45 帰郷
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
アンナ:イーリン付きの侍女兼マクスウェル家の斥候
ピーター:マクスウェル家の庭師兼斥候
ファン:イーリンの兄クリスの従者、隣国の公爵ヴィルターの紹介でギーベル王国へ
ノーマン:ボンベルグ領の軍医
シルウァ:『昏き森』に存在する森の主
マクスウェル領に近い方の森は、ボンベルグ側よりも平坦であったが、その分大きく広がっており、道のりは長かった。
そのため、イーリンの体力を心配した一行により、イーリンは、行きと同じく、行程の3分の1ほどをファンに背負われることになった。
また、ファンの背中で真っ赤になっていたイーリンは、左手の指輪からも、シルウァの楽しそうに笑う感情を感じた。
シルウァの言ったとおり、一行は、森で危険な目に遭うことはなかった。木々はその枝で道をふさぐことはなく、動物たちは、一行を遠巻きに見守っているようだった。
日が暮れようかというころ、道の先が明るくなり、開けるのが見えた。先頭を歩いていたピーターが、皆の方を振り向いて言った。
「もう、出口ですね。」
おお……、と、ボンベルグ兵たちからため息がもれた。自分たちは、森の主が住むという『昏き森』を越え、ボンベルグ領からマクスウェル領までたどり着いたのだ。
イーリンも、胸に迫るものがあった。
懐かしい、マクスウェル領。領地を出てから、本当に色々なことがあった。でも、自分はこうして、生きて戻ってくることができた。
イーリンは、こみあげてくる涙をこらえた。
(……泣くのは、まだ早いわ。)
まずは、城に戻り、家族にこれまでのことを報告しなくてはならない。イーリンたちは、多くの情報を得た。それを伝える義務がある。
しかし、ここからも注意は必要だ。
ピーターは、森を完全に出る前に、一行を止めた。
「お嬢様。一応、今のマクスウェル領がどのような状況か、探る必要があります。」
「そうね。」
アーサーは、クリスはとりあえず蟄居だと言っていたが、そのままかどうかは分からない。すでにクリスが移動させられている可能性もある。
万が一、両親がハーフェンから戻って来ておらず、クリスもいなければ、城に味方はいない。そこにいるのは、おそらく王家の息のかかった、新しい領主だろう。
イーリンたちは話し合い、まずは、土地勘のあるアンナとピーターが、周りの様子を探ってくることになった。
「ファンは、お嬢様のそばにいてね。」
「分かりました。」
アンナとピーターが姿を消すと、イーリンたちは、木々の間に身を隠すようにして座った。
「でも、懐かしいわ。」
イーリンは、思わずつぶやいた。
森から連なる草原の向こうには、農地が広がっている。そして、その奥には、幼い頃から住んでいたマクスウェル城がそびえていた。
「私も昔、マクスウェル領にはお邪魔したことがあります。穏やかで、いいところだったと記憶しておりますな。」
イーリンの言葉を聞き、ノーマンが言った。
「先生も、おいでになったことがあるのですか。」
「国を出て、新しいことを学ぼうとしたときですな。この国を出るのは、マクスウェル領を通ってハーフェンに行くか、ストラスタ領から海に出るしかありませんから。」
ノーマンは、他国で修行をしたことがあると言っていた。そのときのことだろう。
「ハーフェンでは、どういったことを学ばれたのですか。」
「ハーフェンも素晴らしかったです。医者を育てる学校を作っていましてな。薬以外のことも、多く学ばせてもらいました。」
ノーマンは、イーリンが医学のことに興味を持ったのが嬉しいようだった。イーリンが次々と質問をするのに、にこにこと機嫌よく答えていた。
「ノーマン先生は、お薬のことに詳しいのですね。」
「いいえ。私などまだまだです。ハーフェンの先に、非常に薬を使った治療に優れた国がありましてな……。」
そこまで言うと、ノーマンは少し口ごもった。
「まあ、そうなのですか。」
ノーマンの様子を、少し不思議に思いながらも、イーリンは相槌を打った。すると、ファンが口を開いた。
「……ハーフェンに接する国の一つに、昔から薬を作り、よく使う国があるのです。ハーフェンと同じように、皇帝のいる国です。」
「皇帝……。」
大国には、皇帝がいる。それは、ギーベル王国における王よりも、強い権力を有するものだと聞いている。
「皇帝は、色々な理由で薬を欲します。それで、発展したのでしょうね。」
ファンは微笑んだ。表情はいつもの穏やかな笑みだったが、目には、悲しみがたたえられているようだった。
(ファンは、その国のことをよく知っているのね。)
ファンの悲しみの理由を、知りたくないと言ったら嘘になる。でも、自分はファンが話してくれるまで待つと決めたのだ。
その後、イーリンたちの話題は、ハーフェンの特産物に移った。その話になるとファンも饒舌になり、ノーマンと美味しい食べ物のことで意気投合していた。
「すみません。遅くなりました。」
日がすっかり落ちたころ、アンナとピーターが戻ってきた。暗闇の中、2人が声を落として、自分たちが見てきたことを教えてくれた。
「この辺りの人々は、いつも通りで暮らしているみたいです。農地も荒れてはいません。」
「城壁近くは、いつもより兵士の数が多いです。警備を強めているようです。でも、守っているのはマクスウェルの兵士たちでした。」
「あと、王国の商売人が行き来するのを見かけなかったですね。」
アンナたちの話を総合すると、マクスウェル領は、まだ王家に占領されているわけではなさそうだった。イーリンは、故郷が無事でほっとした。
「……クリス様は、橋を上げているのかもしれないですね。」
ファンが、考えながら言った。領地の西側の川にかかる橋をあげてしまえば、容易にマクスウェル領に入ってくることはできない。ただ、その分、国内の交易は止まる。
「そうなると、王都は困っているんじゃないですかな。王都は、マクスウェル領からの物資に大きく頼っているでしょう。」
ノーマンが言った。かつて修行であちこちを回っていたノーマンは、わりと国内の事情にも詳しいようだった。
王都そのものは、あまり生産力を持たない。生活や生産に必要な物資は、各領地から集められたものに頼っていた。
マクスウェル領の豊かな土地からもたらされる食料品が届かなければ、王都の暮らしは、じわじわと苦しくなっていくだろう。
「致し方ない……が、クリス様らしい。」
マクスウェル家の跡取りであるクリスは、妹には滅法弱い。しかし、実のところ、冷酷ともいえる面がある。
ファンは、一緒に仕事をする中で、それに気づいていた。
マクスウェル領の人々が普通に暮らしているところを見ると、王家の兵は領地に入って来なかったのだろう。つまり、早いうちから橋が上げられたと考えられる。状況的に、橋を上げる判断をしたのはクリスだ。
敵を入れないために、橋を上げるのは必要な措置だ。しかし、その結果、まず飢餓に苦しむのは王都の民である。それを、クリスはあっさりと決断した。
「早く、クリス様にお嬢様の無事な姿を見せないと、何が起きるか分かりませんよ。今は、様子を見ているだけでしょうから。」
「まったくです。」
ピーターの言葉に、アンナがうんうんと頷いていた。
(あの人も、もしや……。)
ファンは、今の時点で考えるのはやめた。どちらにしても、クリスに早くイーリンを会わせなくてはならないのは一緒だ。
「それで、城に戻る方法なのですが。」
ピーターは、少しの間アンナと相談していたが、一行の方を向いて言った。
「念のため、隠し通路を使って、最初の城壁を越えます。もし、城に別の領主がいたとしても、おそらく存在は知らないでしょうから。」
「分かったわ。」
城壁を守るのがマクスウェル兵なら、正面から行っても大丈夫かもしれないが、末端の兵はイーリンの顔を知らないかもしれない。
血気にはやった兵に、イーリンが傷つけられでもしたら、彼らはクリスに殺される。とりあえず、できるところまでは安全に近づく方がいい、という結論になったようだ。
アンナが、イーリンの方を向いて、申し訳なさそうに言う。
「あと、お疲れのところなのですが、夜のうちに動きましょう。明るくなると目立ちますから。」
「足手まといにならないよう、頑張るわね。」
イーリンは、両手のこぶしを握って、大丈夫、という仕草をした。
お読みいただいてありがとうございます。やっと森を出て、マクスウェル領に帰ってまいりました。第三章は、これから領地~王都への話に移っていきます。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




