33 いまいましい
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
ヘンリー・マクスウェル:イーリンの父、公爵
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
ルイス・ギーベル:第二王子、リリーの婚約者
マデライン・ギーベル:王妃、アーサー達の母
ブラム・バクスター:侯爵、マデラインの兄
リリー・ストラスタ:イーリンの友人、侯爵令嬢、第二王子ルイスの婚約者
──いまいましい、あの女。
アーサーは自分の言った通り、処刑から3日後に、昏き森を確認させた。そして、確認に行った兵士たちは、あの女の血にまみれた処刑服を持ち帰った。
死体は見つからなかったが、アーサーはご満悦だった。
「おおかた、森の獣に食われたんだろう。いい気味だ。」
しかし、私が用意した刺客が帰らない。まだ報酬の残りを受け取っていないというのに。おまけに、公爵家の館からは、あの女と仲の良かった使用人が2人消えた。
使用人の手引きで逃げたか。しかし、この服についているのは人の血だ。多少は傷を負っている可能性はある。
近くのボンベルグ領に逃げ込んだ可能性はあるが、ボンベルグの娘は、他の令嬢たちと同じように、アーサーを恐れて領地に逃げ帰った。
──まあ、確かに、遊んであげようとは思っていたけど。この娘のように。
キャサリンの部屋には、侍女たちに並んで、ストラスタ侯爵令嬢のリリーが控えていた。
キャサリンは、イーリンの処刑が終わった後、
「将来の王妃に対して、ちゃんと忠誠心を持てるかどうかを確かめてあげる。」
と言って、たびたび王城にリリーを呼び出していた。
キャサリンは、立ちっぱなしでいるリリーを一瞥すると、どさりと椅子に座った。
「愚かなあなたに、お仕事をあげるわ。」
キャサリンは、座ったまま右足を少し上げた。そしてその足を振り、履いていた靴を飛ばした。キャサリン好みの真っ赤な靴は、ころころと床を転がっていく。
キャサリンは、顎をしゃくり、転がった靴を指した。
「ほら、取ってらっしゃいよ。」
リリーは唇を噛み締め、「はい」と小さな声で言うと、キャサリンの飛ばした靴のところまで歩いていった。そして、優雅な仕草で靴を拾うと、丁寧に両手で持った。
「いいわね、その表情。嫌々やっているのがよく分かるわ。さすが侯爵家のお嬢様。人様の世話をするのに慣れていないのね。」
侍女たちから、「ああ……。」と声が漏れる。人の靴を持って運ぶなど、侯爵令嬢のなさるお仕事ではない。こんなことをさせたと知られれば、自分たちはストラスタ侯爵から大目玉を食らうだろう。
しかし、靴を持って戻ってきたリリーに、キャサリンは笑って言った。
「あら、取ってくるだけがお仕事だと思っているの? これだからお嬢様は困るわ。ほら、グズグズしないで履かせてちょうだい。」
キャサリンは、ほら、と足を差し出す。
靴を持つリリーの手に、ぎり、と力が入った。しかし、リリーは怒りをこらえ、靴を履かせようとキャサリンの前に、黙って跪いた。
その頭の上に、キャサリンはもう片方の、靴を履いている足をとん、と乗せた。すると、リリーの綺麗に整えられた髪の上に靴の埃が落ちた。
侍女たちから、小さな悲鳴が飛び出した。
あまりに屈辱的な行為に、今度はこらえきれず、リリーはわなわなと震えた。
「ふふ、怒ってどうするのよ。」
キャサリンは足を下ろし、鼻先を壁の方に向けた。
「あなたたちの大事なイーリン様は、あんなことになったというのに。」
そこには、イーリンの着ていた処刑服の切れ端が飾ってあった。キャサリンは、この血まみれの布をアーサーから譲り受け、王城の部屋の壁に張り付けているのである。
なんと趣味の悪い人だろう、とリリーは思う。
「残念よね。あなたたちの希望だったのに。あなたも、ああなりたくなければ、素直になりなさい。」
ほほほ、とキャサリンは笑う。
(イーリン様は、無事だったのかしら。)
リリーはイーリンのことを思い、じわり、と涙が滲んだ。
ボンベルグ領からの連絡はまだない。と、いうより、警戒されている今は、王都にいるボンベルグ辺境伯夫人セリーナとすら、なかなか連絡が取れないのだ。
リリーのその様子を見て、キャサリンは、あの女をストラスタ侯爵が匿っているわけではなさそうね、と思った。
その後もしばらく同じような時間が続き、やっとリリーはキャサリンから解放された。部屋から出ると、リリーは髪の埃を払い、すっと背筋を伸ばして廊下を歩き出した。
(こんなことで、負けるものですか。)
キャサリンがリリーをいたぶりながら、反抗してくるのを待っているのは分かっている。反抗の先にあるのは、ストラスタ家の処刑だ。
だから、自分はどんな屈辱にも耐えなくてはならない。
でも、その前に、心が折れそうだ。ここまであからさまなことをされてはいなくとも、イーリン様は半年近くも、あのキャサリンの嘲るような視線に耐えてきたのか。
「リリー。」
声をかけられ振り返ると、心配そうな表情の、第二王子ルイスがいた。
「ルイス殿下。」
ルイスの私室に呼ばれ、リリーはルイスと向き合って座った。
「リリー。守ってやれなくて、本当にすまない。」
ルイスは、憔悴した顔で言った。
キャサリンの、リリーへの無体なふるまいを知り、ルイスは国王にも、アーサーにもやめさせるようにと訴えに行った。しかし、国王は「王太子に任せる」と言うばかりだし、アーサーに至っては、「キャサリンのやることに口を出すな」と、全く話にならない。
「第二王子の妃になるのだから、将来の王妃への忠誠を持つのは当然だろう。キャサリンのやっていることは、むしろ王妃らしいじゃないか。」
しかし、アーサーは王妃らしさなど知らない。それはルイスも同様だ。王妃は、自分たちが幼い頃からほとんど表に出てこなかったのだから。
しかし、下手にアーサーやキャサリンの機嫌を損ねれば、今はリリーを助けるどころか、かえって危険にさらしてしまう。そのため、ルイスは、どうにも動けない状態となっていた。
「君のような人が、こんな目に遭うべきではないのに……。」
ルイスは、婚約者の気高さ、誇り高さを愛していた。それは今でも失われてはいないのだが、リリーが無惨に踏みにじられていく姿は、見ていて辛かった。
「母上にもかけ合おうとしたのだが……。やはり部屋から出てこられない。こんな時だというのに。」
王妃マデラインは、立場的には王太子であるアーサーの上にいる。国王が機能しない今、アーサーを止められるのは王妃しかいない。
しかし、どんなにルイスが会おうとしても、王妃の侍従にことごとく止められ、全く話ができないでいた。
リリーは、つんと吊り上がった意志の強い目を、きっとルイスに向けた。
「殿下、これは私に課せられた戦いなのです。」
「リリー……。」
「殿下には、殿下の戦いがおありです。私こそ、そのお手伝いができず、申し訳ありません。」
リリーは、深く頭を下げた。
ルイス自身にも、山ほどの課題があった。
いつまでも、アーサーたちの好き放題にさせてはいられない。国王もまともに機能せず、王妃も頼りにならない。今、王家の中で、貴族たちと協力して、国をまともな方向に戻せる可能性があるのは、ルイスだけだ。
(リリーを助け出して、何もかも放って、どこかへ行ってしまいたい。)
そんな考えが、何度もルイスの頭をよぎった。しかし、国の行く末を考えると、王家に生まれた者として、それはできない。
──いっそのこと……。
アーサーがいなくなれば、どんなにいいだろう。アーサーの後ろ盾がなければ、伯爵の養女に過ぎないキャサリンなど、問題ではない。愚かな兄のせいで、自分もリリーも苦しんでいる。
しかし、秩序ある国は、決まりのもとに動く。弟が兄を、真っ当な理由なく弑すれば、人心は離れるだろう。
『殿下。秩序とは、余計な争いを避けるためにあるのです。』
マクスウェル公爵が、そう教えてくれたことがある。彼は今、どのような思いでいるのだろうか。
まだ年若いルイスは、自分の選ぶ道を決めかねていた。国を、リリーを守るにはどうしたらいいか、公爵たちと相談できればいいのにと思った。
「お心遣い、ありがとうございます。殿下。私、もう少し頑張りますわね。」
リリーは、頭を下げたまま言った。ルイスは、リリーの声が震えていることに気づいた。
「リリー。」
「でも、申し訳ありません。今だけ、少しだけ、泣かせてくださいましね。」
顔を上げたリリーの目は潤んでいた。ルイスは思わずリリーのそばに寄り、ぽろぽろと涙をこぼす婚約者の肩を、そっと抱いた。
明くる日、キャサリンは、アーサーから与えられた元公爵家の館を出て、ある館に向かった。供は一人の下男だけである。その背の低い下男は、元々公爵家にいた者ではなく、キャサリンがどこからか連れてきた者だった。
男は、道中も下卑た笑いを浮かべ、馴れ馴れしくキャサリンに話しかけており、知らない者から見れば、主従と言うより仲間のようにみえた。
目的地に着き、慣れた手つきで呼び鈴を鳴らすと、すぐに館の使用人が扉を開けた。
キャサリンが中に入ると、奥から太った中年の男がどたどたと出てきた。キャサリンを見ると、緩んだ顔になり、猫なで声を出した。
「おお、可愛いキャサリン。よく来てくれたね。さあ、また、マデラインの話をしよう。」
キャサリンは赤い唇の片端を少し上げた後、にっこりと笑顔を作った。
「ええ、もちろんですわ。ブラム様。マデライン様のお話を、たくさんいたしましょう。」
お読みいただいてありがとうございます。リリーが可哀想な目にあっていますが、最終的には報われる予定です。次の話もお付き合いいただけると嬉しいです。




