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魔女と呼ばれた令嬢  作者: 梨花むす
第二章
38/77

38 シルウァ

イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢

アンナ:イーリン付きの侍女兼マクスウェル家の斥候

ピーター:マクスウェル家の庭師兼斥候

ファン:イーリンの兄クリスの従者、隣国の公爵ヴィルターの紹介でギーベル王国へ

ノーマン:ボンベルグ領の軍医

シルウァ:『昏き森』に存在する森の主

 ⦅ようこそ、美しい人。さあ、こちらへおいで。⦆


「声が……。」

「まさか、本当に……。」


 皆が口々に「まさか」とつぶやく。お互いの顔を見合わせ、自分の耳に聞こえたものが、隣の者にも聞こえていたのかどうかを確かめる。 

 『森の主』とは、いわば伝説である。イーリンの言うことを疑っていたわけではないが、アンナやピーターでさえも、実際に『森の主』が現れるかどうかについては、半信半疑であった。


 ⦅その狼が案内してくれる。ついておいで。⦆


「森の……、主様……。」


 声は、以前にイーリンが聞いたものと同じように、優しかった。まるで『昏き森』自体が一つの生き物であるかのように、木々の全体がざわめいて、声を出しているかのようだった。


 狼はイーリンたちの前で立ち止まったかと思うと、くるりと振り向き、やってきた方向へと歩き出した。


「行きましょう。」


 イーリンたちは、『昏き森』の中へと進み、狼の後ろについていった。


 聞いていた通り、『昏き森』に入ると木々は太く、高くなった。広がる枝と繁る葉が空を覆って、陽の光はほとんど入らなくなった。暗い森の中、狼の毛は銀色にぼんやりと美しく光り、周りをほのかに照らした。イーリンたちは、その光を追いながら歩いた。


 道のりは平坦ではなかったが、木々の枝や背の高い草は、イーリンたちが通ろうとすると、避けてくれるかのように、自然に左右に分かれていった。


 しばらく歩くと、地面にはごつごつとした大きな岩が増え、水がさらさらと流れる音が聞こえてきた。そして、すっと鼻に通るような、清爽(せいそう)な香りが、どこからか漂ってきた。

 人が入らず、静かでしんとした森の中は、清浄な空気に包まれていた。


「なんだか、びりびりとする。」


 ピーターは、ぼそりと言った。


 ファンも、同じものを感じていた。これは、『昏き森』の中が、あまりにも清浄であるためだ。


 ファンたちは、森に対して明らかな悪意などは持っていない。しかし、この清浄さは、人間のやましい心を、否応なく(あば)き立ててしまう。そのため、「自分はここにふさわしくないのでは。」という威圧感や、「自分はここにいていいんだろうか」という、居心地の悪さを感じるのだ。


 しかし、イーリンは、この雰囲気に気圧(けお)されている様子はなかった。昨日よりも長く歩いているのに、あまり疲れも感じていないようであった。


 ある地点で、前を歩いていた狼の足が止まった。狼のそばまでイーリンたちがたどり着くと、そこには澄んだ水を豊かにたたえた、大きな泉があった。


 泉の上には木々の枝がなく、ぽっかりと空いているため、空からの陽の光が届いて明るかった。周囲には、イーリンの背よりも高い岩があちこちに見られた。

 そして、泉の向こう側には、ひときわ太く、背の高い、一本の巨木が生えていた。先程の清爽な香りは、その木からのものであるようだった。


「よく来たね、美しい人。少し、休むといい。」


 先程と同じ声が響いたが、今度は、もっと近くから聞こえた。

 イーリンたちが周りを見回すと、いつの間にか、巨木の前に一人の人がいた。


 その人の背はファンよりも少し低いくらいであり、顔だちは整っているが、女性とも男性ともつかぬ身体つきをしていた。肌はよく磨かれた木のようにつるりとしていて、やわらかな色をしており、深い緑色の瞳で、イーリンたちを優しく見つめていた。


「森の、主様。」


 目の前に現れた人の、その荘厳な美しさに圧倒され、イーリンたちは思わず跪いて首を垂れた。


「ああ、堅苦しいことはいいよ。その辺にお座り。何か、君たちに合うものでも用意してもらおう。」


 驚くことに、岩陰からぱらぱらと何名かの人々が現れた。年老いた者も、若いものもおり、その人たちは確かに人間のようだった。彼らは、木々の間に姿を消したかと思うと、木で作られた食器などを持って戻ってきた。


「お前は……。」


 ボンベルグ兵の1人が、驚いた顔をしている。どうやら、見知った顔を見つけたようだった。


 人々はイーリンたちが座る場所を整え、水や果物を用意してくれた。イーリンたちは促されるままに、そこに座り、用意されたものを受け取った。


 森の主は、イーリンたちのそばにある、一つの岩の上に座った。そして、イーリンに話しかけた。


「よく来てくれたね。美しい人……、名前は、イーリンだったかな。」


 イーリンは、自分の名前を呼ばれて驚いた。


「森の主様は、私の名前をご存知なのですか。」

「ふふ、私のことは、シルウァと呼んでおくれ。長く生きていると、色々なものが見えて、知ることができるのだよ。」


 シルウァは、イーリンに優しく微笑んだ。


 イーリンは、緊張はしているものの、特に問題なくシルウァと話すことができていた。


 しかし、他の者たちは違っていた。

 自分たちの近くから発せられる、シルウァの言葉ひとつひとつは、彼らにとって、まるで真っ白な強い光の塊のようであった。それが届くたびに、しびれるような衝撃が身体を突き抜け、何者かに押さえつけられるように、ただひれ伏すことしかできなくなっていた。


 その中でファンだけは、何とか動くことができているようだった。


 シルウァは、その様子に気が付き、


「ああ、いけない。君たちは、もう少し慣れないとつらいね。ねえ、手伝ってあげてくれるかな。」


 と言って、近くにいた人間たちに声をかけた。そして、ファンの方を向くと、微笑んで言った。


「君は、大丈夫そうだね。」

「……そこまで、平気なわけではありませんが。」


(ファンも、何だか苦しそう……?)


 ファンも、じっとりと額に汗をかいており、平静を保つには努力が必要なようだった。

 イーリンは不思議に思った。


 ──なぜ、自分だけが普通にしていられるのだろう?


 苦しそうな仲間たちを見て、イーリンはおろおろとしていた。


「ふふ、イーリン。その話は、後で教えてあげる。皆は大丈夫だよ。ここの水を飲んだりしていれば、次第に慣れるから。」


 人間たちは、アンナやピーターたちの背中をさすり、彼らが持ってきた水を飲ませてくれた。ここにいる人間たちの顔つきは、まったく善良そうであり、本当に心配をして、アンナたちの世話をしてくれているようだった。


「私は、イーリンのそばにいたいのだけど……。イーリンは、皆が心配だろうから、私は少し離れるね。」


 そう言って笑うと、シルウァは姿を消し、すぐに大きな岩のてっぺんに現れた。


(まあ、やっぱりこの方は、人間ではないのだわ。)


 イーリンには、何となく、シルウァの本体はあの巨木なのではないか、と感じられた。シルウァからは、巨木と同じ、清爽な香りがした。


 しばらく休むと、アンナたちは少し口がきけるようになった。


「ああ……。息ができなくなるかと思った……。」

「何だこれ……。」


 アンナたちは、はあ、と息を吐き出し、ぐったりとしていたが、さっきよりは楽になったようだった。皆が何とか動けるようになったのを見て、イーリンはほっとした。


「少し慣れたようだね。さて、何から話そうかな。」


 シルウァは、岩の上に座ったまま、穏やかに笑って言った。

 イーリンは、シルウァの方に向き直り、膝をついて頼んだ。


「シルウァ様。私、ここを通って、マクスウェル領まで行きたいのです。ご許可をいただけませんでしょうか?」


 シルウァは、優しく笑う。


「もちろん、それは構わないよ。イーリン。でもね、君たちは、ここでまだ色々知るべきことがある。」

「知るべきこと……ですか。」

「ほら、例えばね、この人間たちのことは気にならないかい?」


 シルウァは、世話をしてくれた人間たちを指した。

 確かに、彼らはなぜ、この『昏き森』の中にいるのだろう?それに、彼らはシルウァが話していても平気そうにしている。


「それは……。」

「彼らもね、また、『美しい人』なのだよ。イーリンほどではないけれどね。」

「『美しい人』……ですか。」


 それは、どういう意味なのだろう。シルウァが言っているのは、姿形のことではなさそうだ。


「シルウァ様、『美しい人』というのは、どういう人間のことなのでしょうか。」


 ファンが、シルウァに尋ねる。ファンは、先程よりも大分楽になったようで、なめらかに話すことができていた。


「そうだね。私の性質はね、清らかなものを好む。ただ、それだけなのだけど。」


 シルウァは、うーん、と考える様子を見せた。そして、岩の上からひらりと飛び降り、泉の上に立った。そのつま先から、水面にふわりと波紋が広がる様子は、シルウァにほとんど重さがないことを教えてくれた。


「まあ。」


 イーリンが、その様子に目を丸くしていると、シルウァは、そのまま片手ですっと水をすくった。それから、もう片方の手で、その水を愛おしそうに、そっと撫でた。


「私にとって、美しいと感じるのは、愛や思いやりのような、人が人を慈しむ心だ。これは、ほとんどの人が持っている。」


 シルウァは、少し悲しそうな顔をした。そして、手の中の水をさらさらとこぼした。


「私と相容れないものは、人に対する悪意だね。恨み、妬み、(そね)み……。これが強いと、美しさが霞んでしまう。」


 シルウァは、泉の上を、木の葉が流れるように優雅に歩き、イーリンの方までやってきた。イーリンの手をすっと取り、その甲にそっと口づけをした。


「イーリン、私の(かて)。」

「シルウァ様……? あの、どういう……。」


 イーリンが戸惑っていると、ファンが少し焦った様子で、シルウァに尋ねた。


「シルウァ様。では、『美しい人』とは……。」

「そう、悪意の少ない、清らかな人々のことだ。」


 だから私は、イーリンを愛しているのだよ、と、イーリンの手を取ったまま、シルウァは言った。



 そこに、苦しそうなピーターの声が、聞こえてきた。


「シルウァ様……。申し訳ありません…………。」


 イーリンが振り向くと、ピーターたちは、また動けなくなっていた。


「お嬢様…、ファン……。俺たち、まだちょっと無理かも……。」


 ピーターが、真っ青な顔で訴える。アンナや、ノーマンたちも、必死で頷いている。『昏き森』の人々たちは、心配そうな様子で、彼らの身体をさすっていた。


 シルウァは、イーリンの手を離し、笑って言った。


「あはは。これは、すまなかったね。また近寄りすぎてしまったようだ。まずは、ここで一晩過ごしなさい。明日、話の続きをしてあげよう。」

「ここに、一晩……。」


 ピーターたちは、げんなりした様子で、何とか声を絞り出していた。

お読みいただいてありがとうございます。もう少し森の場面は続きます。次もお付き合いいただけると嬉しいです。

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