34 籠絡
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
マデライン・ギーベル:王妃、アーサー達の母
ブラム・バクスター:侯爵、王妃マデラインの兄
キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女
パー男爵:キャサリンの父
ジョン:キャサリンの使用人(下男)
リーデン伯爵:キャサリンの後見
エリザ・リーデン:リーデン伯爵夫人
キャサリンは、目の前でブラム・バクスター侯爵がべらべらと喋るのを、笑顔で聞いていた。
ブラムは、キャサリンの父親であるパー男爵と、似たような年頃であった。外にあまり出ないせいか、肌の色は青白くて不健康そうであり、ぼってりとした体つきをしていた。
少女にとっては、あまり魅力のない男ではあったが、キャサリンは、こういった相手と話をするのは得意だった。
相手の言ってほしい言葉を見抜き、ちょうどいいタイミングでくれてやるだけで、キャサリンは欲しいものを手に入れてきた。
キャサリンは、幼い頃から美しかった。頭も回るし、器用だった。
男爵家は貧しく、商売も上手くない両親では、貴族として最低限の生活をし、社交をするのが精一杯だった。
キャサリンは常に飢えていた。自分はもっと称賛を浴び、豊かになるべきだと思っていた。
美しく、人の心を掴むのに長けていたキャサリンは、年頃になると、男爵家に出入りする者を次々に籠絡した。彼らはキャサリンに、物や知識や人脈など、色々なものを与えてくれた。
貴族の令嬢として、多少いかがわしいことをしていたとしても、彼女に十分な物を与えてやれない両親は黙認した。
(役立たずの親なんていらないわ。)
キャサリンは、社交界に出てからは、さらに自信をつけていった。時々合わない人間はいるものの、野心を抱いた貴族や、頭の回らない子女たちを虜にするのは容易だった。
そして、とうとうリーデン伯爵に出会った。
リーデン家は、王家の婚約者の座を争うには、娘の年齢が若過ぎた。マクスウェル家やストラスタ家に当然のように負け、彼は、自分の代で勢力を広げることを諦めていた。
また、リーデン伯爵は、元々格下の家から伯爵家に婿入りした男であった。家の中では、どうしても妻エリザの力が強く、夫婦仲は悪くなかったが、常に小さな不満がくすぶっていた。
キャサリンからすると、リーデン伯爵からは、そんな遣る方ない思いが、身体中からうずうずと滲み出しているように見えた。
(いいのがいるじゃないの。)
キャサリンとしても、ただの男爵令嬢で終わるつもりはなかった。養女にでもなれたら、しめたものだ。キャサリンは、積極的にリーデン伯爵に声をかけ、自分を売り込んだ。
その結果、リーデン伯爵は、キャサリンを自分が見つけた逸材だと思い込んだ。王太子の婚約者である、公爵令嬢イーリンに匹敵する娘を見つけたと。
彼は、キャサリンの可能性に賭けてしまった。そして、彼の手引きで、キャサリンは、自分と同じく飢えたアーサーに出会ったのだ。
(うふふ。私の努力からすれば、当然のことよ。)
一人でほくそ笑むキャサリンに構わず、ブラムは喋り続けていた。時々、ハンカチで目頭を押さえている。
「マデラインは、昔から賢い子だったんだ。可愛いあの子が、王家に輿入れしたのは12歳のときで……。」
「ええ、ええ。そうでしたわね。」
「あの子はバクスターの期待を背負っていったのだよ。あの頃は領地も賑やかでなあ。」
ブラムは、遠い目をした。キャサリンは、何度も聞いたこの話に、合いの手を入れてやる。
「素晴らしいところだったそうですわね。国中から学者様が集まって……。」
「そうなのだ。バクスター家は、商売が上手いだけのマクスウェル家やストラスタ家などとは違う。我々が持っていたのは知恵と伝統だ。」
「まあ、その2つは、望んでもなかなか手に入らないものですわね。バクスター家しか、お持ちでないものですわ。」
「そうだろう。それなのに、国王陛下はそれを分かってくださらなかったのだ。」
ブラムは、また涙を拭いた。目が真っ赤になり、潤んでいる。
「マデライン……。可哀想に。」
キャサリンは立ち上がり、ブラムの方へ歩いていくと、隣に座った。そして、そっとブラムの肩の上に手をのせた。
「ブラム様。私がおりますわ。国王陛下もアーサー殿下も、根気よく私がお伝えすれば、マデライン様の素晴らしさも、バクスター家の偉大さも、きっと分かってくださるでしょう。」
ブラムは、顔を上げ、鼻をすすり上げた。
「おお、そうだな、キャサリン。いつもうちのためにすまないね。」
「そのために……。また、あのお薬をいただけますでしょうか? 皆様に分かっていただくためにも、私、もっと多くの方をお救いしなければ。」
キャサリンは、少し眉尻を下げ、いかにも申し訳ないといった表情を作った。ブラムは、もちろんだ、と答える。
「あのようなものでよければ、いくらでも……。マデラインも身体が弱かったからな。お前があれを使って、代わりに人助けをしてくれるのは、マデラインも喜ぶだろう。」
「私、これは使命だと考えておりますの。ブラム様を始め、バクスター家の皆様の功績は、もっと評価されるべきなのですわ。」
(そう、素晴らしい功績よ。私にとって。)
「お前は本当に、立派ないい子だ。これぐらいしか協力してやれなくて、すまないね。」
「いいえ、十分にしていただいていますわ。」
しばらくして、キャサリンは小さな木箱を持ち、館の外に出てきた。
門の近くで待っていた小男が、キャサリンに声をかける。
「遅かったな。お前、あの中年男とできてるんじゃないだろうな?」
男は下卑た笑いをにやにやと浮かべた。
「馬鹿言わないで。そんなことをしなくても、あの程度の男、何とでもなるわ。」
キャサリンは、鼻で笑う。
「そうだよなあ。王太子の婚約者様が、よそで男とできてるなんて、洒落にならないよなあ。」
男は、まだいやらしく笑っている。
「さあ、くだらないことを言っていないで、さっさと帰るわよ、ジョン。必要なものは、もうもらったわ。」
キャサリンは、手に持っていた小箱を、ジョンと呼ばれた男の方に突き出した。男は、箱を受け取りながら言う。
「また、公爵家の方の館に帰るのか?」
「当たり前よ。あそこには、おもちゃがたくさんあるんだから。」
「まあ、そうだな。俺も楽しませてもらってる。」
一歩踏み出しかけてから振り返り、ジョンは、バクスター家の館をぐるりと見渡した。手入れする者がいないのか、館を囲む生け垣の形は乱れており、雑草があちこちから飛び出していた。
「しかし、ここは腐っても侯爵家なんだろ。お前、こことどうやってつながったんだよ。」
キャサリンは、赤い唇をにい、と上げて笑った。
「ふふ、それは秘密よ。」
「まあ、タダで教えるわけねえか。」
ジョンも、本気で聞いていたわけではなかったらしい。2人は公爵家の館に向けて歩き出した。
──そういえば。
「それよりジョン。あなた、あの女の行方は分かったの?」
「可愛い魔女ちゃんのことか? まあ、王都にいそうな感じはないな。どの館も、まずお嬢さんたち自体がいない。」
「かくまっている感じはないの?」
「公爵令嬢様を迎えていたら、さすがに使用人の落ち着きがなくなるはずだが、そんな様子もないな。マクスウェル家が、領地に連れ帰ったんじゃないのか?」
キャサリンは、舌打ちをした。
「マクスウェル領の周りは、アーサーに頼んで、かなり多くの兵を置いているのよ。いくら優秀なお供がいたって、全く知られずに抜けられるものですか。」
──本当に死んだのか、どこかで助けられているのか。
そこで、キャサリンは、はたと気がついた。
「あら、そうだわ。王家なのだから、堂々とやればいいのよ。」
「何言ってるんだ?」
「王都にいないのなら、領地よ。あの女に味方しそうなところを、順番に調べればいいんだわ。」
(そうやって、あの女を探せばいいのよ。見つからなかったって、反抗的な家をあぶりだすことができるわ。そうしたら、潰せばいい。また領地が手に入るわ。)
キャサリンは勘違いをしていた。
王家は、勝手に公爵家から称号を奪い、王都にある館を接収した。しかし、マクスウェル領を手に入れたわけではない。実際のところ、マクスウェル公爵夫妻の国外追放と、跡取りのクリスへの蟄居を命じたところで、状況は止まっているのである。
そしてそのまま、マクスウェル家はただただ沈黙している。王家が得たのは、王都の館とその使用人たちだけなのである。
政治の実際を知らないアーサーやキャサリンは、王家の命令が絶対であり、貴族たちは逆らえないものと考えていた。だから、マクスウェル家の沈黙を、服従だととらえていた。
貴族たちは、必死にマクスウェル家の出方を探っているというのに。
その後、キャサリンとジョンは、くだらない話をしながら、公爵家の館に通ずる大通りを歩き続けていた。
身なりのよさそうな人間が歩いているのを見つけ、ぼろを身にまとった物乞いが数人寄ってきた。このような者たちは、今まで貧民窟の近くにしかいなかったが、最近はじわじわと数が増え、貴族の家が立ち並ぶ地区まで出てきている。
「汚ねえな。しっしっ。」
「臭いこと。あなたたちに渡すものなんてないわよ。あっち行きなさい。」
ジョンが蹴ろうとすると、物乞いたちは、悪態をつきながら散っていった。
キャサリンたちは、なぜ物乞いが増えたのか、その理由を知らなかった。知ろうともしなかった。
マクスウェル家が動かなくなったために、マクスウェル領が有する広大な農地からの農作物が流入しなくなった。また、ハーフェンからもたらされる交易品もなくなり、消費の多い王都は、物資が不足しつつあった。
西の海運を担うストラスタ家も、「近頃は、厳しいようでして。」と、以前より王都に納入するものが減っていた。
王都で、人が行方不明になる事件も続いていた。こういったトラブルの解決は、王都を治める王家の役目である。しかし、事件は一向に解決せず、生活がどんどん苦しくなっていくため、王都の民の不満は募っていた。
その中で、一つの噂が出始めていた。
魔女という汚名を着せられて王城に幽閉されている、美しく優しい公爵令嬢様は、実は聖女だったのではないか。彼女を迫害しているから、王都は大いなる存在の怒りに触れ、今の苦境に立たされているのではないか、と。
お読みいただいてありがとうございます。次回は、久しぶりにマクスウェル家の面々が出てきます。次々回くらいにボンベルグ領に話が戻る予定です。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




