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魔女と呼ばれた令嬢  作者: 梨花むす
第二章
27/77

27 目覚め 

イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢

アンナ:イーリン付きの侍女兼マクスウェル家の斥候

ピーター:マクスウェル家の庭師兼斥候

ファン:イーリンの兄クリスの従者、隣国の公爵ヴィルターの紹介でギーベル王国へ

アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者

ルイーゼ・ボンベルグ:イーリンの友人、辺境伯令嬢、実はイーリンの従妹

アルバート・ボンベルグ:ルイーゼの父、辺境伯

ノーマン:ボンベルグ領の軍医

 ──目の前に、ドレスの裾が見える。彼女が歩くたびに、ひらひらと動く。


 彼女の真っ赤な唇は、私を魔女だと責める。

 そして鼻をつくのは、あの香り……。


「い、いやっ。」


 イーリンはたまらず叫んだ。


 ──いや、もう、怖いの。


「いや!やめて!来ないで!」

「イーリン様!?」


 アンナの慌てた声がする。


「誰か!ファン様を呼んできて!」

「……おい、ファンを鎮静剤代わりに使うなよ。」


 ピーターのあきれたような声がする。


 ──……ここは、王城ではないの?


(ここはどこ?)


 うっすらと、視界があかるくなる。

 パタパタと、誰かが走ってくる音が聞こえる。


「どうしたんですか?」


(あの声は……。)


「あ……。」


(何だろう、落ち着くにおい……。)


 心配そうな顔のファンが、目の前にいる。イーリンはその方に手をのばした。


「目を覚まされたのですね。もう大丈夫ですよ。」


 ファンがその手を取り、優しく語りかけてくれる。

 イーリンは、だんだんと頭がはっきりとしてきた。

 ファンの後ろにはアンナとピーター、そして、見慣れない侍女たちがいる。少し離れて、小さな茶色の瓶を持った年配の男性がいた。


「お嬢様!」

「お嬢様の意識が戻った!」

「ご主人様に、ご報告しなくては!」


 皆、嬉しそうな顔をしている。アンナが、ここはボンベルグ領の館の中だと教えてくれた。


「え? あら……。」


 とたんに、自分がファンの手を握りしめているのに気づき、イーリンは恥ずかしくなった。


「あ、あの……。」


 その様子を見て、ファンは微笑み、そっと手を外した。

 ピーターは、ちょっと白けた目で、2人を見ながら言う。


「何恥ずかしがってるんですか、いまさら。お嬢様は、何度もファンの腕の中でしっかり寝てましたよ。」

「ええ? あら、そんな……。」


 イーリンは顔が赤くなる。何も覚えていない。いや、正確には、何となくそんなこともあったような気がするのだが、はっきりと自分が何をしたか覚えていないのだ。


「まあ、その話は追い追いしていきましょう。お嬢様は、目を覚まされたとはいえ、まだ身体を戻すことが必要ですから。」


 アンナは、イーリンの意識が戻ったので嬉しそうだ。

 茶色の瓶を持った男が、不思議そうに言う。


「まさか、気つけになってしまうとは……。申し訳ありません、うなされておられたので、どちらかというと鎮静に使うつもりだったのですが。」

「鎮静剤は、もうありますので。」


 アンナが、ファンをちらりと見て言う。


「先生が言ってるのは、そういうことじゃないだろ。」


 ピーターが、またあきれて言った。

 イーリンは、ベッドの中で身体を起こした。少し、頭がくらくらとする。


「お嬢様、無理なさらずに。」

「いえ、あの……、お医者様でしょうか?私を診てくださったのですね。ありがとうございます。」


 ぼんやりとだが、ファンたちに助けられ、その後、小屋で熱を出したところまでは覚えている。


(あら? そういえば、私、森でファン様に助けられたとき……。)


 自分の行動を思い出し、ちらりとそばにいるファンの方を見ると、ファンはにっこりと笑った。

 イーリンはまた顔を赤くする。


「おや、お嬢様。また熱が出ましたか?」


 医者であろう男が慌ててイーリンの方に近寄ったが、ピーターは淡々と言った。


「いや、あれは違うと思いますよ。」


 そうは言っても、と医者がイーリンを診察しようとしたとき、彼の持っている瓶の香りが、イーリンの鼻をついた。


「あっ……。」


 イーリンは、少し身を固くした。


「どうされましたか?」

「いえ、あの……。この香りは?」


 やはり、あの香りと同じだ。


「これですか?」


 医者は、茶色の瓶をかざした。


「ええ。」

「これは、ウェナムと言いまして。痛み止めとか、鎮静に使うものなのですが……。」

「お薬、なのですか。」

「そうですね。手に入る量が少ないですし、量の加減が難しいので、あんまり上手に使えるものはおりませんが。」


 自分はできるのだ、とばかりに、医者は少し胸を張った。


「まあ、貴重なものをありがとうございます。」

「いえ、医者として当然のことをしたまでで……。うむ、特に問題はなさそうですな。」


 診察を終えた医者は、イーリンの病状について、簡単に説明してくれた。


 医者は60歳を少し過ぎたくらいの男性で、名前をノーマンといった。普段は、ボンベルグ領で軍医として働いているが、今はアルバートの命で、イーリンの治療にあたっていた。


「地下牢の水が悪かったんでしょうな。身体が冷えたところに、悪いものが入り込んだんでしょう。」


 容態はかなり悪かったらしい。ノーマンの調合した薬がよく効き、ボンベルグ領に着いて3日ほどで熱は下がった。しかし、それから数日経っても、イーリンの意識は戻らなかった。


「熱による消耗と、精神的な負担が原因かと。」


 こういう状態のとき、病人は冥府との境をさまよっているという。


 ファン、アンナ、ピーター、ルイーゼ、アルバートが、繰り返しイーリンに呼びかけ続けた。

 イーリンは、少しずつ皆の声に反応するようになり、うっすらと目を開けることも出てきた。しかし、その分うなされることも多くなった。


 ファンは、献身的にイーリンのそばについてくれた。助けられたときの印象が強いのか、イーリンはファンの声を聞くと、安心して眠りにつくことが多かったからだ。


 ファンはまた、寝ているイーリンの周りで手を動かしていることがあった。何をしているのか尋ねると、「気を整えているのです。」と言った。

 その意味は分からなかったが、確かにそれをすると、イーリンが穏やかに眠る時間が長くなるため、皆はそのまま見守っていた。


 しかし、今日は少しファンを休ませてやろうということになり、その間、ノーマンが試しにウェナムを使おうとした、というわけだ。


(まあ、私ったら、ファン様が離れるのを嫌がったみたいに……。)


 どれだけ甘えていたのだろう。後で、しっかりと謝らなければ、とイーリンは思った。


 ただ、今は、ノーマンに聞きたいことがあった。


「あの……先生。その、ウェナムについて、もう少しお聞きしても?」

「お嬢様、何か気になることがおありなのですか?」


 アンナが不思議そうに尋ねる。


「ええ……。以前に嗅いだことがあるの。」

「ふむ? 使ったことがおありで?」

「いいえ。その……人から……。」


 晩餐会のキャサリンの顔が浮かび、イーリンは目を伏せた。


「人から、ですか……。先ほども言った通り、ウェナムはなかなか手に入らないものなのです。まあ、マクスウェルのお嬢様なら、珍しいものに触れる機会もあったのかもしれませんが……。」


 ノーマンが、イーリンの顔色が悪くなったのに気づき、優しく言った。


「しかし、今無理をされるのは感心しませんな。私はいつでも時間を作ります。お身体がもう少し回復されたら、ゆっくりとお話ししましょう。」

「分かりましたわ。お願いいたします。」


 ノーマンは「では、私はアルバート様に報告してまいりますので。」と言い、一礼して退出した。



 イーリンは、アンナと侍女たちに身の回りを整えてもらい、また休むようにと言われた。


 その後、なぜか皆が優しい目をして、ファンだけを部屋に残していった。ベッドのそばの椅子に座ったファンは、穏やかな笑顔を浮かべている。


 イーリンは、身体を起こし、頭を下げてファンに謝った。


「すみません、私、その、色々失礼なことを。」

「そんなことはありませんよ。」

「でも私、……とてもわがままだったみたいで。」

「お助けしますと言いました。私が好きでやったことです。」


 ファンは、おろおろとするイーリンを見ながら、にこにこと笑っている。


 ──彼女が回復してくれてよかった。


「よく、頑張られましたね。大変だったでしょう。」

「……今も、ここにいるのが夢みたいですわ。」


『天が私に味方したならば、生き延びるやもしれません。』


 死を覚悟しながらも、アーサーたちの前で、彼女は凛としてそう言い切ったという。

 この華奢な身体のどこに、そんな強さがあったのだろう。その場にいて、守ってやりたかった、とファンは思った。


 ファンがじっと見つめるので、イーリンはもじもじと恥じらっていたが、何かを思い出したように声を上げた。


「あら、いけない。忘れていたわ。私、ファン様にお礼を言わなくてはならないのです。」

「私にですか?」

「私、これまでずっと、あのときいただいた『気』に支えていただいていたのです。心が折れそうなときは、このあたたかさを思い出していたのですわ。」


 イーリンは、胸をそっと押さえて言う。ファンは驚いた。


「あのときの……。」

「ええ、中庭で……。」


 そうして、イーリンは穏やかな顔でファンに微笑んだ。


「ありがとうございます。ずっと、そばについていてくださったのですね。」


 胸の中のあたたかさだけではない。ぼんやりする頭の中で、ずっと同じあたたかさを感じていた。

 彼は私が倒れてから、どれほどそばにいてくれたのだろう。彼のあたたかさはとても心地がよくて……


 ──もっと、そばにいたい。


 こんなことを考えてしまって、どうしようかしら、私は甘えてばっかりで、などと思っていると、ふわりとファンが近くなった。


「あ……。」


 目の前に、ファンの胸がある。いつの間にか、ファンの腕は、イーリンを優しく包んでいた。


「これからも、ずっとおそばにおります。」


 ファンの声が、頭の上から聞こえる。頭の後ろに回された大きな手は、あたたかい。


「ファン様……。」


 ──うれしい。ほんとうに?


「ああ、申し訳ありません。あなたのお身体に(さわ)る。」


 思わず抱きしめてしまったことを謝り、ファンはすぐに離れようとした。


「いいえ、いいえ。」


 イーリンは、首をふるふると振り、ファンを見つめた。紫色の瞳にとらわれ、ファンが動きを止める。イーリンの手が、ファンの服をきゅっとつかんだ。


「お願い、もう少しだけ……。」


 イーリンは頬を赤く染め、手を震わせている。知らず知らず大胆な行動に出てしまい、恥ずかしくなったのだ。


 ファンは優しく微笑み、さっきよりもしっかりと、イーリンを抱きしめた。

 

お読みいただいてありがとうございます。次もお付き合いいただけると嬉しいです。

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