23 愛らしい人
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
マリア・マクスウェル(クリークス):イーリンの姉、隣国の貴族ヴィルターと結婚
クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り
アンナ:イーリン付きの侍女
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
ヴィルター・クリークス:隣国ハーフェンの公爵、マリアの夫
ファン:クリスの従者、隣国の公爵ヴィルターの紹介でギーベル王国へ
最初は、「ファン、この子が僕の可愛い妹だ。」と、クリスに紹介された。
その通りだと思った。
少し痩せているのが気になったが、透き通るような肌に紫色の綺麗な瞳が印象的で、清らかな美しさを放っていた。
聞くと王太子の婚約者で、体調を崩したために王都から戻ってきたのだという。
そんな高貴な身分にも関わらず、兄が手放しで自分を褒めるのを聞いて、顔を赤くして恥ずかしがり、逃げてしまう様子は何とも愛らしかった。
それから何度かお見かけしたが、自分は令嬢に気軽に話しかけられる身分でもなし、挨拶程度の関係だった。
風の冷たい日、マクスウェル城の回廊で、ぼんやりと外を眺めていると、彼女がお付きの侍女アンナとやってきた。
最初に比べると身体も健康になってきたようで、頑張って体力作りをしているようだった。
健気な様子が可愛いなと思い、挨拶をして道を開けた。
すると、彼女は外に目をやったかと思うと、突然足を止め、涙を流した。
何だか分からないが、自分が泣かしてしまったのかと驚いた。クリスに怒られると思い焦ったが、彼女は違うと言った。
「私、いずれ王都に戻るものですから。もうすぐこの景色も見納めなのですわ。」
マクスウェル城にしばらく滞在しているうちに、イーリン嬢が故郷に戻ってきた、本当の理由が分かってきた。
この国の王太子はどうしようもないほど愚かで、皆の大事なお嬢様であるイーリン嬢を虐げていたという。マクスウェル城の者は、全員もれなく王太子に怒っていた。
イーリン嬢を見ていれば、彼女が清らかで、心根の優しい人間なのは十分に分かる。
おそらく我慢を重ねて、心が少しずつ壊れていったのだろう。今は家族に守られ、心を癒している最中だ。
本音を言えば、王太子の待つ王都になど帰りたくないに決まっている。しかし、王太子の婚約者という立場が続く以上、いつかは戻らないといけないことは分かっているのだろう。
彼女の涙で、自分の心までが痛くなるようだった。
「愛する故郷があるのはいいことです。遠く離れても、それは心に残ります。」
思わず口に出してしまった。
そして、眼下の景色に目をやる。
愛するものは心に残る。彼女を取り巻く皆の愛情が、彼女の心に残り、少しでも慰めになればと思った。
彼女の悲痛な表情は次第に緩み、彼女も外に顔を向け、遠く広がる景色を見た。
その横顔は、とても美しかった。
ある日、クリスが仕事をしながら嘆いていた。
「イーリンが王都に戻らないといけなくなるんだよ。もう、可哀想でならないよ。」
彼女の言っていた「いずれ」の日が来たのかと思ったが、そう単純な話ではなかった。魔女の疑いをかけられており、それを晴らすために王都に戻らなくてはならないという。
「そんなひどい噂が流れているのですか。」
「ひどいだろ?イーリンのどこが魔女だって言うんだよ。見たら分かるだろ。むしろ天使なのに。」
人の品性は、些細な言動や仕草に出る。イーリン嬢が人を傷つけようとするなど、信じられない話であった。
クリスは、目を潤ませて言う。
「もう〜、いっそファンがイーリンを連れて逃げてくれよ。王都になんて行かせたくないよ。しばらくしたら、こっそり帰ってきてくれたらいいからさあ。」
「な、なんで私が。」
「この間、回廊で出会ったんだろう?イーリンが心許してたみたいだって聞いたぞ。」
「……地獄耳ですね。」
さては、あの侍女か。
さすが外交に長けたマクスウェル家、油断も隙もない。
「冗談はさておき、春にはイーリンが王都で一人きりになってしまうんだよね。そこが心配でね。」
マクスウェル家は、春に長女マリアと隣国ハーフェンの公爵ヴィルターの結婚式を控えている。その時は、公爵夫妻も式に出席するためにハーフェンに旅立つので、クリスは領地にいなくてはならない。
回廊の様子からは、彼女はまだ王太子への恐怖心が抜けていないのだろう。それでもきっと彼女は耐えようとする。
マクスウェル城の雰囲気に影響されてしまったのか、彼女を翻弄する王家に対して、怒りが湧いてきた。
数日後の早朝、中庭で鍛錬をしていると、イーリン嬢が廊下を歩いてきた。
自分の動きが珍しいのか、足を止めてじっと見ていたので、手を休めて声をかけた。
王都に戻ることが決まったからか、彼女の顔つきは緊張していて硬かった。だから、あまりその話題に触れないようにした。
しかし、彼女は突然言った。
「ファン様、私、もうすぐ王都に行くのです。」
驚いた。なぜ、彼女が自分から言い出したのか分からなかった。しかも、出発は2日後だと言う。
「そうですか、寂しくなりますね。」
社交辞令ではなく、本音だった。
王太子の婚約者である限り、彼女が住むべきは王都だ。マクスウェル領にいること自体が、例外の措置なのだという。
彼女が王都に行ってしまえば、ここで働く自分と会うことはほぼないだろう。
彼女は黙り込んでしまった。言葉が出ず、困っているようだった。
自分も何を言っていいか分からなくなってしまった。
──彼女に、少しでもここの雰囲気を持っていってもらいたい。
急いで気の玉を練り、イーリン嬢に渡した。訝しげな顔をされるかと思ったが、彼女は素直に受け取り、胸にしまった。
そうすると、彼女は気のあたたかさを感じてくれたのか、ふわりとした笑顔を浮かべた。
それは初めて見る、穏やかで、優しい笑みだった。その愛らしさに目を奪われた。
「あなたは、笑っている方が素敵です。美しい。」
気がつけば、口から出ていた。
「何かあれば、私も頼ってください。必ず助けます。」
彼女を助けたいと思うものは大勢いるが、自分もその一人として役に立ちたかった。その時が来たら、自分は生命を賭して、この人を守るような気がした。
「私……また、ここに戻りたいですわ。」
「戻ってきてください。また、会いましょう。」
彼女の素直な言葉が出てきたことが嬉しかった。
いつの間にか見ていたクリスにからかわれたが、自分は本気だった。
ここで、いつか彼女が帰ってくるのを待とう、と。
クリスが王都に行く前、イーリンに言伝はないかと聞かれた。手紙を書いてもいいぞとニヤニヤしながら言われたが、彼女の複雑な立場を考えると、男からの手紙など、王都でどう利用されてしまうか分からない。
「クリス様、婚約者のある方に、私が手紙をお書きするわけにはいきません。」
クリスは、ほう、という顔をした。
やはり、試していたようだ。
「『また、お会いしましょう、お待ちしています。』と、お伝えください。」
と、頼んだ。
クリスは、任せとけ、と言って、出立していった。
王都から戻ってきたクリスは、自分に会うなり自慢げに「ちゃんとイーリンに伝えたぞ。」と言ってきた。
「手紙は断られたと言ったら、一度しゅんとしたんだけど、その後お前の言葉を伝えたら、すっごいもじもじして可愛かったぞ。」
と言われ、こちらまで恥ずかしくなった。
落ち込んだ時に、肩をすくめてしゅんとするのは、彼女の昔からの癖らしい。状況が許すのなら、手紙などいくらでも書くのに。
彼女もまた、自分に会いたいと思ってくれているのだろうか。彼女が王都で、無事に過ごしているのを祈るばかりだった。
お読みいただいてありがとうございます。24話までで、いったん第一章終了とさせていただく予定です(その後も更新は続けます)。23~24話はファンの回想ですので、内容は今までのものとかぶります。よろしければ、皆様のきりのいいところで、ご感想やご評価などいただけると大変嬉しいです。




