46 隠し通路
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り
アンナ:イーリン付きの侍女兼マクスウェル家の斥候
ピーター:マクスウェル家の庭師兼斥候
ファン:イーリンの兄クリスの従者、隣国の公爵ヴィルターの紹介でギーベル王国へ
ノーマン:ボンベルグ領の軍医
一行は静かに森を出た。
ピーターが先導し、一行は小さな明かりだけを頼りに、その後ろをついていった。
しばらく歩くと、郊外の隅にある小さな小屋にたどり着いた。
小屋の中には、乱雑に置かれた泥だらけの農具がいくつかと、奥に、薄汚れたひとつの大きな木箱があった。
ピーターは、木箱の蓋を開けた。そして、その中に入ってしゃがんだ。
「よっ……と。」
ずずず、と重たいものを動かす音がしたかと思うと、ピーターの身体が消えた。
「まあ。」
イーリンが驚いていると、ピーターは、ひょこ、と箱から顔だけを出した。
「こちらです。先に明かりは持って入りますが、暗いのでお気をつけて。」
イーリンが箱の中を覗くと、深い穴がぽっかりと開いており、そのそばに石の蓋がずらして置いてあるのが見えた。
ピーターが、アンナに声をかけた。
「アンナ、最後は頼むぞ。」
「ええ。」
木箱の穴は、大人がじゅうぶんに通れるくらいの大きさで、ずいぶんと深いようだった。太くて丈夫そうな縄梯子がかけてあったが、先は暗くて見えなかった。
イーリンたちは、一人ずつ穴を降りていくことにした。ピーターの後にボンベルグ兵たちが降り、ノーマンが降りるのを支えた。
ピーターが、「次、来ていいですよ。」と言う声が聞こえた。ゆらゆらと揺れる梯子を見ながら、うまく降りられるかしら、とイーリンが思っていると、ファンに声をかけられた。
「イーリン様。私が先に降ります。後からついてきてください。」
「はい。」
ファンは、すっと穴に入ると、さっさと梯子を降りたようで、すぐに姿を消した。「来てください。」と言うファンの声が聞こえ、イーリンは、そっと梯子に足をかけた。
「そのまま降りてきてください。」
イーリンは、言われたままに何歩か降りると、ファンに抱きとめられた。
「あ。」
暗くてよく見えないが、ファンだと分かる。耳元で、聞き慣れた声がした。
「このまま降ります。私が合わせますので、イーリンは自分の速さで降りてください。何かあっても、支えますから。」
「は、はい。」
ファンは、イーリンが降りるのに合わせて、一緒に梯子を降りていった。イーリンは、ファンと梯子の間にすっぽりとはまったままだったので、あまり落ちる不安を感じることなく、下まで降りることができた。
「ありがとうございます。」
足がついたところで、イーリンはファンにお礼を言った。前を向くと、少し先にピーターの持つ明かりが見えた。
「行きましょう。」
ファンは、イーリンの手を取り、ピーターたちのところまで連れていった。イーリンが無事降りられたことに、ピーターはほっとしている様子だった。
最後にアンナが、木箱と石の蓋を戻し、するすると梯子を降りてきた。
明かりに照らされた穴の先には、洞窟が続いていた。まわりはつるつるとした岩壁で、どこかに水が流れているのか、かすかな水音が聞こえてきた。
「はぐれないでくださいね。」
ピーターの声が、ぼわんと響いた。ピーターの案内で、イーリンたちは、曲がりくねり、いくつもの分かれ道のある洞窟の中を進んでいった。
洞窟は、天然にあったものを、人の手で掘り進めて作られたようだった。外と繋がっているところは他にもあるのか、空気はひんやりとしていて、息苦しさはなかった。
イーリンは目を丸くして、ピーターに言った。
「こんなところがあったのね。」
「しょっちゅう使うわけでもないですけどね。」
万が一のときのために、斥候であるピーターたちには教えられていたのだという。
イーリンは、隠し通路の存在を聞いたことはあっても、実際に見たことはなかった。娘はいずれ他家に嫁ぐからと、父親は余計なことを教えなかったのかもしれない。
(お兄様は、知っていたのかしら。)
クリスは、今どうしているだろう。
最後に会ったのは王都で、別れる時に、目に浮かぶ涙を拭いてあげた。今の状態は、クリスにひどく心配をかけているだろう。
イーリンにとってのクリスは、大事な家族の1人であり、自分を愛してくれる、ちょっと心配症の兄だった。
くねくねとした洞窟を進みながら、年上のボンベルグ兵が、心配そうにアンナに尋ねた。
「我々に、隠し通路の存在を伝えてしまってよかったのですか。」
「通路はこれだけではないですし、戦のときは、ボンベルグの兵はどうせ正面突破してくるでしょう。」
「我々を何だと思ってるんですか。……まあ、その通りですが。」
アンナとボンベルグ兵の会話を聞きながら、イーリンは思い出したことがあった。
(戦……。)
そして、独りごちた。
「戦を、するのかしら。」
イーリンは、城壁の兵が増やされていることが気になっていた。王家の兵を警戒していると言えばそれまでだが、アンナやピーターから聞いた城壁の様子は、ずいぶんとものものしいようだった。
王家の兵がまだ全く入ってきていないのに、今の時点で、城壁の守りをそこまで固める必要があるのだろうか。
それは、守るというよりは、攻め込むことを想定しているように感じられた。
(とうとう……。)
マクスウェル家と王家が敵対している今、いつ戦が始まってもおかしくないことは、イーリンにも分かっている。
しかし、マクスウェル家自体は、決して自ら戦をしたいなどと思わず、むしろそれを避けるように努力してきた。
それなのに、こうした事態に陥ったことが、イーリンには残念でならない。
ファンが、黙って考え込むイーリンに声をかけた。
「無事に、ご家族の皆様にお会いできてから、直接お聞きしましょう。」
「……そうですね。」
イーリンがファンの顔を見上げると、いつもの穏やかな笑顔があった。
(戦が始まったら、ファンはどうするのかしら?)
元々ファンは、クリスに頼まれて自分を助けに来てくれた。自分が家族のもとに帰ったら、ファンの仕事は終わる。他国の人間であるファンには、ギーベル王国の戦に付き合う義理はない。
戦が始まろうとする今、自分のそばに引きとめてしまってもいいのだろうか。
ファンは今、洞窟の中でイーリンがはぐれないように、しっかりと手を繋いでくれている。この手を、離さないでほしい。
「城に帰っても……、ファンは、そばにいてくれますか?」
イーリンは、ファンをじっと見つめた。恥ずかしがってしまういつもと違って、素直に思いを口に出すイーリンに、ファンは少し驚いた様子だった。そして、にっこりと笑った。
「もちろんです。」
そうしているうちに、道が行き止まりになった。突き当たりの岩壁には、先程と同じような縄梯子がかけてあった。
降りた時と同じ順番で、一行は梯子を登っていった。イーリンとファンは、ファンが下になる形で、一緒に登った。
梯子の中程まで来たところで、上の方から話し声が聞こえてきた。ピーターやノーマンたちが、すでに外に出ているはずだが、それ以外の人間もいるようだった。
ファンが、「少し、待ちましょう。」と、イーリンを止めた。
2人で耳を澄ましていると、上で争う感じはなく、ピーターたちは、誰かと会話をしているようだった。
ファンは、その声の主に心当たりがあった。
「……ああ。相変わらずの地獄耳だ。」
ファンがつぶやくと、上からピーターが声をかけた。
「あ、お嬢様方。大丈夫ですよ、上がってきても。」
「だって、心配じゃないか。」
「というか、早く上がってきてあげてください。もう止められません。」
「止めなくてもいいだろう。」
イーリンの耳に、はっきりともう1人の人物の声が届いた。
(もしかして……。)
はやる気持ちを抑え、イーリンは残りの梯子を登った。ファンは、後からゆっくりとついてきてくれていた。
イーリンは、穴のふちに手をかけ、身体を出そうとした。そのときに、かけた手をぐいと引っ張られ、そのまま抱きかかえられた。
「イーリン!」
抱きかかえられたイーリンの目の前にあったのは、兄クリスの顔だった。
お読みいただいてありがとうございます。無事にお兄ちゃんと再会できました。次回はマクスウェル城内へと場面が移っていきます。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




