44 決意
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
アンナ:イーリン付きの侍女兼マクスウェル家の斥候
ピーター:マクスウェル家の庭師兼斥候
ファン:イーリンの兄クリスの従者、隣国の公爵ヴィルターの紹介でギーベル王国へ
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
マデライン・ギーベル:王妃、アーサー達の母
キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女
ノーマン:ボンベルグ領の軍医
シルウァ:『昏き森』に存在する森の主
「シルウァ様、マデライン様の魂は、今も苦しまれているのでしょうか。」
イーリンは悲しかった。マデラインの晩年は、不遇だった。それなのになぜ、亡くなった後までも苦しまなければならないのか。
シルウァは、イーリンの言葉に微笑み、答えてくれた。
「……そうだね。復讐に支配された人の心を想像してみるといい。」
「怒りと、相手を傷つけたいという気持ち……。」
イーリンには、その感情は分からないが、頭で理解することはできる。それは、心の安らかさとは真逆のものだろう。
「マデラインは、悪魔の中に囚われてしまったため、生きていた時よりも、悪意が強くなっている。」
復讐に燃えるマデラインは、キャサリンたちに、バクスター家にあるウェナムの存在を教えてしまったのだろうか。実家を没落させ、家族をバラバラにした悪魔の薬。それを使い、全てを破滅させよ、と。
シルウァは立ち上がり、イーリンの前まで静かに歩いてきた。そして、シルウァの指輪をはめた手を取った。シルウァの清爽な香りが、鼻を通り抜ける。
「イーリン。私は、君まで犠牲になってほしくはない。君は、必ず狙われる。彼らにとって、君はまぶしすぎるから。」
「……。」
シルウァは、『持たない人々』の犠牲になった者を大勢見てきた。見守ってきた少年は、無惨にも彼らに殺された。
シルウァの話を聞いた今では、シルウァのイーリンを引きとめたいという思いが、痛いほど皆にも分かった。イーリンは、ひとりでは彼らから身を守ることができない。今回、処刑にまで至ってしまったように。
イーリン自身も、悩んでいた。
──力のない自分が、森の外に出ても、まわりに迷惑をかけるだけなのでは?
シルウァの申し出は、大変ありがたいことなのだ。外に出れば、怖い思いをするだけではなく、今度こそ殺されてしまうかもしれない。
自分が危険な目に遭うだけではなく、周りも巻き込んでしまったら? アンナは? ピーターは? そして、ファンは?
「イーリンの、思う通りでいいのですよ。」
ファンの声が響く。慌てて声の方を向くと、ファンの顔は、穏やかに微笑んでいた。アンナやピーターを見ると、同じように微笑んでいた。
──そう、彼らに外の世界を捨てさせないだけではない。シルウァの話を聞いた今だからこそ、自分は、人のため、国のために、できるだけのことをやりたい。
心を決め、イーリンは、シルウァの方に顔を戻した。
「申し訳ありません……。やはり私は、皆と一緒に立ち向かい、この国の行く末を、最後まで見届けたいのです。」
「そうか。やはりね。」
シルウァは、少し寂しそうな顔をしたが、また、いつもの微笑みに戻った。そして、イーリンの指輪に目を落とすと言った。
「ただね、この指輪は、しばらく外さないでおくれよ。役に立つこともあるだろうから。」
「……? はい、分かりました。」
「……。」
イーリンが、不思議そうな顔をしている横で、シルウァは、ファンの方を見てにっこりと笑った。
「しっかり、牽制されてるなあ。」
ピーターが、小さな声でつぶやいた。
「大分、話が長くなってしまったね。明日、道案内をさせるから、今日も泊まっていくといい。」
「ありがとうございます。」
明日は、また狼さんに会えるのかしら、とイーリンは思った。
「しかし、悪魔などというのは、別の世界にあるものかと思っていました……。」
ピーターは、まだ自分が聞いたことが信じられないといった様子だった。
「ふふ、私のような者と違って、神に近い存在は、人に干渉することはされないよ。」
シルウァは大きな力を持つが、この世に生きるものの一つだ。だからこそ、自分の意志で人に干渉する。
「マデラインが王家に嫁ぐことになったり、イーリンを私と引き合わせたり、そういったことを決めておられるのが『神』だよ。」
それ以上は私にもわからない、とシルウァは言った。
イーリンたちは、森の中で2度目の夜を過ごした。
翌日の朝、世話をしてくれた森の人々にお礼を言いながら、一行は出発の準備をしていた。
朝の光で、泉はきらきらと輝き、外が晴れていることを教えていた。皆は、すっかり森に慣れ、その清浄さと居心地の良さに、離れたくないとさえ思ってしまうようになっていた。
支度を終えると、シルウァや森の人々は、見送りに出てきてくれた。
「気をつけて行くのだよ。森の中までなら、私が守ってあげられるけど。」
「ありがとうございます。シルウァ様。」
シルウァが呼ぶと、ここまで道案内をしてくれた狼が現れた。
「おはよう、狼さん。」
イーリンは、狼のそばに駆け寄り、改めて「ありがとう。」と伝えた。狼は喜ぶように、イーリンに身体をすりつけ、イーリンは優しく、ふかふかしたその頭を撫でた。
「すっかり、仲良しになったね。」
シルウァは、穏やかに笑った。
「そうだ、イーリン。持って行ってほしいものがあるのだけど。」
「はい。何でしょうか。」
シルウァは、葉のついた小さな枝をイーリンに渡した。それは、巨木から伸びるものと同じ形をしていた。
「イーリン、マデラインに会えたら、これを使ってあげて。」
「これは……。」
「私の枝だ。火にくべれば、浄化の炎となる。マデラインたちの悪意を消し去り、行くべきところに行きやすくするだろう。」
「分かりました。シルウァ様。」
マデラインや少年の魂を解放することができれば、シルウァの心の痛みも、少しは減るのだろうか。イーリンは、心の中で、シルウァの悲しみを思いやった。
シルウァは、次に、くるりとファンの方を向いて言った。
「君は、面白い子だね。その呼吸は、自分の国で学んだの?」
「え、はい。」
ファンは、急にシルウァが自分に話しかけてきたので、驚いた様子だった。その後、何か考えるそぶりをしたかと思うと、口をつぐんだ。
シルウァは、屈託なく笑い、話を続けた。
「ふふ、余計なことは言わないよ。ただ、ここの空気と、君はすぐに馴染んだ。それを教えてもらえれば、ここに来る人は、もう少し早く身体が馴染むのかと思ってね。」
ファンは、「余計なことは言わない」とシルウァに言われ、少し安心した様子だった。
「……そうかもしれません。ゆっくりと時間がとれるようになれば、皆さんにお教えしますよ。」
「ははは、待っているよ。そのときは、イーリンも一緒においでね。」
「はい、もちろん。」
シルウァが笑うと、一行や、森の人々も穏やかに笑った。このような平和を、外の世界にも取り戻したい、とイーリンは思った。
そうしているうちに、出発の時となり、狼が先導に立った。
「さあ、行くがいい。ファン、アンナ、ピーター、イーリンを頼んだよ。ノーマンたちも気をつけて。」
「ありがとうございます。シルウァ様、森の皆様、お世話になりました。」
彼らは、姿が見えなくなるまで、手を振ってくれた。
泉を離れると、周りは暗くなった。行きと同じように、狼の毛は暗がりの中で銀色に光り、一行はそれを追っていった。
「行きよりも、何だか楽だなあ。」
ピーターが言うように、今はびりびりとした抵抗感は感じず、呼吸も乱れることはなかった。イーリンは、行きと同じく、疲れを感じない様子で歩いていた。
次第に前の方が明るくなり、一行は、『昏き森』の端まで着いたのが分かった。狼の道案内は、そこまでのようだった。
『昏き森』側に立つ狼の首を両腕で抱き、イーリンは狼にお礼を言った。
「ありがとう。また、会いましょうね。」
狼は、頭をイーリンに擦り付けて尻尾を振り、嬉しそうな感情を伝えてきた。
⦅そこから伸びる道を進めば、マクスウェル領だ。木や動物たちには言い聞かせておくから、そのまま進みなさい。⦆
シルウァの声が聞こえた。目の前に、細い道がつながっていた。
「ありがとうございます。シルウァ様。」
イーリンたちが『昏き森』の方を振り向くと、狼は、いつの間にか姿を消していた。一行は前を向き、シルウァに言われた道に向かった。
この先に、マクスウェル領がある。戻ったとて、平穏な日が待っているわけではない。
ファンが振り返って、イーリンに「一緒に、行きましょう。」と手を差し出した。イーリンは、「はい。」と返し、その手をしっかりと取った。
(私は、ひとりではないわ。)
──自分の力は弱い。だからこそ、皆と協力するのだ。
支えてくれる人々に感謝しながら、イーリンは前に進んでいった。
お読みいただいてありがとうございます。次の話以降は、マクスウェル領に舞台が移りますので、この話でいったん第二章を終了とさせていただきます。よろしければ、これまでのご感想やご評価をいただけたら幸いです。第三章もお付き合いいただけると嬉しいです。




