43 持たない者たち
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
アンナ:イーリン付きの侍女兼マクスウェル家の斥候
ピーター:マクスウェル家の庭師兼斥候
ファン:イーリンの兄クリスの従者、隣国の公爵ヴィルターの紹介でギーベル王国へ
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
マデライン・ギーベル:王妃、アーサー達の母
キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女
ノーマン:ボンベルグ領の軍医
シルウァ:『昏き森』に存在する森の主
シルウァは、キャサリンたちが『悪魔』を作り出し、マデラインはそこに囚われているという。
皆が戸惑う中、ファンがシルウァに尋ねた。
「シルウァ様。つまり、あの者は、いわゆる『良心』を持たないのですね。」
──人の善の部分である、相手を思いやり、慈しむ心。
良心があるがゆえに、人は、相手を傷つけることをためらうものだ。……では、良心がなかったならば?
「そうだ。そのような者たちは、これまでにもいた。多くの『美しい人』たちが、彼らに壊されていった。」
人を愛さない彼らにとって、人とのつながりは、自分が支配するか、相手に支配されるかの関係となる。
だから彼らは、自分より優れた者、自分にないものを持っている者を、強く憎む。その者たちは、彼らの上に立ち、彼らを支配する可能性があるからだ。
そして、シルウァの愛する『美しい人』たちは、彼らの持たない『良心』を十分に持ちながら、抵抗する力が弱い。
そのために、彼らの格好の餌食となっていった。
「『美しい人』たちを、何度も助けたいと思ったがだめだった。だが、そのうち、良心を持たない人々のことも、少しずつわかってきたのだ。」
シルウァは、『美しい人』たちを見ていく中で、そこに関わる彼らのことも知るようになってきたという。
「彼らはね、自分が他の人と違うことはわかっている。世の決まりも知らないわけではない。だが、その決まりの中では生きられないのだ。」
人の世は、力を合わせなければ生きていけない。お互いを害しないことは、その中での大事な決まりだ。
しかし、良心を持たない人々は、それを守れない。人を傷つけても、自分の欲しいものを手に入れたい。
「だから、自分たちのしていることが正当なものだと言うために、『悪魔』を作り出し、それを崇拝するのだよ。自分たちは『悪魔』の使徒であり、その考えに従っているだけなのだと。」
『悪魔』は、彼らの行為をすべて肯定し、新たな決まりを与える。邪魔なものは排除し、弱きものは蹂躙してよいと。
「そんな……。」
イーリンたちには、理解ができなかった。
そんなものを作り出してまで、どうして人を支配する道を選ぶのか。人を傷つけないという、そんな当たり前の決まりが、どうして守れないのか。
「彼らは孤独だ。」
「孤独……ですか。」
彼らは、人と心でつながり合うことができない。彼らの家族でさえも、彼らの考えを受け入れられない。
「彼らは人の愛を知らないが、孤独が平気なわけでもない。周りに認められず、自分を責められることは不快なことだ。だから、最初は仲間を探すのだ。」
同じ考えのものがいれば、孤独を少しだけ埋めることができる。
「あの娘は、同じような考えの者を見つけ、そこで、悪魔のことを学んだのだろう。」
シルウァは、そこでいったん話をやめた。
良心を持たない人々の話をするだけでも、シルウァには少し負担がかかるようだった。
皆は、シルウァの話を聞き、考え込んでしまっていた。
良心をもたない人たちの孤独には同情するが、彼らと共に過ごすことは、とてもできそうにないと思われた。
しばらくたつと、ピーターが、そろそろとシルウァに声をかけた。
「……あの、申し訳ありません。その『悪魔』を崇拝するというのは、どういう感じなんでしょう。何か、儀式でもやるんですか。」
すると、シルウァから、再び怒りが地を這うように滲み出し、周囲の威圧感が増した。
「ひえっ。」
ピーターは、思わず飛び上がった。急にシルウァの雰囲気が変わり、イーリンも驚いた。
(儀式……に、反応された?)
シルウァは、美しい形の眉をひそめ、静かに口を開いた。
「……イーリンが、マクスウェルに戻っていたころ、王都に、一人の『美しい』少年がいた。」
『美しい人』は、生き物を慈しむことが多い。その存在は、自然にシルウァに伝わった。
「彼の家族は、彼のことを理解していてね。優しい家族だった。イーリンがいなかったとき、暗闇のような王都の中で、そこだけが陽の光に照らされているようだった。」
『美しい人』を支える家族の姿もまた、美しかったのだという。彼が庭に植えた花に、皆で水をやり、その成長を喜んでいた。
しかし、ある日、彼は姿を消した。
「家族はさんざんに探し回ったようだったが、彼は見つからなかった。」
イーリンは、目を伏せ、ファンの腕をきゅっとつかんだ。この先を聞くのは、なんだか恐ろしい。
顔を上げると、イーリンを心配そうに見ているファンと目が合った。
(いいえ、私は、聞かなくては……。)
ファンに大丈夫、と微笑み、イーリンは、シルウァの方に向き直った。
シルウァは、ピーターに顔を向けた。その顔には、怒りとともに、強い悲しみが見えた。
「ピーター。君は、この子がどうなったかを知っているだろう?」
ピーターは、思い当たることがあったらしく、愕然として言った。
「まさか……。シルウァ様、あの子のことなのですか? あの男が、つかまったときの……。」
「その通りだ。」
殺人事件の犯人として、王都の衛兵に捕まった男。
イーリンに命令されたと、証言した男。
地下牢で、イーリンの名前を叫んでいた男。
その男が棄てようとした遺体の少年が、シルウァの見守っていた『美しい』子供だった……。
「あの子は、体中に傷がつけられ、血を抜かれ、恐ろしさのまま固まった表情で、亡くなっていた。」
「哀れな……。」
医者のノーマンには、その悲惨さがありありと想像できるのか、涙を浮かべながら、胸を押さえていた。
シルウァは、苦しそうに下を向いた。巨木の枝が、身をよじるようにざわざわと鳴っている。
「……すぐに、わかった。あの子は、彼らの儀式の犠牲になったのだと。」
「儀式……。」
「彼らは、おぞましい儀式をやるのだよ。人をさらい、無用な苦しみを与え、恐怖と恨みの中で殺すのだ。ああ、でも、あの子は恨みなど抱かなかったに違いないのに。」
シルウァは気分が悪そうだったが、イーリンたちもまた、吐き気を催しそうだった。
ピーターがたまらず叫ぶ。
「なぜ、そんなことを!」
「自分たちの欲を満たし、悪魔に力を与えるためだ。」
恐ろしい所業を行ったにも関わらず、それが明るみに出ず、咎められもしなければ、彼らは悪魔に肯定されたと感じる。世の決まりなど、何の意味もないことであるという考えを強める。
秘密の儀式が成功すればするほど、悪魔を信じる力が強くなる。そして、それを崇拝する彼らも、自分が強くなったと感じる。
そしてまた、同じことが繰り返される。
──悪循環だ。良心を持つ者にとっては。
「あいつ、『魔女』なんだな。本当に……。」
ピーターが、いまいましそうにつぶやいた。
(キャサリン様は、あのとき……。)
晩餐会の日、キャサリンは、皆の前でイーリンを『魔女』だと断罪した。
『最初、あなたは小さな動物から殺したわ。行きどころのない鬱憤を晴らしたかったのかしら……。』
『その次に、罪もない人を攫い、傷つけ、悪魔の生贄としたわね。』
(あれは、キャサリン様自身の……。)
どれも、イーリンには思いつきもしない行為だ。
あのときは、なぜ、そんなことを言われるのだろう、と戸惑った。しかし、実際にあったことだったのだ。
──それをしたのが、イーリンではなく、キャサリンであっただけで。
イーリンは、地下牢で叫ぶ男の声を聞いたとき、その可能性には思い至っていた。
しかし、本当に、自分と年の変わらない少女が、そのような恐ろしい所業に手を染めていたとは。そして、その人が、自分のすぐそばにいたとは。
何よりキャサリンは、そんな後ろ暗いものを抱えていながら、それをおくびにも出さなかった。
イーリンを見下しながら、楽しそうに笑い、罪の意識や後ろめたさなどを感じさせることはなかった。
──怖い。今となっては、アーサーよりもキャサリンが。
震えるイーリンを、ファンがそっと抱き寄せた。イーリンの耳のそばに顔を近づけ、穏やかな声で、イーリンに告げる。
「あなたは、一人ではありません。私たちがいます。」
イーリンの胸が、ぽっとあたたかくなる。
(この方は、いつも私の心を溶かしてくださる。)
「……そうでしたわ。ありがとうございます。」
ファンのおかげで、イーリンは、自分が孤独ではないことを思い出した。
シルウァは、また黙り込んでいた。
落ち着きを取り戻したイーリンを見て、アンナは安心した様子だった。シルウァの回復を待つ間、アンナはピーター達と、今までの話を整理していた。
「そうなると、彼らが危険をおかして遺体を棄てたのは、ただ単に、お嬢様を貶めたかったからということですね。そのころには、ウェナムも手に入れていたから、当面の犯人もでっちあげることができた……。」
「でも、無茶苦茶じゃないか。儀式は、知られてはいけないんだろ。秘密を暴かれたくないのなら、お嬢様を貶めることはあきらめればいいのに。」
ピーターが、あきれたように言った。
キャサリンたちは頭が回るようでいて、目の前の欲求に逆らえない。論理的ではないのだ。
「彼らの行動を読むのは、難しいですね。」
ファンは、イーリンの頭の上で、ため息をついて言った。
キャサリンたちが、恐ろしい儀式を行い、シルウァが見守っていた少年を始め、何人もの人々を犠牲にしたであろうということはわかった。
しかし、なぜマデラインは、彼らの悪魔に囚われてしまったのだろう?
「シルウァ様。マデライン様はご自分で……。」
……王城の中で、命を絶ったはずだ。彼らの犠牲になったわけではない。
シルウァは、イーリンの方を向き、優しく答えた。
「人の悪意はね、澱のようにたまっていくものなのだ。」
犠牲になった者たちの恨みや苦しみは、沼に沈む泥のように積もり重なり、次第にその場の空気を濁らせていく。
「そうやってできた泥沼は、それに呼応する魂を吸い寄せる。」
泉の水に陽の光が反射して、きらりと光った。ここの泉は、どこまでも透明だ。
「あの娘たちが王都で儀式を行うようになったのは、あの子が犠牲になるよりずっと前だろう。」
犠牲者は、棄てられた遺体の人々だけではない。儀式は元々、秘密に行われてきたのだから。
「その頃に悪意を抱いたまま死者となったマデラインは、冥府に行けず、彼らの作った泥沼に引き寄せられてしまったのだ。」
シルウァは、王都に渦巻く悪意の奥に、マデラインの魂を感じるという。恐怖を抱いたまま亡くなった少年の魂もまた、同じところにいる。
シルウァは、大きく息を吐いて言った。
「悪いが、それ以上は私には見えない。」
お読みいただいてありがとうございます。『持たない人々』については、サイコパスやシリアルキラーのイメージですが、オリジナルの解釈が入っております。あくまでフィクションとして考えていただければと思います。次回は、そろそろシルウァの話が終わって、森を出る予定です。次もお付き合いいただけると嬉しいです。★投稿後、あまりに読みにくかったので、大幅に改稿しています(大筋は変わりません)。申し訳ありません。




