都から便りが届きました。」


 母の実家で、事件が起きたという内容だった。祖父母を含めた家の者が全員、数名の使用人に刺し殺されたのだ。


「なんと……。」


 ヘンリーとソフィアは、ファンの話を聞いて眉をひそめた。イーリンも、言葉を失っていた。


 しかし、悲しい知らせは、それだけではなかった。


「それに続いて、兄が自分で毒杯をあおり、亡くなったそうです。」


 ファンには、兄が自分の存在を責め、自らの命を絶つことを選んだのが分かった。皇太子に最も近い自分の存在が、母と祖父母たちを殺したと考えたのだ。


「兄は、そのような考え方をする人でした。優しすぎたのです。そういう意味では、皇帝にはふさわしくなかったのでしょう。」


 皇太子争いを生き延びただけでは、終わりではない。皇帝になったとしても、命を狙われる日々は続くのだ。それは、皇帝の周りの人々においても同じであった。


(自分が、こんな立場に生まれなければと……。)


 イーリンには、ファンの兄の気持ちが分かるような気がした。自分のせいで大事な人を失うくらいなら、自分などいない方がいいと思ってしまう。


 もしかして、ファンの兄は『美しい人』だったのではないか、とイーリンは思った。



 母に続いて祖父母と兄を失い、ファンは、独りになった。


 師匠は、都に戻らない方がいいと言ってくれた。そして、人をやって、ファンの家や皇宮の様子を調べてきてくれた。


 ファンの祖父母の家は、凄惨な状態だったらしい。狂ったようになった使用人たちが、ある日突然、刃物を持って家の者に襲いかかったとのことだった。館には、生々しい血の跡がいくらも残っていた。

 もちろん、すぐに犯人たちは捕らえられた。しかし、取り調べを行っても、誰に頼まれたのか、何のためにこんなことをしたのかは分からなかったらしい。


 彼らは、「葡萄酒が欲しい」と言い続けるだけだったからだ。


「そこで、兄が言った意味が分かりました。家や、兄のまわりの人間が、じりじりとウェナムに侵されてきていたのです。」


 高官である祖父は、外からの襲撃には十分用心していた。しかし、ひっそりと毒が家を侵食しており、それを防ぐことができなかった。

 理性を失った人間の思考は読みにくい。彼らは、予想もつかない時に、突然に祖父たちの命を奪った。


 ファンはすでに、皇子としては、全ての後ろ盾を失っていた。しかし、敵は、それでは許してくれなかった。最後の可能性を潰すため、山の修行場まで、度々刺客が送られてくるようになった。


 師匠は守ろうとしてくれたが、あるとき、ファンの代わりに、一人の修行中の少年が犠牲になった。

 ファンは、山を出ることを決めた。


「これ以上、師匠や仲間に迷惑はかけられませんでした。」


 ファンは、少年と共に死んだこととされ、ハーフェンへと逃れた。


 ハーフェンとの共用語は学んでいたし、師匠が口を利いてくれたので、当面身を寄せる場所はあった。ただし、いずれは一人で生きていかなければならなかった。

 半年ほど世話になった後、ファンは武術の腕を生かし、用心棒や傭兵として金を稼ぎながら、ギーベル王国の方へ向かった。


「できるだけ、国から離れた方がいいと思いましたので。」


 ハーフェンにいる間に、第三の妃の皇子が、皇太子に選ばれたという噂を聞いた。

 しかし、もはやファンにはどうでもよかった。


「クリークス領に入ったころには、だいぶん、ハーフェンでの生活にも慣れてきました。」


 生活習慣には慣れたが、ハーフェンの人々と風貌が違うファンは、目につきやすかった。 

 ギーベル王国に入るためには、身分の証明がいる。何とか領主か、それに近い者の信頼を得て、身分を保証してもらえないか、とファンは考えた。


「そこで、領主であるヴィルター様に近づけるような仕事を、たくさん引き受けました。」


 腕が立つだけではなく、読み書きもできるファンは、いい意味で目立った。変わった風貌の、便利な人間がいる、と聞いたヴィルターは、ファンを呼び出した。


「ヴィルター様は、私がどういう者であるか、すぐにわかったようでした。」


 ヴィルターは、イン国で起きた事件のことを耳にしていた。ヴィルターを重用するハーフェンの皇帝が、隣国の跡目争いの情報の一つとして、事件のことを把握していたからだ。

 そこでファンの物腰を見て、その出自に何となく見当がついたらしい。


 ファンは、ヴィルターから依頼された仕事を、誠実にこなしていった。ヴィルターは、しばらくファンという人間を観察していたようだが、最終的に認めてくれた。


「そして、ヴィルター様の紹介で、私はこちらへ来ました。……今まで私からは話をせず、申し訳ありません。」


 話し終わると、ファンは、静かに頭を下げた。



「いや、話してくれてありがたい。言いにくいこともあっただろう。」

「そうよ、あなたは何も悪くないわ。」


 ヘンリーとソフィアが、ファンをねぎらうように言った。


「……ただ、君に聞きたいことがあるのだが。」

「何でしょうか。」

「君は、イン国に戻りたいと思っているか?」


 それは、ただ帰国するということではない。

 ファンは死んだことになっているが、生きているならば、れっきとした皇位継承権が存在することになる。後ろ盾は失ったとはいえ、イン国におけるファンの身分は高い。ファンがその気になれば、皇太子と敵対する家と結託することもできる。


 ヘンリーはファンに、いずれ皇帝の座を狙うのか、と尋ねているのだ。


「いいえ。先程も申し上げたように、私は国を捨てました。戻る気はありません。」


 ファンは、ヘンリーの目を見て、きっぱりと答えた。元々皇位に興味はないといった言葉は、真実であるようだった。


 それを聞いて、ヘンリーは安心した様子だった。そして、今度はやや口ごもりながら言った。


「では、その……。ここに、マクスウェル領にいてくれるか。いや、ここと言うか……。」

「もう、あなた。はっきりなさい。」


 ソフィアが身を乗り出し、ヘンリーの横から口をはさんだ。ソフィアは、ファンの方をきっと向いた。


「ファン。これは、さっきの話の続きよ。私たちは、あなたにイーリンのそばにいてほしいの。国に戻る気がないなら、なおさらだわ。」


 面食らった顔のファンをよそに、ソフィアはイーリンの方に顔を向けた。


「イーリン、あなたもよ。ファンの話は聞いたわね? あなたは、ファンの過去を一緒に背負う覚悟はある?」


 ファンとイーリンは、お互いに顔を見合わせた。ファンは、イーリンに優しく微笑んだ。


「イーリン様。あなたのそばが私の居場所になれば、私は嬉しい。それに、私は大事な人と、もう離れたくはないのです。」


 イーリンも、微笑んで答えた。


「私もです。あなたの過去も、そしてこれからも、私は一緒に背負いたいのです。」


 そして2人は、ヘンリーとソフィアの方を、まっすぐに見た。


「……決まりね。あなた。」

「ああ。これだけ聞ければ申し分ない。ファン殿、私たちは君に、イーリンと共にいることをお願いしたい。」


 ヘンリーとソフィアは、満足そうな顔をした。そして、ヘンリーは笑って言った。


「ファン殿。君は、もうイーリンの婚約者だ。私が認めよう。イーリン()など、他人行儀な呼び方はよしなさい。」

「ありがとうございます。」


 ファンとイーリンは、深々と頭を下げた。そこに、さっきまでは黙って話を聞いていたピーターが、口を出した。


「大丈夫です。2人のときは、すでに呼び合っていますから。」

「ピーター。いらないことは言わなくていいです。だいたい、どうしてそのことを知っているのですか。」

「まあ、仕事上。」

「……。」


 イーリンが顔を赤らめ、ファンが抗議するような視線をピーターに向けると、クリスが笑いながら言った。


「ははは、許してやってくれ。アンナやピーターは、イーリンをよく見ておくように言いつけられているから。」

「まあ、そうなのでしょうが。」

「その分、父上や母上がファンのことを認めてくれたのも、アンナやピーターのおかげだよ。ねえ、アンナ。」


 クリスは、アンナに水を向けた。

 アンナは、急に話を振られ驚いたようだったが、すぐに穏やかな表情となり、話し始めた。


「私は、お嬢様がファン様と出会って、本当に良かったと思っています。」

「アンナ……。」


 アンナは、イーリンの方に顔を向け、にっこりと笑った。


「昔のお嬢様は、いつも自分を責めておられました。アーサー殿下のことですら、自分が相手にふさわしくないから、うまくいかないのだ、と考えておられました。」


 ヘンリーは、かつてイーリンが『私は、うまくやれていないのです。』と訴えたことを思い出した。


「お嬢様はお優しい方です。自分の苦しみを、人のせいにされたことなどありませんでした。むしろ、人が苦しむくらいなら、自分がいなくなったほうがいいのではと考えておられました。」


 アンナは、唇をきゅっと噛んだ。


「……その考えにとらわれて、いつか、お嬢様が消えてしまうのでは、と不安でした。」


 ──ファンの兄が、自ら死を選んだように。


 一番近くでイーリンを見てきたアンナは、イーリンが理不尽な仕打ちを受けているにもかかわらず、怒りもせず、自分を責め続けているのが不思議だった。そして、そんなイーリンに対して、自分が何もできないことが悔しかった。


「でも、ファン様と出会った後のお嬢様は、変わりました。ファン様は、お嬢様をその考えから、優しく解き放ってくれるのです。おかげで、お嬢様は、以前よりずっと、生きることに意味を見出されるようになりました。」


 ファンと出会っていなかったら、イーリンは王城で囚われたとき、耐えられずに自ら死を選んでいたかもしれない。


「私は、お嬢様には、ファン様が必要だと思います。これから先、お二人にお仕えできるのなら、これ以上の喜びはありません。」

「アンナ……。ありがとう。」


 イーリンは、今さらながらに、アンナが自分を見守ってくれていたことに感謝した。


「私は、アンナにずっと心配をかけていたのね。ごめんなさい。これからも、一緒にいてくれると嬉しいわ。」

「お嬢様。」


 アンナの目には、涙がうっすらとにじんでいる。

 ピーターが、ため息をついた。


「俺も、これからファン様って呼ばないといけないなあ。」

「やめてください、今さら。特にピーターからは嫌です。」

「なんでだよ。」


 ピーターが不満そうに言うと、クリスが笑いをこらえながら言った。


「ファンは、ピーターたちに友人として接してほしいんだろう。君たちは、一緒にイーリンを助けに行って冒険した仲間じゃないか。」

「……。」

「……え。そうなんですか。」


 ピーターは、目を丸くした。そして、ファンの顔を見てにっと笑うと言った。


「じゃあ、公の場でだけはちゃんとします。前のファンとお嬢様みたいに。」

「……だから、いらないことは言わなくていいと……。」


 ファンが、やれやれといった様子で言うと、皆が楽しそうに笑った。

お読みいただいてありがとうございます。次の話では、久々にアーサーの話題が出てきます。次もお付き合いいただけると嬉しいです。

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