37 道案内
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
アンナ:イーリン付きの侍女兼マクスウェル家の斥候
ピーター:マクスウェル家の庭師兼斥候
ファン:イーリンの兄クリスの従者、隣国の公爵ヴィルターの紹介でギーベル王国へ
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女
リーデン伯爵:キャサリンの後見
エリザ・リーデン:リーデン伯爵夫人
ルイーゼ・ボンベルグ:イーリンの友人、辺境伯令嬢、実はイーリンの従妹
アルバート・ボンベルグ:ルイーゼの父、辺境伯
ノーマン:ボンベルグ領の軍医
森に入ると、ピーターとボンベルグ兵の1人が先導で歩くことになった。
ピーターが、周辺で手に入れてきた情報をもとに、皆に行程を説明する。
「しばらく、この細い道に沿って歩きます。半日もしないうちに、『昏き森』の手前まで着くそうです。」
出発が昼頃であったので、半日経てば夜になってしまう。この辺りは獣は少ないという話ではあったが、それまでに、できるだけ安全に野営のできる場所を探す必要があった。
「お嬢様、無理なさらずに。少しずつ休憩を入れますので。」
「はい。」
本人が言っていた通り、ノーマンの足取りはしっかりしたものだった。そのため、イーリンがどれだけ歩けるかが、一行の進む速さを決めることになった。
「ファン、もしものときはお願いよ。」
「わかっています。」
「?」
アンナが、ファンに何やら念押しをしているのを見て、イーリンは首をかしげた。
人のあまり通らない細い道は、石や木の根でごつごつとしていて、整備された道を歩くよりも早く、イーリンの体力を奪った。予定の3分の1くらいを来たところで、汗を額に浮かべ、息が荒くなっているイーリンを見て、ピーターが休憩しましょうと言った。
(申し訳ないわ。私が一番足を引っ張っている。)
熱を出して寝たきりだったころから比べると、格段に体力は戻っているのだが、普段から鍛えている者たちについていけるほどではない。仕方ないとはいえ、イーリンは少し落ち込んだ。
休憩が終わると、アンナがファンを呼び、話をした。アンナに促され、ファンがイーリンのそばまで来た。イーリンは、何か用事があるのかと思い、声をかけた。
「あら、ファン。何でしょうか。」
「失礼します。」
「えっ。あら。」
ファンは、イーリンを両手で抱き上げた。そして、このまま歩いていきますと告げた。
アンナは、驚くイーリンに対し、真面目な顔で言った。
「お嬢様は、少し休みながら行きましょう。このまま無理をして、お怪我をなさっても大変です。」
「ええ……。」
(ファンに抱き上げられたまま、進んでいくの……?)
「ほっほっほっ。若い人はいいですなあ。」
ノーマンは、若いボンベルグ兵に耳打ちされ、ファンとイーリンの関係を知ったようだ。
イーリンは頬に手を当て、真っ赤になっている。
「あ、あの……。これじゃ、ファンの負担になりますわ。」
「そうですか? ああ、じゃあ、背負いましょうか。」
「えっ。」
思わぬ答えが返ってきて、イーリンは言葉を失う。
「そうですね。その方が、ファンも長く歩けるでしょう。前も見えるし。」
「僕、荷物持ちます。」
若いボンベルグ兵が、手を挙げて言った。ファンは、そっとイーリンを下ろし、背負っていた荷物を兵に渡した。
そして、イーリンに背を向けてしゃがんだ。
「どうぞ。」
「あ、あの……。」
イーリンが戸惑って、アンナとピーターを見ると、2人はにこにこと笑って、「乗ってください」という仕草をした。
「あ……、では、失礼します。」
イーリンが首に手を回し、背中にかぶさると、ファンはイーリンの脚を抱え、重さを感じないかのように、すっと立ち上がった。
「しっかりと、つかまっていてくださいね。」
「はい……。」
自分が無理して歩いても、遅くて皆に迷惑をかけるだけだ。しかし、こんなに甘えていいのだろうか。しかも、皆に見られていて恥ずかしい。
でも、ファンの背中は、広くてあたたかい。胸はどきどきとするけれど、ちっとも怖くはない。
「苦しくなったら、言ってください。体勢を変えましょう。」
「ありがとうございます。」
(そうはお返事したけれど、もしかして、さっきの形になるのかしら。)
と、イーリンは思ったが、今は考えないことにした。
次の休憩からは、イーリンも歩くことができるようになり、その後は順調に『昏き森』の近くまで進むことができた。
次第に陽が落ちて、暗くなってきたため、一行は野営をする場所を探した。すぐそばに、小川の流れるちょうどよい場所があり、そこに小さな天幕を2つ張った。
獣を避けるために小さな火を焚き、交代で寝ずの番をしたが、特に危険な獣が寄ってくる様子はなかった。
イーリンは、あまりよく眠れず、夜が深くなったときに、天幕の外をそっと覗いた。番をしているのはファンで、焚火の前に座っていた。ファンは、すぐに天幕から顔を出しているイーリンに気づいた。
「眠れないのですか。」
「はい……。すみません。せっかく、見張りをしていただいているのに。」
イーリンは、しゅんと肩をすくめる。それを見て、ファンは優しく微笑んだ。
「少し、お話をしますか。イーリン。」
ファンは、約束通り「イーリン」と呼んでくれた。
「はい。」
イーリンは上着を羽織り、そっと天幕を出た。焚火のそばに行き、ファンの隣に座る。
「何か、心配事でも?」
「今日は、申し訳ありませんでした。」
「昼間のことですか? 大したことではありません。」
「いいえ。……私は、人に助けられてばかりです。」
──自分に能力がないから、人の助けを借りなければ何もできない。
そして、助けてくれた人を巻き込んでしまう。自分のせいで、苦しめてしまう。
その考えは、常にイーリンを苛んでいた。
自分のために、自分の家は処罰を受け、家族は苦境に陥った。
自分のために、アンナやピーターは、王家に追われる立場になった。
自分のために、ルイーゼを始め、ボンベルグの人々は、王家と対立しなければならなくなった。
国王やリーデン伯爵にウェナムが使われたのも、自分のせいかもしれない。
……そして、エリザが命を落としたことも。
イーリンは、隣のファンの顔をちらりと見る。
ファンは、何事もなくハーフェンに逃れることもできたはずだ。それなのに、自分にこうしてついてきてくれて、身を危険にさらしてくれている。
──自分など、いない方がよかったのではないか。
自分を取り巻く複雑な状況は分かっている。皆、イーリン個人のためだけに動いているわけではないし、アーサーやキャサリンの暴挙も、ウェナムの試作品も、放置しているわけにはいかない。
割り切っていたつもりなのに、夜になると、じぶんを責める考えがぐるぐると巡り、眠れなくなってしまったのだ。
「……イーリン。あなたは何も悪くない。皆はあなたを助けたくて、助けているのです。」
「……。」
「あなたが無事でいることを、皆が望んでいます。あなた一人に、犠牲になってほしいわけじゃないのです。」
ファンの言葉で、領地にいたときに、母ソフィアが厳しく言っていたことが蘇る。
『イーリン、あなた、自分が犠牲になれば丸くおさまるなんて、思っていないでしょうね。』
『あなたが自ら犠牲になってしまったら、あなたが勇気を出して訴えたことも、お父様が努力してらっしゃることも、全て無駄になってしまうのよ。』
(私があきらめてしまったら、皆の努力も無駄になってしまう……。)
今、自分に求められていることは、無事にマクスウェル領に到着することだ。決して、全てを抱えて死ぬことではない。
「そう、なのですね。私、浅はかでした。」
「無事でいてもらいたいのは、私もですよ、イーリン。あなたが傷つけば、私はつらい。」
「あ……。」
ファンは、イーリンの肩をそっと抱いた。イーリンは、自然にファンに頭を寄せてしまう。
「おそばにいると言いました。あなただけが危険な目に遭うのは嫌です。」
頭の上から聞こえてくる、穏やかな声は心地よい。
「ファン……。私、嬉しいです。」
一緒にいると言ってくれる。今は、その言葉を信じていればいいのだろう。
イーリンの気持ちは、ファンの腕の中で、だんだん落ち着いていった。
「さあ、順調にいけば、明日も歩きます。そろそろ眠れそうですか?」
「はい、ありがとうございます。ファン。」
「おやすみなさい、イーリン。また、明日。」
ファンに手を振り、イーリンは自分の天幕の方へと戻っていった。
隣の天幕が少し開いていたような気がするし、自分の天幕に入ると、出たときとアンナの姿勢が違うような気がしたが、イーリンは深く考えるのをやめ、布団にくるまって眠りについた。
朝が来て、皆で野営の跡を片付けていると、『昏き森』の奥から静かに現れるものがあった。
目をこらして見ると、それは、銀色に光る毛を持つ狼であった。狼は、ゆっくりと一行の方へ近づいてきた。ファンたちは、それぞれ武器を手に取ったものの、狼から殺気は感じられなかった。
一歩一歩こちらへ歩いてくる仕草は、ただの獣のふるまいではないと思われ、むしろ威厳が感じられた。その神々しいとも言える様子に、一行は、狼が近づいてくるのを、ただじっと見ていた。
イーリンは、その狼に見覚えがあった。
「あなたは、あのときの……?」
イーリンがつぶやくと、どこからか声が響いてきた。
⦅ようこそ、美しい人。さあ、こちらへおいで。⦆
お読みいただいてありがとうございます。次回はやっと森の主が出てきます。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




